栗林忠道がした事
栗林忠道中将がまずやった事は
自決の禁止
万歳突撃の禁止
でした。
これは大変な事なのです。
敗戦濃厚となれば皆最後は自決します。
それは少しでも苦しみから逃れる為です。
或いは、万歳突撃により敵兵から撃たれ死ぬ事で少しでも苦しまず死ぬ。
コレだけが日本兵の最後の拠り所でした。
皆、最後はそうやって死ぬから戦えるのです。
逃げずに戦えるのです。
それを禁じた。
それは部下達から相当な反発がありました。
物の記録によれば栗林忠道中将を排斥する動きすらあったそうです。
しかし、栗林忠道中将は一人一人部下達に話して説得して周りました。
「俺達は死ぬ、しかし1日長引けば1日分、本土の女子供が生き延びる」
「だから穴を掘って、そこに立て籠もり米軍を苦しめる」
日本の未来を守る為に穴を掘ろう!
硫黄島の塹壕
本土の女子供を守る為に、愛する人を守る為に、愛する国を守る為に穴を掘った。
小さなスコップ、なければ木片を使って掘った。
そんな物が無ければ手で穴を掘った。
あの火山で出来た、固い固い溶岩で出来た島を素手で掘った。
指先からは出血し、生爪が剥がれ様と愛する人を守る為に穴を掘ったのです。
母なる国父なる国である祖国「日本」そこに暮らす愛する人、愛する未来を守る為にです。
そんな僅か70年前の日本人が男尊女卑の男社会で女は差別されていた!
などと言う左翼にはこれが解らない!
男達は女を守る為に喜んで死ぬのです!
誰一人、私利私欲でこんな事は出来ません。
逃げる事なく皆「他者の為」に。
これが日本人の生き方なのです。
他者の為に生きる。
他者を生かす為に生きる。
あなたこそ大事。
あなたの為に私は死ぬ覚悟がある。
あなたが生きる事で私は生かされる。
あなたの喜びが私の幸せ。
これが日本人なのです。
自分の為にだけ生きてもつまらない。
100年もすれば皆土に還りなにも残らない。
皆アッと言う間に死ぬのです。
人は生まれアッと言う間に死ぬ。
そんな虚しい人生も、他者の為に生きる事で自らも生かされ、それが次の世代に受け継がれ、やがて虚しいだけの人生も潤うのです。
なにも特殊な事ではありません。
僅か70年前の我々の先達がなさった。
その先達は我々と同じ普通の人々です。
そこにおられる
現在の硫黄島は、未だ一部の方々のご遺骨しか取り返していません。
そこに我々の先達が多数いるのにです。
国は硫黄島を立ち入り禁止にしている。
それは国民に見られてはいけないものがあるからです。
本当はアメリカ軍は硫黄島の戦いが終結すると、早く日本人を根絶やしにする為に、そこにまだ我々の先達のご遺体が累々と横たわる。
その上にそのままコンクリートを流しアスファルトをひいて滑走路を作ったのです。
我々の先達がその下にいるのです。
硫黄島は東京都小笠原村硫黄島。
我々の国土です。日本国領土です。
例えばペリリューやマリアナ諸島のような外国ではありません。
その硫黄島が日本国領土でもあるのに一般人は立ち入り禁止。
僅かな期間の遺骨収集と慰霊のみしか立ち入り出来ない。
アメリカ軍が作った滑走路は今も使われていて、自衛隊基地もあり毎日毎日、日本の自衛隊機や海保の飛行機が使っています。
その下には我々の先達が、未来である我々を守った先輩達が今もおられるのです。
その先輩達を飛行機が着陸する度にドーンッ!と頭や体、腰や足をドーンと踏みつけてるのです。
青山さんはこの滑走路に裸足で降り立ちました。
そして降り立った滑走路に土下座し
「この下にいっらっしゃるみなさまがた、心から申し訳ございません、僕たちはみなさまがたの事を忘れておりました。ようやく目が覚めて、やっとここへまいりました」と滑走路を撫で回したそうです。
この下に我々を守って頂いた先達がいます。
敗戦後70年間、ご英霊はこのコンクリートの下に閉じ込められている。
この熱い熱い島に今も閉じ込められたまま、郷里を思い閉じ込められたままです。
硫黄島で同じ様に土下座し英霊に話しかける安倍晋三
水もなく、雨水しかない、火山の島だから年中熱い。その溶岩で出来た島に閉じ込めたままに70年間我々は忘れていた。
国はこの現状を国民に見せる訳にはいかない。
例えば滑走路も菅直人政権下で2割程度引き剥がしただけで、そこの部分だけ遺骨を収集しただけ。
それで、遺骨を収集しているとごまかした。
例えば哨戒機P3Cでここへ降りる自衛官は本当はは良心の呵責に心を痛めているのです。
「毎日、毎日、この滑走路に降りるたびに私達の先達を踏みつけにしている」
これに耐えられないと。
そして、この硫黄島には毎日、それは毎日、普通に英霊がお出でになる。
それは食事をしている時に、食事を取る自衛官の横で旧帝国軍人が一緒に弁当を食べている。
夜、硫黄島にいると島を行進なさる。
哨戒機で飛び立つ時に声がする、ふと振り返ると「おい!良かったな!友軍が迎えに来てくれたぞ!」と声をかけ合う英霊がおられる。
もう当たり前の日常になってしまい、気にしていては業務に支障が出るので見て見ぬふりをする。
そして、戦う為に掘った壕は、これは生半可な気持ちでは掘れません。
こんな固い固い岩盤のような土を素手で掘れません。
何故、英霊はお出でになられるのか?
