間もなく、今や『建国記念日』と言われる二月十一日がやって来ます。
『いただきます』と言って手を合わせる事。
ある意味『建国記念日』でも間違いとは言えないのかもわかりませんが正確には『紀元節』です。
我々日本人には大切なオリジナルのカレンダーがあります。
それは西暦より660年も前に紀元を持つオリジナルのカレンダーです。
西暦はキリストが生まれた年を起点としているのに対して、我々の暦は初代神武天皇が大和の地で即位した日を紀元としているのです。
西暦がキリストの誕生であるのに、我々は即位された年であると言う事が日本人の根っこを表しているのと同時に、我々日本人の宗教観、そして神々を表す大切な事柄であるのです。
元旦の能登半島地震を始め、我が国は災害の多い国です。
その荒々しい自然と付き合って生きて来た日本人の根幹は何か?
そこに思いを致す為にも非常に重要な日であるのが『紀元節』です。
このオリジナルカレンダーを『皇紀』と呼ぶ事は賢明な皆さんならご存知のはず。
つまり我々は西暦より660年長い皇紀を持ち、間もなく2684年を迎えようとしているのです。
我々の神々は、西洋の神とは違います。
つまりGODは我々の神々ではありません。
我々の神々はspiritなのです。
だから、神武天皇が誕生した日を紀元とせず即位された日を紀元としているのです。
その神武天皇は神話と地続きの系譜を持ち、神の末裔であっても人です。
現人神とは神々の性質を持った人と言う事です。
そしてその現人神は何をするかと言えば、大御宝である我々日本国民の安寧と幸福を一身に祈る人です。
これを天皇の御本務と言います。
天皇と言う存在は我々が暮らす祖国日本と日本国民の為に四方神々に祈るのです。
この祈りのパワーは絶大なもので、祈ることで『日本』と言う国は2000年を超えて存在しているのです。
一つの王朝がこれほど長く続く国は、我が祖国をおいて他に存在しません。
それ程、祈りのパワーは絶大だと言う証拠です!
そして、天皇だけではなく我々日本人も祈ることで過去から現在まで、この日本と言う国を発展させて来たのです。
『いただきます』と言って手を合わせる事。
『お願い』と言って手を合わせる事。
『ごめんなさい』と言って手を合わせる事。
全て祈りです。
大切な人の無事を祈る。
我が子の成長を祈る。
全て祈りです。
この絶大な祈りのパワーを世界は恐れているのです。
最も恐れたのは、米国であったのかもしれません。
だからこそ、占領統治政策で皇統が途絶える様な政策を押し付け、神道と言うspiritを排除しようとしたのではないでしょうか。
祈りによる、国民と天皇との強い結び付きを引き剥がし、戦後教育で我々日本人から『祈り』を奪ったのです。
祈ることを忘れた日本人は、例えば初詣などの本来の意味を忘れ、更に我々の大切なオリジナルカレンダーも忘れてしまった。
そうなってしまった日本はどうなってしまったか。
親が子を殺し、子が親を殺し、同じ学舎の仲間を自殺に追い込み。
人を蹴落しても自分が得をすれば良いと利己的に生きる。
拝金主義よろしく、金持ちを『勝ち組』と賞賛する始末。
本来、慎ましやかだが他者の為に祈る人を『良い人』と考えて来た日本人はどこに行ってしまったのでしょうか。
先の大戦を見ても『殆どは病気と飢餓で死んだ、犬死にだ』と言う始末。
こんな考えは全く物事の本質が見えていないバカの論理です。
そこには後世への『祈り』があったのです。
戦地から生き延びた人は『食う物が無くなる程酷い状態だから戦争になったのだ。それぐらい物がなかった。戦争しなければ子供達は飢えて死んだ。』と仰る方もいる。
戦後の僅か数十年を生きた程度のアホが不勉強に祖国が何故これ程長きに渡り続いているかなど理解すらしない。
いや、理解する能力すらない。
そんな知能の低い、下品極まりない連中が『祈り』の力など理解できるはずがない。
だから皇統を否定し、皇紀を否定するのです。
仁徳天皇『民の竈』に代表する、我々と天皇と言う御存在との結びつき。
そこには『祈る』と言う行為があるのです。
今般の能登半島地震に被災した日本人に対しても『早く日常を取り戻し、この苦境から立ち直り癒される』ことを一心に祈ること。
政治、経済、安全保障や教育を考える事も大切ではありますが、先ずは我々の祖国と我々民族が何故、世界にも稀な長い歴史を紡いでいるのかを知ることです。
我々日本人が忘れた『祈り』の力を取り戻さねば民族は途絶えてしまうのではないでしょうか?