ここのところブログアップのペースが落ちております。
体調不良も少しは回復し、1日24錠の投薬が1日15錠になりました。
さて、つい最近石垣市議の某議員が自衛隊の名誉を著しく毀損する発言をいたしました。
ネットでは随分話題になりましたが、メインストリームのメディアでは殆ど取り上げません。
その代わり連日、一幼稚園理事長のホラ吹き話しばかりです。
朝鮮半島の動乱すらあり、ミサイルまで撃ち込まれているのに、ええ歳のオッサンのホラ吹き話しの方が国益に適うという事でしょうか?
国会では我が身可愛い国会議員が、国益度外視の国会質疑に明け暮れ毎日毎日、血税から二億円をドブに捨てる始末。
戦前の日本に近い状態ですよ。
戦前の日本が軍国主義だなんて話しじゃない。
こうやって国会が、我が身可愛い政治家の場にされている間に重大な事態を決め切れずにいた。
その間に起きたのが通州事件に代表される邦人大虐殺なんです。
遡れば、このくだらないやり取りの隙を突かれて起こったのが北朝鮮による日本人拉致でもある。
その事を我々は忘れてはいけません。
そして挙句にはこのバカ女の発言です。
このバカ女は日本語が読めないのか、歴史を全く知らないのか…
まぁ、とにかく
治療が必要なバカです
先の大戦後に出来た憲法9条。
では、先達はこの9条を手に入れる為に命を懸けたのか?
此れ程バカな発言をする議員に血税から歳費を払ってあたる
そのことをしっかり我が身に引きつけ考えなければならない!
この言説を肯定したなら、歴史を全て書き換えなければなりませんよ!
このバカ女の発言を肯定するなら先の大戦で『この戦争は後に憲法9条なる条文がアメリカ様が与えてくれるぞ』と戦ったのだ!
と、しなければならなくなります。
少なくとも、明治維新後の我が国は日清、日露、第一次世界大戦、そして大東亜戦争が全て憲法9条を頂く為の戦いだったと言わねばなりません。
そしてこの石垣市議のブサイクな女の発言に、72年かけて辿りついたと言う事でしょうか?
世界で誰も持とうとしない憲法、敗戦後72年経った現在も紛争は絶えません。
人が殺しあうことに疲れた地域でも、人々は我々日本が、アホみたいに有り難がる憲法9条を持とう!等という運動はありません。
憲法前文や、憲法9条が平和主義・平和憲法ならば、何故拉致被害者がいるのか?
とうの昔にその平和主義を破られているのです。
我が国を『平和ボケ』と揶揄する向きもありますが、これはボケではありません。
平和を知らない
ただ、それだけ。
私も含めて、皆平和など知らんのです。
簡単な話しです。
平和など知らんのですから、平和主義など一体なんのかわからんのです。
『平和』等と言う定義すら曖昧なものを真面目に信じ実現しようとしているのですから、こんなアホなことはありません。
現在の日本人に聞けば日本は平和じゃないかという答えが多数でしょう。
じゃ平和とは?
そう問えば『戦争もなく、誰もそれで死なないこと』なんて答える人を多数見かけます。
その実態は
今日、私自身か戦争に巻き込まれず今日生きて、明日も生きて死なずに自由に生きている
その事を平和だと言っているに過ぎません。
それは兎にも角にも、戦前の自国を否定して戦後の我々こそが正しいと思い込んでいるからです。
明らかに現在の我が国は、敗戦後にアメリカから持ち込まれたシステムを僅かながら日本風にアレンジしているだけです。
2000年を超える歴史の中で僅か72年程度の話しです。
そんな歴史を持ちながら、たかが当時200年たらずの国が押し付けた、持ち込んだシステムを有り難がる。
2000年を超える我が国の統治システムを封建的だの軍国主義だのと悪者にして否定しているだけです。
我が国には我が国の国柄があり、独自の文化があります。
明治維新後、我が国は他国の列強と肩を並べる為に憲法を作った。
しかし、時間のない中でも次世代のリーダーたる伊藤博文をヨーロッパに留学させたのです。
憲法一つ作る為にそこまで時間をかけたのです。
それでも生煮えの憲法しか出来なかった。
では現在の憲法はどうでしょうか?
