今回は古事記から離れます。
先日も国会前で反安保法制のデモがありましたね。
主催側発表12万人。
警察発表3万人。
実際は警察発表より少ないという調べもあります。
まぁ、確かにそれでも結構な人数ではあります。
しかし、若者がデモをやりマスコミが持ち上げ取り上げる。
これについて少し考えてみたいと思います。
あくまで私見であり、問題提起です。
学生デモ
学生デモ主催のSDALDs(シールズ)
自由と民主主義の為の学生緊急行動。
テレ朝を筆頭に街宣や抗議活動を各種メディアが取り上げています。
とくに左のメディアは嬉々として取り上げる始末で気持ち悪さすら感じます。
とにかく突然現れた学生運動をかなりの頻度で取り上げていますね。
また札幌では戦争したくなくてふるえるとか言う安保法制反対デモが行われています。
19歳の自称フリーターが中心となっており、その風貌から「ギャルが戦争反対デモ」を主催してると、これまたメディアは持ち上げます。
デモ参加者が5000人だろうと1万人だろうと結構な人数です。
それをワザワザ水増しするのは如何なものか?
SDALDsの実質的リーダーである奥田愛基は明治大学四年生、22歳。
その周りのメンバーも見る限りは同じぐらいの若者です。
皆、一様にオシャレな男女若者達で「いかにも」という感じの若者達です。
しかし、このデモをする若者達の主張するその言葉には貧困な言葉としか言えないものです。
Isay ABE!you say ヤメロ!とかラップをしたり。
戦争したくなくてふるえる、みたいな。
それをみんなでオウム返しです。
そこに高度な政治的主張や演説はありません。
そのあまりに貧しい限りの言葉や曖昧な主張を参加している国会議員や憲法学者や自称識者が補完するとといった始末です。
だいたい国会議員ならこんな集会に参加しないで国会で仕事をしろ!というもんです。
分が悪いとなるとポピュリズムに走る。
これは左翼の定石です。
この若者達が憲法について無知であるとは思いませんし、それなりに勉強してもいるでしょう。
それは「若者の表現だ」と言えなくもない。
しかし「安倍ヤメロ!」や「感じ悪い」とか「ふるえる」なんてことを言われても心には響きません。
一般の人々、例えば自分の母親などは「若いもんがお祭り騒ぎで暴れてる」といった認識です。
更に「そない力あまってるなら一生懸命勉強するか働けや!」と、大阪のおばちゃん丸出しの意見をテレビに向かって言い放ちます。
主催するSDALDsやふるえるギャルは確かに若い。しかし、それを取り囲む聴衆や或いは参加する議員などは明らかに違います。
この集会を見た人や、それを報道した写真や映像を見たり話しを聞くと30代、40代或いはそれ以上の年齢層です。
その若者の抗議集会に「一万人参加」とか、それこそ「12万人参加」なんて発表を聞くとまるで抗議集会に其れだけの若者が集まった様に思ってしまいます。
これは全く事実と違うのです。
実際には若者の集会に中高年が一万人見物したというのが正解です。
無垢という刷り込み
メディアが伝える抗議集会の中心点を見る限りにおいては若者が大挙して集会に参加している印象を受けます。
それは、メディアが其処のみを切り取るからです。若者のみが集まっている!というイメージを故意に与えているからです。
実際に集会を見物した人から話しを聞くと「若者が実は驚く程に少ない」と言います。
またSDALDsを始めとする若者のそういう団体には共産党や、その下部組織の民青などといった団体が援護している事は明らかです。
また、参加メンバーには共産党員やその子弟がいます。
其れ等を加味して考えるならば、この抗議をする若者達の主張や言葉は、自分達と同世代の若者に向けたものではないと感じます。
反安倍晋三や左翼的なイデオロギーの中高年、或いは参加する議員や自分達を援護する団体に向けたものです。
そして、メディアも実は利害が絡んだ彼ら彼女らを「無垢な存在」として扱う。
インタビューを受ける若者の、あの「何々っすね」とか「マジ、戦争とかありえねぇ」といった話し方に若者振りを見せています。
しかし、逆に言えば、もうすぐ就職やら控えているで有ろう大学生がファミレスで友達と話す様にメディアで語るあの口調こそが若者=無垢という演出に見えて仕方ない。
「ふるえる」のフレーズも若者に人気の歌手が歌う歌詞から拝借した!と、その稚拙さを「若者は稚拙だが無垢だ!」と言う印象操作にしか感じません。
我々大人は自らを振り返り「若者やギャルは政治には無関心だ」と思い込んでいます。
そしてその思い込み、既成的な常識を見事に外す「若者達のデモ」に勝手に無垢さを見ているに過ぎません。
それは若者達は無関心の象徴という刷り込みが働いているからです。
メディアはこの象徴たる若者が大挙集まっている状況を物珍しくて希少なものと捉えているのです。
人にとって非日常な出来事は気をひくものです。
そしてそれは、例えば台湾や香港の学生運動と何処かで重ねて見ているのです。
台湾や香港の学生達は確かにそこにある圧政や矛盾に純粋に向かっている。
台湾ではかつても学生運動から政治が動いた事実があり、更にその主張は自分達の利益ではない事は容易に解ります。
何処かその台湾などの学生運動をフィルターにして見てしまっています。
この無垢であるという思い込みこそが若者デモのポイントであるのは間違いないのです。
それをメディアも故意に演出しています。
思い込みこそが武器
無垢なる者が指摘する。
其れこそが、真実だ!という世界観みたいなものが若者でない者には刷り込まれているのです。
無垢なる者、例えば5歳の子供が利害関係を考慮しながら大人と会話している!
