犬神スケキヨ~さざれ石

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継ぐべきもの

2023-07-23 17:20:00 | 草莽崛起
7月8日が過ぎ、あの暗殺から1年が経過しました。
衝撃の安倍晋三元内閣総理大臣暗殺です。

暗殺から1年、全てにおいてガラッと変わってしまい安倍晋三という人間の政治的影響力が如何に多大であったのかを実感すると言う日々ではなかったかと思います。

未だ殺人犯の公判は始まりませんが、頭のイカレた連中が殺人犯を英雄の如く祀りあげ、減刑嘆願や寄付までする始末です。
単なる個人的な逆恨みで人を殺したアホをもてはやす連中がいる事に恐怖すら覚え『遵法精神』が欠如に一体どこで養育されたのかと思う次第です。

方や、何故か『安倍晋三の意志を継ぐ』と仰る方もいるのは非常に面白い現象だなと思います。
安倍晋三の意志なるものが一体なんなのか?
よくわからないです。

大まかな部分で、安倍晋三氏の言動や政治手法などから私自身は考え方は近いのだろうと思います。
つまり意見の一致はあるだろうと。
しかし、真っ向相反する部分もあるのです。
例えばいわゆる慰安婦なるものの『日韓合意』や事実上の『移民政策』などです。
それに二度の消費増税です。
もちろん、政治は闘争でもあり結果が重要ですから、結果を出す為には大きな譲歩も必要です。しかし譲歩が過ぎるやろ!と思うわけです。

とは言え、意見が一致する部分もあるのですが、だからと言ってそれは安倍晋三氏の意志であると同時に、私の意見でもありつまりは単なる一致点でしかなく『継ぐべき意志』などではありません。

つまりは継ぐのではなく、成し遂げる事ではないでしょうか?
例えば、憲法改正は安倍晋三氏に言われるまでもなく必要であり、成し遂げる事です。
安倍晋三の意志かもしれませんが、私自身の意志でもあるわけです。
その様な事柄が数多あるわけです。

その一つに硫黄島の先達を取り返すと言う一大事業があります。

硫黄島の先達については、この地味なブログでも取り上げていますので一読頂ければ幸いです。

始まりは第一次安倍政権末期の事です。
当時、民間シンクタンク社長であり現自由民主党参議院議員・日本の尊厳と国益を守る会代表青山繁晴氏との昼食時に出た『硫黄島』についての話しです。
当時、関西テレビ水曜アンカーの一つのコーナーでの企画で青山繁晴氏は硫黄島に上陸し現地取材をした後でした。
安倍晋三氏は安全保障についての話しをする為に青山繁晴氏と昼食を取る事になっていましたが、青山繁晴氏は全く違う話し、つまりは『硫黄島』について話すのです。
農水大臣が自決した直後でもあり、安倍晋三氏はあからさまに不機嫌になりながらも話しを聞いたのです。

その後自民党は下野し、野党となるも再び与党となり第二次安倍政権が発足します。
安倍晋三総理は、下野した後も自ら硫黄島について調べ上げ、硫黄島に取り残された先達を取り返す為の事業に乗り出したのです。



この有名な写真は、滑走路下に取り残された先達に対して手をついて撫でている姿です。

この熱い、熱い火山の島。硫黄が噴き出す熱い島で我々後世の為に散華された先達の御遺体を回収する事なく、その累々と横たわる先達の上に、米軍はコンクリートを流し滑走路を作ったのです。




戦後もその滑走路はそのまま使用され、今も自衛隊機が離着陸を繰り返しています。

その滑走路に着陸する自衛官は毎度苦しみながら着陸するのです。
『後世我々の為に散華して頂いた先達の顔や頭や腰や手足の上に、毎度毎度ドンッ!と踏み付けにして着陸している』
こんな事を繰り返して良いはずはない!
今を生きる我々と同じ日本人の亡き骸を踏み付けて良いわけがない!と苦しみながら離着陸を繰り返しているのです。

この熱い熱い島から、我々の先達、同じ日本人を最後のお一人まで取り返す!
当たり前の事ではありませんか。

東京都小笠原村硫黄島は日本国の領土です。
大陸や南方など外国なら取り返す為には様々な外交的障害があるでしょう。
しかし、硫黄島は我が国の領土です。
我々の先達の皆様に故郷に帰って頂く事に何の不都合があるのでしょうか?

