先の大戦から79年を経過して『勝った者が正しい』と言う時代は変わってしまいました。
かつての勝った者が正しかった時代には『力』を好きな様に使って世界を我が物顔で跋扈してきた米国ですら、911の同時多発テロを経験し内向きな政策に転じてしまい、明らかに良くも悪くも戦争を利用する事が出来なくなり、その国力に翳りが見えて来ました。
それまでは『奪い合う、独占する』と言う時代から『共有』すれば良いじゃないかと言った時代へと変わり始めました。
もう現代の若者は、前時代の人間を見て『何故あれ程独占したがるのか』理解出来ないのです。
物は一つあれば良い、それをシェアすれば良いじゃないかと考えるのです。
そうなれば、一人に一つ『物』が必要ではないので、ある種の『デフレ』に突入するのです。
食えぬ時代を経て、皆が食える様になった、食える様になれば豊かになりたいと思う。
『貧しさ』こそが成長の為の資源であった時代は終わり、次世代には資源が残されていないのかもしれません。
中心と言うものを持たずに、水平の繋がりだけの世界になるのかもしれません。
水平の繋がりと言う時代に一体どう豊かになるのか?
そうなると、前時代的なリーダーシップなるものや、競争に勝った勝ち組なるものもありません。
水平な繋がりで、中心を持たず競争にも興味はない。
ただただ共有し合う事に重きを置く時代になれば、今ある人間関係だけが重要で、それを壊したいとは思いません。
人間関係が壊れるぐらいなら、恋人も必要ないし、結婚などしたいと思いません。
脱組織、脱結婚でありそれは『脱家族』と言う事でもあるのです。
そう言う時代に於いて豊かになる為には、その水平の繋がりからより多くの『賞賛』を得るしかありません。
何より『貧しさ』と言う資源がないのですから、代わりになる資源を探さなければならなくなって、それは何だとなれば『賞賛』される事で他者と差をつけるしかないのです。
賞賛なれば、今ある人間関係を破壊する事も少ないからです。
他者と軋轢を生まず『金を儲ける』には賞賛される事です。
例えば、YouTuberなどはその一つかもしれません。
自らが考えたコンテンツが賞賛されれば閲覧数が伸びて金を稼ぐ事が出来ます。
或いは、クラウドファンディングなどもそうかもしれません。
自分の企画がより多くの人々のニーズに刺されば、銀行など当てにせずとも商売の資金を集める事が出来ます。
強烈なエリートを育ててリーダーを作り、従順に黙々と働く事で稼ぐ程に、今は資源がないのです。
今何が必要か?どんなニーズがあるのか?
それを見極め『賞賛』されるアイデアを提供する事で金を儲け、それを上手く社会に還元出来れば、また人は『賞賛』と言う資源を与えてくれるのです。
ですから、今の若者は自分達より上の世代を見れば『何故そうも罵合って、奪い合いを繰り返し独占したがるのか』と考えているのです。
その上の世代と呼ばれる人間は更に上の世代に対して『何故あれ程従順なのか、個性がないのか』と考えます。
これは良し悪しではなく、そう言う教育を受けて来た世代による違いなだけで、どれかが正解と言う話しでもないのです。
例えば、アメリカなどは日本に原爆を使用しました。
アメリカ人にとって原爆は『正義』であり『正当な行為』であるのです。
そして先の大戦、対日戦、欧州戦に於いてもいわゆる第二次世界大戦だけが『良い戦争』であり、たがら原爆も正義と考えるのです。
第一次大戦などは、後のナチスの台頭を考えれば全くの失敗であり第二次世界大戦以降のアメリカの戦争もまた全く正義もなければ正解すらしていない戦争であったわけです。
その良い戦争から時代を経て、新しい世代は良い戦争などと言う意識は薄れ『原爆は悪』だと考え始めました。
