航空機事故に遭う確率は米国運輸安全委員会の計算によれば0.0009%だそうです。
その『0.0009%』が起きた。
2010年、元日航客室乗務員青山透子氏の著書により、再注目される事となったなっのが日航ジャンボ機墜落事故です。
ハッキリ言ってしまえ青山透子氏の著書について玉石混交で半ば陰謀論めいた話しもあり、私自身は全てを信じるものではありません。
しかし、とはいえ鋭い指摘もあります。
この著書を受ける形で、2011年7月に運輸安全委員会は事故調査報告書についての解説なるものを発表しています。
しかし、中身はただの事故調査報告書の強調に過ぎず、青山透子氏の提起した問題には答えておらず、更に目撃情報や目撃者、生存者への聞き取り調査なども一切ありませんでした。
当時を知る報道関係者の中にも疑問を呈する声もあるのです。
そして何故かマスコミに箝口令が引かれた事もわかっています。
先ず何より、第一報が午後7時20分と言われていますが最初の速報は午後6時58分頃であった事も証言が多数あります。
その速報以降、なかなか次の報道がなく皆がイライラしていた。
当時第一報のニュース原稿を書いたのが池上彰氏だったこと、ニュース原稿を読んだのが木村太郎氏であったのは事実で、墜落直後にはNHKは墜落をどのルートからか知っていたと思われます。
ネット等に流れる実しやかな話しとしてあるのはオレンジエア説です。
これはボイスレコーダーの18時24分48秒あたりの『オールエンジン』が『オレンジエア』だとするものです。
これに着いては次回以降説明いたしますが、結論から言えばオレンジエアではありません、これは近年の音声分析から判明しており、ある種のネット上に於ける陰謀説の様なもので、発端は青山透子氏の著書という事です。
この説をある種真実たらしめる説があります。が、この根拠についても全てが『陰謀説』では片付けられない一面もあります。
陰謀説で片付けられない根拠についても次回以降説明したいと思います。
当時、中曽根政権下で『陸自に新たなミサイル部隊創設』と言う事がありました。
これに伴い、新型飛行機の製造と言う事もありました。
既存の地対空ミサイルを新型に置き換える計画です。
そのミサイルはSSM1導入です。
事故2日前に誘導飛行に成功していました。
テストは飛行機に吊り下げ、上空で点火し落下させるものでした。
その時に、仮想の標的がオレンジの飛行機型の標的です。
これを飛行させ、そこに誘導すると言うものです。
これをオレンジエアと呼んだと言う話しがあり、コレがオレンジエア説の基になっています。
当初『オールエンジン』と言う発言は機長が発しており、自衛隊出身の機長はこのオレンジエアを知っていたから発したと。
しかし、オレンジエアと言う言葉そのものが使われた事はなく、またこの発言も機長ではなく機関士の発言であると判明しています。
オールエンジンでもなく、オレンジエアでもありません。
次回以降説明いたします。
ただ、飛行テストが行われていた事は事実で事故当日も行われていたのではないかと言う話しはあるのです。
元パイロット(民間)の見解ではF4ファントムがこの飛行実験をしていただろうと言う見解です。
他に首を傾げざるを得ない事実もあります。
先ず、救出が事故翌日の8時30分であった事です。
生存者の証言では『墜落して暫くしたら、ヘリコプターが飛んで来た、コレで助かると思ったらどこかへ飛んで行ってしまった。でも発見してくれたからいっぱい人が後から助けに来てくれる、そう思って気を失った。次に気がつくと辺りは明るくなっていて太陽の光が見えた。そしたら「生きてたら手足動かして」と言う声に足をバタバタしたら発見してくれた』と言う証言です。
事故から10年後、当時横田基地に配属されC130のパイロットだったマイケル・アントヌーチ氏が軍人向け新聞にてある証言をしています。
当時、横田基地は123便に着陸許可を出していた。更に123便も希望していたはずである。何故ならばリクエストがなければ横田基地は許可しない。
ボイスレコーダーにはこの横田基地と123便とのやり取りが残っておらず、消されたのか改ざんされたのか、この辺りも陰謀説に拍車をかける一端と思われます。
そして最も重要な証言があります。
アントヌーチ氏は横田基地帰還中に墜落を知り、20分後には墜落場所を把握していたと言うのです。
更に米軍は体制を整え、現場に急行し指示を待っていた。
しかし、日本側から救出部隊が行くから帰還するよう命令が下ります。
現場到着から2時間後、日本側救出部隊が到着したため安心して帰還したと言うのです。
ところが翌日、墜落場所が特定出来ず救出が遅れたと言う話しを耳にしてしびっくりしたと語っています。
これは先の生存者証言とも一致します。
暗闇の中に現れたヘリは恐らく米軍でしょう。暫くしてヘリはどこかへ行った。
朝になり救出が来た。
救出に加わっていた元自衛官が匿名で答えた証言と言うものもあります。
『午前4時ごろ、現場に着いたがまだ4〜50名は生きていた。しかし今動かすと危ないから後から来る部隊が救出する』と言われたと。そして先遣隊は何かを探していたと言うのです。
この証言の真偽はさだかではないのですが、時系列に符合します。
またボーイング社が修理ミスを認めるのがやたらと早かった事。
修理を担当したボーイング社の社員は『修理にミスはなかった』とハッキリ証言しています。
更にこれは後に調査に影響したと言わざるを得ない事実として、事故調査を行なっていたのが警察であったと言う事。
通常はその様な『捜査機関』ではなく、なんら犯罪捜査に関係ない機関が調査しなければなりません。
警察は捜査機関であり、犯罪立証を前提としているため、関係者の間には『刑事罰を問われるかもしれない』と言う精神的圧迫が働き、事故にまつわる証言や証拠物の提出などをためらう向きもあったのです。
現にボーイング社は日本の警察が捜査しているとして、社員への聞き取り調査を拒否しています。
ボーイング社が修理ミスを認めたその後も、日本はボーイング製品を大量に購入し続けており、ボーイングは過去最高売り上げを叩きだしています。
これについて日本側は『修理ミスはあったが製品の安全性は確認されている』とコメントしています。
あまりに不自然な報告書、米軍兵士との証言の食い違い。
2015年7月25日
伊豆東沖2.5kmの海底160mの所で機体後部の残骸が発見されています。
2019年6月12日
現立憲民主党議員、津村啓介議員が国会に於いてコレを質問しています。
『真相究明には是非引き上げるべき』と。
当時の国交相石井啓一大臣は答弁で引き上げには数千万を要すると。
しかし、引き上げはおろか予算にすら計上されていません。
事故調査報告書は全く断定しておらず、全てに於いて『推定』としています。
コレについても津村啓介議員は質疑しています。
断定出来ないのでしょうか?
本当に与圧隔壁の修理ミスが起因し事故が起きたのでしょうか?
次回から具体的に解説したいと思います。
続く...