さて今回は我が国の根っこに繋がる話しをしたいと思います。
様々な論客が論壇誌や或いは、発言の場所で語る話しを見聞きして私なりに考えた話しを少ししてみたいと思います。
こと『草莽崛起』カテゴリーにおいては、毎度申し上げておりますが問題提起として話しております。
あくまで私の考えを述べる場として、この拙著ブログを使っている訳です。
その私の考えや感じた事が、読まれた方々に対して問題提起、考えるきっかけとなれば良いなぁ...と思う次第です。
敗戦後、我が国は随分と連合国から仕返しを受けて来ました。
東京裁判開設まで、その処遇が宙ぶらりんであった『天皇の処遇』は、皇統を途絶えさせる危うさにあったのです。
当時アメリカ世論の約70%は『ヒロヒト処罰』でもあり、うち33%は死刑を求めていたのです。
もうこれは、我が国に対する復讐という世論であったのでしょう。
昭和21年12月17日、近衛文麿服毒自殺の翌日マスコミは一斉に一面トップで報じた。
神道指令
指令自体は15日には出されていたのですが、渋る日本政府を急かせて発表させたのが17日。
中身は実質的に『神道禁止令』で国による関与、つまりは財政的な支援、公的資格を持つ者の神社参拝禁止と言うものです。
毎年8月が近づくと『公人か私人か?』なんて閣僚や国会議員に聞くバカ記者は、1952年のサンフランシスコ講和条約により終わった占領政策そのままにGHQの代弁をするようなものです。
侮辱、屈辱的な政策をそのままに質問するバカ記者の滑稽さたるや。
神道指令は政教分離が本来の意図です。
しかし、実際には神道禁止令となっている。
信教は内心の問題です。
キリスト教にしたって、新旧が殺し合いの争いをして疲れはて、やがてウェストファリア条約締結となり『内心の問題は問わない』と互いに信教の自由を認めたのです。
それが今ある主権国家誕生へとも繋がっているのです。
アメリカはフランス革命により血であがなった『政教分離』を自由の女神と共に受け継ぎ Constitution に信教の自由を標榜している訳です。
政教分離であるなら、本来は国家の関与だけを禁じるものであるはずの『神道指令』が、公人だが個人でもある神社参拝を禁止したのはアメリカ本来の国是や精神に反するものです。
その一方で別の国是もあるのです。
優れた宗教により、劣等民族への教化・支配。
これを神から与えられた使命。
マニフェストデステニーと言うものです。
つまり、このマニフェストデステニーにより日本民族には『政教分離』と言う国是は当てはまらないということです。
これは人種差別以外のなにものでもない。
ウェストファリア条約を契機に信教の自由や国家主権を相互に認める事が国際通念となり、国益の衝突により戦争となっても勝敗の始末は賠償や領土割譲で決着をつけ、敗戦国の信教や統治システムには変更を決して迫らない事が国際通念であったのです。
血で贖い、政教分離を確立したフランス。
血で贖うとはフランス革命を指します。
このフランス革命を準備したルソー。
しかしルソーは
『戦争は相手国のシステムを変える為に行う』
こう述べているのです。
こう述べたルソーの思想、フランス革命の思想は自由の女神と共にアメリカに輸入されました。
『自由・平等・博愛』を標語で行われたフランス革命のもう一つの側面にはルソーの思想がある。
それがアメリカに輸入され、劣等民族を支配し教化するというマニフェストデステニー。
それがアメリカで強化されて、アメリカが相手国の信教や統治システムまで変えると言う根拠となっているのです。
先の大戦以降のアメリカの振る舞いを見れば、ウェストファリア条約で確立した国際通念は全く無視する。
ニュルンベルク裁判や東京裁判を見れば中世さながらの正邪を決する為の戦争なんだと理解出来ます。
これがアメリカがドイツ連邦政府に無条件降伏を求め、ポツダム宣言の真実ではないかと見て取れるのではないでしょうか。
日本の抵抗もあって『有条件』になんとかこぎつけたけれどマッカーサーは『ポツダム宣言は契約ではない!日本は無条件降伏したのだ』と日本政府に通告した事を見れば、これは何でもアリのもので、そうならば統治システムや信教の形までも変えてやろうとする意図が最初からあったのだと言うことになります。
そもそも天皇や神道、更に大日本帝国憲法などアメリカの国益に全く関係ありません。
にもかかわらず、これらを力づくでも迫る背景にはルソーの思想とマニフェストデステニーとを考え合わせれば理解出来ます。
『神道指令』を受けて直ちに対策を講じることを天皇の勅命により侍従次長の木下道雄の進言もあり、学習院・東大教授の板沢武雄を招き意見を聞くのです。
『鋏を以って煙を切るものなり』
GHQへの対処を聞かれた木下はこう答えています。
神道禁止など鋏で煙を切るようなもんだと言っているのです。
そもそも、神道はアメリカ人が考える宗教ではありません。
日本に宗門・宗派と言うような言葉はあったけれども宗教なる言葉はなかったのです。
明治期に英語の religionが入って来て、独善的で排他性のあるreligionの発想が日本人にはなく、わざわざ『宗教』と言う言葉を新造したのです。
