さて今回は我々日本人のルーツについて考えてみようと思います。
近年、民間の研究家による研究により、定説とされて来た様々な見解が覆っています。
もちろん、現在の学会等でも揺れてはいます。
しかし、日本の学問会で蔓延ってきた左翼学者の定説が揺らいでいるというのは、これは事実。
今までは誰も反論出来ず、また敗戦後生まれの我々は、これらを徹底的に刷り込まれて来ました。
現に未だに『学校で習ったこと』を何の疑いもなく受け入れている日本人が多数いるのです。
今や科学は進み、ネットの発達に伴い一般の我々でも、この辺りのデータには簡単にアクセス出来る時代になっても、学校で習ったことを鵜呑みにしているなんてのはバカです。
以前にも、この拙いブログで文献についてのことを話しましたので宜しければそちらもどうぞ。
これです!
人類の進化については今やDNA解析で、かなりのことが解ってきました。
DNA解析を駆使して人類の研究をする学問を
分子人類学
と言います。
我々の体の設計図である遺伝子は、長い時間をかけて少しずつ変化していきます。
これを突然変異といいます。
これらは親から子へ引き継がれます。
遺伝子の中にあるDNA配列の変化の順番、変わった部分を鑑定して、親と子の関係から民族の成り立ちや、人類が世界中に広がる流れ、人類の起源を探るのが分子人類学です。
かつては細胞の中にあるミトコンドリアDNAがDNA鑑定に使われていましたが、これは母親から娘にしか引き継がれません。
よって、女系のルーツしか探れません。
そこで近年確立されたのがY染色体鑑定法です。
これにより各民族の男性のY染色体の違いを知ることが出来るようになったわけです。
それにより日本人のルーツを探ることが出来るわけです。
しかし、文献などの資料がない時代を探る為には分子人類学だけとか、考古学だけ、とか一つの学問にとらわれていては見誤ります。
学問の垣根を超え、様々な学問が交差する部分にある真実を探る必要があるのです。
現在の学説では東南アジア起源の縄文人を基層集団とし、弥生時代以降に北東アジア起源の渡来人が覆い被さるように分布して混血し現代日本人が形成されたというものです。
これを二重構造モデルと言います。
しかし二重構造モデルが成立する為には、渡来人が大挙押し寄せなければなりません。
しかし福岡県にある遺跡調査からは違う結果が出て来ました。
この遺跡の研究結果からは
確かに縄文以前の渡来に比べれば規模は大きいと言えるが、渡来人が大挙押し寄せたと言うような状況は考え難い。渡来してきた数となると、数百年で数千人。一年にならすと年間数十人。二家族とか三家族程度がパラパラと長期間の間にやってきたのではないか。
その様になるのです。
しかし、定説では大挙押し寄せた!とか今だになっているのです。
その説は以下の通りです。
縄文人は狩猟採集民で人口増加率が低く、渡来人は稲作民なので人口増加率が高い。この様な前提になっています。
縄文人の人口増加率は0.1%、渡来人の人口増加率は2.9〜3.0%、すると300年で縄文人と渡来人の人口比率は逆転する。
すると8割が渡来系、2割が縄文系になります。
つまりは結果的に渡来系が多くなるということになります。
しかしこの人口増加率2.9〜3.0%とはあまりに高い。
この人口増加率の根拠は今だに示されてはいません、この人口増加率で増え続けると…
25年で倍になります。
3世紀頃、いわゆる邪馬台国の時代には一億人を突破する事になります。
これは明らかに
渡来人が縄文人と混血して弥生人になった!という結論ありきの理論
そして、この理論は考古学で稲作を研究する学者なども、現在も此れを根拠にしているのです。
先に述べたY染色体のDNA鑑定の結果では、日本人男性と韓国人男性のY染色体の構成比率は大きく違うのです。
それで見ると渡来人系と思われる男性の割合は11%程度であったわけです。
せいぜい1割強では、縄文人と渡来人の混血が弥生人であると言う説は成立しません。
Y染色体はずっと男系に継承され、変化がありません。
だから我が国の天皇陛下は男系で、このY染色体を辿れば神武天皇まで遡れるのです。
例えば、Y染色体の構成比率を見れば、韓国や中国では殆ど見られない系統の構成比率を日本人男性はもっており、支那朝鮮以外の地域と比べても実は大きく異なっているのです。
ミトコンドリアDNAにより女性の解析はどうなるでしょうか?
