随分と久しぶりのアップとなりました。
さて、今回は民主主義国家と言うものを考えようと思います。
とは言え、自分なりの視点からの《民主主義》と言うものですから、あまり難しい話しをするつもりもなければ、出来るはずもありません。
しかし一つの問題提起と言う、毎度の姿勢は同じです。
ご存知、明治天皇の御製です。
私はこの御製にこそ、我が国の民主主義がギュッと込められていると思うのです。
四方の海(四方の海、それは世界)
みなはらから(皆、同胞兄弟姉妹)
この言葉こそ我々日本人が戴く天皇と言う存在が象徴するのではないかと思います。
言葉も文化も違えど皆同胞(はらから)
なのに何故こうも波風が立つのだろうか?
天皇と言う御存在ほど世の平安を望む方はおられないと私は思います。
明治維新後、日本は世界の強国に名を連ねる近代国家の建設に邁進して来ました。
まるで、それまでの日本が間違いであったかのように。
大東亜戦争敗戦後は、更に明治維新後の我が国を否定してきました。
民主主義とは程遠い国であった!
戦争に負けて始めて民主主義を取り入れたと。
しかし、先程述べた様に明治天皇の御製には民主主義としての考えがギュッと込められている。
我々は大和朝廷建国以来ずっと
民主主義国家である!
私はそう考えています。
それは例えばギリシャやローマ、或いは敗戦後にアメリカから教えられたものではありません。
今現在も我々は民主主義国家です。
それは当然、大和朝廷建国時よりは変化はしています。
我が国は常に
変化すれども断然せず
だから皇統も途絶えず、時代の変化に対応しながら125代2678年続けて来たのです。
我々が戦後一貫して教えられたのは『敗戦によりアメリカから民主主義が持ち込まれた』と言うもの。
確かにアメリカは大統領と言う最高権力者を、国民の直接的な選挙と言う形で決める民主主義国家ではあります。
イギリスにしてもそうである。
だから日米開戦の御前会議で昭和天皇は明治天皇の御製『四方の海』を二回も詠まれた。
『アメリカやイギリスの様な民主主義国家と戦争をするな』
僭越ながら昭和天皇の大御心はそうであったと忖度致します。
それは日本という国も、形は違えどオリジナルの民主主義国家であると、民主主義国家同士争ってはいかん!
そう言う大御心であったと思います。
我々は軍国主義で軍が力を過大に持った為に勝手に戦争をした!
敗戦後そう思い込み生きてきたけど、本当は軍と言えど国民の理解が無ければ戦争など出来ない。
軍人ほど戦争を嫌う者はいない。
何故なら、戦争になれば真っ先に死ぬからです。
つまり戦争を始めたのは
それを国民が望んだから
経済政策を受け、明日からの仕事もない。
その打開策として戦争を望んだのです。
現代社会、我々は戦争をしない。
そこに打開策を求める事が出来ない。
デフレ経済の中、景気は落ち込み、人々は職を失い希望を見出せなくなる。
そして選択したのは『自殺』と言う手段。
戦争をする代わりに国民を殺すと言うプロセスをとってしまった。
しかしこれも我々のオリジナルの民主主義の結果です。
何故なら『四方の海』です。
皆、同胞(はらから)だから、自分達の同胞を苦しめてまで自分達が生き延びることに戸惑いがあるからです。
ですから我々は戦前、植民地を持たず、また奴隷などもいなかった。
戦後我々に民主主義を教えたとするアメリカやイギリスを始め白人達は世界に植民地を持ち、奴隷を使っていた。
つまりはこの白人達の民主主義は『利己主義』による民主主義で、自国民以外には民主主義の範疇には入れないのです。
我々の民主主義は『四方の海』。
なのに、我々は外国人労働者と言う名の奴隷を使おうとしている。
安い賃金で働いて、用がなくなればどうするのか?
皆同胞と思うならば、逆に外国人労働者をあやふやな法整備で入れてはいけない。
そんな事をすれば日本人の賃金は上がらず、必ずや外国人労働者との間に軋轢を生み、排斥しようとする。
要らぬモメ事を起こすだけです。
また、皆同胞と思うならば、支那共産党による大虐殺にあっている、ウィグルやチベットの人々に自己決定権と人権を取り戻さねばならないはずです。
私は、四方の海を詠む天皇という御存在がある日本が好きです。
この国の血統として生まれ、育まれた。
文化、風習、風俗、言語、国柄。
全てが日本人としての私の血や肉、骨となっているのです。
その国を愛する事は、同胞を愛すること。
その愛国心を邪魔する者は血を見せてやる!
その愛国心を砕こうとする者は血を流す覚悟をしろ!
例えば、国を奪われ民族絶滅の危機にあるチベットやウィグルの人々も同じ気持ちではないかと思います。
そして、日本に出稼ぎに来る外国人労働者も同じだと思います。
外国人労働者排斥で要らぬ軋轢や差別を生めば、これは『四方の海』に反すること。
国境があるのは、その愛国心の違いを尊重する為でもあるのです。
私は日本に愛国心を持つ。
韓国人は韓国に愛国心を持つ。
お互いの愛国心を尊重する為には『国境』と言う境目が必要なのです。
相手の愛国心を侵さない。
かつて白人達は植民地支配により、相手の愛国心を侵したのです。
我々の民主主義。
今一度考えてみませんか?