なんて事は誰も思いません。
無垢なる者は利害関係もなく知識もない、そんな色眼鏡で世の中を見ていないから、それが主張する事には真実が含まれるという思い込み。
SDALDsやふるえるデモに参加する若者は二十歳そこそこの社会経験の乏しい言わば子供である。
専門知識や体系的知識も無い。
そんな「無垢な存在」と言う大人の勝手な思い込みを武器にしているのです。
それを周りの大人は完全に理解しています。
むしろその無垢さを演出させ、それを利用している訳です。
その無垢な子供達が「反安倍晋三!」とか「反安保!」とか叫べば、自分達の主張は無垢な子供達が正しい!と言っている様に見せる事が出来る。更にノンポリと括れる無関心な大人達に「自らの主張はだから正しい」と担保する事になるのです。
だから左にイデオロギーがあるメディアや反日思想の連中、或いは議員という大人達はそれを援護するのです。
そのイデオロギーを主張するのが世俗の垢に塗れた大人では不適合。
無垢な子供の話しなら大人は思い込みもあり耳を傾けるだろうと考えているのです。
左の勢力が事あるごとに若者を先頭に立てるのは世俗の垢に塗れた自分達を隠し、無垢なる者からの支持を担保に自らの正当性を主張する。
無垢と言う名の消耗品
賢明な皆さんは既にお気付きになって居られるでしょう。
共産党や民青、或いは特定の議員が援護する学生の運動。
政治的主張をする若者達。
二十歳やそこらで政治的主張をする様な人間は既に既存のイデオロギーに毒されています。
この様なデモ活動をする連中を他の若者は冷ややかな目で見ています。
実際には「なんか変な連中だな、関わるのはやめておこう」と大半の人が思います。
例え主催者発表通りの参加人数であったとしてもその人口比は日本の人口0.023%程度です。
つまり、デモをする若者の主張は決して「若者達の代弁者」ではないのです。
いわゆる標準的な学生ならば、勉強に遊びに合コンやサークルやアルバイトに精を出し、その短い青春を謳歌するものだと思います。
それが二十歳そこそこの若さで政治的イデオロギー活動をするのは「異質」な存在です。
それを大人達は利用し、自らの主張やイデオロギーの為に使うのです。
若者は良くも悪くもバカです。
だからこそ独特の潔癖さや志がある。
しかし、そこを上手く利用する大人の狡猾さが見え隠れしています。
いや、明らかに見えます。
大人達はそのバカを利用しながら自らは煽るだけ煽ります。
そして危険は犯しません。
この一連の騒ぎが一段落すれば「若者が勝手に自らの正義を行なった」とか何とか都合の良い話しにしてしまい、自分達は一切の責任を負いません。
若者達はただ利用されていることすら理解出来ずに「自らの行動は崇高だ!」と言う、これまた思い込みで動く。
特集すれば客が集まり金が儲かるメディア。
自らの地位を確立する為に煽る議員達。
そうすることで自らを目立たせる芸能人。
これは皆、大人です。
若者達は「無垢」を利用され、いずれ利用価値が無くなれば「無かった事」にされる。
デモをする若者は単なる消耗品です。
先日も国会前で反安保法制のデモがありましたね。
主催側発表12万人。
警察発表3万人。
実際は警察発表より少ないという調べもあります。
まぁ、確かにそれでも結構な人数ではあります。
しかし、若者がデモをやりマスコミが持ち上げ取り上げる。
これについて少し考えてみたいと思います。
あくまで私見であり、問題提起です。
学生デモ
学生デモ主催のSDALDs(シールズ)
自由と民主主義の為の学生緊急行動。
テレ朝を筆頭に街宣や抗議活動を各種メディアが取り上げています。
とくに左のメディアは嬉々として取り上げる始末で気持ち悪さすら感じます。
とにかく突然現れた学生運動をかなりの頻度で取り上げていますね。
また札幌では戦争したくなくてふるえるとか言う安保法制反対デモが行われています。
19歳の自称フリーターが中心となっており、その風貌から「ギャルが戦争反対デモ」を主催してると、これまたメディアは持ち上げます。
デモ参加者が5000人だろうと1万人だろうと結構な人数です。
それをワザワザ水増しするのは如何なものか?