アメリカ人のド素人が僅か一週間や十日程度で作った草案を、たった二日で翻訳した生煮えどころか、生です。
具材を鍋にぶち込んだだけ。
そんな憲法です。
先の共産党バカ女議員の言説を肯定するならば、この鍋に具材をぶち込んだだけの憲法の為に
310万もの犠牲を払ったのだ!
そう言う事になります。
世界で戦争に負け、勝った側に法を侵されたのは我が国とドイツです。
しかし、ドイツは敗戦の経験が豊富だった為にどうすれば良いか、負けた時の振る舞いを知っていたのです。
だから憲法などにせず基本法とした。
だから戦後六十数回改正し、自らのオリジナルに作り変えたのです。
しかし我が国は敗戦の経験が無い。
無いが故に負けた時の振る舞いを知らない。
知らなかったばかりに勝った国の言う事を受け入れなければならないと勘違いした。
だから、くだらぬ憲法を受け入れた。
しかしこのくだらぬ憲法と言え、アメリカは占領統治する為にだけ押し付けたのです。
だからこそ改正の為に高いハードルを付けたのです。
しかし、この高いハードルもいずれ日本が主権を回復したなら、それは一晩のうちに易々と越えて自らの憲法を作るだろうと考えていたのです。
つまりこの憲法は占領統治日本製であってメイドインジャパンではないのです。
だからこそ、せめてメイドインジャパンの憲法にしなければなりません。
たった一度戦争に負けたからと、それまでの2000年を超える歴史を否定するなどバカを通り越してキチガイです。
我が国はずっと民主主義です。
何も敗戦後に白人様から教わったのでもない。
それは天皇を中心に民は皆平等。
民は皆一つの家族だ。
そう言う民主主義です。
だからこそ、政を行う権力の上に不変の権威を戴くのです。
権威とは即ち『天皇陛下』です。
その権威は民こそ大事、あなたこそ大切、大切な民の為に祈ると言う。
そして権力に向かいこう言うのです
和を以て尊しとなせ
万機公論に決すべし
和を以て尊しとは、諍いをするなとか曖昧に和を保てと言っているのではありません。
これは
多数決による事なく、議論を尽くし一致点を見いだせ
そう言う意味です。
他の意見を排除する事なく、違う意見に耳を傾け議論を尽くせ、よって後に一致点を見いだせ。
議論して一致点を見いだす。
更に議論して一致点を見いだす。
そうやって議論を尽くし、煮詰めていき最後に残る部分を考えろと。
そこまで煮詰めてなら、多数決を取ろうと迷う事はないのです。
万機公論に決すべし!も意味は同じです。
これが例えば、十七条憲法や五箇条の御誓文の第一条に来るのです。
私は日本の国柄や文化、伝統を見れば我が国の憲法はこれで良いと思います。
行動規範です。
我が国の憲法はこの行動規範だけを明記すれば良い。
後は基本法を憲法にぶら下げれば良いのです。
とこが、我が国の統治システムはどうか?
議論も尽くさず、違う意見は排除する
そんな事になってはいませんか?
例えば拉致についても、SNS等で随分広がりを見せている昨今、そのやり方が正しいとし、違う意見を排除そる向きも多々見受けます。
これでは目的は見えません。
拉致被害者を救出(奪還ではない救出です)したいのか?
拉致被害者救出の活動をしたいのか?
私は後者に重きを置いている人をよく見かけます。
先の話しに戻るならば第一義は拉致被害者救出であって、活動はその目的を達成する為の手段であるはずです。
活動がしたいが為の活動をしたいのか?
私は時々、そう感じる時があります。
行動規範は拉致被害者救出で、それを実現する方法が啓蒙であったり、法理論を構築すると言ったことでしょう。
難しく考えなくても良い話しです。
和を以て尊しとなす
そう言っているじゃないですか!
何が正しいか?
何が必要か?
議論を尽くせと言っているじゃないですか!