さて、今回は民主主義国家と言うものを考えようと思います。
とは言え、自分なりの視点からの《民主主義》と言うものですから、あまり難しい話しをするつもりもなければ、出来るはずもありません。
しかし一つの問題提起と言う、毎度の姿勢は同じです。
四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
ご存知、明治天皇の御製です。
私はこの御製にこそ、我が国の民主主義がギュッと込められていると思うのです。
四方の海(四方の海、それは世界)
みなはらから(皆、同胞兄弟姉妹)
この言葉こそ我々日本人が戴く天皇と言う存在が象徴するのではないかと思います。
言葉も文化も違えど皆同胞(はらから)
なのに何故こうも波風が立つのだろうか?
天皇と言う御存在ほど世の平安を望む方はおられないと私は思います。
明治維新後、日本は世界の強国に名を連ねる近代国家の建設に邁進して来ました。
まるで、それまでの日本が間違いであったかのように。
大東亜戦争敗戦後は、更に明治維新後の我が国を否定してきました。
民主主義とは程遠い国であった!
戦争に負けて始めて民主主義を取り入れたと。
しかし、先程述べた様に明治天皇の御製には民主主義としての考えがギュッと込められている。
我々は大和朝廷建国以来ずっと
民主主義国家である!
私はそう考えています。
それは例えばギリシャやローマ、或いは敗戦後にアメリカから教えられたものではありません。
今現在も我々は民主主義国家です。
それは当然、大和朝廷建国時よりは変化はしています。
我が国は常に
変化すれども断然せず
だから皇統も途絶えず、時代の変化に対応しながら125代2678年続けて来たのです。
教えられた民主主義
我々が戦後一貫して教えられたのは『敗戦によりアメリカから民主主義が持ち込まれた』と言うもの。
確かにアメリカは大統領と言う最高権力者を、国民の直接的な選挙と言う形で決める民主主義国家ではあります。
イギリスにしてもそうである。
だから日米開戦の御前会議で昭和天皇は明治天皇の御製『四方の海』を二回も詠まれた。
『アメリカやイギリスの様な民主主義国家と戦争をするな』
僭越ながら昭和天皇の大御心はそうであったと忖度致します。
それは日本という国も、形は違えどオリジナルの民主主義国家であると、民主主義国家同士争ってはいかん!
そう言う大御心であったと思います。
我々は軍国主義で軍が力を過大に持った為に勝手に戦争をした!
敗戦後そう思い込み生きてきたけど、本当は軍と言えど国民の理解が無ければ戦争など出来ない。
軍人ほど戦争を嫌う者はいない。
何故なら、戦争になれば真っ先に死ぬからです。
つまり戦争を始めたのは
それを国民が望んだから
経済政策を受け、明日からの仕事もない。
その打開策として戦争を望んだのです。
現代社会、我々は戦争をしない。
そこに打開策を求める事が出来ない。
デフレ経済の中、景気は落ち込み、人々は職を失い希望を見出せなくなる。
そして選択したのは『自殺』と言う手段。
戦争をする代わりに国民を殺すと言うプロセスをとってしまった。
しかしこれも我々のオリジナルの民主主義の結果です。
何故なら『四方の海』です。
皆、同胞(はらから)だから、自分達の同胞を苦しめてまで自分達が生き延びることに戸惑いがあるからです。
ですから我々は戦前、植民地を持たず、また奴隷などもいなかった。
戦後我々に民主主義を教えたとするアメリカやイギリスを始め白人達は世界に植民地を持ち、奴隷を使っていた。
つまりはこの白人達の民主主義は『利己主義』による民主主義で、自国民以外には民主主義の範疇には入れないのです。
我々の民主主義は『四方の海』。
なのに、我々は外国人労働者と言う名の奴隷を使おうとしている。
安い賃金で働いて、用がなくなればどうするのか?
皆同胞と思うならば、逆に外国人労働者をあやふやな法整備で入れてはいけない。
そんな事をすれば日本人の賃金は上がらず、必ずや外国人労働者との間に軋轢を生み、排斥しようとする。
要らぬモメ事を起こすだけです。
また、皆同胞と思うならば、支那共産党による大虐殺にあっている、ウィグルやチベットの人々に自己決定権と人権を取り戻さねばならないはずです。
私は、四方の海を詠む天皇という御存在がある日本が好きです。
この国の血統として生まれ、育まれた。
文化、風習、風俗、言語、国柄。
全てが日本人としての私の血や肉、骨となっているのです。
その国を愛する事は、同胞を愛すること。
その愛国心を邪魔する者は血を見せてやる!
その愛国心を砕こうとする者は血を流す覚悟をしろ!
例えば、国を奪われ民族絶滅の危機にあるチベットやウィグルの人々も同じ気持ちではないかと思います。
そして、日本に出稼ぎに来る外国人労働者も同じだと思います。
外国人労働者排斥で要らぬ軋轢や差別を生めば、これは『四方の海』に反すること。
国境があるのは、その愛国心の違いを尊重する為でもあるのです。
私は日本に愛国心を持つ。
韓国人は韓国に愛国心を持つ。
お互いの愛国心を尊重する為には『国境』と言う境目が必要なのです。
相手の愛国心を侵さない。
かつて白人達は植民地支配により、相手の愛国心を侵したのです。
我々の民主主義。
今一度考えてみませんか?