古事記の続きです。
さぁいよいよ国作りへと入ります。
葦原中国
さてさて、大国主神が出雲の御大之岬(みほのみさき)に行きます。
海の彼方から天之羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って来た神様がいました。
この船はガガイモで作った船です。
ガガイモなんて見たことないですが、ガガイモで作った船だそうです。
それで、カリの皮の服を着ていました。
カリと言うのはよくわかりません。概ね識者の見解では蛾ではないかと思われます。
で、この神様は最初は名前が解りません。
ガガイモて言うのは幾つも手の平に乗るほど小さい物です。
そんなガガイモで出来た船ですから、小さいです。
そこに乗る神様ですから、かなり小さい。
大国主神は先ずヒキガエルに聞いてみました。
するとヒキガエルは「知らん」と言うのです。
ヒキガエルに聞くてのはどうかと思いますが…
とにかくヒキガエルは知りません。
ヒキガエルは「案山子なら知ってるかもね」と言うのです。
案山子は一本足で歩けない、けれど天下のことなら良く知っていると。
それで案山子に聞くんです。
案山子がしゃべるんですよ!チョットしたホラーですね。
マネキンの首とか転がっているとか、ビックリしますが…
しゃべるんですから。
すると案山子が「ああ、あれは少名毘古那神ですよ」と。
少名毘古那神(すくなびこなのかみ)
チョット怖いですけど案山子が教えてくれました。
神産巣日神(かむむすひのかみ)の子だと教えてくれました。
神産巣日神は以前に大穴牟遅神を助けてくれた神様ですね。
大国主神の命の恩人です。
その恩人の息子さんです。
「ああ息子さんでしたか」て感じです。
「アレ?だいぶ小さいですけど…大丈夫ですかね?」
しかしアノ神産巣日神の息子さんですから、相当しっかり者ですよ。
道後温泉て皆さんご存知ですね?
四国、愛媛の松山です。
あの道後温泉には大国主神と少名毘古那神が風呂に入って体を癒した!と伝えられてます。
そこに道後館という建物があります。
そこの温泉に二人の神様の像があります。
一人は大きな神様で一人は小さな神様。
大きな神様は大国主神です。
小さな神様は少名毘古那神です。
そして、この少名毘古那神と大国主神がガッチリタッグで国作りをするんです。
しかしこの少名毘古那神と言うのは大国主神の耳元で小うるさく指示を出すのですね。
それはもう、あーだこーだと口うるさい。
「あれは、こうした方が良い、それはダメだな」とかとにかく口うるさい。
しかし、ある日突然に少名毘古那神はいなくなってしまいます。
常世国に行ってしまいます。
理由は全くわかりません。
大国主神は大変困ってしまいます。
突然、常世国へ行ってしまいました。
大物主神
それで困っていると新しい神様が現れました。
この神様も名前が解りません。
なんて言うか、古事記はこういうとこ勿体振るわけです。
「名前は?名前、誰なんだ?」と、読み手を引きつけるテクニックでしょうか。
三輪山の上に鎮座する神とだけ解っています。
何故、三輪山の神と解ったかと言うと。
「自分を、大和の国を青垣のように廻っている山の内の、東の山の上に奉りなさい」
と、早い話しが「三輪山に祀れ」と仰る。
それで三輪山に鎮座する神だな、と解ったのですね。
この時点ではこの神様の名前は解りません。
しかし相当、偉そうですよ。
「私を奉りなさい、それなら手伝ってやろう。じゃないと国作りは出来ないぞ!」と。
え~!あんた何様やねん!どういうつもりや!
てな感じは否めませんが…
しかし大変な神様だ!と、丁寧に遇します。
でもこの神様と国作りをしたかどうかの記述はありません。
そしてこの神様が大物主神と後々解ります。
国作りの中身
大国主神の国作り!
