久々古事記です。
前回は須佐之男命が八岐大蛇を退治しました。
大山津見神の娘と結婚しました。
いろんな子供を産むのですが、その須佐之男命から六世孫が大国主神です。
ここから大国主神の物語へと向かいます。
大国主神
大国主神(おおくにぬしのみこと)
わかりやすく言えば大国さん。
出雲の神様で葦原中国(あしはらのなかつくに)つまり地上の神様です。
ここからが古事記上つ巻のクライマックスへと向かいます。
クライマックスとは天孫降臨です。
しかし、この大国主神の部分は古事記でもかなりの字数を割いています。
それは、この部分が重要だからです。
そして日本人の考え方、日本人の心、そして天皇の存在に繋がる話しだからです。
「ウシハク」や「シラス」と言う言葉もここで出てきます。
面白い事に上つ巻は天孫降臨へと繋がる伏線みたいなものであると解ります。
それでも大国主神の部分はかなり割かれています。
それだけ重要なんですね。
国づくりは実は止まっていました。
伊邪那美命が死んでしまった為に伊邪那岐命と伊邪那美命の二人の国づくりは止まっていました。
それを大国主神が再開させます。
古事記というは面白くメインストリームが始まらないのです。
この人が若い時は…みたいな話をして、こんな事があり、あんな事がありと、来て話を戻すとみたいな感じです。
因幡の素兎
古事記では大国主神の部分で、先ず結論から書かれています。
先ず結論を伝え「じゃあどんな事情があったか話します」て感じですね。
英文ぽい感じがします。
大国主神には八十神 と言う兄弟がいました。
八十神とは80の神様て意味ですが、そんなにはいません。と、思います。
こういう話しは誇張が入りますからね。
しかし八十神ぐらい一杯いた!と言うことですね。
古来日本は数が多い事を「八」で表していました。
八百万とか江戸八百八橋とか、嘘八百とか八百屋。兎に角数が多い例えですね。
80は居ないけどかなりの数の兄弟です。
その大勢の兄弟がみんな因幡の八上比売(やがみひめ)に惚れ込みました。
兄弟が全員一人の女性に惚れちゃったわけです。これは危険ですよ!
友達同士でも一人の女性を巡る争いになると後々面倒なもんです。
これが兄弟ですからね。
これは禍根を残しますよ。
骨肉の争いですからね。親の遺産で骨肉の…みたいな話しがあるんですからね。
とにかく兄弟全員が惚れ込みました。
よほどにこの八上比売が美しいのか、それとも他に女性がいなかったのか。
事情は知りませんが、そんな事になってます。
それどころか、全員で求婚に向かいます。
もう異常な状態です。
求婚される八上比売だって迷惑ですよ。
いきなり兄弟が何十人と来て「あなたが好きだ!結婚してくれ」と言う訳ですからね。
競争率高い!高過ぎる!
そんな見合いパーティーは嫌だ!
それで皆んなで求婚の為に因幡に向かいます。
大国主神はこの時、大穴牟遅(おおなむじ)と呼ばれていました。
大穴牟遅もこの一行にいました。
しかし、どうやら求婚の為にではなく従者として同行していた。
袋を担いでいた様です。
この事から大穴牟遅は末っ子ではないかと思われます。
一番の末っ子に「おい!お前は袋を持て!」とかて感じですかね。
まぁ、要するに末っ子のイジメられっ子てやつみたいです。
兄弟の中で一番若い、あいつに持たせとけ!と、兄弟は末っ子に荷物を持たせて「俺たちは求婚するぞ」と。
何せ兄弟全員が皆「比売のハートは俺が頂く」と鼻息も荒いですからね。
その鼻息荒い兄弟の後ろを荷物担いでエッチラオッチラ着いて行く。
それが大穴牟遅少年です。
面白いですね!先ず最初に結論から書かれてあります。
つまりこのイジメられっ子が国づくりをすると書かれてあるんです。
世の少年達に希望を与えますね。
そして、このイジメられっ子が国づくりをして国を治めるのか!?
