世界の秩序が変わっていく中で、我が国はどう対処すれば良いか?
我々は後世に何を伝え、何を残すのか?
今、その岐路に立っているのではないでしょうか?
我々は敗戦後教育を受け、それを信じて生きて来たけれど、実はそれは我々日本人の真実ではないと気づき始めた。
今こそ我々日本人は日本人としての根っこを見つめ直さねばなりません。
そこにこそ日本の成長があると言う事を知らねばならないと考えます。
国体とはなんでしょう?
国体とは国やその民族の根っこで、それを変えてしまう或いは変わってしまったら、もうその国や民族ではなくなってしまうものではないでしょうか。
それは例えばアメリカやフランス、ドイツにも中国にもあるものです。
敗戦後の日本では国家や国体などと言う言葉を使えば『右翼』だと呼ばれて来ました。
それはGHQによる占領政策により、国家や国体と言う言葉を使えなくなり、教えられなくなり、それらの言葉は悪魔の呪文の様に扱われて来たからです。
簡単な話しです。
日本人に国体を教えれば『日本人は凄い』と誇りを持ってしまうからです。
また、あの様な戦争を始められたら困るし怖いから日本人が誇りをもつ事を徹底的に排除したのです。
これもおかしな話しです。
では日本以外の国の人々は自国の国体を知らないのか?
そんなバカな事はありません。
例えばアメリカはどんな国?
この様に考えたら答えは簡単です。
アメリカは自由の国だ!
アメリカ人は即答するでしょう。
そうですアメリカは『自由の国』です、もしこれが変わればアメリカはアメリカでなくなってしまいます。
大統領が変わろうと、上下両議会の議員が変わろうとホワイトハウスが破壊されようと、議事堂が破壊されようと、重大な事態ではあるけどアメリカが無くなる訳ではありません。
新しい大統領や議員を選ぶ、建物を新たに建てる、そうすれば再びアメリカは機能を取り戻します。
しかし建国の理念である『自由』を取り除けばアメリカはアメリカでなくなってしまいます。
それがアメリカの根っこだからです。
1620年英国国教会が主流だった絶対君主制のイギリスからメイフラワー号に乗り、信仰の自由を求めて102人のピューリタンが北アメリカに移住した事が始まりです。
つまり自由とは宗教の自由であった訳ですが、それが派生して、あらゆる自由、普遍的な自由と言う考えが生まれ、それが建国理念であるのです。
例えば、アメリカが大統領ではなく、世襲の国王を据える国になってしまえば、もうそれはアメリカではなくなってしまうのです。
例えばフランスにしても、フランス革命により出来た現在のフランス。
フランスの国体とは『平等』であるのです。
フランス革命の目的は『平等な社会を作る』事にあるのです。
ある特権階級だけが富を独占する社会を変え、生まれながらに平等な社会の国民からリーダーを選ぶ。
それがフランス大統領なわけです。
他方、アジアに目を向けて見ると中華人民共和国と言う国があります。
この中華人民共和国の国体とは何か?
それは『中国共産党一党独裁』にあります。
毛沢東と蒋介石が内乱の末に、毛沢東率いる中国共産党軍が勝ち出来た国です。
その国はマルクス・レーニン主義を基礎として『労働者が仕切る国』を目指してたのです。
君主や資本家に搾取される社会の下層階級こそを主人公にした国を目指したわけです。
だから労働者から国家主席を選ぶ。
共産党は労働者の集まりです。
つまり、共産党が一党独裁を保っていれば中国は『国体』を保っていると言う理屈なのです。
ところが2001年、中国は共産党に資本家も入党させるとしてしまいました。
本来労働者しかいないはずの共産党に資本家を入れてしまったのです。
中国共産党は労働者しか入党出来ませんでした。
ところが資本家を入れてしまった。
これは事実上の国体の瓦解です。或いは国体の変化です。
しかし、この矛盾を共産党一党独裁を守る事で名目的に国体を維持しようと必死なわけですが。
その無理が今、出ているのではないか?
