犬神スケキヨ~さざれ石

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過去から未来へ(予測と知見)

2015-12-22 12:00:38 | 草莽崛起
12月19日に独立総合研究所主催の講演会「独立講演会」に参加して参りました。

と、言っても初めてではありませんで。
随分参加しております。

ご存知、独立総合研究所は民間シンクタンクで社長は青山繁晴さん。
直接、目を見て話せる貴重な機会です。

700人を超える参加者です。

参加された方々は皆さん問題意識、危機意識の高い方々ばかりで、中には一生懸命にノートを取っておられる方もいます。

その場で青山さんから出てキーワードをスマフォを駆使して調べながら話を聞く方やら。

皆さん熱心な方々です。

年齢層も幅広く、小さな子供からお年寄りまで様々です。

5時間にはなる長い講演会ですが皆さんの熱心さに「この腐った世の中で、これは救いだなぁ…」と毎回感じます。

まさに草莽崛起です。

この稚拙な地味ブログにて自分勝手に書きなぐることが、少しでも我が祖国の発展に寄与出来るならばと、一民間人ながら問題提起することで、皆さんの志しを支える一助となれば…
と、勝手に考えています。

毎度申しておりますが、あくまで問題提起の一つです。皆さんもご自分自身で、ご自分の中に落とし込んで考えてみて下さい。

考えて考えて

毎回、物事を考える上で重視している事があります。

それは

事実

根拠

論理性

です。

それが事実であるのか?

事実ならば根拠は?

その上で結論に論理性はあるか?

と、考えます。

何故、この様に考えるのかと言うと「自分の考えに間違いや矛盾を見つける為」です。

つまりは、これを基に他者と議論することで自らの主張の正しさと間違いを客観視出来るからです。
これは議論もですが主張する際に非常に重要です。

例え自分と違う意見を持つ人と議論しても感情的になったり、罵倒したりする必要がないからです。
謙虚に客観視出来るなら、他者との意見が違ったとしても「一致点を見いだす」事が出来るからです。

逆に言えば、議論の中で自らの間違いを認められたなら意見を下げることが簡単にできます。

「それは君の意見が正しいなぁ…」

そうなれば、そこは一致点となりますね。

そういう議論相手が見つかるなら、此れ程心強いことはありません。

そうやって煮詰めていき「うん!これは良いものが出来た」とお互いやるべきことが見えるのではないでしょうか。

坂本龍馬先生が書いた船中八策こと「新政府綱領八策」は坂本龍馬先生が考えたものではありません。
これは、坂本龍馬先生が維新の活動の中で様々な人々と出会い、議論を重ねて一致点を見出したものを書き示したものです。

坂本龍馬先生個人の考えならば、それは私心でしかない。
坂本龍馬先生の真の凄さとは他者の意見に耳を傾け自らの間違いを謙虚に認めて良いものは良いのだ!と考えられることにあるのです。

例えば薩長同盟などは元々坂本龍馬先生の考えではなかったし、そんな話しはずっとあった。
しかし、犬猿の仲である薩摩と長州が手を組むなどあり得ないと皆考えていた。

しかし、これは良い!

その考えを実行した、誰もやらない、やろうとしない。

「誰もやらんならワシがやってやる!」

良い考えも実行しなければ何も変えられない。
その良いものを実現させる。
その実行力が凄さなのです。

それを実現させる為に逆算し、今何を為すべきか?
何が必要なのか?
そこを考える力が凄いのです。

人間ですから感情に流されてしまって見失う事もあります。

しかし、事実、根拠、論理性を常に心掛けることで感情的にならず冷静に考えることが出来るのではないかと、その様に思います。

実は自分自身は理論物理が大好きです。
理論物理の世界では実際に出来ない実験を行うのです。

その実験とは思考実験というものです。

つまり頭の中で実験を行って答えを導き出すのです。
これは理論物理の世界だけではありませんが、特に多いのではないでしょうか。

例えば重力や宇宙を考える時に実際に実験出来ないことが多数あります。
これを思考実験である予測を導き出し、其れを観測して正しいのか?間違いか?

そんな時に「自分の考えが絶対正しい!」と思い込み思考実験する、或いは観測すれば答えを間違い、自分の都合の良い答えに近づけてしまう。
その様な結果を招きます。

これは、あのアインシュタイン博士も犯した間違いなんです。
「あれは人生最大の間違いだ」とアインシュタイン博士ですら述べているのです。

過去から導き未来を考え

さて、我々は人間です。

神成らざる存在です。

簡単にヒューマンエラーと言う言葉がある様に間違いを犯します。

間違いを犯し飛行機が墜落。
間違いを犯し交通事故。
間違いを犯し人を殺す。

今、正しいと言われる事も未来では否定されているかもしれません。

例えば、我々は植物は二酸化炭素を吸収して酸素を供給していると習って来ました。
今現在もそう考える人は沢山いるでしょう。

しかし植物は二酸化炭素を吸収しない!