とか言いますが、大国主神一人でやった訳ではありません。
大国主神一人でドドド~ッ!とかて作った訳ではないのですね。
天上界とかですね、大和の神とかイモの船で来た神様とかですね。
周囲のいろいろな力を借りて国作りをしたんですね。
ですから、国作りをしたその国は大国主神の「俺の国」ではありません。
んじゃ誰の国だ?
と、これが問題な訳です。
最終的には天上世界の統治者である天照大御神が地上世界も統治すべきだとなるのです。
そういう話しが展開していくのです。
ですからこの国作りは国譲りへの伏線であると考えられます。
国譲りにこそ日本の根幹的な物語が示されていますから、この国作りはそのような話しの為の伏線であると考えられます。
間違えてはいけない
この大国主神と大物主神。
日本書紀では同じ神として描かれています。
しかし古事記では別の神として扱われていますね。
どちらが正しいのでしょうか?
これは極論、「どちらも正しい」としか言えません。
何故ならば、前にも申しましたが「古事記」を理解するのに別のものを用いてはいけないからです。
ですから、この部分を理解する為に日本書紀を用いれば、それは古事記ではなくなります。
その逆もまた同じです。
これは編纂の方針が違うからです。
日本書紀は海外へ向けた文書ですから、中身も漢文です。
中国語表記と言えます。
しかし古事記は万葉仮名で書かれており、これは日本人でなければ読めません。
つまり古事記は国内向けの文書です。
そして、その昔、世界や特にアジア地域では秘伝とされた国の根幹は決して対外的には見せてはならないとされていました。
つまり古事記は国内でのみ通じる「秘伝」であるのです。
本当のことは決して外へ漏らしてはいけないのです。
ですから対外的には大国主神と大物主神は同一としたのです。
古事記を理解する為に日本書紀や別の文書を用いて解釈してはいけないのです。
ウルトラマンの解らない部分を仮面ライダーを用いて理解する様なものです。
そんなアホなことしませんよね?
古事記の世界観や真実は古事記の中だけで解釈しないといけないなです。
次回へ続く…
さぁいよいよ国作りへと入ります。
葦原中国
さてさて、大国主神が出雲の御大之岬(みほのみさき)に行きます。
海の彼方から天之羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って来た神様がいました。
この船はガガイモで作った船です。
ガガイモなんて見たことないですが、ガガイモで作った船だそうです。
それで、カリの皮の服を着ていました。
カリと言うのはよくわかりません。概ね識者の見解では蛾ではないかと思われます。
で、この神様は最初は名前が解りません。
ガガイモて言うのは幾つも手の平に乗るほど小さい物です。
そんなガガイモで出来た船ですから、小さいです。
そこに乗る神様ですから、かなり小さい。
大国主神は先ずヒキガエルに聞いてみました。
するとヒキガエルは「知らん」と言うのです。
ヒキガエルに聞くてのはどうかと思いますが…
とにかくヒキガエルは知りません。
ヒキガエルは「案山子なら知ってるかもね」と言うのです。
案山子は一本足で歩けない、けれど天下のことなら良く知っていると。
それで案山子に聞くんです。
案山子がしゃべるんですよ!チョットしたホラーですね。
マネキンの首とか転がっているとか、ビックリしますが…
しゃべるんですから。
すると案山子が「ああ、あれは少名毘古那神ですよ」と。
少名毘古那神(すくなびこなのかみ)
チョット怖いですけど案山子が教えてくれました。
神産巣日神(かむむすひのかみ)の子だと教えてくれました。
神産巣日神は以前に大穴牟遅神を助けてくれた神様ですね。
大国主神の命の恩人です。
その恩人の息子さんです。
「ああ息子さんでしたか」て感じです。
「アレ?だいぶ小さいですけど…大丈夫ですかね?」
しかしアノ神産巣日神の息子さんですから、相当しっかり者ですよ。
道後温泉て皆さんご存知ですね?