戦争に勝ったと言う熱に浮かれた世代とは全く価値観が違うのです。
歴史を冷静に見直して『アレは良くない』と対日戦そのものをも否定する若者も現れているのです。
勝った者が正しいと教育された世代が21世紀を目の前にして、勝ったと言うだけでは抗い切れず苦しんで日米貿易摩擦まで引き起こしてみたけれど、時代の変化を戻せはできず。
新しい世代は、日本のアニメや漫画やゲームに夢中になり、知らぬ間に『日本的』なものが染み付いて『あの戦争』を評価し始めているのです。
古い世代は日本人など、簡単に屈服させる事が出来ると信じていても、子供達は日本のサブカルチャーや伝統文化に夢中になっている。
アメリカの次世代も親の世代を見て『何を言っているんだ』と考えるのです。
自国の歴史と文化の浅さに辟易としたりもします。
ガザを原爆で攻撃し『広島、長崎の様にすれば良い』などと発言する米国下院議員がいたりしますが、アレも前時代の化石の様なものでしょう。
同じ様ですが、日本は悪かった、日本は末代まで世界に侘びなければならないと教育されて来た世代が年を取り、その子供達は『日本はそれほど悪いのか?』と疑問に思い、自らネットを使って調べ出す。
『日本はそんなに悪くないじゃないか』と考え始める。
するとあの戦争は何だったのかと、次世代が総括を始めるのです。
勝った者が正しいと思い込んでいる世代は、今だに力と力のガチンコ勝負をやりたがります。余りにも知性のない振る舞いです。
力は知性を超えはしません。
腕力に頼って勝敗を決め、勝者こそ正しいと考えるなら、共産主義革命も、クーデターも勝てば正しいと言う事になります。
そうなれば、我々が謳歌してきた『民主主義』の敗北です。
例えば、我が国で天皇陛下始め時の為政者を皆殺しに、政権奪取なる行為をする者が現れたなら腕力勝負の勝者として正当性を認めるのか?
と、言う話しです。
日本国国民こそが正当で最高の権力者で、それ以外は認められません。
そう定めてあるのです。
それを腕力で奪取した者が正しいなどと言い出すのは民主主義の放棄に他ならないのです。
己れの考えが世に伝わらないからと『法の限界』などと言いだしたり『遵法の限界』などと宣うのは、知性の低さ知能の低さ、知識の無さを自ら吐露する愚かなアホです。
天皇陛下すら絶対に破らない『遵法』を、下品な平民如きが超えて良いなど一体何の根拠で宣うているのか、一体どの様な養育をされたのか、知能レベルの低きも低さを感じざるを得ないもんです。
法を破って得たものなどに何らの正当性もありません。
奪って得た事で建国した国が如何に苦しんでいるかなど火を見るより明らかです。
インディアンを殺しに殺して奪った土地に建国したアメリカなども、その血塗られた歴史からは逃れられません。
革命によって出来た国は、国民を殺しに殺して僅か70年で壮大なな社会実験に失敗しました。
内戦に勝利した国は、文化大革命の名の下に国民を虐殺し、鍋で煮て人肉を宴にしていた。
自らの手で王朝を倒して、国民が政治を手にした国が、今や王朝が途絶えた事を後悔し行き過ぎたリベラルにより宗教までも否定しようとする。
こんなバカな事を繰り返して来た世代を冷ややかな眼差しで見ているのが次世代なのでしょう。
我が国には幸いにして、血で建国したわけでもない。
奪って建国したわけでもない。
我が国の中心におられる御存在は『ただ祈る人』で、神話に遡っても『知る』を旨とする世界に唯一の御存在です。
その御存在が今も続いているのです。
時代が変化しフェーズが変わって行く世界だからこそ『変わらない、変えてはならない』ものを、しっかりと見据えてそれを言語化し定義化することが必要なのではないでしょうか?
