チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「女が三割ならば若者も三割」

2018-11-17 09:31:50 | 独学

 176. 女が三割ならば若者も三割  (塩野七生著 文芸春秋12月号 日本人へ百八十六回)

 本文は、古代ローマ、現代のイタリア、日本の政治・文化・人間模様を観察し、日本人へ百八十六回の文章です。私が本文を紹介しますのは、その内容と展開の巧みさと、その中心にある人間の素質と勝負カンに対する洞察力の確かさを紹介するためです。

 『 落ちるところまで落ちないと目覚めないと言われるのは、イタリアでは橋にかぎらない。ジェノヴァでおこった陸橋の墜落以上にイタリア人にショックであったのは、今年行われたサッカーの世界選手権では出場さえ許されなかったことだった。

 予選で落ちてしまったからだが、サッカー人口イコール国の総人口とさえいわれるイタリアである。世界チャンピオン最多を誇るブラジルに次ぐイタリアなのに、大会開催中は終始観戦を強いられたのだから、イタリア人の気分が落ちるところまで落ちたのも当然である。

 これで始めてイタリア人は目覚める。少なくとも目覚める必要は感じたのだ。まず、監督を代えた。温厚で円満な人から激しい性格の人に。

 つまり、選手たちをなだめすかしながらイイ線にまでもっていける監督から、温厚でも円満でもないが勝ちをとることを最重要視する監督に代えたのである。

 ロベルト・マンチーニは現役時代から、メリハリの効いた試合ぶりで知られていた。一応はストライカーなのでゴールも決めるが、それよりも見事な目の醒めるように美しいパス。

 だから彼のアシストは、必ず得点に結びつく。今は辛口の解説者に転身しているヴァィアーリとのツートップでセリエAの連覇を成しとげたのではなかったか。

 私には、監督には二種類あるように思う。一つ目は、選手たちを育てながら一年を通してまあまあの成績を残す人。二つ目は、持ち駒を駆使することで勝ちを重ねていく人。

 マンチーニは、監督になってからの各国を渡り歩いての実績からも、明らかに第二種に属す。この派の監督の代表例はムリーニョ(現マンチェスターユナイテッドの監督)だが、この種の男に美男が多いのはなぜか、まではわからない。

 というわけで落ちるところまで落ちたイタリアのナショナルチームを率いることになったマンチーニだが、ベテランから若手に代替わりしたチームのスタートは苦戦の連続になった。

 その試合後に行われた記者会見でマンチーニの言葉が、私の関心を刺激したのである。

 「クラブチームの監督たちには、イタリア出身の若手により多くの出場の機会を与えてくれるように願いたい。彼らには、素質ならば十分にある。欠けているのは、勝負カンなのだ。この種のカンは、現場経験を積むことでしか習得できない。しかも、カンが衰えてくると素質まで低下してしまう」

 イタリアでのサッカーは完全な営利事業なので、観客動員のために世界中から有名選手を集める。私でさえも、クリスティアーノ・ロナウドがでるなら観に行くかと思うほど。

 おかげでこれからクラブチームの監督たちはすざましい重圧下に置かれていて、二度つづけて負けるやとたんに進退問題化する始末。この人たちだって若手にチャンスを与える気持は充分にあるのだが、それで敗れようものなら自分のクビがとびかねない。

 いきおい、レギュラーは外国からの有名選手に頼るようになり、イタリア人の若者はベンチに居つづけることになる。マンチーニは、彼ら監督だけでなく外国の有名選手を喜ぶ観客たちにも、むずかしい問題を突きつけたのであった。

 私の仮説だが、素質は先天的なところが多いかもしれなくても、カンとなると後天性が強くなると思っている。今のイタリアを見ていて心が痛むのは,この国の若者たちの失業率の高さである。

 彼らは、カンを磨く機会を得られないまま衰えていく。若年層に現場体験を積ませる効用は、サッカーにかぎったはなしではないのだ。これまでの私は、女性の登用を三割に上げるべきとする説は反対だった。

 逆差別になりかねない、と思っていたからだ。だが今では、これも有りだと思うようになった。制度化することによって女が三割は占めるようになると、各人の能力の有る無しがモロに出てくるからである。

 女だからできないなのではなくて、できる女とできない女の別しかないということもはっきりしてくる。その結果ガラスの天井などという、自らの無能を社会の責任に転化する言葉も消えてゆくだろう。

 この三割強制的登用システムは、女性だけでなく、四十五歳以下の若者にも広げるべきである。内閣も大臣の三割は女で別の三割は若者で、残りは従来どおりにベテラン世代で構成するとかして。

 一億総活躍は大変にけっこうなアイデアだが、一億というからには、女も若者も加わってのことでしょう。かけ声だけで終わらせないためには、政策は具体的でなければならない。

 となると、経験のない女や若者が失敗したらどうするのか、と言うかもしれない。なにしろ頭数をそろえるのが経験の多少よりも優先するのだから、失敗する人も出てくるだろう

 それによる実害を最小限に留めることこそが、年長世代の役割である。サッカーに例えれば、間違った方角にパスしてしまったボールを、時を置かずにベテランがフォローすることで失点にならないで済んだ、というケース。

 そして、この方式をつづけるうちに人材も淘汰されてくるだろうし、登用された女も若者も、自然に経験を積んでくるだろう。こうなって始めて、一億総活躍も現実になるのである。

 ただし、次の二つは忘れないでもらいたい。第一は、全員のためを考えていては一人のためにもならないという、人間性の真実。

 第二は、全員平等という立派な理念を守りたい一心こそがかえって、民主政の危機という名で、民主政からポピュリズムに堕す主因になっているという歴史の真実である。 』 (第175回)