アウシュビッツ解放75年、生存者が語る「消えない恐怖
AFP=時事】ナチス・ドイツ(Nazi)がポーランドに設置したアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所の解放から2020年1月27日で75年を迎える。AFPでは、死の収容所を生き延びたユダヤ人らにインタビューを行った。
【関連写真】生存者の腕に刻まれた収容番号
アウシュビッツでは何百万ものユダヤ人が殺された。残った生存者らは高齢となり、左手に刻まれた囚人番号の入れ墨は薄れた。だが、当時の恐怖によって心と体に刻まれた傷は今も消えることなく残っている。
■シュムル・イツェクさん
1927年9月20日ポーランド生まれ
アウシュビッツ囚人番号117 568
アウシュビッツ囚人番号117 568
アウシュビッツで亡くなった両親と姉妹の写真を見るシュムル・イツェク(Szmul Icek)さん(92)の体は震え、目は涙で曇っている。
1942年初め、悪名高いナチスの秘密警察ゲシュタポ(Gestapo)からの通知を受け、イツェクさんの2人の姉妹は出かけて行った。家族を守るため、ゲシュタポの元を訪れなければいけなかったのだ。
「2人は出かけて行って、二度と戻ってこなかった。2人がどうなったのかは分からない」。交通事故に遭い、話すことが困難になった夫に代わり、妻のソニアさんが答えた。
イツェクさんは長年、アウシュビッツにいたことを妻には秘密にしていた。
イツェクさんら夫婦はベルギーで長年暮らした後、イスラエルへと移り住んだ。今は、エルサレムのアパートで暮らしている。居間の壁にはイツェクさんの家族の古い写真が飾られている。
姉妹2人がいなくなってから1か月後、ドイツ人らが家を訪れ、今度はイツェクさんの両親、2人の兄弟、イツェクさんを連れ出した。
「列車を降りてアウシュビッツに着くと、少年のように父親の手を握った」
だが、イツェクさんはナチスによって父親から引き離された。「父親と一緒にいたかったので泣いた。ドイツ人から『おまえはあっちだ』と言われた」と当時を振り返った。
1/25sat/2020