これはミトコンドリアDNA解析による研究によると日本人女性も、韓国人女性も其れ程違いはないということらしいです。
日本人女性では縄文系が約80%を超えていると思われます。
と、なると女性だけが大挙押し寄せたのか?
そもそも、日本人女性も韓国人女性も同じような遺伝子型をもっている。
その様に考えるのが妥当です。
征服民は被征服民の男性を虐殺するが、女性は殺さず征服民の男性と子供を作る、すると男性のY染色体は入れ替わる、しかしミトコンドリアDNAの系統構造は大きく変わり難い
渡来人系男性と思われる割合は実に低く、日本人女性と韓国人女性は遺伝子型で見分け難い。
更に渡来しても女性だけが増えるなんて事は考えられないわけです。
稲作について、少し話してみたいと思います。
いずれこの稲については詳しく、この地味ブログにてアップしたいと思います。
現在の定説では
支那南部で始まった、水稲栽培が朝鮮半島を経由して日本に伝来した
とかなってます。
ところが稲作には畑作による栽培もあるのです。
考古学者は水田がなければ、稲作は出来ないと考えています。
しかし、縄文人は畑作や焼畑で稲作を行なっていたことは植物遺伝学で解っています。
縄文人は既に稲作もやっていた、しかも三内丸山遺跡からは栗が出てきており、その栗を調べたら全て同じ遺伝子でした。
これは縄文人が植林をし、栗を栽培していたということです。
となると
渡来人が稲作だから人口増加率が高く…云々
と言う話は
全くデタラメ!
て、事になります。
今から約3万年前に日本列島にたどり着いた人類ですが、これはアフリカで発生した新人類は南側を辿って、南方より日本列島にたどり着く。
なぜなら今から3万年前の地球は氷河期で、朝鮮半島は氷で覆われた世界でした。
そんな所は、気候は厳しく更に食料も乏しいのですから、朝鮮半島経由で日本列島にたどり着くとは考え難いわけです。
となれば、気候的にも暖かく食料が手に入り易い南を移動するでしょう。
まあ、ここからはあくまで私の見解。
つまり私見をお話しします。
我々、日本人のルーツとなる人々は、大陸の南側を通り日本にたどり着く。
それは長い旅です。
約2万年かけて日本列島にやって来たのです。
当初は、食料を奪い合っていたでしょう。
しかし、そうやっているうちに我々の先祖は気が付いた。
奪い合うよりも、分け合い協力する方が生存率が高い
そう気付いた、我々の先祖は協力し、分け合い生存率を高め生きて来た。
それが日本列島にたどり着き、更にそれを高めて来た。
だから、縄文人は米を栽培して、栗も栽培して協力し合い、皆が飢えを凌ぎ、食える世界を作って来たのです。
だから、我々の文化は分け合い、他者を生かす事で生きている。
それは、もうDNAに刻み込まれ普段は表に出てこないけれど大災害などに見舞われた時に目覚めるのです。
東北大震災に会いながら、それでも秩序を守り、他者に分け与え他者を気遣う
これはもう長い年月を経て刻み込まれたもの。
しかし、我々の祖先と同じ遺伝子を持つ人々はやがて、奪い合うことで生きて来た遺伝子を持つものに駆逐されてしまいます。
僅かに生き延びたのは、海に隔たれた我が国。
更に、山に隔たれたチベットやブータンの様な場所であったのです。
同じ遺伝子を持つ人々は皆海や山に隔たれた地域の人々です。
例えば、チベットやブータンを思い出して下さい。
この地域の人々も、奪い合う文化を持ちません。
だからこそ、駆逐されようとしているのではないか?
支那や朝鮮半島の遺伝子は奪い合う遺伝子ではないのか?