SDALDsの実質的リーダーである奥田愛基は明治大学四年生、22歳。
その周りのメンバーも見る限りは同じぐらいの若者です。
皆、一様にオシャレな男女若者達で「いかにも」という感じの若者達です。
しかし、このデモをする若者達の主張するその言葉には貧困な言葉としか言えないものです。
Isay ABE!you say ヤメロ!とかラップをしたり。
戦争したくなくてふるえる、みたいな。
それをみんなでオウム返しです。
そこに高度な政治的主張や演説はありません。
そのあまりに貧しい限りの言葉や曖昧な主張を参加している国会議員や憲法学者や自称識者が補完するとといった始末です。
だいたい国会議員ならこんな集会に参加しないで国会で仕事をしろ!というもんです。
分が悪いとなるとポピュリズムに走る。
これは左翼の定石です。
この若者達が憲法について無知であるとは思いませんし、それなりに勉強してもいるでしょう。
それは「若者の表現だ」と言えなくもない。
しかし「安倍ヤメロ!」や「感じ悪い」とか「ふるえる」なんてことを言われても心には響きません。
一般の人々、例えば自分の母親などは「若いもんがお祭り騒ぎで暴れてる」といった認識です。
更に「そない力あまってるなら一生懸命勉強するか働けや!」と、大阪のおばちゃん丸出しの意見をテレビに向かって言い放ちます。
主催するSDALDsやふるえるギャルは確かに若い。しかし、それを取り囲む聴衆や或いは参加する議員などは明らかに違います。
この集会を見た人や、それを報道した写真や映像を見たり話しを聞くと30代、40代或いはそれ以上の年齢層です。
その若者の抗議集会に「一万人参加」とか、それこそ「12万人参加」なんて発表を聞くとまるで抗議集会に其れだけの若者が集まった様に思ってしまいます。
これは全く事実と違うのです。
実際には若者の集会に中高年が一万人見物したというのが正解です。
無垢という刷り込み
メディアが伝える抗議集会の中心点を見る限りにおいては若者が大挙して集会に参加している印象を受けます。
それは、メディアが其処のみを切り取るからです。若者のみが集まっている!というイメージを故意に与えているからです。
実際に集会を見物した人から話しを聞くと「若者が実は驚く程に少ない」と言います。
またSDALDsを始めとする若者のそういう団体には共産党や、その下部組織の民青などといった団体が援護している事は明らかです。
また、参加メンバーには共産党員やその子弟がいます。
其れ等を加味して考えるならば、この抗議をする若者達の主張や言葉は、自分達と同世代の若者に向けたものではないと感じます。
反安倍晋三や左翼的なイデオロギーの中高年、或いは参加する議員や自分達を援護する団体に向けたものです。
そして、メディアも実は利害が絡んだ彼ら彼女らを「無垢な存在」として扱う。
インタビューを受ける若者の、あの「何々っすね」とか「マジ、戦争とかありえねぇ」といった話し方に若者振りを見せています。
しかし、逆に言えば、もうすぐ就職やら控えているで有ろう大学生がファミレスで友達と話す様にメディアで語るあの口調こそが若者=無垢という演出に見えて仕方ない。
「ふるえる」のフレーズも若者に人気の歌手が歌う歌詞から拝借した!と、その稚拙さを「若者は稚拙だが無垢だ!」と言う印象操作にしか感じません。
我々大人は自らを振り返り「若者やギャルは政治には無関心だ」と思い込んでいます。
そしてその思い込み、既成的な常識を見事に外す「若者達のデモ」に勝手に無垢さを見ているに過ぎません。
それは若者達は無関心の象徴という刷り込みが働いているからです。
メディアはこの象徴たる若者が大挙集まっている状況を物珍しくて希少なものと捉えているのです。
人にとって非日常な出来事は気をひくものです。
そしてそれは、例えば台湾や香港の学生運動と何処かで重ねて見ているのです。
台湾や香港の学生達は確かにそこにある圧政や矛盾に純粋に向かっている。
台湾ではかつても学生運動から政治が動いた事実があり、更にその主張は自分達の利益ではない事は容易に解ります。
何処かその台湾などの学生運動をフィルターにして見てしまっています。
この無垢であるという思い込みこそが若者デモのポイントであるのは間違いないのです。
それをメディアも故意に演出しています。
思い込みこそが武器
無垢なる者が指摘する。
其れこそが、真実だ!という世界観みたいなものが若者でない者には刷り込まれているのです。
無垢なる者、例えば5歳の子供が利害関係を考慮しながら大人と会話している!
