犬神スケキヨ~さざれ石

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思いを致す

2016-09-28 14:00:59 | 草莽崛起
さてさて少し間が空いてしまいました。

ご存知の方もおられると思いますが、ツイキャスなるものを始めてみました。

ツイキャスアカウント

ここまで計三回配信いたしまして。

第一回には行橋市小坪議員にも参加頂きました。
第二回はダラダラとやりまして、夜遅くには下ネタ大会になるという大人の時間でした。
第三回は約3時間ほどを一人で話切りました。

宜しければツイキャスのフォローなどして頂きましたら有り難いです。

この地味ブログで発信して来ましたが、合わせて直接皆さんに話しかけることで更に伝わる事もあるのではないか?
その様な趣旨で始めてみました。

ツイキャスの私のページには過去三回の録画アップしてますので、お暇な時間にでも飛ばし飛ばし見て、と言うか聞いていただけたらと思います。

不定期ながら、ツイキャスでも発信して参りますので、その際は一度御視聴下さい。

足元を見る

今回は第三回にてツイキャスで話した事を文字にしてみようという試みです。

と、言っても発信そのものを文字起こしするのではなく話した内容を、ブログに置き換えて話してみたいと思います。

話した内容は、特に意見の違いがある事がらだと思います。
それを敢えて発信してみました。

世の人の中には『他者の意見』を認めない人もいます。
自分の意見が正しい!
そう思って他者を攻撃する人もいて、それは右とか左とか、保守だリベラルだ、関係なくいます。
反日の連中でも仲間同志で内ゲバ張りのモメ事を起こしたり、或いは保守を標榜する人でも気に入らない人を攻撃したり。

ネット上では、よく見かけます。

明らかに間違った行為や間違った認識に対しては抗議や意見をしても構わないでしょうが、そうではない単なる見解の相違などをあげつらうとか、上げ足を取るなんてのは気をつけなければなりませんね。

むしろこうした事は、幾ら意見や見解が正しいとしても人に受け入れられるものではありません。

事実、根拠、論理性をよく考えなければなりませんね。

その上で、このブログやツイキャスで述べる私の意見はあくまで私の意見であり見解であり、そして問題提起です。

私が正しい!なんて申すつもりはありません。
私が知りえた事実を基に、出来るだけ論理性を以って話そうとするもので、その私の意見をどう受け取って頂こうと構わないのです。

「あ〜確かにそうだな」とか「ん?そういう考えもあるのか」など様々でしょう。
「いや、お前は完全に間違ってる」と思う方もおられるでしょう。

それで、直近のツイキャスにおいては敢えて見解や意見の分かれるであろう話しをしてみました。

少し立ち止まってみませんか?

その様な問題提起をしてみようと考えたからです。

人も時間もどんどん流れ、ともすれば当初見えていた『目的』を見失ってしまいがちです。
少し立ち止まって今いる場所を見つめ直すことをしてみようと考えたからです。

日本の開戦

我が国は先の大戦に負けました。
負けたが故に変わってしまいました。
アホの反日にとっては現在の日本は正しい日本みたいです。
私にとっては『生き難い』日本です。

何故なら我が国は、本来の姿ではないからです。
日本人が日本人として生きる為に必要な日本ではないからです。

戦争に負けた、負けたが故に憲法を変えられ生き方を変えられているからです。

我が国が行なった戦争を賛美するつもりはありません。
しかし、我が国には我が国の大義名分があり、そして戦ったのです。
ひとたび戦争となれば多大なる犠牲を払わねばなりません。
しかし、我が国は国際条約を守りフェアに戦ったのです。
その事により、世界を変えたのです。

私は戦争そのものよりも開戦に至るプロセスがマズかったのではないかと考えます。

戦争をさけられたのか?
そう聞かれたら『世界の潮流』を見れば、まず避けらなかったであろうと考えます。
ならば、しっかりとした内容を持たねばならなかったと思います。

白人至上主義とも言える世界の中で、差別と搾取をされ続けた有色人種が立ち上がった戦争であった事は、これは事実を見ればわかります。
世界が帝国主義に走る中、有色人種国家で唯一白人と渡り合った我が国は、やはり白人相手の戦いを避けらなかったであろう。

ならば負けてはならない。

勝ちはなくとも負けてはならない。
後世に勝ちを委ねられる戦いをしなければならなかったのです。

日本は白人に仕掛けられた戦争をまともに戦ってしまった。
これがまず間違いです。

これにより大東亜宣言をしたにもかかわらず、これを後世なかった事にされてしまいました。

日本が主張したアジアの独立、アジアの自由、人種差別撤廃は白人達にとっては都合の悪いものばかりです。

経済封鎖をされ、資源を断たれては我が国は死活問題。
戦争と言うある種の極端な外交に出なければならないのです。

それは我が国の国柄をも無くしてしまいかねないからです。

世界と日本の労働に対する意識の違いも、その一面であるのです。
例えば、バブルが弾け経済が落ち込んだ近年を見れば理解出来ます。
長い不況の中で、庶民は喘いでいました。
年間の自殺者数は異常と思える人数となっていました。

しかし、クソ民主党政権から第二次安倍政権に移り『アベノミクス』により、失業率や就職率が改善されるにつれて自殺者数は減っていきました。
ここに、先の大戦に至るヒントが隠されています。

