記者会見
やがて記者会見がネットでアップされ、全部を見ました。
安倍晋三首相からの言葉。
そして青山繁晴さん自身の理念。
更に
企業、団体はもちろんのこと、個人からの献金を一切受け取らない!
団体票、組織票を集める事はしないので政治資金集めのパーティを一切やらない!
政治はボランティア、だから一期だけ!
政治を職業にしない為に、自分を売り込むことをやらない!
青山繁晴さんらしい主張だと思いました。
しかし、それで本当にやれるのか?
そういう疑問も同時に湧いて来ました。
わださん
IDC会員のわださん、よりリプライを頂きました。
わださんのお話しは、全部は話せませんが、この様な趣旨を申されました。
「作家としても脂の乗り切った今を捨ててまで出馬する事は私事を脱し余りある」
高齢化していく拉致被害者や家族、もう時間はあまりない。
その中にあって、自らを捨ててこそ浮かぶ瀬もあると。
「私は私が惚れた漢(おとこ)を支えるだけです」
と、最後に仰りました。
長年「議員は嫌だ」と言っていた人が「もうテレビやラジオに出ているだけでは間に合わない」と、議員になったとて何の得もありません。
今までの業務にさらに議員と言う仕事が増えるわけです。
物書きは政治家になると本は売れなくなります。
それでも、やらねばならないと。
そう考えれば、私の反対意見などはただの「私事」であると思いました。
変える
一切の献金を受け取らず。
一期しかやらず。
選挙戦は勿論のこと、議員となってもこれを貫くと発言しています。
これは青山繁晴さんの理念から来る言葉です。
「政治はボランティア」
だから、受け取るのは歳費と経費だけ。
現在の選挙制度を変えなければならない。
参議院議員は数を減らし、ボランティアで良い。
だからこその発言です。
先日、独立講演会に参加しました。
その際の青山繁晴さんの話しです。
「日本の法律は、法律を守ると言いながら実は法律で出来るギリギリを探す事に終始している」
「法律は法律の理念に沿って、一番厳しいところを実行するのが法律だ!」
「ギリギリのグレーゾーンを歩くから、舛添要一の様な法は犯さずとも、不適切になる」
諸外国では法は最も重要な真ん中を取るものです、しかし日本では法はギリギリを探す事になっています。
だから、青山さんは法律の一番厳しいところを実行すると発言しています。
ボランティアの力を借りて選挙を戦います。
しかし、ボランティアに水一杯すら出さない、完全な手弁当。
法律の一番厳しいところを取ると、水一杯出さない事になります。
それでもボランティア募集には対応し切れない程の応募があるのです。
これは何を意味するのか?
それは、この青山繁晴という候補者が行う選挙、更に当選してからの議員活動、それらが実現するなら日本の選挙や政治を変えることになります。
献金も受け取らず、我々主権者の善意と志しのみを頼りに議員活動を行う事は、今までの政治が一体何なのか?
そのような問題提起することになります。
政治には金がかかる。
そんなことを覆すことになります。
これは決意です
この青山繁晴さんの理念が実現するなら、日本は変わります。
新しい我が国の夜明けが来るのです。
自民党公認で立候補した事を好ましくないと思う方もおられるでしょう。
しかし、無所属で出馬して当選しても質問時間すらありません。
質問時間を得る為には例えば自民党と会派を組まねばなりません。
それでは既に支持者を裏切ることになります。
ならば、鯨の腹に入り内部からつき崩す。
あえて己を捨て、批判を覚悟で実を取る。
また、日和らない、この青山繁晴という男に「質問をしてくれ」と自らの立場を超えて出馬要請をした安倍晋三という男の肝の座り方。
イギリスのEU離脱を見ても、世界は内向きになり、自国優先の世界になって行く。
これは先の大戦で勝った国の秩序が僅か70年余で崩壊してきたという事です。
この世界が壊れて行く中でこそ、我々の祖国の出番が来たのです。
「当選したからと、万歳なんか出来ない!拉致被害者が帰って来た時こそが万歳をする時だ!」
こう演説をする青山繁晴という男。
これは我々主権者の希望になるのではないでしょうか。
主権者、主人公という立場を捨て我々主権者の代理人というしんどい立場になる。
私は強く支持すると共に、主権者として積極的に我が祖国に関わるという決意でもあります。
我が身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。
日本の夜明け
まだ見ぬ朝(あした)への祈りです。
やがて記者会見がネットでアップされ、全部を見ました。
安倍晋三首相からの言葉。
そして青山繁晴さん自身の理念。
更に
企業、団体はもちろんのこと、個人からの献金を一切受け取らない!