なんて事は誰も思いません。
無垢なる者は利害関係もなく知識もない、そんな色眼鏡で世の中を見ていないから、それが主張する事には真実が含まれるという思い込み。
SDALDsやふるえるデモに参加する若者は二十歳そこそこの社会経験の乏しい言わば子供である。
専門知識や体系的知識も無い。
そんな「無垢な存在」と言う大人の勝手な思い込みを武器にしているのです。
それを周りの大人は完全に理解しています。
むしろその無垢さを演出させ、それを利用している訳です。
その無垢な子供達が「反安倍晋三!」とか「反安保!」とか叫べば、自分達の主張は無垢な子供達が正しい!と言っている様に見せる事が出来る。更にノンポリと括れる無関心な大人達に「自らの主張はだから正しい」と担保する事になるのです。
だから左にイデオロギーがあるメディアや反日思想の連中、或いは議員という大人達はそれを援護するのです。
そのイデオロギーを主張するのが世俗の垢に塗れた大人では不適合。
無垢な子供の話しなら大人は思い込みもあり耳を傾けるだろうと考えているのです。
左の勢力が事あるごとに若者を先頭に立てるのは世俗の垢に塗れた自分達を隠し、無垢なる者からの支持を担保に自らの正当性を主張する。
無垢と言う名の消耗品
賢明な皆さんは既にお気付きになって居られるでしょう。
共産党や民青、或いは特定の議員が援護する学生の運動。
政治的主張をする若者達。
二十歳やそこらで政治的主張をする様な人間は既に既存のイデオロギーに毒されています。
この様なデモ活動をする連中を他の若者は冷ややかな目で見ています。
実際には「なんか変な連中だな、関わるのはやめておこう」と大半の人が思います。
例え主催者発表通りの参加人数であったとしてもその人口比は日本の人口0.023%程度です。
つまり、デモをする若者の主張は決して「若者達の代弁者」ではないのです。
いわゆる標準的な学生ならば、勉強に遊びに合コンやサークルやアルバイトに精を出し、その短い青春を謳歌するものだと思います。
それが二十歳そこそこの若さで政治的イデオロギー活動をするのは「異質」な存在です。
それを大人達は利用し、自らの主張やイデオロギーの為に使うのです。
若者は良くも悪くもバカです。
だからこそ独特の潔癖さや志がある。
しかし、そこを上手く利用する大人の狡猾さが見え隠れしています。
いや、明らかに見えます。
大人達はそのバカを利用しながら自らは煽るだけ煽ります。
そして危険は犯しません。
この一連の騒ぎが一段落すれば「若者が勝手に自らの正義を行なった」とか何とか都合の良い話しにしてしまい、自分達は一切の責任を負いません。
若者達はただ利用されていることすら理解出来ずに「自らの行動は崇高だ!」と言う、これまた思い込みで動く。
特集すれば客が集まり金が儲かるメディア。
自らの地位を確立する為に煽る議員達。
そうすることで自らを目立たせる芸能人。
これは皆、大人です。
若者達は「無垢」を利用され、いずれ利用価値が無くなれば「無かった事」にされる。
デモをする若者は単なる消耗品です。