分け合う文化と奪い合う文化。
あくまで私の見解です。
しかし、いずれは世界の定説となるかもしれませんよ。
近年、民間の研究家による研究により、定説とされて来た様々な見解が覆っています。
もちろん、現在の学会等でも揺れてはいます。
しかし、日本の学問会で蔓延ってきた左翼学者の定説が揺らいでいるというのは、これは事実。
今までは誰も反論出来ず、また敗戦後生まれの我々は、これらを徹底的に刷り込まれて来ました。
現に未だに『学校で習ったこと』を何の疑いもなく受け入れている日本人が多数いるのです。
今や科学は進み、ネットの発達に伴い一般の我々でも、この辺りのデータには簡単にアクセス出来る時代になっても、学校で習ったことを鵜呑みにしているなんてのはバカです。
以前にも、この拙いブログで文献についてのことを話しましたので宜しければそちらもどうぞ。
これです!
古代史の定説は今や
人類の進化については今やDNA解析で、かなりのことが解ってきました。
DNA解析を駆使して人類の研究をする学問を
分子人類学
と言います。
我々の体の設計図である遺伝子は、長い時間をかけて少しずつ変化していきます。
これを突然変異といいます。
これらは親から子へ引き継がれます。
遺伝子の中にあるDNA配列の変化の順番、変わった部分を鑑定して、親と子の関係から民族の成り立ちや、人類が世界中に広がる流れ、人類の起源を探るのが分子人類学です。
かつては細胞の中にあるミトコンドリアDNAがDNA鑑定に使われていましたが、これは母親から娘にしか引き継がれません。
よって、女系のルーツしか探れません。
そこで近年確立されたのがY染色体鑑定法です。
これにより各民族の男性のY染色体の違いを知ることが出来るようになったわけです。
それにより日本人のルーツを探ることが出来るわけです。
しかし、文献などの資料がない時代を探る為には分子人類学だけとか、考古学だけ、とか一つの学問にとらわれていては見誤ります。
学問の垣根を超え、様々な学問が交差する部分にある真実を探る必要があるのです。
混血ではない日本人
現在の学説では東南アジア起源の縄文人を基層集団とし、弥生時代以降に北東アジア起源の渡来人が覆い被さるように分布して混血し現代日本人が形成されたというものです。
これを二重構造モデルと言います。
しかし二重構造モデルが成立する為には、渡来人が大挙押し寄せなければなりません。
しかし福岡県にある遺跡調査からは違う結果が出て来ました。
この遺跡の研究結果からは
確かに縄文以前の渡来に比べれば規模は大きいと言えるが、渡来人が大挙押し寄せたと言うような状況は考え難い。渡来してきた数となると、数百年で数千人。一年にならすと年間数十人。二家族とか三家族程度がパラパラと長期間の間にやってきたのではないか。
その様になるのです。
しかし、定説では大挙押し寄せた!とか今だになっているのです。
その説は以下の通りです。
縄文人は狩猟採集民で人口増加率が低く、渡来人は稲作民なので人口増加率が高い。この様な前提になっています。
縄文人の人口増加率は0.1%、渡来人の人口増加率は2.9〜3.0%、すると300年で縄文人と渡来人の人口比率は逆転する。
すると8割が渡来系、2割が縄文系になります。
つまりは結果的に渡来系が多くなるということになります。
しかしこの人口増加率2.9〜3.0%とはあまりに高い。
この人口増加率の根拠は今だに示されてはいません、この人口増加率で増え続けると…
25年で倍になります。
3世紀頃、いわゆる邪馬台国の時代には一億人を突破する事になります。
これは明らかに
渡来人が縄文人と混血して弥生人になった!という結論ありきの理論
そして、この理論は考古学で稲作を研究する学者なども、現在も此れを根拠にしているのです。
染色体
先に述べたY染色体のDNA鑑定の結果では、日本人男性と韓国人男性のY染色体の構成比率は大きく違うのです。
それで見ると渡来人系と思われる男性の割合は11%程度であったわけです。
せいぜい1割強では、縄文人と渡来人の混血が弥生人であると言う説は成立しません。
Y染色体はずっと男系に継承され、変化がありません。
だから我が国の天皇陛下は男系で、このY染色体を辿れば神武天皇まで遡れるのです。
例えば、Y染色体の構成比率を見れば、韓国や中国では殆ど見られない系統の構成比率を日本人男性はもっており、支那朝鮮以外の地域と比べても実は大きく異なっているのです。
ミトコンドリアDNA
ミトコンドリアDNAにより女性の解析はどうなるでしょうか?
