武士道の一章には、この様に書かれています。
武士道は武士が守るよう要求され、また教えられた道徳の掟である。それは文字に書かれた掟ではない。せいぜい口伝によって受け継がれたものだったり、有名な武士や学者が書いたいくつかの格言によって成り立っているものである。
武士道は語られず、書かれてもいない掟でありながら、それだけにいっそう武士たちの内面に刻み込まれ、強い行動規範として彼らを拘束した。
それは、ユ有能な者の頭脳が作り出したものでもなければ、有名な人物の生涯にもとづくものでもない。数十年、数百年におよぶ武士たちの生き方から自然に発達してきたものである。
十七の構成
武士道では十七の章から構成それています。
一、道徳体系
二、武士道の源泉
三、義や正義
四、勇気勇敢と忍耐の精神
五、仁
六、礼
七、信と誠
八、名誉
九、忠義
十、武士教育
十一、克己
十二、切腹と仇討
十三、刀と武士の魂
十四、女性の教育と地位
十五、武士道の影響
十六、武士道はまだ生きているか
十七、武士道の未来
武士道のルーツから始まり、義、勇、仁、礼、信、名誉、忠義の徳目に分け武士が身につけるべき事などを解説しています。
十章では武士の教育について述べています。
これらが、武士の名誉を支え構造になっています。
面白いのは第十一章です。
自己犠牲の精神、感情を表現しないといった欧米人からすると「日本人は何を考えているかわからない」と言われる事を感情がないのではない、セルフコントロールをしているのだと説明しているのです。
日本人の感情が読み取り難いのは自己抑制のなせる技だと説いているのです。
十二〜十三章では、切腹や敵討ち、刀などについて述べています。
欧米人からは『野蛮』と捉えられている事を、それはあくまで名誉心、正義感、責任感に基づくものだと説いているのです。
十四章では武家の女性の地位について述べており、決して低いものではなかったと述べています。
これは度々、私もこの地味ブログで述べていますが、日本では女性の地位は低いどころか、実は物凄く高い、むしろ女性上位であったのが事実です。
第十五章では武士道が武士だけのものではなく大和魂として広く庶民にも広まったと紹介しています。
そして十六、十七章では功利や資本と言う主義、つまりは金や物より重要なことがあるのだと説いているのです。
武士道においては名誉が一番の徳目とされていて、命より大切とされます。
その名誉を守る為に、卑怯な事や不正を憎む義、目上の者への敬いと忠義の忠、他者を思い遣る心礼をおいています。
義の為に振るうべき勇、知識ではなく叡智と言う智、弱者への思いやり仁、武士に二言なし信。
こう紹介しているのです。
名誉と言うものを頂点とし、それらを支える基本が、義忠礼があり、それを行う為に、勇智仁信となるのです。
ちょうど名誉を頂点に三角の形になります。
面白い事に、これが実は我が国の考える憲法と同じ形になるのですね。
例えば、十七条憲法などもそうですね。
憲法条文を頂点に、それを成すにはどうすれば良いか?と基本がなるのです。
ん〜この辺りは以前、私が考える憲法の形と同じなんです。
憲法は行動規範のみ、後はその下に基本法をぶら下げれば良いとなるのです。
この武士道、新渡戸稲造は広く海外に「日本人論」や「日本の哲学」、「日本の道徳的考え」を紹介しようというものです。
つまら、日本人に説いているのではなく海外に向けて体系的に『武士の道』を説いているのですね。武士道を通し日本人の哲学を海外に紹介しているのですが、この辺りは古事記のそれより、日本書紀に近いのではないかな…と考えたりします。
古事記とは日本人に向けて説いています。
つまり、我々日本人が知るべき事、身につけておくべき哲学を学ぶ為の書物ですが、日本書紀は海外に我が国を紹介しようとする書物です。
鎌倉時代を経て、江戸期まで続いた武士。
その武士の振る舞い、考えや哲学。
そこには我が国独特の文化を見ることが出来ますね。
新渡戸稲造は江戸を生きて明治に武士でなくなった人です。
ですから、新渡戸稲造の武士道の体系的なものは江戸武士です。
ですから儒教の精神も色濃く見て取れますし、新渡戸稲造自身武士道への影響を神道、仏教、儒教の影響を受けていると述べています。
