お久しぶりの古事記です。
前回のおさらいはここです
統治の話し
前回は「天皇がなぜ天皇なのか?」に触れました。
それは神々の総意だからですね。
神々の総意は宇宙の真理です。
「出世したい!」とか「自分の国を持つぞ」とか、そんな思い上がりではありません。
この古事記の国譲りの物語を読んでもらうと解りますが。
結論から先に話しますと、大国主神には葦原中国つまり地上世界を統治する立場にありません。
大国主神がいくら自分の国を作っても統治権は生じませんね。
あくまで天照大御神が統治する。
その補佐をするのが大国主神の立場です。
それは今も同じですね。
内閣総理大臣がいくら立派で素晴らしく国を治め様と自分の国にはなりません。
これは簡単な話しです。
内閣総理大臣を任命するのは天皇陛下だからです
統治権というのは天皇陛下にあるのです。
この統治権をアホの左翼は解っていません。
統治権とはあくまで統治です。
自らの主権を主張して国を好きな様にする立場ではありません。
天皇陛下は皆が話し合い決定したことに「では、そうしなさい」と言うだけです。
よく、アホで低脳な左翼は先の大戦を持ち出して天皇戦争責任を吠えますね。
天皇は陸海軍の統帥権があった!
これを持ち出します。
統帥権とは「広く軍を見ている」ということです。
天皇陛下が直接指揮をとる指揮権はありません。
統治権も同じですね。
「広く民と国を見ている」と言う事です。
大国主神は自分の為の国作りをしている訳じゃない!
これが大前提です。
天つ神々を補佐する形で国を作っている。
そういう物語になっているのです。
古来から日本の統治はそうなんです。
日本はシラスの国です。
シラスとは統治という意味です。
天皇のもと民は皆同じ。
皆、平等ということです。
逆に世界はウシハクです。
ウシハクとは、ウシは主という意味でハクは持ち物です。
全ての物や人に至るまで主のもの。
民は平等ではないのです。
しかし、統治すると言っても国をしっかり作って行かねばなりません。
そこで天皇陛下が、その仕事をする者を任命するのです。
今ならば安倍晋三内閣総理大臣となりますね。
会社なら社長。
学校なら校長。
集団を纏め上げ、民が幸福に暮らす国や、子供達が将来の為にしっかりと勉強出来る様に管理したりしなければなりません。
しかし、一度「長」となり人の上に立つこと、つまり支配を否が応でもしなければならない。
その特権的立場を日本はウシハクだとバッサリ切り捨てたのです。
ここが世界には全くない日本の統治システムなんです。
戦国武将がいくら天下を取っても、それは「ウシハク」だ!と言っているんです。
徳川家康と言えど単なる「将軍」です。
天皇陛下の地位を奪おうとは考えていません。
封建体制に有ろうと、ここが日本の根幹なんですね。
ですから幕末に最後の将軍徳川慶喜公はシラス統治に立ち返り大政奉還をしたのです。
未だ世界はウシハクです。
アメリカもウシハクです。大統領の立場はウシハクということでです。
ですから責任者を選ぶことは、とても大事なのです。
また、責任者は「自分がウシハクである」と立場を充分理解しなければなりません。
いつでも責任者はウシハクの責任を取り腹を切る!
その覚悟が必要なのです。
天皇の国策決定
日本史上、天皇陛下が国策を決定したのは数えるほどしかありません。
天皇不親政の原則
不親政とは天皇は直接、政治の意思決定をしないと言う事です。
これは歴史の事実で、徹底されてきました。
天皇が国策を決定する様な事態は「国家存亡の危機」の時です。
終戦の御聖断。
ポツダム宣言受諾に際し、政府は国策決定力を失っていました。
それで御前会議で意見が真っ二つに割れました。
そこで当時の総理大臣鈴木貫太郎が「本来であれば議長である自分の一票で決すべきであるが、この決定は余りに重い、従って陛下の御聖断を仰ぎたい」と。
すると昭和天皇は、お立ちになり「自分は外務大臣に賛成である」と仰せられポツダム宣言受諾が決定しました。
これは映画「日本の一番長い日」でも描かれていました。機会があればご覧下さい。
それより前の国策決定と言えば孝明天皇です。
幕末の動乱期に幕府が崩れ、一時的に朝廷に国家権力が集中しました。
この集中した数ヶ月間、孝明天皇の言葉により国策が決定してゆくというのがありました。
これは、それより遡ること700年。
後醍醐天皇以来のことです。
幕末期は正に国家存亡の危機です。
後醍醐天皇以降は武家政権が長かったので、天皇が国策決定をする事はなかったのです。
幕末は久しぶりの天皇親政という訳です。
また後醍醐天皇も久しぶりの天皇親政だったのです。
それ以前と言えば、天智天皇、天武天皇、持統天皇、醍醐天皇、宇多天皇ぐらいではありませんかね。
さらにさらに遡り古墳時代となれば天皇は祭司王ですから、豪族同士が合議をします。
そこで国策を決定しますから、天皇自ら国策決定する事はなかったのです。
アホ左翼はこの歴史的事実が解ってません。
アホですからね。
だから昔ほど「絶対王政」みたいに吠えるのです。
大王が国の政治を自由に動かした!
そんな様に考えてます。
先ずアホは事実が理解出来ず、自らの主張に合う様に歪曲します。
これが毎度私が言う「観念論」です。
観念論は情報の欠乏が原因です。
つまり、歴史の真実が理解出来ぬアホです。
天皇とは最初から祈る「存在」であって政治の意思決定をする役割ではなかった!