これはConstitutionに憲法を当てた事とも同じ。
ちなみにreligionはラテン語のreligio(縛る)から来るもので、束ねるを語源にするファシストと似た匂いを感じます。
自然と言う言葉も、そもそも日本にはありませんでした。
しかしnatureと言う言葉が明治期西洋から入って来た。
しかし、西洋人の『自然は人間の克服すべきもの』と言う発想はなかった。
日本人にとっての自然とは『懐に抱かれ、そう感じる時に安堵や命を得る』
西洋のnatureの概念などない。
そこで仏教用語の自然(じねん)ありのまま、という言葉を当てたのです。
日本人は古来、其処彼処に神を見る。
木や水、海に山に、川のせせらぎ、果ては風呂や便所にまで神を見るのです。
そこにある自然そのものが神であり、そういう世界に生きて来た。
そんな我々日本人に改めて『宗教』などと言われても答えられないのです。
例えば海外に行く時、機内の入国カードに宗教を記入する欄がありますが、これは非常に困るものです。
改めて聞かれても答えられません。
仕方なく『Budhist』と書くのですが、果たして仏教徒か?
世界では特定の宗教を持っているのが当たり前。
宗教がない人間などは犬猫以下の畜生扱いでしょう。
我々日本人は結婚式は神式やチャペルで挙げ、葬式は仏葬、正月には神社へ初詣に行き、法事も墓参りも欠かさない。
国内には1%いるかいないかのキリスト教。
しかしクリスマスには街はクリスマスムードになり、クリスマス商戦まである。
しかし、多くの日本人はなんら不思議と思わない。
しかしながら西欧から見れば、日本人は宗教に無頓着だと見えてしまうようです。
しかし、これこそが日本人の長所と言うべきところなのではないか?
それこそが日本人の心のありよう、心の持ち方ではないでしょうか?
日本人の精神性を形作った根っこに神道があるのは間違いない。
つまり神道は宗教などと言うものではない。
日本人の精神性を総称して神道と呼ぶ
これに時に仏教、時に儒教などが習合した。
その習合を可能にしたのが和を尊ぶおおらかな日本人の精神性=神道。
神道は西欧中東の人工的な唯一絶対の神なるものとは馴染まない。
神道には宗教に必要な教義も教典もなく教祖もない。
神道とはreligionと言うものではなく、日本人の精神性なのだと言うことです。
その精神性を禁止する!と言うのですから、正に鋏で煙を切るようなもの。
なんと言うアホな話か。
アメリカは日本の神道やその象徴的存在の天皇を先に述べた思想により瓦解させ様としたのは明白です。
天皇は神道というreligionの教祖で、間違った宗教により日本人は戦争をした。
つまり神道禁止令は、『天皇の在り方』を改変させ、それを明文化した大日本帝国憲法の改正を意味しているのです。
今や改憲の動きが顕著な中、9条にばかり目は行きがちではありますが、先述の通り天皇に対する記述にも問題があるのは皆さんもお気づきでしょう。
それは第1条、第2条の矛盾です。
第1条には
『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』
とあります。
第2条には
『皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する』
これをパッと読んではわかりにくいかもわかりません。
しかし『国民の総意に基づく』はずのものが『世襲』されると言うおかしさに気づくことができるのです。
つまりこれは『地位』と『皇位』は別物だと読み取れるわけです。
まさかこれが別物と思う人はいないでしょう。
いや厳密には別物と思う人がいる。
いわゆる左翼の連中です。
これも条文そのままに読めば
即位の度に『国民の総意』の査察を受け、否定されたら『世襲』出来ない
査察はその都度『天皇制』の再検討にもなるのです。
いわば『天皇、皇統は華道の師匠や能楽の家と同格になる』危険に常に、日にち毎日晒されている状態であるのです。
天皇とはその様な存在なのでしょうか?
我々の神話と地続きの系譜を持つご存在とはなんなのか?
我々現代日本人は其れを知りません。
神道の意味も知らず、知らないから神道はキリスト教や仏教と同じ、そもそも我が国になかった『宗教』なる言葉だと現代日本人の多数は考えています。
例えば、現憲法第1条、第2条を持ち出しお妃や皇統に物申すバカタレがいる。
具体的には皇太子妃や、女系天皇、女性宮家の話しです。
これが、如何に我々日本人の『心』を瓦解させることになるか。
また、それがGHQ、白人達の思想に沿う形になるか。
我々は既に占領政策を終えているのです。
様々な論客が論壇誌や或いは、発言の場所で語る話しを見聞きして私なりに考えた話しを少ししてみたいと思います。
こと『草莽崛起』カテゴリーにおいては、毎度申し上げておりますが問題提起として話しております。
あくまで私の考えを述べる場として、この拙著ブログを使っている訳です。
その私の考えや感じた事が、読まれた方々に対して問題提起、考えるきっかけとなれば良いなぁ...と思う次第です。
我が国の現憲法は一体何をしようとするものなのか?