それが出来ない現代日本。
我々は我々の国柄や文化や伝統という根っこを今一度見つめ直すことが必要なのです。
体調不良も少しは回復し、1日24錠の投薬が1日15錠になりました。
さて、つい最近石垣市議の某議員が自衛隊の名誉を著しく毀損する発言をいたしました。
ネットでは随分話題になりましたが、メインストリームのメディアでは殆ど取り上げません。
その代わり連日、一幼稚園理事長のホラ吹き話しばかりです。
朝鮮半島の動乱すらあり、ミサイルまで撃ち込まれているのに、ええ歳のオッサンのホラ吹き話しの方が国益に適うという事でしょうか?
国会では我が身可愛い国会議員が、国益度外視の国会質疑に明け暮れ毎日毎日、血税から二億円をドブに捨てる始末。
戦前の日本に近い状態ですよ。
戦前の日本が軍国主義だなんて話しじゃない。
こうやって国会が、我が身可愛い政治家の場にされている間に重大な事態を決め切れずにいた。
その間に起きたのが通州事件に代表される邦人大虐殺なんです。
遡れば、このくだらないやり取りの隙を突かれて起こったのが北朝鮮による日本人拉致でもある。
その事を我々は忘れてはいけません。
そして挙句にはこのバカ女の発言です。
このバカ女は日本語が読めないのか、歴史を全く知らないのか…
まぁ、とにかく
治療が必要なバカです
先の大戦後に出来た憲法9条。
では、先達はこの9条を手に入れる為に命を懸けたのか?
此れ程バカな発言をする議員に血税から歳費を払ってあたる
そのことをしっかり我が身に引きつけ考えなければならない!
この言説を肯定したなら、歴史を全て書き換えなければなりませんよ!
このバカ女の発言を肯定するなら先の大戦で『この戦争は後に憲法9条なる条文がアメリカ様が与えてくれるぞ』と戦ったのだ!
と、しなければならなくなります。
少なくとも、明治維新後の我が国は日清、日露、第一次世界大戦、そして大東亜戦争が全て憲法9条を頂く為の戦いだったと言わねばなりません。
そしてこの石垣市議のブサイクな女の発言に、72年かけて辿りついたと言う事でしょうか?
世界で誰も持とうとしない憲法、敗戦後72年経った現在も紛争は絶えません。
人が殺しあうことに疲れた地域でも、人々は我々日本が、アホみたいに有り難がる憲法9条を持とう!等という運動はありません。
憲法前文や、憲法9条が平和主義・平和憲法ならば、何故拉致被害者がいるのか?
とうの昔にその平和主義を破られているのです。
いつ迄平和と思っているのか
我が国を『平和ボケ』と揶揄する向きもありますが、これはボケではありません。
平和を知らない
ただ、それだけ。
私も含めて、皆平和など知らんのです。
簡単な話しです。
平和など知らんのですから、平和主義など一体なんのかわからんのです。
『平和』等と言う定義すら曖昧なものを真面目に信じ実現しようとしているのですから、こんなアホなことはありません。
現在の日本人に聞けば日本は平和じゃないかという答えが多数でしょう。
じゃ平和とは?
そう問えば『戦争もなく、誰もそれで死なないこと』なんて答える人を多数見かけます。
その実態は
今日、私自身か戦争に巻き込まれず今日生きて、明日も生きて死なずに自由に生きている
その事を平和だと言っているに過ぎません。
それは兎にも角にも、戦前の自国を否定して戦後の我々こそが正しいと思い込んでいるからです。
明らかに現在の我が国は、敗戦後にアメリカから持ち込まれたシステムを僅かながら日本風にアレンジしているだけです。
2000年を超える歴史の中で僅か72年程度の話しです。
そんな歴史を持ちながら、たかが当時200年たらずの国が押し付けた、持ち込んだシステムを有り難がる。
2000年を超える我が国の統治システムを封建的だの軍国主義だのと悪者にして否定しているだけです。
我が国には我が国の国柄があり、独自の文化があります。
明治維新後、我が国は他国の列強と肩を並べる為に憲法を作った。
しかし、時間のない中でも次世代のリーダーたる伊藤博文をヨーロッパに留学させたのです。
憲法一つ作る為にそこまで時間をかけたのです。
それでも生煮えの憲法しか出来なかった。
では現在の憲法はどうでしょうか?