その様に昨今の中国を見て思います。
世界の国々には『国体』というものがあり、それは当たり前のことで、何も特殊な話しではないと言う事は理解出来るでしょう。
それを敗戦後の我が国は軍国主義や右翼として扱って来たのです。
それがどれだけ異常な事か。
アメリカ人が『アメリカは自由の国だ!』と言って軍国主義だとか、あいつは右翼だとか思う人はいないはずです。
アメリカでは先程述べた通り、例えば大統領が倒れたとて『自由の国』という国体があればアメリカはアメリカであるのです。
大統領の替わりはいくらでもいるし、そう言う事態に対処できる仕組みがあります。
我が国にしても、安倍晋三総理大臣が倒れても替わりはいくらでもいるのです。
首班指名をして次の総理大臣を決めれば良い。
だからと言って総理大臣がいい加減な存在だと言う事ではありません。
これが政治のシステムなのです。
国会議事堂が破壊されようと、国会議員が全員死んでも日本は日本です。
しかし、唯一絶対にに替えがきかないものがあります。
天皇陛下
この御存在だけは替えがききません。
万が一天皇不在となれば、最早我が国は我が国でなくなってしまいます。
天皇だけは唯一無二の存在なのです。
具体的に天皇不在になれば、我が国の統治機構である立法、行政、司法は全て機能停止してしまうのです。
日本国憲法第六条
1、天皇は国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する。
2、天皇は内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
日本国憲法第七条
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事行為に関する行為を行ふ。
一、憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
ニ、国会を召集すること。
三、衆議院を解散すること。
四、国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五、国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認識すること。
六、大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七、栄典を授与すること。
八、批准書及び法律に定めるその他の外交文書を認証すること。
九、外国の大使及び公使を接受すること。
十、儀式を行ふこと。
内閣総理大臣を始め、全ての国務大臣と最高裁長官も天皇の認証なしには成立しません。
法律を作るのは国会ですけれども、どの法律も天皇が公布しなければ効力を持たないのです。
法律を公布出来るのは天皇だけです。
天皇不在となれば公布する人がいません。
立法、行政、司法は天皇の存在なくして機能しない仕組みになっているのです。
よくよく考えれば、我が国の国政は天皇の身体を通して具現化されていると言う事です。
我々国民はその仕組みの中で日々生活をしているのだと実感出来たのではありませんか?
形式や儀式的なものであるのですが、だからこそそこに天皇の意思はあるかないかは重要ではないのです。
明治維新経て、現在の総理大臣まで天皇の任命を受けて総理大臣の任に就いているのです。
江戸期の武家政権でも同じです。
天皇の任命によりその任に就いている。
平安時代も同じです。
これが権威と言うものです。
天皇は国会が議決した物を承認し、公布するだけで、つまり天皇が担うのは権力ではなく『権威』と言う事です。
権力とは、わかりやすく言うなら現在は安倍晋三総理大臣です。
これが我が国の権力者であります。
この権力者、つまり権力を行使する者を選んだのは日本国民です。
安倍晋三と言えど我々日本国民の代理人に過ぎません。
政は権力がなければ何も出来ません。
だから、正しく権力を使えるであろう者を我々の代理人として選ぶのです。
国会は我々の代理人が議論して法律を作ったりしています。
つまり、我々日本国民の代理人が議決する事は我々が決めたと言う事になるわけです。
だから、最大の権力者は日本国民一人一人と言う事です。
先程述べた『公布』とは議決された法律を広く公に示す事です。
議決された法律の中身がわからなければ、法を使ったり、守ったり出来ません。
この役割を担うのが天皇と言う事です。
2へ続く
我々は後世に何を伝え、何を残すのか?
今、その岐路に立っているのではないでしょうか?
我々は敗戦後教育を受け、それを信じて生きて来たけれど、実はそれは我々日本人の真実ではないと気づき始めた。
今こそ我々日本人は日本人としての根っこを見つめ直さねばなりません。
そこにこそ日本の成長があると言う事を知らねばならないと考えます。
先ずは国体を考える
国体とはなんでしょう?
国体とは国やその民族の根っこで、それを変えてしまう或いは変わってしまったら、もうその国や民族ではなくなってしまうものではないでしょうか。
それは例えばアメリカやフランス、ドイツにも中国にもあるものです。
敗戦後の日本では国家や国体などと言う言葉を使えば『右翼』だと呼ばれて来ました。
それはGHQによる占領政策により、国家や国体と言う言葉を使えなくなり、教えられなくなり、それらの言葉は悪魔の呪文の様に扱われて来たからです。
簡単な話しです。
日本人に国体を教えれば『日本人は凄い』と誇りを持ってしまうからです。
また、あの様な戦争を始められたら困るし怖いから日本人が誇りをもつ事を徹底的に排除したのです。
これもおかしな話しです。
では日本以外の国の人々は自国の国体を知らないのか?
そんなバカな事はありません。
例えばアメリカはどんな国?
この様に考えたら答えは簡単です。
アメリカは自由の国だ!
アメリカ人は即答するでしょう。
そうですアメリカは『自由の国』です、もしこれが変わればアメリカはアメリカでなくなってしまいます。
大統領が変わろうと、上下両議会の議員が変わろうとホワイトハウスが破壊されようと、議事堂が破壊されようと、重大な事態ではあるけどアメリカが無くなる訳ではありません。
新しい大統領や議員を選ぶ、建物を新たに建てる、そうすれば再びアメリカは機能を取り戻します。
しかし建国の理念である『自由』を取り除けばアメリカはアメリカでなくなってしまいます。
それがアメリカの根っこだからです。
1620年英国国教会が主流だった絶対君主制のイギリスからメイフラワー号に乗り、信仰の自由を求めて102人のピューリタンが北アメリカに移住した事が始まりです。
つまり自由とは宗教の自由であった訳ですが、それが派生して、あらゆる自由、普遍的な自由と言う考えが生まれ、それが建国理念であるのです。
例えば、アメリカが大統領ではなく、世襲の国王を据える国になってしまえば、もうそれはアメリカではなくなってしまうのです。
例えばフランスにしても、フランス革命により出来た現在のフランス。
フランスの国体とは『平等』であるのです。
フランス革命の目的は『平等な社会を作る』事にあるのです。
ある特権階級だけが富を独占する社会を変え、生まれながらに平等な社会の国民からリーダーを選ぶ。
それがフランス大統領なわけです。
他方、アジアに目を向けて見ると中華人民共和国と言う国があります。
この中華人民共和国の国体とは何か?