と、興味が湧く。ここいら辺りが古事記の上手いとこで、読み手を引きつけるわけです。
兎出て来ました
大穴牟遅が歩いていると、海岸に傷ついた兎が横たわっていました。
「どうしたの?」と声をかけました。
兎は事情を話し出します。
懇切丁寧に説明してくれる訳です。
この兎は淤岐島にいた兎ちゃんでした。
淤岐島(おきのしま)とは、隠岐の島なのか、沖ノ島なのかよくわかりません。
諸説ありますが、とにかく離島であるのは間違いない様です。
普通は兎というのは対岸に渡りたいとか考えないと思うんですが、この兎は淤岐島から対岸に渡りたいと考えていたのです。
夢を持った世界初の兎です。
ところが渡る手段がない。兎は泳げませんし。
そこで思案した挙句「そうだ!」と閃きました。和爾を並べて背中を渡ろうと考えました。
和爾とは鰐、つまりワニです。
そこで和爾達に「兎と和爾、どちらが多いか調べよう!でも兎の方が多いよ!」と言いました。すると和爾達も「いや、俺達の方が多い!」と言い返しました。
どっちが多いかとか、どうでも良い話しなんですが兎は和爾をけしかけたのでしょう。
和爾もプライドがありますから、イラッ!としたのか、何せワニて脳が小さいですから。
あまり賢くはない…あ…いやいや。
「それじゃ和爾さん達、皆んな並んで!その背中を跳んで数を調べますよ~!」と言いました。和爾もちょいアホで、素直に並びました。
「じゃあ数えますよ!」で、一、二、三、四…とか言いながら背中をピョンピョン跳んでいきます。
和爾て獰猛な生き物です。一方、兎と言うと何だかか弱い感じです。
その兎が和爾に指図して思い通りに動かしてます。兎にしたら、おかしくて仕方ない。
小学生がヤクザの親分に指図て、みたいな感じですからね。
後チョットで渡り切る。後チョット我慢すれば良かったのですが、それができなかった様ですね。最後の一匹を渡る手前で「ははは~!」と笑ってしまった。「バーカ!お前ら騙されたなぁ~ははは」と笑ってしまった。
最後の和爾さんはですね「おのれ~!」と兎に噛み付いた。食い殺されてもおかしくないですが和爾さん達少し優しい様で、殺さずに生皮を剥いだ…て、これなら殺してくれ!て、感じですが、とにかく生皮剥いだ。
生皮剥がされましたが、何とか渡りきりました。
ところがもう生皮剥がされてますから身はボロボロです。
そこに八十神が通りかかります。
八十神は「海水を浴びて風に当たり乾かせ」と教えてくれました。
海水て塩水ですし、殺菌作用があるし、それで乾かせば治るんじゃね?と、なかなか安易な…
あり得なくはないですけど。
なんせ生皮剥がされてますから、海水浴びて乾かすなんて益々ボロボロです。
医療の神様
其処に大穴牟遅少年が通りかかり「あぁ、それじゃダメダメ」と言って、先ず淡水で洗いなさいと教えます。
それから河口に生えてる蒲(がま)の穂を散らし、その上をゴロゴロやって体に付けたら治ると教えます。
蒲の穂の花粉は現代では使いませんが、古代の民間療法らしいです。
蒲の穂の花粉には治痛効果や治血効果があるらしいです。
この適切なアドバイスで大穴牟遅神は後に医療の神様とも呼ばれる様になります。
そしてこの兎は稲羽の素兎、兎神と呼ばれます。
現在、白兎海岸と呼ばれる海岸があります。
白兎神社と言うのもありまして、兎の像とかいっぱいあって、何だか可愛いらしい神社です。
大国主神が兎に手を添えている銅像があります。
古事記て言うのは旅行なんかでも楽しめるところが沢山ありますね、
伊勢、高千穂、那智…色々あります。
白兎神社は縁結びの神様でもありまして、白兎の予言で大穴牟遅神と八上比売は結ばれるのです。
考古学
前にも書きましたが、どう言う訳か学者の世界は左ばかりです。
今般の安保法制に纏わる憲法学者を見てもわかりますね。
左の学者ばかりで、実は古事記を研究する学者も大半は左巻きです。
それでその左巻きの連中は古事記を研究して古事記を否定したい。
古事記に対するネガティヴキャンペーンをやりたいのですね。
で、古事記とは「天皇を神格化する」書物だ!
とかですね「軍国主義」の温床とか言う訳ですね。それで、コレは嘘だ!とかあり得ない!とか主張します。
昔はそれで良かったのです。
しかし、科学の発達に伴い、例えば今回の白兎もですね「日本に鰐なんか居ないから鮫だ!」と鮫を鰐と呼んでいたと。
確かに鮫を鰐と呼んだりしましたけども、そんな主張をし我々も「あ~鮫の事か…」とか思ってた。
そしたら大阪大学の校舎工事の際にマチカネワニと言う6500万年前の地層からワニの化石が発見されました。
ワニはいた!
ワニは居たんですね!