敗戦後、我が国は随分と連合国から仕返しを受けて来ました。
東京裁判開設まで、その処遇が宙ぶらりんであった『天皇の処遇』は、皇統を途絶えさせる危うさにあったのです。
当時アメリカ世論の約70%は『ヒロヒト処罰』でもあり、うち33%は死刑を求めていたのです。
もうこれは、我が国に対する復讐という世論であったのでしょう。
昭和21年12月17日、近衛文麿服毒自殺の翌日マスコミは一斉に一面トップで報じた。
神道指令
指令自体は15日には出されていたのですが、渋る日本政府を急かせて発表させたのが17日。
中身は実質的に『神道禁止令』で国による関与、つまりは財政的な支援、公的資格を持つ者の神社参拝禁止と言うものです。
毎年8月が近づくと『公人か私人か?』なんて閣僚や国会議員に聞くバカ記者は、1952年のサンフランシスコ講和条約により終わった占領政策そのままにGHQの代弁をするようなものです。
侮辱、屈辱的な政策をそのままに質問するバカ記者の滑稽さたるや。
神道指令は政教分離が本来の意図です。
しかし、実際には神道禁止令となっている。
信教は内心の問題です。
キリスト教にしたって、新旧が殺し合いの争いをして疲れはて、やがてウェストファリア条約締結となり『内心の問題は問わない』と互いに信教の自由を認めたのです。
それが今ある主権国家誕生へとも繋がっているのです。
アメリカはフランス革命により血であがなった『政教分離』を自由の女神と共に受け継ぎ Constitution に信教の自由を標榜している訳です。
政教分離であるなら、本来は国家の関与だけを禁じるものであるはずの『神道指令』が、公人だが個人でもある神社参拝を禁止したのはアメリカ本来の国是や精神に反するものです。
その一方で別の国是もあるのです。
優れた宗教により、劣等民族への教化・支配。
これを神から与えられた使命。
マニフェストデステニーと言うものです。
つまり、このマニフェストデステニーにより日本民族には『政教分離』と言う国是は当てはまらないということです。
これは人種差別以外のなにものでもない。
ウェストファリア条約を契機に信教の自由や国家主権を相互に認める事が国際通念となり、国益の衝突により戦争となっても勝敗の始末は賠償や領土割譲で決着をつけ、敗戦国の信教や統治システムには変更を決して迫らない事が国際通念であったのです。
フランス革命
血で贖い、政教分離を確立したフランス。
血で贖うとはフランス革命を指します。
このフランス革命を準備したルソー。
しかしルソーは
『戦争は相手国のシステムを変える為に行う』
こう述べているのです。
こう述べたルソーの思想、フランス革命の思想は自由の女神と共にアメリカに輸入されました。
『自由・平等・博愛』を標語で行われたフランス革命のもう一つの側面にはルソーの思想がある。
それがアメリカに輸入され、劣等民族を支配し教化するというマニフェストデステニー。
それがアメリカで強化されて、アメリカが相手国の信教や統治システムまで変えると言う根拠となっているのです。
先の大戦以降のアメリカの振る舞いを見れば、ウェストファリア条約で確立した国際通念は全く無視する。
ニュルンベルク裁判や東京裁判を見れば中世さながらの正邪を決する為の戦争なんだと理解出来ます。
これがアメリカがドイツ連邦政府に無条件降伏を求め、ポツダム宣言の真実ではないかと見て取れるのではないでしょうか。
日本の抵抗もあって『有条件』になんとかこぎつけたけれどマッカーサーは『ポツダム宣言は契約ではない!日本は無条件降伏したのだ』と日本政府に通告した事を見れば、これは何でもアリのもので、そうならば統治システムや信教の形までも変えてやろうとする意図が最初からあったのだと言うことになります。
そもそも天皇や神道、更に大日本帝国憲法などアメリカの国益に全く関係ありません。
にもかかわらず、これらを力づくでも迫る背景にはルソーの思想とマニフェストデステニーとを考え合わせれば理解出来ます。
その心のありよう
『神道指令』を受けて直ちに対策を講じることを天皇の勅命により侍従次長の木下道雄の進言もあり、学習院・東大教授の板沢武雄を招き意見を聞くのです。
『鋏を以って煙を切るものなり』
GHQへの対処を聞かれた木下はこう答えています。
神道禁止など鋏で煙を切るようなもんだと言っているのです。
そもそも、神道はアメリカ人が考える宗教ではありません。
日本に宗門・宗派と言うような言葉はあったけれども宗教なる言葉はなかったのです。
明治期に英語の religionが入って来て、独善的で排他性のあるreligionの発想が日本人にはなく、わざわざ『宗教』と言う言葉を新造したのです。
