izumishのBody & Soul

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陳 鑫 著「陳氏太極拳図解」への挑戦!〜その9(単鞭の2)

2019-10-21 14:38:35 | 太極拳

前回から時間が空いてしまった💦

単鞭までが一番重要と教わった。ここまでの中に総てがあると。。。

何度でも繰り返して、自分の身体を感じて知りながら、ジミ〜な練習を積み重ねることが高い峰への足がかりだ。

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足纏糸勁図

 大股は足から大股の付け根へまつわるようにし、その勁は外から内にまつわる。腿の付け根までまつわれれば、両腿勁を相対にまつわらせ、気を硬くさせず、両膝は内側に合わせ、足の五指は皆内側に向かせて合わせ、腿の上下は自然に合わせるようにすれば、襠は自然に円くなる。

足の動作法

左足から先ず右足の側で指をタッチさせ、西に開いて、両足を5〜6寸の距離にする。

踵根のねじり

単鞭の通り左足を先に右脚の側へ収め、足指で地をタッチし、さらに西に発して行くが、右足「攬擦衣」と迄は行き渡らなくてもよい。足の五本指は東北に向かい地を踏んでいたが、左足が西に向かって開き歩いたとき、足指を西北に向け、踵を地に沿って一ねじりさせ、やや北西に向ける。北西は北に偏る西の方向で、右足指と左足指は同時に地落とす。左足も踵から先に地に着かせ、徐々に指と右足に到らせ、其れを合わせて初めて勁は集合し、散渙しない。

 

単鞭とは両手を胸の前後に置かずに、胸の左右に開く姿勢で両腕を左右に拡げた姿は鞭のようであるためにその名が付けられたのであるが、この姿勢は左手を主とし、先ず左手を上に運行させ、臍と同じ高さに持って来た時に、内側に向かって小さく一回りさせる。右手はその後に従い、やはり小さく一回りし、左右一斉に神気を合わせて呼応する。此は二人の人間が顔を合わせて話しをするような気持ちでやる。

続いて左手を合わせたところからリードを始め、左半身は下から上に回し、西に向かって徐々に西の方角へ行くこと、8〜9分のところで止まる。手を拡げない前、そして手がまだ停止しない間、眼は左手を注視し、左手の中指をポイントに横見をしない。

中気の纏法は「攬擦衣」の右手、右肘(腕)の場合と同じくする。合わせた時、左にある左足は右足の側に引き寄せ、足指は地をタッチして下脚運行の準備体勢をとる。運動を始めれば、左脚は左手と一斉に西の上面に向かって運行させ、左足踵から先に地に着け、漸次左足親指に行き渡らせて、左手と一斉に停止させる(この時停止しているように見えるが、神気は停止しない)。

この場合、左半身は上下相従い、左足の拡げ方は各自異なるが、約二尺以内とし、右手を合わせた時、先ず右手を一回りさせ、左手からスタートし、西へ向かって運行させる。右手首はその後から従い、後から前に回し、そして一回り回転させる。この時、腕を徐々に翻し、反背勢をとり、左手に従うようにしながら、右手は東に運行し、左手は西に運行させ手の甲を前に持って行って合わせる。右手は東に進行し、左手は西に運行するので、あたかも両方に分かれる体勢に見えるが、実際は両合の神気が宿るもので、右手が反背勢をとるのは下勢伏脈のためである。右手の五本指を揃えて拡げないのは、後から突然に指をつかまれたりして関節を折られたりするのを防ぐためで、眼は前を見つめているので後まで顧みることができないからだ。腕の纏勁は後から前へ、右指先に至って止まる。右脚は不動ではあるが、右手の運行に従ってねじ回すようにして転回し、西北に向かって落とす。(北西とは言うが北に偏る方が多く、西に偏る部分は少ない)。即ち右半身は上下相随従い、まちまちであってはならない。こうして週身一斉に神気が合致し、全身の骨節は、例えば左右の肘、肩の上下、各位置とも相互に照合され、呼応の効果が顕れる。以上の体勢は総て端正に行い、決して偏ることがないよう、こうすれば骨節は柔らかく開かれ、腕は軽く肩にかかるが如く柔の中にも堅実が漲り、剛強の精神が全身に醸し出されるが、これは外見には現さないことを優とする。

 

拳家は実行をモットーとし、先ず困難に立ち向かう精神が重要で、努力のない収穫など期待しない。殊に妄念、邪念などを戒めなければ、如何にして敵に対応することができよう。敵と手を交わす時、敵は何処から来るかも知れず、何処から撃ってくるかもしれない。但し、自分は何処を根拠とし、其処から敵を引導して撃つことを把握することができる。此れが拳架の妙であり、不思議なことである。此れは熟練したものでなければなし得ない境地で、一体何時になれば完全に成就できるかと問うても、奥には奥がるもので終生を尽くしても学び終えられるものではない。但し、一般に大成は9年を要し、小成は7年かかると思われ、精妙の境は終身の学と言えよう。或る者は1〜2年学び、もしくは3〜4年の浅きに終わるが、こういう者はどうしても門外漢と呼ぶ他はない。とにかく先ず心から修練を始め、順序に従い、漸次錬磨を積み重ね、規則に沿っていって初めて功を成すもので何事も実践が大事である。

 

単鞭俚語七言

 単鞭の勢は、長蛇が東西に横たわるが如く、首尾精神が貫き脈絡相通じ、上下四方に動き、弓のように張り詰めたものであって、その真髄は何処にあるかと問えば、背随の骨節にあると答う。

 

長短句俚

 天下無双の一本の鞭は強靱そのもので、敵は我が左手が腰にあるかと思い、肘を曲げているのを見てその不慮を攻めようとするも、我が弓弦は屈するように見えて、その実はりつめたものであるのを知らない。敵は我を攻めたが反撃に遭い、身を隠す所も見つからない程狼狽する。此れは、我、全身に一縷の中気が漲っているからで、臨機応変、敵は勝とうと思ったのに却って敗北し、その場で勝負がついた。此れは陰中蔵陽の理である。(肘を曲げた時は陰、肘を伸ばした時は陽)。

 

単鞭取象

 拳者の胸中には一物もない。胸中明朗にして太空の如く広い。外見は柔順で中気は丹田に帰す。理は充実して、気は霊谷の如く、上虚下実、四肢軽やかに開き、気は満足に行き渡る。普段から艱難に立ち向かい、他人を威圧せず、如何なる変化にも順応し、徳容の修練に励む。此れが拳者の総てだ。

 「攬擦衣」と「単鞭」の両儀を併用すれば四象生じ、太極以来両儀の下に不窮の万象が生まれる。努力の積み重ね、実践を怠らなければ太極の奥義が悟り、其の力を否むことはない。天機自然の運行、陰陽自然の開合は不思議な力を持つものと驚嘆しない者はない。総ての強者が太極の自然の理を知っているのはそのためである。

以下続く。

  

 

 

コメント
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