このワニは大阪市立自然史博物館に展示されてます。
古事記編纂の頃にワニが居たとは思えません。
しかし、ワニが居たことを知っていたのかもわかりませんね。
大国主神の国譲りで出てくる社。
それも「そんな時代に無理な建築だ!」と言ってましたが実際に柱跡なんか発見され、その発見された跡を調べると高さは20mはあったと推測される。
そこで左巻きの連中は「ヤバイ!」と、否定しようにも次々に証拠が出て来る。
つまり、全く無いものを書いてはいない。
少し誇張はされても丸っきりのフィクションではないのです。
そしてこの書物を真っ直ぐ考え様じゃないか!と、なって来たのです。
そして、昔は本当のところ、正に真実は秘伝とされていました。
日本書紀と古事記の本質的な違いは日本書紀は対外向けの書物です。
ですから中身も漢語を用いて、ある程度その素養があれば読める様になっています。
海外の人達に「日本の歴史はこうですよ」と伝える書物なんです。
一方、古事記は国内で、それもある一部の人間達に読まれる書物です。
てすから中身は万葉仮名使い。
例えば「倭建命」ヤマトタケルなどは日本書紀では「日本武尊」となります。
そして本当のことは秘伝とし隠す。それは東洋では当たり前の事でした。
だから、実はこの大国主神の国譲りなどの話しは日本書紀にはありません。
それはこの物語が秘伝であるからです。
我々日本にとって重要で隠しておきたい程の内容だからです。
その中身と意味はこのブログて順次アップしますか、その中身には日本人の真実が書かれており、更に何故そうなのか?と言う日本人に対する答えや、日本人の考え方が示されているのです。
それを知る事がどれほど重要な事でしょう。
其れを知ることで先の大戦の意味、其れまでの歴史の意味、現在の間違いを知ることができます。
つまり古事記とは日本国内でのみ伝える事を主眼とした秘伝書であると言えます。
ですから、左巻き学者が言う様な「天皇正当性」なるものを広める為でも、皇族を崇めるものでもなくて、日本とはこうです。
日本人の考え方や哲学がこれですと示すものです。
だから中身には都合の悪い話しもある訳です。
全てを語る事で良し悪しや振る舞いを知る事になるのです。
其れを踏まえて読むとしましょう。
次回へ続く…
前回は須佐之男命が八岐大蛇を退治しました。
大山津見神の娘と結婚しました。
いろんな子供を産むのですが、その須佐之男命から六世孫が大国主神です。
ここから大国主神の物語へと向かいます。
大国主神
大国主神(おおくにぬしのみこと)
わかりやすく言えば大国さん。
出雲の神様で葦原中国(あしはらのなかつくに)つまり地上の神様です。
ここからが古事記上つ巻のクライマックスへと向かいます。
クライマックスとは天孫降臨です。
しかし、この大国主神の部分は古事記でもかなりの字数を割いています。
それは、この部分が重要だからです。
そして日本人の考え方、日本人の心、そして天皇の存在に繋がる話しだからです。
「ウシハク」や「シラス」と言う言葉もここで出てきます。
面白い事に上つ巻は天孫降臨へと繋がる伏線みたいなものであると解ります。
それでも大国主神の部分はかなり割かれています。
それだけ重要なんですね。
国づくりは実は止まっていました。
伊邪那美命が死んでしまった為に伊邪那岐命と伊邪那美命の二人の国づくりは止まっていました。
それを大国主神が再開させます。
古事記というは面白くメインストリームが始まらないのです。
この人が若い時は…みたいな話をして、こんな事があり、あんな事がありと、来て話を戻すとみたいな感じです。
因幡の素兎
古事記では大国主神の部分で、先ず結論から書かれています。
先ず結論を伝え「じゃあどんな事情があったか話します」て感じですね。
英文ぽい感じがします。
大国主神には八十神 と言う兄弟がいました。
八十神とは80の神様て意味ですが、そんなにはいません。と、思います。
こういう話しは誇張が入りますからね。
しかし八十神ぐらい一杯いた!と言うことですね。
古来日本は数が多い事を「八」で表していました。
八百万とか江戸八百八橋とか、嘘八百とか八百屋。兎に角数が多い例えですね。
80は居ないけどかなりの数の兄弟です。
その大勢の兄弟がみんな因幡の八上比売(やがみひめ)に惚れ込みました。
兄弟が全員一人の女性に惚れちゃったわけです。これは危険ですよ!