それは『中国共産党一党独裁』にあります。
毛沢東と蒋介石が内乱の末に、毛沢東率いる中国共産党軍が勝ち出来た国です。
その国はマルクス・レーニン主義を基礎として『労働者が仕切る国』を目指してたのです。
君主や資本家に搾取される社会の下層階級こそを主人公にした国を目指したわけです。
だから労働者から国家主席を選ぶ。
共産党は労働者の集まりです。
つまり、共産党が一党独裁を保っていれば中国は『国体』を保っていると言う理屈なのです。
ところが2001年、中国は共産党に資本家も入党させるとしてしまいました。
本来労働者しかいないはずの共産党に資本家を入れてしまったのです。
中国共産党は労働者しか入党出来ませんでした。
ところが資本家を入れてしまった。
これは事実上の国体の瓦解です。或いは国体の変化です。
しかし、この矛盾を共産党一党独裁を守る事で名目的に国体を維持しようと必死なわけですが。
その無理が今、出ているのではないか?
その様に昨今の中国を見て思います。
日本では
世界の国々には『国体』というものがあり、それは当たり前のことで、何も特殊な話しではないと言う事は理解出来るでしょう。
それを敗戦後の我が国は軍国主義や右翼として扱って来たのです。
それがどれだけ異常な事か。
アメリカ人が『アメリカは自由の国だ!』と言って軍国主義だとか、あいつは右翼だとか思う人はいないはずです。
アメリカでは先程述べた通り、例えば大統領が倒れたとて『自由の国』という国体があればアメリカはアメリカであるのです。
大統領の替わりはいくらでもいるし、そう言う事態に対処できる仕組みがあります。
我が国にしても、安倍晋三総理大臣が倒れても替わりはいくらでもいるのです。
首班指名をして次の総理大臣を決めれば良い。
だからと言って総理大臣がいい加減な存在だと言う事ではありません。
これが政治のシステムなのです。
国会議事堂が破壊されようと、国会議員が全員死んでも日本は日本です。
しかし、唯一絶対にに替えがきかないものがあります。
天皇陛下
この御存在だけは替えがききません。
万が一天皇不在となれば、最早我が国は我が国でなくなってしまいます。
天皇だけは唯一無二の存在なのです。
具体的に天皇不在になれば、我が国の統治機構である立法、行政、司法は全て機能停止してしまうのです。
日本国憲法第六条
1、天皇は国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する。
2、天皇は内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
日本国憲法第七条
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事行為に関する行為を行ふ。
一、憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
ニ、国会を召集すること。
三、衆議院を解散すること。
四、国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五、国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認識すること。
六、大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七、栄典を授与すること。
八、批准書及び法律に定めるその他の外交文書を認証すること。
九、外国の大使及び公使を接受すること。
十、儀式を行ふこと。
内閣総理大臣を始め、全ての国務大臣と最高裁長官も天皇の認証なしには成立しません。
法律を作るのは国会ですけれども、どの法律も天皇が公布しなければ効力を持たないのです。
法律を公布出来るのは天皇だけです。
天皇不在となれば公布する人がいません。
立法、行政、司法は天皇の存在なくして機能しない仕組みになっているのです。
よくよく考えれば、我が国の国政は天皇の身体を通して具現化されていると言う事です。
我々国民はその仕組みの中で日々生活をしているのだと実感出来たのではありませんか?
形式や儀式的なものであるのですが、だからこそそこに天皇の意思はあるかないかは重要ではないのです。
明治維新経て、現在の総理大臣まで天皇の任命を受けて総理大臣の任に就いているのです。
江戸期の武家政権でも同じです。
天皇の任命によりその任に就いている。
平安時代も同じです。
これが権威と言うものです。
天皇は国会が議決した物を承認し、公布するだけで、つまり天皇が担うのは権力ではなく『権威』と言う事です。
権力とは、わかりやすく言うなら現在は安倍晋三総理大臣です。
これが我が国の権力者であります。
この権力者、つまり権力を行使する者を選んだのは日本国民です。
安倍晋三と言えど我々日本国民の代理人に過ぎません。
政は権力がなければ何も出来ません。
だから、正しく権力を使えるであろう者を我々の代理人として選ぶのです。
国会は我々の代理人が議論して法律を作ったりしています。
つまり、我々日本国民の代理人が議決する事は我々が決めたと言う事になるわけです。
だから、最大の権力者は日本国民一人一人と言う事です。
先程述べた『公布』とは議決された法律を広く公に示す事です。
議決された法律の中身がわからなければ、法を使ったり、守ったり出来ません。
この役割を担うのが天皇と言う事です。
2へ続く