これはミトコンドリアDNA解析による研究によると日本人女性も、韓国人女性も其れ程違いはないということらしいです。
日本人女性では縄文系が約80%を超えていると思われます。
と、なると女性だけが大挙押し寄せたのか?
そもそも、日本人女性も韓国人女性も同じような遺伝子型をもっている。
その様に考えるのが妥当です。
征服民は被征服民の男性を虐殺するが、女性は殺さず征服民の男性と子供を作る、すると男性のY染色体は入れ替わる、しかしミトコンドリアDNAの系統構造は大きく変わり難い
渡来人系男性と思われる割合は実に低く、日本人女性と韓国人女性は遺伝子型で見分け難い。
更に渡来しても女性だけが増えるなんて事は考えられないわけです。
稲の真実
稲作について、少し話してみたいと思います。
いずれこの稲については詳しく、この地味ブログにてアップしたいと思います。
現在の定説では
支那南部で始まった、水稲栽培が朝鮮半島を経由して日本に伝来した
とかなってます。
ところが稲作には畑作による栽培もあるのです。
考古学者は水田がなければ、稲作は出来ないと考えています。
しかし、縄文人は畑作や焼畑で稲作を行なっていたことは植物遺伝学で解っています。
縄文人は既に稲作もやっていた、しかも三内丸山遺跡からは栗が出てきており、その栗を調べたら全て同じ遺伝子でした。
これは縄文人が植林をし、栗を栽培していたということです。
となると
渡来人が稲作だから人口増加率が高く…云々
と言う話は
全くデタラメ!
て、事になります。
今から約3万年前に日本列島にたどり着いた人類ですが、これはアフリカで発生した新人類は南側を辿って、南方より日本列島にたどり着く。
なぜなら今から3万年前の地球は氷河期で、朝鮮半島は氷で覆われた世界でした。
そんな所は、気候は厳しく更に食料も乏しいのですから、朝鮮半島経由で日本列島にたどり着くとは考え難いわけです。
となれば、気候的にも暖かく食料が手に入り易い南を移動するでしょう。
ま、ここからは…
まあ、ここからはあくまで私の見解。
つまり私見をお話しします。
我々、日本人のルーツとなる人々は、大陸の南側を通り日本にたどり着く。
それは長い旅です。
約2万年かけて日本列島にやって来たのです。
当初は、食料を奪い合っていたでしょう。
しかし、そうやっているうちに我々の先祖は気が付いた。
奪い合うよりも、分け合い協力する方が生存率が高い
そう気付いた、我々の先祖は協力し、分け合い生存率を高め生きて来た。
それが日本列島にたどり着き、更にそれを高めて来た。
だから、縄文人は米を栽培して、栗も栽培して協力し合い、皆が飢えを凌ぎ、食える世界を作って来たのです。
だから、我々の文化は分け合い、他者を生かす事で生きている。
それは、もうDNAに刻み込まれ普段は表に出てこないけれど大災害などに見舞われた時に目覚めるのです。
東北大震災に会いながら、それでも秩序を守り、他者に分け与え他者を気遣う
これはもう長い年月を経て刻み込まれたもの。
しかし、我々の祖先と同じ遺伝子を持つ人々はやがて、奪い合うことで生きて来た遺伝子を持つものに駆逐されてしまいます。
僅かに生き延びたのは、海に隔たれた我が国。
更に、山に隔たれたチベットやブータンの様な場所であったのです。
同じ遺伝子を持つ人々は皆海や山に隔たれた地域の人々です。
例えば、チベットやブータンを思い出して下さい。
この地域の人々も、奪い合う文化を持ちません。
だからこそ、駆逐されようとしているのではないか?
支那や朝鮮半島の遺伝子は奪い合う遺伝子ではないのか?
分け合う文化と奪い合う文化。
あくまで私の見解です。
しかし、いずれは世界の定説となるかもしれませんよ。