と、言う事です。
ですから日本の統治とは「天皇の名において政治を施行した」と。
それは天上界においても、八百万の神々が合議をして、それを天照大御神の詔を頂き実行する。
これが意思決定のシステムです。
前回のおさらいはここです
統治の話し
前回は「天皇がなぜ天皇なのか?」に触れました。
それは神々の総意だからですね。
神々の総意は宇宙の真理です。
「出世したい!」とか「自分の国を持つぞ」とか、そんな思い上がりではありません。
この古事記の国譲りの物語を読んでもらうと解りますが。
結論から先に話しますと、大国主神には葦原中国つまり地上世界を統治する立場にありません。
大国主神がいくら自分の国を作っても統治権は生じませんね。
あくまで天照大御神が統治する。
その補佐をするのが大国主神の立場です。
それは今も同じですね。
内閣総理大臣がいくら立派で素晴らしく国を治め様と自分の国にはなりません。
これは簡単な話しです。
内閣総理大臣を任命するのは天皇陛下だからです
統治権というのは天皇陛下にあるのです。
この統治権をアホの左翼は解っていません。
統治権とはあくまで統治です。
自らの主権を主張して国を好きな様にする立場ではありません。
天皇陛下は皆が話し合い決定したことに「では、そうしなさい」と言うだけです。
よく、アホで低脳な左翼は先の大戦を持ち出して天皇戦争責任を吠えますね。
天皇は陸海軍の統帥権があった!
これを持ち出します。
統帥権とは「広く軍を見ている」ということです。
天皇陛下が直接指揮をとる指揮権はありません。
統治権も同じですね。
「広く民と国を見ている」と言う事です。
大国主神は自分の為の国作りをしている訳じゃない!
これが大前提です。
天つ神々を補佐する形で国を作っている。
そういう物語になっているのです。
古来から日本の統治はそうなんです。
日本はシラスの国です。
シラスとは統治という意味です。
天皇のもと民は皆同じ。
皆、平等ということです。
逆に世界はウシハクです。
ウシハクとは、ウシは主という意味でハクは持ち物です。
全ての物や人に至るまで主のもの。
民は平等ではないのです。
しかし、統治すると言っても国をしっかり作って行かねばなりません。
そこで天皇陛下が、その仕事をする者を任命するのです。
今ならば安倍晋三内閣総理大臣となりますね。
会社なら社長。
学校なら校長。
集団を纏め上げ、民が幸福に暮らす国や、子供達が将来の為にしっかりと勉強出来る様に管理したりしなければなりません。
しかし、一度「長」となり人の上に立つこと、つまり支配を否が応でもしなければならない。
その特権的立場を日本はウシハクだとバッサリ切り捨てたのです。
ここが世界には全くない日本の統治システムなんです。
戦国武将がいくら天下を取っても、それは「ウシハク」だ!と言っているんです。
徳川家康と言えど単なる「将軍」です。
天皇陛下の地位を奪おうとは考えていません。
封建体制に有ろうと、ここが日本の根幹なんですね。
ですから幕末に最後の将軍徳川慶喜公はシラス統治に立ち返り大政奉還をしたのです。
未だ世界はウシハクです。
アメリカもウシハクです。大統領の立場はウシハクということでです。
ですから責任者を選ぶことは、とても大事なのです。
また、責任者は「自分がウシハクである」と立場を充分理解しなければなりません。
いつでも責任者はウシハクの責任を取り腹を切る!
その覚悟が必要なのです。
天皇の国策決定
日本史上、天皇陛下が国策を決定したのは数えるほどしかありません。
天皇不親政の原則
不親政とは天皇は直接、政治の意思決定をしないと言う事です。
これは歴史の事実で、徹底されてきました。
天皇が国策を決定する様な事態は「国家存亡の危機」の時です。
終戦の御聖断。
ポツダム宣言受諾に際し、政府は国策決定力を失っていました。
それで御前会議で意見が真っ二つに割れました。
そこで当時の総理大臣鈴木貫太郎が「本来であれば議長である自分の一票で決すべきであるが、この決定は余りに重い、従って陛下の御聖断を仰ぎたい」と。
すると昭和天皇は、お立ちになり「自分は外務大臣に賛成である」と仰せられポツダム宣言受諾が決定しました。
これは映画「日本の一番長い日」でも描かれていました。機会があればご覧下さい。
それより前の国策決定と言えば孝明天皇です。
幕末の動乱期に幕府が崩れ、一時的に朝廷に国家権力が集中しました。
この集中した数ヶ月間、孝明天皇の言葉により国策が決定してゆくというのがありました。
これは、それより遡ること700年。
後醍醐天皇以来のことです。
幕末期は正に国家存亡の危機です。
後醍醐天皇以降は武家政権が長かったので、天皇が国策決定をする事はなかったのです。
幕末は久しぶりの天皇親政という訳です。
また後醍醐天皇も久しぶりの天皇親政だったのです。
それ以前と言えば、天智天皇、天武天皇、持統天皇、醍醐天皇、宇多天皇ぐらいではありませんかね。
さらにさらに遡り古墳時代となれば天皇は祭司王ですから、豪族同士が合議をします。
そこで国策を決定しますから、天皇自ら国策決定する事はなかったのです。
アホ左翼はこの歴史的事実が解ってません。
アホですからね。
だから昔ほど「絶対王政」みたいに吠えるのです。
大王が国の政治を自由に動かした!
そんな様に考えてます。
先ずアホは事実が理解出来ず、自らの主張に合う様に歪曲します。
これが毎度私が言う「観念論」です。
観念論は情報の欠乏が原因です。
つまり、歴史の真実が理解出来ぬアホです。
天皇とは最初から祈る「存在」であって政治の意思決定をする役割ではなかった!
と、言う事です。
ですから日本の統治とは「天皇の名において政治を施行した」と。
それは天上界においても、八百万の神々が合議をして、それを天照大御神の詔を頂き実行する。
これが意思決定のシステムです。