友達同士でも一人の女性を巡る争いになると後々面倒なもんです。
これが兄弟ですからね。
これは禍根を残しますよ。
骨肉の争いですからね。親の遺産で骨肉の…みたいな話しがあるんですからね。
とにかく兄弟全員が惚れ込みました。
よほどにこの八上比売が美しいのか、それとも他に女性がいなかったのか。
事情は知りませんが、そんな事になってます。
それどころか、全員で求婚に向かいます。
もう異常な状態です。
求婚される八上比売だって迷惑ですよ。
いきなり兄弟が何十人と来て「あなたが好きだ!結婚してくれ」と言う訳ですからね。
競争率高い!高過ぎる!
そんな見合いパーティーは嫌だ!
それで皆んなで求婚の為に因幡に向かいます。
大国主神はこの時、大穴牟遅(おおなむじ)と呼ばれていました。
大穴牟遅もこの一行にいました。
しかし、どうやら求婚の為にではなく従者として同行していた。
袋を担いでいた様です。
この事から大穴牟遅は末っ子ではないかと思われます。
一番の末っ子に「おい!お前は袋を持て!」とかて感じですかね。
まぁ、要するに末っ子のイジメられっ子てやつみたいです。
兄弟の中で一番若い、あいつに持たせとけ!と、兄弟は末っ子に荷物を持たせて「俺たちは求婚するぞ」と。
何せ兄弟全員が皆「比売のハートは俺が頂く」と鼻息も荒いですからね。
その鼻息荒い兄弟の後ろを荷物担いでエッチラオッチラ着いて行く。
それが大穴牟遅少年です。
面白いですね!先ず最初に結論から書かれてあります。
つまりこのイジメられっ子が国づくりをすると書かれてあるんです。
世の少年達に希望を与えますね。
そして、このイジメられっ子が国づくりをして国を治めるのか!?
と、興味が湧く。ここいら辺りが古事記の上手いとこで、読み手を引きつけるわけです。
兎出て来ました
大穴牟遅が歩いていると、海岸に傷ついた兎が横たわっていました。
「どうしたの?」と声をかけました。
兎は事情を話し出します。
懇切丁寧に説明してくれる訳です。
この兎は淤岐島にいた兎ちゃんでした。
淤岐島(おきのしま)とは、隠岐の島なのか、沖ノ島なのかよくわかりません。
諸説ありますが、とにかく離島であるのは間違いない様です。
普通は兎というのは対岸に渡りたいとか考えないと思うんですが、この兎は淤岐島から対岸に渡りたいと考えていたのです。
夢を持った世界初の兎です。
ところが渡る手段がない。兎は泳げませんし。
そこで思案した挙句「そうだ!」と閃きました。和爾を並べて背中を渡ろうと考えました。
和爾とは鰐、つまりワニです。
そこで和爾達に「兎と和爾、どちらが多いか調べよう!でも兎の方が多いよ!」と言いました。すると和爾達も「いや、俺達の方が多い!」と言い返しました。
どっちが多いかとか、どうでも良い話しなんですが兎は和爾をけしかけたのでしょう。
和爾もプライドがありますから、イラッ!としたのか、何せワニて脳が小さいですから。
あまり賢くはない…あ…いやいや。
「それじゃ和爾さん達、皆んな並んで!その背中を跳んで数を調べますよ~!」と言いました。和爾もちょいアホで、素直に並びました。
「じゃあ数えますよ!」で、一、二、三、四…とか言いながら背中をピョンピョン跳んでいきます。
和爾て獰猛な生き物です。一方、兎と言うと何だかか弱い感じです。
その兎が和爾に指図して思い通りに動かしてます。兎にしたら、おかしくて仕方ない。
小学生がヤクザの親分に指図て、みたいな感じですからね。
後チョットで渡り切る。後チョット我慢すれば良かったのですが、それができなかった様ですね。最後の一匹を渡る手前で「ははは~!」と笑ってしまった。「バーカ!お前ら騙されたなぁ~ははは」と笑ってしまった。
最後の和爾さんはですね「おのれ~!」と兎に噛み付いた。食い殺されてもおかしくないですが和爾さん達少し優しい様で、殺さずに生皮を剥いだ…て、これなら殺してくれ!て、感じですが、とにかく生皮剥いだ。
生皮剥がされましたが、何とか渡りきりました。
ところがもう生皮剥がされてますから身はボロボロです。
そこに八十神が通りかかります。
八十神は「海水を浴びて風に当たり乾かせ」と教えてくれました。
海水て塩水ですし、殺菌作用があるし、それで乾かせば治るんじゃね?と、なかなか安易な…
あり得なくはないですけど。