団体票、組織票を集める事はしないので政治資金集めのパーティを一切やらない!
政治はボランティア、だから一期だけ!
政治を職業にしない為に、自分を売り込むことをやらない!
青山繁晴さんらしい主張だと思いました。
しかし、それで本当にやれるのか?
そういう疑問も同時に湧いて来ました。
わださん
IDC会員のわださん、よりリプライを頂きました。
わださんのお話しは、全部は話せませんが、この様な趣旨を申されました。
「作家としても脂の乗り切った今を捨ててまで出馬する事は私事を脱し余りある」
高齢化していく拉致被害者や家族、もう時間はあまりない。
その中にあって、自らを捨ててこそ浮かぶ瀬もあると。
「私は私が惚れた漢(おとこ)を支えるだけです」
と、最後に仰りました。
長年「議員は嫌だ」と言っていた人が「もうテレビやラジオに出ているだけでは間に合わない」と、議員になったとて何の得もありません。
今までの業務にさらに議員と言う仕事が増えるわけです。
物書きは政治家になると本は売れなくなります。
それでも、やらねばならないと。
そう考えれば、私の反対意見などはただの「私事」であると思いました。
変える
一切の献金を受け取らず。
一期しかやらず。
選挙戦は勿論のこと、議員となってもこれを貫くと発言しています。
これは青山繁晴さんの理念から来る言葉です。
「政治はボランティア」
だから、受け取るのは歳費と経費だけ。
現在の選挙制度を変えなければならない。
参議院議員は数を減らし、ボランティアで良い。
だからこその発言です。
先日、独立講演会に参加しました。
その際の青山繁晴さんの話しです。
「日本の法律は、法律を守ると言いながら実は法律で出来るギリギリを探す事に終始している」
「法律は法律の理念に沿って、一番厳しいところを実行するのが法律だ!」
「ギリギリのグレーゾーンを歩くから、舛添要一の様な法は犯さずとも、不適切になる」
諸外国では法は最も重要な真ん中を取るものです、しかし日本では法はギリギリを探す事になっています。
だから、青山さんは法律の一番厳しいところを実行すると発言しています。
ボランティアの力を借りて選挙を戦います。
しかし、ボランティアに水一杯すら出さない、完全な手弁当。
法律の一番厳しいところを取ると、水一杯出さない事になります。
それでもボランティア募集には対応し切れない程の応募があるのです。
これは何を意味するのか?
それは、この青山繁晴という候補者が行う選挙、更に当選してからの議員活動、それらが実現するなら日本の選挙や政治を変えることになります。
献金も受け取らず、我々主権者の善意と志しのみを頼りに議員活動を行う事は、今までの政治が一体何なのか?
そのような問題提起することになります。
政治には金がかかる。
そんなことを覆すことになります。
これは決意です
この青山繁晴さんの理念が実現するなら、日本は変わります。
新しい我が国の夜明けが来るのです。
自民党公認で立候補した事を好ましくないと思う方もおられるでしょう。
しかし、無所属で出馬して当選しても質問時間すらありません。
質問時間を得る為には例えば自民党と会派を組まねばなりません。
それでは既に支持者を裏切ることになります。
ならば、鯨の腹に入り内部からつき崩す。
あえて己を捨て、批判を覚悟で実を取る。
また、日和らない、この青山繁晴という男に「質問をしてくれ」と自らの立場を超えて出馬要請をした安倍晋三という男の肝の座り方。
イギリスのEU離脱を見ても、世界は内向きになり、自国優先の世界になって行く。
これは先の大戦で勝った国の秩序が僅か70年余で崩壊してきたという事です。
この世界が壊れて行く中でこそ、我々の祖国の出番が来たのです。
「当選したからと、万歳なんか出来ない!拉致被害者が帰って来た時こそが万歳をする時だ!」
こう演説をする青山繁晴という男。
これは我々主権者の希望になるのではないでしょうか。
主権者、主人公という立場を捨て我々主権者の代理人というしんどい立場になる。
私は強く支持すると共に、主権者として積極的に我が祖国に関わるという決意でもあります。
我が身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。
日本の夜明け
まだ見ぬ朝(あした)への祈りです。