犬神スケキヨ~さざれ石

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観念と独善

2015-12-17 20:30:47 | 草莽崛起
今回はお祭り騒ぎについて考えてみようと思います。

お祭り騒ぎと言っても本当の祭りではありませんがね。

バカ騒ぎの「お祭り騒ぎ」です。

昨今の日本国内におけるバカ騒ぎ!

しかし、ある方と話していて出て来た話しから我が国の振る舞いなどを少し考えてみようと思います。

毎度申してますが、これは問題提起の一つです。
皆さんもご自分で考えてみて下さい。

安保法制で安心

今年の一字は「安」だとか。

なんとも言えない、流行語大賞並に意図を感じずにはいられませんが…
まぁ良いでしょう。

安保法制の一連の騒動、こんなもんは「バカ騒ぎ」以外の何物でもない!
と、考えます。

SEALsとか言うアホな学生集団や、それに乗る無能政党に政治家。
全く現実と理念を感じぬアホな芸能人の発言に、嫌気を通り越して「大丈夫か?」と、頭の具合を心配してしまいます。

戦争だ!戦争だ!
と、煽りまくり現実を無視する様子はもう敗戦後の刷り込みだけに留まらない。
利害か既得権があるんだな…と透けて見える。

こんな状況に辟易とした方も多いでしょう。

安保法制の何処をどう見れば「戦争するんだ!」と思うのか?
無知を通り越して「一回医者行け!」と思います。

前にも我が地味ブログにもアップしましたが、世界の平和は敵対と協調のバランスで保たれているんです。

つまりは剣と握手です。

テーブルの上では握手をしながら、テーブルの下では剣や銃を相手に向ける。
これが世界の平和です。

日本の江戸時代が特段の争いもなく平和を保たれていたのは実はこの様な状態も要因なのです。
各藩は素破(すっぱ)と呼ばれる人々を使っていました。
素破とはつまり忍者です。
忍者を使って情報収集を行い政治に利用していた。お互いに情報を利用し牽制したり、握手したりと上手くバランスを取っていたのです。

ネット時代にあって、幾らでも現実的情報収集が一民間人でも簡単に出来る現代で戦争する!とか徴兵制になる!とか話せば良い!とか言う人間はよほどの山奥に暮らしているのか、一切電波も入らない地域に住んでいるのか?

こういうのを「観念論」と言うのです。

観念論で生きる人は決して現実には目を向ける事はありません。
自分の空想の世界に浸るのです。

今、支那から大挙して押し寄せて来ると言う間際にでも「酒飲んで話す」なんてのは自我の空想に浸っている観念そのものです。

殺す気マンマンの連中は酒飲んで話す気もなければ余裕もありません。
酒なんか用意する時間があるなら、もうちょっとマシな事が出来ます。

酔拳の達人なら酒飲んでひと暴れ!は、ありましょうがね。
アホが酒飲んで話しても、酔っぱらいの与太話しです。

例えばこの人

幕末の志士

我が敬愛なる坂本龍馬先生のお話しを少し。

尊皇攘夷を過激に行なった「土佐勤王党」。
最初の加盟者は坂本龍馬先生です。

坂本龍馬先生は開国論者の、これまた我が敬愛なる勝海舟先生を斬り倒そうと勝海舟宅へ向かう。

しかし当の勝海舟先生は現実の世界情勢や日本の現状と危機を坂本龍馬先生に説いた。

この自分の不明さ無知さを謙虚に恥じた坂本龍馬先生は遂に斬り殺そうとした勝海舟先生に弟子入りしてしまう。

この時、坂本龍馬先生は勝海舟先生に出会い、それまでの持論を変えたのです。

坂本龍馬先生が意見を変えた理由は
現実を見ない観念論の危うさに気付いたからではないか?
そう思えるのです。

今から150年前の日本。
ネットもマスコミもない。
つまり、情報が飛び交う現代社会とは違い、ある種情報からは閉ざされた時代です。

情報欠乏の中で生まれるのは「観念論」です。
少ない情報からは妄想や空想しか生まれません。

おのれの思い込みだけが正しい。
それが観念論です。

過激な尊皇攘夷にどっぷり浸かった者は外国人や外国船を打ち払うことには何ら恐れを抱きません。

しかし世界情勢にとても疎い。
産業革命を経た諸外国にはとても太刀打ちなど出来ません。

その「現実」を坂本龍馬先生は勝海舟先生の話から悟ったのではないでしょうか。

ペリー艦隊が浦賀に現れ、その黒船に幕府は恐怖した!
その様に学校で習いました。
デッカい黒船を見て、その凄まじい迫力に日本は驚愕した。
そう信じてきました。
今も、そう考える人はいるでしょう。

ある意味では間違いではありませんが、本質は違います。

当時の日本が恐怖したのは武器に対してです。

当時の大砲は火薬を使って鉄球を飛ばすのがスタンダードだった。
しかし、ペリー艦隊が搭載していた大砲の弾は炸裂する弾だったのです。

つまり、着弾と同時に爆発するのです。

鉄球が飛んで来るだけなら、落ちて来たところにはそれなりの被害も出ます。

しかし、当たらなければ大して怖くもない。
船にとっては鉄球も直撃すれば船体を損傷しますから被害は甚大ですが。

ならば、鉄球同士のやり合いならば地上から撃つ方に分があります。

しかし、弾が爆発するとなれば話しは違います。

たとえ直撃を免れ様と被害は甚大です。

幕府はこの新型弾に恐怖したのです。

それは…

観念論に首までどっぷり浸かった人間には実力差など冷静に分析出来ません。

現実を全く見ないのです。

安保法制は日本国民の命をどう守るのか?
憲法にも一字も書かれていない自国民をどう守るのか?に対する答えです。

世界はバランスで成り立っています。

経済などの協調を強めるなら、それに応じた軍事的牽制も強めるのです。

バカ騒ぎする連中は「国民をどう守るのか?」の問いに対して「何もするな」とか「殺すより殺される方が良い」とか言うのです。

それは「独善」と言うものです。
他者を全く考えない。
持論のみを展開し独善を押し通すのです。

石垣市長である中山市長は「現実的な脅威が高まっている」と述べています。
また「不測の事態を避ける為に漁業関係者は漁を控えている」とも述べている。

これは尖閣諸島に対してのコメントであり安保法制支持を表明したコメントです。

支那は尖閣諸島を「自国領土」と主張し、公船を尖閣諸島に派遣し日本を牽制しています。
日米安保の防衛義務になっている事で、辛うじて支那は最後の一線を越えてはいない。

しかし、いつ一線を越えてもおかしくはありません。
しかも石垣の漁業関係者は漁を控えている。
自国領で自国民が漁をしなければ、これは支那による実効支配となってしまいます。

長いスパンで考えれば、誰も住んで居らず無人の島で漁民が漁すらしていなければ実効支配を許している様な状態です。

日本は残念ながら、日本一国で防衛出来ません。
米国との共同防衛でなければ自国民の生命を守ることが出来ないのです。

その米国の艦船等が攻撃されても知らぬ顔をする方が良いとバカ騒ぎする連中は主張します。

日本国民の生命や自由や幸福を追求する権利が侵害される明白な危機がある場合にのみ行使出来る必要最小限度の武力行使が「憲法違反」「戦争法」とは…

地球の裏側まで行ってアメリカと戦争するぞ!
なんて、どの条文をどう読めばそうなるのか?
どんな空想でたどり着くのでしょうか?

「独善」や「観念論」とは恐ろしいもんです。

活動的無知者ほど厄介な者はおりますまいて。