これはConstitutionに憲法を当てた事とも同じ。
ちなみにreligionはラテン語のreligio(縛る)から来るもので、束ねるを語源にするファシストと似た匂いを感じます。
自然と言う言葉も、そもそも日本にはありませんでした。
しかしnatureと言う言葉が明治期西洋から入って来た。
しかし、西洋人の『自然は人間の克服すべきもの』と言う発想はなかった。
日本人にとっての自然とは『懐に抱かれ、そう感じる時に安堵や命を得る』
西洋のnatureの概念などない。
そこで仏教用語の自然(じねん)ありのまま、という言葉を当てたのです。
日本人は古来、其処彼処に神を見る。
木や水、海に山に、川のせせらぎ、果ては風呂や便所にまで神を見るのです。
そこにある自然そのものが神であり、そういう世界に生きて来た。
そんな我々日本人に改めて『宗教』などと言われても答えられないのです。
例えば海外に行く時、機内の入国カードに宗教を記入する欄がありますが、これは非常に困るものです。
改めて聞かれても答えられません。
仕方なく『Budhist』と書くのですが、果たして仏教徒か?
世界では特定の宗教を持っているのが当たり前。
宗教がない人間などは犬猫以下の畜生扱いでしょう。
我々日本人は結婚式は神式やチャペルで挙げ、葬式は仏葬、正月には神社へ初詣に行き、法事も墓参りも欠かさない。
国内には1%いるかいないかのキリスト教。
しかしクリスマスには街はクリスマスムードになり、クリスマス商戦まである。
しかし、多くの日本人はなんら不思議と思わない。
しかしながら西欧から見れば、日本人は宗教に無頓着だと見えてしまうようです。
しかし、これこそが日本人の長所と言うべきところなのではないか?
それこそが日本人の心のありよう、心の持ち方ではないでしょうか?
日本人の精神性を形作った根っこに神道があるのは間違いない。
つまり神道は宗教などと言うものではない。
日本人の精神性を総称して神道と呼ぶ
これに時に仏教、時に儒教などが習合した。
その習合を可能にしたのが和を尊ぶおおらかな日本人の精神性=神道。
神道は西欧中東の人工的な唯一絶対の神なるものとは馴染まない。
神道には宗教に必要な教義も教典もなく教祖もない。
神道とはreligionと言うものではなく、日本人の精神性なのだと言うことです。
その精神性を禁止する!と言うのですから、正に鋏で煙を切るようなもの。
なんと言うアホな話か。
アメリカは日本の神道やその象徴的存在の天皇を先に述べた思想により瓦解させ様としたのは明白です。
天皇は神道というreligionの教祖で、間違った宗教により日本人は戦争をした。
つまり神道禁止令は、『天皇の在り方』を改変させ、それを明文化した大日本帝国憲法の改正を意味しているのです。
現憲法の矛盾
今や改憲の動きが顕著な中、9条にばかり目は行きがちではありますが、先述の通り天皇に対する記述にも問題があるのは皆さんもお気づきでしょう。
それは第1条、第2条の矛盾です。
第1条には
『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』
とあります。
第2条には
『皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する』
これをパッと読んではわかりにくいかもわかりません。
しかし『国民の総意に基づく』はずのものが『世襲』されると言うおかしさに気づくことができるのです。
つまりこれは『地位』と『皇位』は別物だと読み取れるわけです。
まさかこれが別物と思う人はいないでしょう。
いや厳密には別物と思う人がいる。
いわゆる左翼の連中です。
これも条文そのままに読めば
即位の度に『国民の総意』の査察を受け、否定されたら『世襲』出来ない
査察はその都度『天皇制』の再検討にもなるのです。
いわば『天皇、皇統は華道の師匠や能楽の家と同格になる』危険に常に、日にち毎日晒されている状態であるのです。
天皇とはその様な存在なのでしょうか?
我々の神話と地続きの系譜を持つご存在とはなんなのか?
我々現代日本人は其れを知りません。
神道の意味も知らず、知らないから神道はキリスト教や仏教と同じ、そもそも我が国になかった『宗教』なる言葉だと現代日本人の多数は考えています。
例えば、現憲法第1条、第2条を持ち出しお妃や皇統に物申すバカタレがいる。
具体的には皇太子妃や、女系天皇、女性宮家の話しです。
これが、如何に我々日本人の『心』を瓦解させることになるか。
また、それがGHQ、白人達の思想に沿う形になるか。
我々は既に占領政策を終えているのです。