スピンオフ3へ続く
武士道は武士が守るよう要求され、また教えられた道徳の掟である。それは文字に書かれた掟ではない。せいぜい口伝によって受け継がれたものだったり、有名な武士や学者が書いたいくつかの格言によって成り立っているものである。
武士道は語られず、書かれてもいない掟でありながら、それだけにいっそう武士たちの内面に刻み込まれ、強い行動規範として彼らを拘束した。
それは、ユ有能な者の頭脳が作り出したものでもなければ、有名な人物の生涯にもとづくものでもない。数十年、数百年におよぶ武士たちの生き方から自然に発達してきたものである。
十七の構成
武士道では十七の章から構成それています。
一、道徳体系
二、武士道の源泉
三、義や正義
四、勇気勇敢と忍耐の精神
五、仁
六、礼
七、信と誠
八、名誉
九、忠義
十、武士教育
十一、克己
十二、切腹と仇討
十三、刀と武士の魂
十四、女性の教育と地位
十五、武士道の影響
十六、武士道はまだ生きているか
十七、武士道の未来
武士道のルーツから始まり、義、勇、仁、礼、信、名誉、忠義の徳目に分け武士が身につけるべき事などを解説しています。
十章では武士の教育について述べています。
これらが、武士の名誉を支え構造になっています。
面白いのは第十一章です。
自己犠牲の精神、感情を表現しないといった欧米人からすると「日本人は何を考えているかわからない」と言われる事を感情がないのではない、セルフコントロールをしているのだと説明しているのです。
日本人の感情が読み取り難いのは自己抑制のなせる技だと説いているのです。
十二〜十三章では、切腹や敵討ち、刀などについて述べています。
欧米人からは『野蛮』と捉えられている事を、それはあくまで名誉心、正義感、責任感に基づくものだと説いているのです。
十四章では武家の女性の地位について述べており、決して低いものではなかったと述べています。
これは度々、私もこの地味ブログで述べていますが、日本では女性の地位は低いどころか、実は物凄く高い、むしろ女性上位であったのが事実です。
第十五章では武士道が武士だけのものではなく大和魂として広く庶民にも広まったと紹介しています。
そして十六、十七章では功利や資本と言う主義、つまりは金や物より重要なことがあるのだと説いているのです。
武士道においては名誉が一番の徳目とされていて、命より大切とされます。
その名誉を守る為に、卑怯な事や不正を憎む義、目上の者への敬いと忠義の忠、他者を思い遣る心礼をおいています。
義の為に振るうべき勇、知識ではなく叡智と言う智、弱者への思いやり仁、武士に二言なし信。
こう紹介しているのです。
名誉と言うものを頂点とし、それらを支える基本が、義忠礼があり、それを行う為に、勇智仁信となるのです。
ちょうど名誉を頂点に三角の形になります。
面白い事に、これが実は我が国の考える憲法と同じ形になるのですね。
例えば、十七条憲法などもそうですね。
憲法条文を頂点に、それを成すにはどうすれば良いか?と基本がなるのです。
ん〜この辺りは以前、私が考える憲法の形と同じなんです。
憲法は行動規範のみ、後はその下に基本法をぶら下げれば良いとなるのです。
この武士道、新渡戸稲造は広く海外に「日本人論」や「日本の哲学」、「日本の道徳的考え」を紹介しようというものです。
つまら、日本人に説いているのではなく海外に向けて体系的に『武士の道』を説いているのですね。武士道を通し日本人の哲学を海外に紹介しているのですが、この辺りは古事記のそれより、日本書紀に近いのではないかな…と考えたりします。
古事記とは日本人に向けて説いています。
つまり、我々日本人が知るべき事、身につけておくべき哲学を学ぶ為の書物ですが、日本書紀は海外に我が国を紹介しようとする書物です。
鎌倉時代を経て、江戸期まで続いた武士。
その武士の振る舞い、考えや哲学。
そこには我が国独特の文化を見ることが出来ますね。
新渡戸稲造は江戸を生きて明治に武士でなくなった人です。
ですから、新渡戸稲造の武士道の体系的なものは江戸武士です。
ですから儒教の精神も色濃く見て取れますし、新渡戸稲造自身武士道への影響を神道、仏教、儒教の影響を受けていると述べています。
スピンオフ3へ続く