それは尋ねておられるのです。
「おい!俺達が守った日本はどうなった?俺達が命がけで守った祖国は?女や子供はどうなったんだ?」
後世の我々に聞いておられるのです。
およそ2万人の英霊のほとんどが普通の人々です。
我々と同じ庶民です。
お子もいて、子育てをし。
妻が待っている。
母が父が、息子の殊勲を願い。
恋人が戦火を逃げまどう。
そんな、愛する祖国を守る為に、至上の愛をもって戦い。
最高の忠誠心で命を捧げた。
そして、自分達が示した愛が国を守ったのか?
命を捧げた祖国は今も其処にあるのか?
我々に問うているのです。
それは、あの白梅の少女達も同じです。
まだ恋も知らない少女が捧げた命が報われたのか?
我々は考えなければならないのです。
敗戦後、与えられた偽りの平和に安穏とし。
見せかけの平和を享受し。
今日、自分が生き延びた事を平和と呼ぶ。
そんなことをしている間に同胞をさらわれ。
自分自身が御英霊に報告できるのは
「申し訳ありません、我々はあなた方を忘れていました。あなた方が命がけで守って頂いた祖国は同胞を拉致されても、取り返しもできません。」と…
あなたはどう報告できますか?
3.3へ続く…
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栗林忠道中将がまずやった事は
自決の禁止
万歳突撃の禁止
でした。
これは大変な事なのです。
敗戦濃厚となれば皆最後は自決します。
それは少しでも苦しみから逃れる為です。
或いは、万歳突撃により敵兵から撃たれ死ぬ事で少しでも苦しまず死ぬ。
コレだけが日本兵の最後の拠り所でした。
皆、最後はそうやって死ぬから戦えるのです。
逃げずに戦えるのです。
それを禁じた。
それは部下達から相当な反発がありました。
物の記録によれば栗林忠道中将を排斥する動きすらあったそうです。
しかし、栗林忠道中将は一人一人部下達に話して説得して周りました。
「俺達は死ぬ、しかし1日長引けば1日分、本土の女子供が生き延びる」
「だから穴を掘って、そこに立て籠もり米軍を苦しめる」
日本の未来を守る為に穴を掘ろう!
硫黄島の塹壕
本土の女子供を守る為に、愛する人を守る為に、愛する国を守る為に穴を掘った。
小さなスコップ、なければ木片を使って掘った。
そんな物が無ければ手で穴を掘った。
あの火山で出来た、固い固い溶岩で出来た島を素手で掘った。
指先からは出血し、生爪が剥がれ様と愛する人を守る為に穴を掘ったのです。
母なる国父なる国である祖国「日本」そこに暮らす愛する人、愛する未来を守る為にです。
そんな僅か70年前の日本人が男尊女卑の男社会で女は差別されていた!
などと言う左翼にはこれが解らない!
男達は女を守る為に喜んで死ぬのです!