四国、愛媛の松山です。
あの道後温泉には大国主神と少名毘古那神が風呂に入って体を癒した!と伝えられてます。
そこに道後館という建物があります。
そこの温泉に二人の神様の像があります。
一人は大きな神様で一人は小さな神様。
大きな神様は大国主神です。
小さな神様は少名毘古那神です。
そして、この少名毘古那神と大国主神がガッチリタッグで国作りをするんです。
しかしこの少名毘古那神と言うのは大国主神の耳元で小うるさく指示を出すのですね。
それはもう、あーだこーだと口うるさい。
「あれは、こうした方が良い、それはダメだな」とかとにかく口うるさい。
しかし、ある日突然に少名毘古那神はいなくなってしまいます。
常世国に行ってしまいます。
理由は全くわかりません。
大国主神は大変困ってしまいます。
突然、常世国へ行ってしまいました。
大物主神
それで困っていると新しい神様が現れました。
この神様も名前が解りません。
なんて言うか、古事記はこういうとこ勿体振るわけです。
「名前は?名前、誰なんだ?」と、読み手を引きつけるテクニックでしょうか。
三輪山の上に鎮座する神とだけ解っています。
何故、三輪山の神と解ったかと言うと。
「自分を、大和の国を青垣のように廻っている山の内の、東の山の上に奉りなさい」
と、早い話しが「三輪山に祀れ」と仰る。
それで三輪山に鎮座する神だな、と解ったのですね。
この時点ではこの神様の名前は解りません。
しかし相当、偉そうですよ。
「私を奉りなさい、それなら手伝ってやろう。じゃないと国作りは出来ないぞ!」と。
え~!あんた何様やねん!どういうつもりや!
てな感じは否めませんが…
しかし大変な神様だ!と、丁寧に遇します。
でもこの神様と国作りをしたかどうかの記述はありません。
そしてこの神様が大物主神と後々解ります。
国作りの中身
大国主神の国作り!
とか言いますが、大国主神一人でやった訳ではありません。
大国主神一人でドドド~ッ!とかて作った訳ではないのですね。
天上界とかですね、大和の神とかイモの船で来た神様とかですね。
周囲のいろいろな力を借りて国作りをしたんですね。
ですから、国作りをしたその国は大国主神の「俺の国」ではありません。
んじゃ誰の国だ?
と、これが問題な訳です。
最終的には天上世界の統治者である天照大御神が地上世界も統治すべきだとなるのです。
そういう話しが展開していくのです。
ですからこの国作りは国譲りへの伏線であると考えられます。
国譲りにこそ日本の根幹的な物語が示されていますから、この国作りはそのような話しの為の伏線であると考えられます。
間違えてはいけない
この大国主神と大物主神。
日本書紀では同じ神として描かれています。
しかし古事記では別の神として扱われていますね。
どちらが正しいのでしょうか?
これは極論、「どちらも正しい」としか言えません。
何故ならば、前にも申しましたが「古事記」を理解するのに別のものを用いてはいけないからです。
ですから、この部分を理解する為に日本書紀を用いれば、それは古事記ではなくなります。
その逆もまた同じです。
これは編纂の方針が違うからです。
日本書紀は海外へ向けた文書ですから、中身も漢文です。
中国語表記と言えます。
しかし古事記は万葉仮名で書かれており、これは日本人でなければ読めません。
つまり古事記は国内向けの文書です。
そして、その昔、世界や特にアジア地域では秘伝とされた国の根幹は決して対外的には見せてはならないとされていました。
つまり古事記は国内でのみ通じる「秘伝」であるのです。
本当のことは決して外へ漏らしてはいけないのです。
ですから対外的には大国主神と大物主神は同一としたのです。
古事記を理解する為に日本書紀や別の文書を用いて解釈してはいけないのです。
ウルトラマンの解らない部分を仮面ライダーを用いて理解する様なものです。
そんなアホなことしませんよね?
古事記の世界観や真実は古事記の中だけで解釈しないといけないなです。
次回へ続く…