犬神スケキヨ~さざれ石

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古事記【スピンオフ】

2016-09-10 15:00:26 | 古事記
さて、民進党の党首候補【蓮舫】議員の二重国籍が問題になってますね。
楽しい限りです。

朝日や共同通信は擁護するような記事を書いていますが…
アホですかね?

ことの本質がわかってませんね。
散々、他人の疑惑を叩きまくってたのですから、自身の事にはしっかり説明せねばなりません。

その責任があるのです。

何故ならば『議員』だからです。
私は支持政党はありません。
ですから、民進党みたいな帰化議員だらけで国益を損なう事に邁進する政党など支持しません。

民進党議員の中には、考えを同じくする部分のある議員もおります。
私は是々非々ですから、支持出来る政策、支持出来ない政策で判断します。

その上で全く支持出来ない政治家が蓮舫であり、民進党です。

それで、蓮舫議員に何故説明する責任があるかと言えば其れは議員だからです。
何故議員だから説明しなければならないのか?

それは全く支持出来ない政治家、政党にも我々主権者の血税から歳費や政党助成金が支払われているからです。

蓮舫議員は「プライバシー」を盾に説明しなければならない事を避けているようですが…
そうはいかない!

最初の会見では「質問の意味がわからない」だとか「生まれた時から日本人」とか、訳がわかりませんよ。

生まれた時から日本人なら、台湾籍は何なのか?
自身の台湾籍がどうなっているのかなんて、パスポート申請でもすれば一発でわかります。

実際には自分でも国籍がどうなっているか解らないのでしょう。
或いは、自分でもしっかり理解していて、敢えて放置したか。

1997年の雑誌インタビューでは自覚していたと取れる発言をしています。

兎に角、自身の国籍に無頓着で、しかも不明瞭。
法律すら理解してもいない人間が国会議員の任に就いていることが問題なんです。
我々はそんなすっとこどっこいにも血税から歳費を払い代理人としている訳です。
そんなアホに議員としての歳費を払いたくはない。
払いたくはないのに払っているのです。
そういう主権者の血税を『屁』とも思ってないということですね。

まぁ、蓮舫が民進党党首となり大ゴケして『民進党解散』とか、期待しております!

武士道

今回は古事記のスピンオフです。

そこで少しだけ武士道についても考えてみようと思います。

古事記と関係ないようですが、そんな事はありません。
そこには『日本人』の根っこを見ることが出来るのです。

例えば日本人の道徳。

世界は宗教により道徳心を養います。
しかし、我が国は宗教だけを道徳心の要としていないのです。

武士道から見る日本人とは何でしょうか?

哲学

『武士道』と聞くと侍に関しての事だと考えてしまいますが、実は古事記にしても、この武士道にしてもそこにあるのは人間の根本的な哲学というものではないでしょうか?

例えば新渡戸稲造の著書武士道は今や世界30ヶ国以上で翻訳されています。
現在まも尚、新たに翻訳もされています。

そしてそれは世界中で読まれています。

あのセオドア・ルーズベルトも、ジョンFケネディも、李登輝もトム・クルーズも、更にトーマス・エジソンも読んだと言われています。

これは新渡戸稲造が世界に初めて『日本人論』を示したものではないでしょうか。

新渡戸稲造の武士道は武士を通し『日本人の生き方』を示したのではないか?
そこに人類普遍の哲学を示したからこそ、世界各国で翻訳され読まれているのでしょう。

他に『葉隠』がありますね。
江戸中期の佐賀鍋島藩士・山本常朝が語った心得を田代陣基が筆記編纂し書物です。
こちらは、江戸の時代になり戦もなくなった武士が日常どう振る舞うべきか?或いは作法などを示しています。
いわば平時の武士の振る舞いという事でしょうかね。

武士といふは死ぬことと見つけたり

有名な一節ですね。

この一節は見解の別れるところですね…
それは後ほどお話しします。

自身の内を見る

武士道の根本とは何でしょうか?
それは…

誰かの為に生きる

と、言う事ではないか?
そう思います。

いきなり答えから入ってしまいましたが、これを基本に見ると武士道や葉隠が示している中身がわかりやすいものです。

自己犠牲

利他主義

その精神こそが、限りなく日本人的な発想であり武士本来の道であると示しているのです。
自己犠牲や利他主義が忘れられて行く昨今の日本で、改めて見つめなおすことが出来ます。

そこには日本文化論とも言うべきことがあり、時期が来ると美しく一気に咲く、散る時は惜しげもなく散る潔さ。




の様に日本人の美意識とも言えるでしょう。

以前にも拙著ブログでアップした本居宣長の歌ですが…
「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」

日本人の心とは、朝日の中に清々しい山桜の花の様だと答えているのです。

昔の日本人は武士道をどの様に身につけたのでしょうか?
武士の子に生まれたたとて、教育を受けなければ武士道を身につけられません。
生れながらの武士道なんてありませんからね。

これは、極々幼少期から家庭内でわざわざ教えるものではなかったようです。
日々の生活の中で自然と基本を身につけていくようです。
つまり家庭教育の基本という事でしょうか。
そして成長と共に藩校や塾などに入り、そこで理解を深めることで身につけ行くのです。
学問や武道を身につける事以上に、それらを通して生き方を学ぶ事が大切だったようです。
学問や武道は生き方を学ぶ為の手段であったと言える訳ですね。

会津藩の子供達への規律というものがあります。
その中身は、年長者を敬い、お辞儀をしなさいとか、嘘を言ってはいけないとか、卑怯な振る舞いをするなとかあって、面白いのは最後にならぬことはならぬものですとある事です。
子供達の「なぜ?」を「ダメなものはダメ」と言う辺りは、世の今昔を超えて大人は子供の『なぜ?』に困らせられていたのか?とか思ってしまいますね。

何故、武士道を

新渡戸稲造が武士道を書くきっかけは何だったのでしょうか?

明治維新を迎え、武士の時代が終わってしまったにもかかわらず何故『武士道』なのか?

それに新渡戸稲造は、こう答えています。

「ベルギーの法学者から、日本には宗教教育がないと随分驚かれた。すると『宗教教育がないのに道徳教育は、どうやって授けるのか?』と言われ、即答出来なかった」

そして新渡戸稲造は「自分が学んだ道徳上の戒めは学校で教わったものではない」と気づきました。

様々な要素を分析すると、それらを自身に植え付けたのは武士道であったと気づくのです。

そして

封建制と武士道がわからなくては、現代日本の道徳思想は封印された書物と同じだ!

と、いう結論にいたります。

正しく私が古事記を広めたいと考えたのは、この一節にも似た事で、自身ハッとしましたね。
古事記には日本人の美意識や生き方、考え方、国柄が示されています。
よくアホの左翼連中は「神話」を否定しますね?
しかし、これが間違いなんですよ!

神話だからこそ重要なんです。
むしろ、そこに日本人としての規範を示しているんです。
その様な思想が、そこにあって、それを示しているのです。
仁徳天皇の「民のかまど」だって作り話だとか言ってるアホを目にしますが、むしろ作り話なら更に大切な話しですよ。
国が作った、いわば国書ですよ!そこに「皇帝とはこう生きるべし」と自ら言ってるんです。
こういう論理性が全くないのが、アホの左翼や人殺しの思想しか持ち合わせていない共産党という連中なんですね。

スピンオフ2へ続く

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