例えば、各々の家や各々の地域によって勝手に解釈されてしまい散逸されかかっていたものをしっかりと精査し、編纂し言語化し再定義されたものが『古事記』であると私は考えます。
その古事記を1300年以上も我々は日本の根っことして使い続け、使い倒している事実を見れば定義化することの重要性が如何に肝要であるか容易に理解出来るのではないでしょうか。
不安定な世界情勢や、流行病、経済的負担などの理由から過度に社会不安を感じてしまいかねない現代だからこそ皆でしっかりと考えなければなりません。
社会不安から来る『モヤモヤ』した気持ちを見つめて、本質を考え見抜く力をつけなければ精神を病んでしまいます。
或いは『何とかしなければ』と考え、自分がなんとかしなければ世の中が狂ってしまう!転じて『自分が出来る』と考えだす輩も現れます。こんな人間も病んでいます。
単なる無知蒙昧から来る自意識過剰を勘違いし、余計な事をやり出すのです。
いわゆる『活動的なバカ』で、最も始末の悪い奴です。身近にいれば直ぐに付き合いをやめる事をお勧めいたします。
人間一人に社会を変える力など殆どありません。『自分が動いたから、世の中がこうなった』と真顔で言い出す奴はヤベー奴でしかありません。
確かに小さなコミュニティなら影響を与える事は出来るかもしれませんが、あくまで限定的な話しです。
見ず知らずの人の死が、殆ど自分に影響を及ぼす事がないのを見れば理解出来るはず。
例えば、政治家など本人の能力が高くとも個人の力など大した事はありません。
政治家の力の源泉は民主主義の手続きを経て獲得した『票』にあるのです。
つまりは、賛同者を集めて大きな世論のうねりとなり、そのうねりが票と言う『力』を与えているのです。
正に『評価』経済の様な話しです。
フェーズ(場面)の変化、時代の変化を素早く掴み、問題提起をし、必要な権力を行使して問題を解決する。
憲法にも示された当たり前の行動です。
例えば、デモでも街宣でも憲法に記された権利を行使して問題提起し、それが世論喚起となったなら必要な権力を行使していかなければ、世の中は変化しません。
右だろうが左だろうが、バカ騒ぎの様なデモをやる、そのデモにカウンターをかける等と言うものでは権力を行使出来ていません。
あくまで『問題提起』でしかありません。
せっかく問題提起出来たのに解決する手段として、またデモ活動をやる。
何がしたいのかさっぱりわかりません。
権利を行使したら、次は解決の手段です。
例えば、岸内閣での日米安保改定に反対を唱える人々が100万人近く国会周辺に集まり抗議活動をやっていましたが、全く何の効果もなく安保は改定されました。
簡単な話しです。権力を行使していないからです。
我々の権力は、投票と言う行動で代理人を決め立法府へ送る事と共に、その代理人に代理人たる仕事をさせる事です。
先の岸内閣での安保改定に反対なら、代理人を突き上げて仕事をさせるか、自ら代理人となって国会の場で改定を阻止する事です。
安保改定後、自由民主党は選挙で大勝しています。安保改定に『是』と言う答えを国民は出したのです。
これこそ民主主義で正しい権力の行使です。
あいつが悪い、国が悪い、政府が悪い、国会議員が悪いと、とにかく悪者を決めて文句を言って己れの溜飲を下げるだけでは何も変わりはしません。
テレビに向かって文句言っていたらいつの間にか世の中良くなって来たとか言う話しを聞いた事はありません。
そんな事をやっている間に権力の使い方を知っている者にあなたの金を取られたりしているのです。
己れの溜飲を下げると言うくだらない事に興じている間にも、あなたの懐に手を入れ、あなたが血を流して稼いだ金を掴み金よろしく奪っているのです。
あなたが何もしないでいれば『安定財源』と宣うてあなたの金を懐からせっせと抜いていくのです。
年明けの国会では年度末で、来年度の予算審議があります。
その予算審議でアホの野党は悪者を見つけては上げへつらい吊るし上げをやって、国民の溜飲を下げると言うだけのくだらない事を繰り返し、サラッと与党の予算案がほぼ満額で通過してしまい、よくよく見ると増税なんて事になっている。
権力を行使する者にとって、バカで従順な消費者こそありがたい存在です。
自己顕示欲や独善に駆られたバカの口車に乗って、ギャーギャー騒いでいる間に不利益を被っても後の祭りです。
例えば、経団連などの連中は『権力』をどう行使したら良いか知っている。
だから、移民も消費増税もやろうとしているのです。
春闘満額回答で溜飲を下げられている間に粛々と増税も移民も決められてしまいます。
賢い消費者でなければならない。
事の本質を見極め、自ら一応の結論を導き出し問題提起をし、仲間を増やして権力を行使しなければ、あなたは懐から金を奪われ続け、拉致被害者は取り返せず、奪われた国土は奪われたまま。
我が国の、我々の資源を他者に盗られ続けても何も出来ず。
ただ空に向かって文句を言う愚民です。