誰一人、私利私欲でこんな事は出来ません。
逃げる事なく皆「他者の為」に。
これが日本人の生き方なのです。
他者の為に生きる。
他者を生かす為に生きる。
あなたこそ大事。
あなたの為に私は死ぬ覚悟がある。
あなたが生きる事で私は生かされる。
あなたの喜びが私の幸せ。
これが日本人なのです。
自分の為にだけ生きてもつまらない。
100年もすれば皆土に還りなにも残らない。
皆アッと言う間に死ぬのです。
人は生まれアッと言う間に死ぬ。
そんな虚しい人生も、他者の為に生きる事で自らも生かされ、それが次の世代に受け継がれ、やがて虚しいだけの人生も潤うのです。
なにも特殊な事ではありません。
僅か70年前の我々の先達がなさった。
その先達は我々と同じ普通の人々です。
そこにおられる
現在の硫黄島は、未だ一部の方々のご遺骨しか取り返していません。
そこに我々の先達が多数いるのにです。
国は硫黄島を立ち入り禁止にしている。
それは国民に見られてはいけないものがあるからです。
本当はアメリカ軍は硫黄島の戦いが終結すると、早く日本人を根絶やしにする為に、そこにまだ我々の先達のご遺体が累々と横たわる。
その上にそのままコンクリートを流しアスファルトをひいて滑走路を作ったのです。
我々の先達がその下にいるのです。
硫黄島は東京都小笠原村硫黄島。
我々の国土です。日本国領土です。
例えばペリリューやマリアナ諸島のような外国ではありません。
その硫黄島が日本国領土でもあるのに一般人は立ち入り禁止。
僅かな期間の遺骨収集と慰霊のみしか立ち入り出来ない。
アメリカ軍が作った滑走路は今も使われていて、自衛隊基地もあり毎日毎日、日本の自衛隊機や海保の飛行機が使っています。
その下には我々の先達が、未来である我々を守った先輩達が今もおられるのです。
その先輩達を飛行機が着陸する度にドーンッ!と頭や体、腰や足をドーンと踏みつけてるのです。
青山さんはこの滑走路に裸足で降り立ちました。
そして降り立った滑走路に土下座し
「この下にいっらっしゃるみなさまがた、心から申し訳ございません、僕たちはみなさまがたの事を忘れておりました。ようやく目が覚めて、やっとここへまいりました」と滑走路を撫で回したそうです。
この下に我々を守って頂いた先達がいます。
敗戦後70年間、ご英霊はこのコンクリートの下に閉じ込められている。
この熱い熱い島に今も閉じ込められたまま、郷里を思い閉じ込められたままです。
硫黄島で同じ様に土下座し英霊に話しかける安倍晋三
水もなく、雨水しかない、火山の島だから年中熱い。その溶岩で出来た島に閉じ込めたままに70年間我々は忘れていた。
国はこの現状を国民に見せる訳にはいかない。
例えば滑走路も菅直人政権下で2割程度引き剥がしただけで、そこの部分だけ遺骨を収集しただけ。
それで、遺骨を収集しているとごまかした。
例えば哨戒機P3Cでここへ降りる自衛官は本当はは良心の呵責に心を痛めているのです。
「毎日、毎日、この滑走路に降りるたびに私達の先達を踏みつけにしている」
これに耐えられないと。
そして、この硫黄島には毎日、それは毎日、普通に英霊がお出でになる。
それは食事をしている時に、食事を取る自衛官の横で旧帝国軍人が一緒に弁当を食べている。
夜、硫黄島にいると島を行進なさる。
哨戒機で飛び立つ時に声がする、ふと振り返ると「おい!良かったな!友軍が迎えに来てくれたぞ!」と声をかけ合う英霊がおられる。
もう当たり前の日常になってしまい、気にしていては業務に支障が出るので見て見ぬふりをする。
そして、戦う為に掘った壕は、これは生半可な気持ちでは掘れません。
こんな固い固い岩盤のような土を素手で掘れません。
何故、英霊はお出でになられるのか?
それは尋ねておられるのです。
「おい!俺達が守った日本はどうなった?俺達が命がけで守った祖国は?女や子供はどうなったんだ?」
後世の我々に聞いておられるのです。
およそ2万人の英霊のほとんどが普通の人々です。
我々と同じ庶民です。
お子もいて、子育てをし。
妻が待っている。
母が父が、息子の殊勲を願い。
恋人が戦火を逃げまどう。
そんな、愛する祖国を守る為に、至上の愛をもって戦い。
最高の忠誠心で命を捧げた。
そして、自分達が示した愛が国を守ったのか?
命を捧げた祖国は今も其処にあるのか?
我々に問うているのです。
それは、あの白梅の少女達も同じです。
まだ恋も知らない少女が捧げた命が報われたのか?
我々は考えなければならないのです。
敗戦後、与えられた偽りの平和に安穏とし。
見せかけの平和を享受し。
今日、自分が生き延びた事を平和と呼ぶ。
そんなことをしている間に同胞をさらわれ。
自分自身が御英霊に報告できるのは
「申し訳ありません、我々はあなた方を忘れていました。あなた方が命がけで守って頂いた祖国は同胞を拉致されても、取り返しもできません。」と…
あなたはどう報告できますか?
3.3へ続く…
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