アメリカ人のド素人が僅か一週間や十日程度で作った草案を、たった二日で翻訳した生煮えどころか、生です。
具材を鍋にぶち込んだだけ。
そんな憲法です。
先の共産党バカ女議員の言説を肯定するならば、この鍋に具材をぶち込んだだけの憲法の為に
310万もの犠牲を払ったのだ!
そう言う事になります。
世界で戦争に負け、勝った側に法を侵されたのは我が国とドイツです。
しかし、ドイツは敗戦の経験が豊富だった為にどうすれば良いか、負けた時の振る舞いを知っていたのです。
だから憲法などにせず基本法とした。
だから戦後六十数回改正し、自らのオリジナルに作り変えたのです。
しかし我が国は敗戦の経験が無い。
無いが故に負けた時の振る舞いを知らない。
知らなかったばかりに勝った国の言う事を受け入れなければならないと勘違いした。
だから、くだらぬ憲法を受け入れた。
しかしこのくだらぬ憲法と言え、アメリカは占領統治する為にだけ押し付けたのです。
だからこそ改正の為に高いハードルを付けたのです。
しかし、この高いハードルもいずれ日本が主権を回復したなら、それは一晩のうちに易々と越えて自らの憲法を作るだろうと考えていたのです。
つまりこの憲法は占領統治日本製であってメイドインジャパンではないのです。
だからこそ、せめてメイドインジャパンの憲法にしなければなりません。
たった一度戦争に負けたからと、それまでの2000年を超える歴史を否定するなどバカを通り越してキチガイです。
オリジナル
我が国はずっと民主主義です。
何も敗戦後に白人様から教わったのでもない。
それは天皇を中心に民は皆平等。
民は皆一つの家族だ。
そう言う民主主義です。
だからこそ、政を行う権力の上に不変の権威を戴くのです。
権威とは即ち『天皇陛下』です。
その権威は民こそ大事、あなたこそ大切、大切な民の為に祈ると言う。
そして権力に向かいこう言うのです
和を以て尊しとなせ
万機公論に決すべし
和を以て尊しとは、諍いをするなとか曖昧に和を保てと言っているのではありません。
これは
多数決による事なく、議論を尽くし一致点を見いだせ
そう言う意味です。
他の意見を排除する事なく、違う意見に耳を傾け議論を尽くせ、よって後に一致点を見いだせ。
議論して一致点を見いだす。
更に議論して一致点を見いだす。
そうやって議論を尽くし、煮詰めていき最後に残る部分を考えろと。
そこまで煮詰めてなら、多数決を取ろうと迷う事はないのです。
万機公論に決すべし!も意味は同じです。
これが例えば、十七条憲法や五箇条の御誓文の第一条に来るのです。
私は日本の国柄や文化、伝統を見れば我が国の憲法はこれで良いと思います。
行動規範です。
我が国の憲法はこの行動規範だけを明記すれば良い。
後は基本法を憲法にぶら下げれば良いのです。
とこが、我が国の統治システムはどうか?
議論も尽くさず、違う意見は排除する
そんな事になってはいませんか?
例えば拉致についても、SNS等で随分広がりを見せている昨今、そのやり方が正しいとし、違う意見を排除そる向きも多々見受けます。
これでは目的は見えません。
拉致被害者を救出(奪還ではない救出です)したいのか?
拉致被害者救出の活動をしたいのか?
私は後者に重きを置いている人をよく見かけます。
先の話しに戻るならば第一義は拉致被害者救出であって、活動はその目的を達成する為の手段であるはずです。
活動がしたいが為の活動をしたいのか?
私は時々、そう感じる時があります。
行動規範は拉致被害者救出で、それを実現する方法が啓蒙であったり、法理論を構築すると言ったことでしょう。
難しく考えなくても良い話しです。
和を以て尊しとなす
そう言っているじゃないですか!
何が正しいか?
何が必要か?
議論を尽くせと言っているじゃないですか!
それが出来ない現代日本。
我々は我々の国柄や文化や伝統という根っこを今一度見つめ直すことが必要なのです。