確かに成長段階の植物は二酸化炭素を取り込み酸素を出している。
しかし、それはあくまで成長段階での話しです。

やがて植物は成長が止まり枯れてしまいます。

すると溜め込んでいた二酸化炭素が全て放出されてしまう。

例えば、ダイオキシン。猛毒だ!とされて来ました。しかしダイオキシンは無毒、或いは微毒。
これは科学的に証明されています。

1970年代の予測では2015年の現代では、資源は枯渇し人類は人口を減らしていると。
しかし、どうですか?
人口は爆発的に増え、石油などダブついている。

予測や予想とは過去を振り返って現在を見て未来を見ることです。

しかし、未来など本当は確定していないのです。

先のアインシュタイン博士の失敗も長らく失敗だと考えて来た。
しかし現在はそのアインシュタイン博士の失敗は間違いではなかったとされて来ています。
転んでもタダ起きぬアインシュタイン博士凄い!

地球が温暖化している!と良く聞きます。
確かに温暖化してはいますが、だから間違いなのか?冷静に考えなければ道を誤ります。

未来は確定していないのです。

予想や予測を立てても未来を確定することにはなりません。

我々は過去を知らない

未来は確定しないのです。
しかし、未来を予測しなければ我々は生きていけません。

未来に起こるかもしれない危機に備えて対処出来る様にしておかなければ命に危険が及びます。

食べものがなくなるかもしれない。
だから、食料を備蓄しておこうとか考えるわけです。

それは経験から推測するしかありません。

過去に餓えで苦しんだ経験が、食料備蓄に繋がる。寒さに震えた経験から暖をとる為に燃料を確保しておく。

これが予測と予想です。

歴史もそれは同じです。

実は我々は歴史から学べないのです。
我々日本人は歴史から学べないのです。

これは実は致命的です。

学べない

何故、経験から学べないのでしょうか?

此れ程に歴史の長い国は日本以外ありません。
長い歴史を持つと言う事はそれだけ経験値が高いはずです。
しかし学べない。

それは日本が敗戦したからです。

戦争に負けてしまったから学べないのです。

これは戦争に負けた国が学べないのではありません。
戦争に負けた日本が学べないのです。

先の大戦で日本は負けた。
日本は初めて負けたのです。

例えば、ドイツやフィンランドなど負けた経験がある国、実は負けてばかりの国では負けた時にこそどう振る舞えば良いかを心得ている。

負けた経験がない日本は敗戦後の振る舞いが解りません。

解らないから、勝った国に従うと感違いしてしまった。

だから憲法も教育も経済も主義までも戦勝国の押し付けを受け入れました。

主義

主義というと「民主主義」と思ってしまいます。
しかし、それだけではありません。

そもそも日本は世界にはないオリジナルの民主主義を持った国で、戦争に負けてアメリカ様から教えて頂いた訳じゃない。

むしろ欧米型民主主義を押し付けられたに過ぎません。

昨今の夫婦別姓。

認知症の夫が目を離した隙に徘徊し電車にはねられた、その妻である老婆に賠償請求をする。

認知症の母の介護に疲れ無理心中。

障害を抱えた50代の息子の将来を悲観し、自らも認知症を患いながらも介護に疲れ息子を殺す。

これは全て同じ根っこなのです。

それは主義です。

敗戦後、我が国は占領政策を受け入れた。

その為に、今迄持ったことがない主義を抱える事になりました。

それは個人主義と言うものです。

例えばアメリカは個人主義です。

個人主義の国は成人した者は社会が面倒を見るのです。

例えば、介護が必要な息子が成人したら母は息子の面倒を見れません。
何故なら彼は成人した大人だからです。

成人した大人は社会が面倒を見るので母は勝手に介護できません。
介護する為には裁判所から介護をする為の「許可」を得なければならない。

日本は戦前までは個人主義なる概念は殆どありませんでした。

だから介護をする為に国や行政や司法から許可など得る必要はありません。

しかし、敗戦後受け入れた憲法や、それにぶら下がる法は個人主義です。

個人主義が決して悪い訳ではありません。
社会的弱者を社会全体で支えることは必要な事ですから決して悪い訳ではありません。

しかし日本は個人主義を経験していない。

個人主義ならば、夫婦別姓も不思議ではない。

個人主義と対照的なのが家族主義だと考えます。

家族主義ならば介護を家族でやることに許可など得る必要はない。

家族単位ですから。

私はどちらが正しいと言うつもりはありません。

しかし経験のないことを敗戦後70年行って来たのです。

先の認知症の夫が徘徊した話しも、法は個人主義なのに妻に賠償を求めるなどおかしな話しです。
妻には夫を介護する義務もなければ許可も得ていない。
憲法や法は個人主義なのに介護は家族単位の家族主義を強いる結果になっています。

夫婦別姓も個人主義ならばそれはそれで良いでしょう。
しかし、夫婦別姓が憲法違反かと言われたなら、それは違うのです。
夫婦別姓を取るならば「どの様な形が日本社会に合っているのか?」が議論されていない。

日本のオリジナルな民主主義とは一致点を見いだし総意を得ることではないでしょうか?

つまり個人主義と家族主義の良いところを上手く取り込み矛盾の少ない形を見いだす。
その為の一致点を議論で見いだし総意を得ることが必要なのではないでしょうか?

何が正しいのか?

その答えは自分自身見つけられていません。

その答えを見つける為に議論を尽くし、一致点を見いだし行く事こそは正しいと。

それだけは解ります。

皆さんも考えてみませんか?