なんせ生皮剥がされてますから、海水浴びて乾かすなんて益々ボロボロです。
医療の神様
其処に大穴牟遅少年が通りかかり「あぁ、それじゃダメダメ」と言って、先ず淡水で洗いなさいと教えます。
それから河口に生えてる蒲(がま)の穂を散らし、その上をゴロゴロやって体に付けたら治ると教えます。
蒲の穂の花粉は現代では使いませんが、古代の民間療法らしいです。
蒲の穂の花粉には治痛効果や治血効果があるらしいです。
この適切なアドバイスで大穴牟遅神は後に医療の神様とも呼ばれる様になります。
そしてこの兎は稲羽の素兎、兎神と呼ばれます。
現在、白兎海岸と呼ばれる海岸があります。
白兎神社と言うのもありまして、兎の像とかいっぱいあって、何だか可愛いらしい神社です。
大国主神が兎に手を添えている銅像があります。
古事記て言うのは旅行なんかでも楽しめるところが沢山ありますね、
伊勢、高千穂、那智…色々あります。
白兎神社は縁結びの神様でもありまして、白兎の予言で大穴牟遅神と八上比売は結ばれるのです。
考古学
前にも書きましたが、どう言う訳か学者の世界は左ばかりです。
今般の安保法制に纏わる憲法学者を見てもわかりますね。
左の学者ばかりで、実は古事記を研究する学者も大半は左巻きです。
それでその左巻きの連中は古事記を研究して古事記を否定したい。
古事記に対するネガティヴキャンペーンをやりたいのですね。
で、古事記とは「天皇を神格化する」書物だ!
とかですね「軍国主義」の温床とか言う訳ですね。それで、コレは嘘だ!とかあり得ない!とか主張します。
昔はそれで良かったのです。
しかし、科学の発達に伴い、例えば今回の白兎もですね「日本に鰐なんか居ないから鮫だ!」と鮫を鰐と呼んでいたと。
確かに鮫を鰐と呼んだりしましたけども、そんな主張をし我々も「あ~鮫の事か…」とか思ってた。
そしたら大阪大学の校舎工事の際にマチカネワニと言う6500万年前の地層からワニの化石が発見されました。
ワニはいた!
ワニは居たんですね!
このワニは大阪市立自然史博物館に展示されてます。
古事記編纂の頃にワニが居たとは思えません。
しかし、ワニが居たことを知っていたのかもわかりませんね。
大国主神の国譲りで出てくる社。
それも「そんな時代に無理な建築だ!」と言ってましたが実際に柱跡なんか発見され、その発見された跡を調べると高さは20mはあったと推測される。
そこで左巻きの連中は「ヤバイ!」と、否定しようにも次々に証拠が出て来る。
つまり、全く無いものを書いてはいない。
少し誇張はされても丸っきりのフィクションではないのです。
そしてこの書物を真っ直ぐ考え様じゃないか!と、なって来たのです。
そして、昔は本当のところ、正に真実は秘伝とされていました。
日本書紀と古事記の本質的な違いは日本書紀は対外向けの書物です。
ですから中身も漢語を用いて、ある程度その素養があれば読める様になっています。
海外の人達に「日本の歴史はこうですよ」と伝える書物なんです。
一方、古事記は国内で、それもある一部の人間達に読まれる書物です。
てすから中身は万葉仮名使い。
例えば「倭建命」ヤマトタケルなどは日本書紀では「日本武尊」となります。
そして本当のことは秘伝とし隠す。それは東洋では当たり前の事でした。
だから、実はこの大国主神の国譲りなどの話しは日本書紀にはありません。
それはこの物語が秘伝であるからです。
我々日本にとって重要で隠しておきたい程の内容だからです。
その中身と意味はこのブログて順次アップしますか、その中身には日本人の真実が書かれており、更に何故そうなのか?と言う日本人に対する答えや、日本人の考え方が示されているのです。
それを知る事がどれほど重要な事でしょう。
其れを知ることで先の大戦の意味、其れまでの歴史の意味、現在の間違いを知ることができます。
つまり古事記とは日本国内でのみ伝える事を主眼とした秘伝書であると言えます。
ですから、左巻き学者が言う様な「天皇正当性」なるものを広める為でも、皇族を崇めるものでもなくて、日本とはこうです。
日本人の考え方や哲学がこれですと示すものです。
だから中身には都合の悪い話しもある訳です。
全てを語る事で良し悪しや振る舞いを知る事になるのです。
其れを踏まえて読むとしましょう。
次回へ続く…