我が国は仕事がなくなると国民は死ぬ

そういう国なのです。

世界では労働は苦役です。
しかし、我が国の労働は歓びなのです。
白人にとって労働は苦役です。苦しい事はしたくない、だから代わりに奴隷に働かせて自分達はその労働で生じた利益を得ようとします。

しかし、奴隷などという概念もない日本人は『自ら働く事で利益を得て国を作る』意識です。
労働する事で国が栄え、皆が食える世を作る。
古事記にも示されたそれが根っこなのです。

他人に苦役を課して利益を得ようという概念がありません。
ですから我が国は奴隷など持った事はありません。

自分の労働で誰かの助けになっている。
誰かの労働で自分は生きている。
そうやって世の中成り立つんだ。

そう考える日本人にとって労働は生きる為に必要なものです。

経済封鎖をされ資源を断たれたらどうなるでしょうか?

物を作ろうにも資源がなければ作れません。
経済封鎖をされては経済活動が出来ません。
経済活動や物作りが出来なくなれば、それは働く事が出来なくなってしまいます。

つまり仕事がなくなってしまうのです。

我が国は仕事がなくなってしまうと国民は死ぬのです。

外圧に屈し、仕事がなくなって国民が死ねば国家は意味を無くします。
民族は滅んでしまいます。

やるべきだった

さて上記した事は開戦に踏み切った理由の一つで、これが全てではありませんが少し身近に感じられたのではないかと思います。

その上で、あの世界の潮流の中、戦争を避ける手段があったのか?
と、考えてみると、その手段は恐らく
天皇陛下と米国大統領の会見というウルトラCしかなかったであろうと思います。

それ以外にはハルノートと呼ばれる要求を受け入れるという方法はありますが、受け入れたなら先に述べように『国民は死ぬ』事になります。
だから、これをのまずに開戦したのです。

天皇陛下のお出ましを仰ぎ、米国大統領と会見して頂く事で戦争を避ける事は出来たかもわかりません。
実際当時の我が国首脳陣にも、この意見はありました。
しかしこれをやれば『天皇不親政』の原則を破り天皇の政治利用になってしまいます。

そして、戦争を避ければ『大東亜会議』における『大東亜宣言』をも自ら否定し、白人達の行うアジアやその他地域における植民地主義は未だ続いていた事でしょう。
アジアの盟主として、アジアの独立、人種差別撤廃を高らかに宣言した事も嘘になってしまいます。
他者の為にこそ生きる我が国の国柄を自ら否定してしまうのです。

これらを考えると開戦は避けることの出来ないものであったと思います。

ひとたび開戦したなら絶対に負けてはなりません。
崇高な理念を掲げても負けたが故に有りもしない罪を着せられるのです。
日本は侵略戦争をしたと言われてしまいます。

しかし、物量と経済規模、工業力を見れば米国有利であるのは間違いありません。
幾ら性能の良い航空機を開発しようとも、工業力に勝る米国は大量生産。
我が国は手作りレベルです。
負ける戦をせねばならない。

ならば、最悪負けてもより良い負けを得なければならず決して都市空襲や原爆による無辜の民の大虐殺を許してはなりません。

その為に我が国がやるべきだったことを幾つか考えてみます。

まず、突きつけられたハルノートについてです。

これは当時のハル長官が、いわば政府には黙って日本に突きつけたというもので、ルーズベルト大統領も知らなかったと言われています。

いや、例え知っていたとしても我が国はこのハルノートをつき返せば良かったのです。
その上でこの様な物は到底受け入れられるものではないとはっきり宣言する。
そして全世界に向けて発信するのです。

今般この様な要求を我が国は米国より突きつけられたが、この要求を飲めというならば、白人達はアジア他、南米やアフリカ、中東における人種差別を撤廃し植民地主義を辞め統治国の独立を認めて解放しろ!

と、全世界に宣言する。

その上で、これらを受け入れなければ日本は開戦に踏み切るとすれば良かった。
これにより我が国は侵略主義という誹りを免れ、更に期限を設け回答を求める事で戦線布告となり不意打ちの真珠湾という嘘の喧伝は成し得なくなるのです。

そして戦争する期間をある程度定めておき、無駄に戦線を拡大せずに常に講和の道を残して戦争をすれば良かったのです。

これに対しては、勿論違う意見はあるでしょう。

しかし、負けてもより良い負けとし、より少ない犠牲でアジアやその他地域の白人による植民地主義を砕き我が国が掲げた民族自決の理念を実現することが出来たのではないか?

そう、考えます。

我々は今現在も近隣国から国土と国家を狙われ、更にミサイルや核の脅威に晒されています。
その中で、いよいよ力を行使せねばならない事態も覚悟しなければならない恐れもあります。

未だ、連合国から見れば『敵国』である我が国が力を行使するのは容易ならざる状態です。
例え自衛権の範疇であっても難癖を付けられます。
過去の失敗を充分に理解し、現在考え得る事態に対処するズ太さを手に入れなければ腹黒い国際社会と渡り合うことは出来ません。

そうすれば、どう改憲するべきか?なども見えてくるのではないかと思います。

2へ続く

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