犬神スケキヨ~さざれ石

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平和を維持する為に何を考えるか

2023-08-18 15:45:00 | 草莽崛起
先の8月15日にNOTEにて拙著記事を掲載致しました。
『終戦の日』に問題提起として考えてみました。今回はその続きと、更に掘り下げて考えてみたいと思います。


8月15日に考える|犬神佐清公式

8月15日に考える|犬神佐清公式

8月15日、我が国では先の大戦の『終戦』の日である。相変わらずどの閣僚や政治家が参拝しただの、平和を考えると言う様な見出しで、まるで夏の季語の如く扱うマスメディアに...

note(ノート)

 
先ずは、一読頂ければ幸いです。

戦後な教育や、或いは偏向報道甚だしいマスメディアの影響もあり『戦後日本は平和外交で平和を保って来た』と勘違いしている人が多数おられます。
間違った独善的な『平和論』を国民に押し付け、我々が平和を教えてやるとばかりにアホのマスメディアは考えているのでしょうか。
しなくて良い懺悔や反省を毎年訴えかけて来ると言う夏の風物詩の様な現状です。

そして第二次安倍政権以降『取り続けた平和外交を捨てた』とまで考える人の多い事か。



平和を維持する為にはリアリズムとリベラリズムが必要なのです。

理想と現実とでも言う事でしょうか。
防衛力や同盟関係と言うのはリアリズムです。

我々は戦後復興を果たすまで、リアリズムである日米同盟を使い、防衛力つまり相対な軍事力と言うものをアメリカに任せて来ました。
リベラリズムとしての経済や民主主義の度合い、国際組織への加入と言う事に力を入れて来ました。

そして復興後はアジア有数の、世界第5位と言う軍事力を整備し、アジア地域で日米同盟を含む圧倒的な軍事力を背景に東西冷戦の最前線として外交を行って来たのです。
一体なんなのか具体的な中身もない『平和外交』なるボケた話しで他国から侵略される事のない平和を維持して来たと言う事です。
しかし、それが完璧ではないからこそ日本人拉致被害者と呼ばれる人々がいるわけです。

我が国がソ連と国境を接する冷戦の最前線にあって、当時のソ連相手に『平和外交』なるボケた話しが通用するはずありません。

今までは、そうやって築いて来た経済力に対し例えば支那は依存しながらやって来た。
だから尖閣等にも大した手出しをしなかっただけです。

経済力を付けた支那が相対的に軍事力を増強するのは当たり前の事です。
何故なら、戦後ボロボロになった我が国も戦後復興と共に防衛力を強化して来たのですから、他国が同じ事をするのは当たり前です。

その事を見るだけでも安全保障と経済が車の両輪である事が理解できます。

我が国は、失われた世代と呼ばれる様にバブル経済以降経済が停滞し成長は鈍化したままで国民は苦しんで来ました。

その間に他国は倍々ゲームで経済成長を果たし、あの支那はGDPだけ見れば世界第二位になってしまいました。

我が国への依存度は下がり、逆に我が国の支那への経済依存度は増してしまいました。
平和の五要件から見れば我が国のリベラリズムとしての要件が随分後退したと言えます。
つまりは理想が綻び始めたと言う事です。

現在の岸田政権の政策を見れば、今後益々その傾向が強まる恐れがあります。

自国経済が成長した支那は、リアリズムとしての軍事力を高めました。
更に、そもそも核も保有しているのです。

周辺国が相対的に軍事力も経済力も上がって来ているのですから、こちらもそれらとバランスを取るのは当たり前の話しです。

平和とは念仏を唱えても叶うものでもなく
また永遠に続くものでもありません。

出来るだけ長く継続する努力を絶え間なく続けて行く事で平和な期間を長く保つのです。
つまり大なり小なりいずれかの時期に『平和』と言うのは綻びを見せるのです。

そもそも拉致被害者がいて、取り返せない現状は『平和』なるものであるのか?と言う事です。
さらわれようが、殺されようが、気にもせずに今日自分だけが生き延びた事を平和とするなら、それも良いでしょうがそれはいずれ自らの命を危険に晒すもので、単なる『茹でカエル』理論です。

軍事力とは総合力でもあります。
強い経済、強い法律、強い憲法など、それら全てを含めて安全保障と言うのです。






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