敗戦後、同じ日本人を悪者にしてお帰り頂くべき方々を見ない振りをして放っておいたのは日本国民です。

硫黄島(いおうとう)を長らく、米軍通訳がいおうじまと誤訳した事すら『日本人は悪い事をしたから...』と、そのまま受け入れて長年間違って呼んで来た事も日本国民です。

アメリカ人俳優が、この島を舞台に映画を撮ると言い、その事があるまで日本人はこの硫黄島を忘れたままにしていた。
日本国民ですら上陸出来ない島を、アメリカ人が好き勝手に歩き回って撮影した事も、我々後世の責任です。

もう敗戦濃厚な大戦末期、二万を超える守備隊は職業軍人は僅か二千名ほど、後は皆戦争がなければサラリーマンだったり、教師だったり、或いは八百屋さんや大工さんと言うごく普通の人達で、皆お子や親兄弟、愛する人を本土に残し自らは死ぬ戦いに身を投じることで守ろうとした。

守備隊司令官の栗林中将にしても、家に帰れば優しいお父さんです。
長男に絵手紙を書いてやる優しい人です。


栗林中将はアメリカ駐在経験から、米軍は硫黄島を拠点に本土爆撃と言う大虐殺をやるとわかっていた。なんとしても、この熱い島で最後の一人まで粘って戦い大虐殺の時期を遅らせてやろうとしたのです。

いつまでも続く負のエネルギーの源である『日本人の自虐』と言うくだらない犠牲になっている我々の先達に故郷へ帰還頂く事こそが安倍晋三のやり残した事であり、我々後世の日本人が成し遂げる事業です。
既に後世我々の為に散華された、我々の為に犠牲になって頂いた先達に、まだ犠牲を強いるのか?

例えば、当時の政府か行った政策に誤りがあったとしても日本と米国と言う新興国が遂にぶつかり合う結末を迎えたけれど、守備隊市丸利之介海軍少将が突撃間近にしたためた『ルーズベルト ニ 与フル書』に示した様に我が国には我が国の言い分があるのです。

昭和20年2月19日から3月26日までの硫黄島での戦いを最後に、同年8月15日迄、米国がやったのは戦争ではなく虐殺です。
硫黄島を手に入れた米軍はその後、東京大空襲等の都市空爆、民間人がまだ疎開すらしていない沖縄、何ら通告のない原爆による広島・長崎への空爆、全て戦争などではなく虐殺です。

戦争ならば、戦闘員同士の戦いであって民間人への攻撃は殺人です。

我が国も大陸の重慶を爆撃しています。
しかし爆撃前にビラを撒き空爆の通知をし、民間人の避難を呼びかけています。
これが戦争の手順です。

これがどうした訳か、この民間人への虐殺である空爆を立案したカーチス・ルメイなる人物に我が国は勲章を与えているのですから、お人好しもここに極まれりです。

東京裁判にしても、それを行ったダグラス・マッカーサー自身が『あんなものはやるべきではなかった』と言い、広島・長崎の原爆投下を『虐殺』だと認め、極め付けは『日本の戦争は悪くない』と言う始末です。


それを全く報じもしないマスコミ、また学校で一切教えもしない教育。
何より、敗戦後全くあの戦争を総括せず既にそれそのものを企てた人間が真っ向否定した東京裁判なるものが作った嘘を全く疑う事なく安穏と過ごす日本人こそが、硫黄島におられる御英霊に未だに犠牲を強いているのです。

満州建国が原因で我が国は当時の国際連盟から脱退した事をアホの左翼思想信奉者は『軍国主義の象徴』の様に言いますが、戦後の朝鮮戦争を経験し共産主義と対峙する事になった米国外交官ジョージ・ケナンは『長年日本が行って来た政策と同じ事を、今我々がやらされている』と言ったのです。

東京裁判にしても米国は自らが行った虐殺を戦争なのだと正当化したいが為にやったと言う事であって、あれは戦争責任など問うたものではない事は明白です。
そして、我々人類は戦争と虐殺の区別もつかない安全保障を行っているのです。

敗戦後、『戦争』をする為に必要な法すら持たずに過ごして来てしまい、我々日本人は『虐殺から生き延びる』事しか出来ない国になっているのです。
まともに戦争が出来る国は『虐殺』される前に先ずは『戦争』を鍛え上げた軍人が行うのです。我々日本人はいきなり『虐殺』に対抗しなければならず、有事=存亡と言う考えられない状態にあるのです。

その意味では、しっかりと『戦争』をやった硫黄島の戦いがなければ、米国による虐殺は本当に日本民族を根絶やしにしたかもわかりません。

ポツダム宣言受諾も『虐殺』を止める為であり『降伏』などとは掛け離れた話しです。
戦争ならば白旗を上げれば国際法に基づき停戦されます。しかし、ポツダム宣言受諾後も大陸や北方領土では戦闘は続いていました。
これは『虐殺』に対する抵抗です。

安倍晋三の意志を継ぐ等と耳障りの良い話しを宣う人、自称保守標榜者の如何に多い事か。
しかしこの忘れてはならぬ、大事業と硫黄島について語る人の少ない事か。

一体何を継承しようと言うのでしょうか?

硫黄島は我々の生き方を問い、死に方を問い、国を問い、民族を問い、守るべき國體を問うているのです。

我々、日本民族は一致団結し先達にご帰還頂き、熱い熱い火山の島を教育と生き方を見つめ直す場所にしなければならないのです。






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