犬神スケキヨ~さざれ石

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古事記を摘んで日本を知る41

2016-11-09 17:13:57 | 古事記
古事記です。

なかなか、話しが進まぬ古事記シリーズ!

ここへ来て、まだ天孫は降臨してません!

古事記や日本書紀を物語りだけ話すなら、とっくに終わってるはず。

しかし、古事記には物語りに隠された意味を考えねばならないのです。
だからこそ古事記を摘んで日本を知る!なんです。

日本を知る為に色々話しを詰め込んで…
話しが長くなっています。

新嘗祭ですよ!新嘗祭!

11月23日は祝日です。

『勤労感謝の日』とか言われてます。

アホですか?

何が勤労感謝の日やねん!

何に感謝するんですか?

「今日は勤労感謝の日ね!ハイ!お父さんお疲れ様…」とか言ってビールでも出すんですか?
バカですか?

新嘗祭ですよ!新嘗祭!

宮中祭祀ですよ!

だから国民の休みなんです!

これも敗戦後のGHQの占領政策により、祝日の意味を壊されているのです。

日本の祝日は古事記や日本書紀が由来するのですよ!

新嘗祭は、天皇陛下が天照大御神に五穀豊穣を感謝して、一年のご報告をする日なんです。

特に天皇陛下が即位された年は大嘗祭(だいじょうさい)と言って重要で御代代わりを報告もいたします。

この新嘗祭が済んで、初めて天皇陛下は新米を頂くのです。

我が国は農耕が切っても切れない重要な根っこです。

日本は皇室農耕が、これまた切っても切れない根っこです。

だから天皇陛下は新嘗祭に神々に五穀豊穣を感謝して、日本の繁栄、民の安寧を祈るのです。

それが11月23日の意味です。

日本各地の神社では、だいたい朝10時ごろから新嘗祭をやってますから、是非行ってみて下さい。
そして、日本の根っこを考えてみませんか?

我が大阪にも神社はありましてですね。

これは有名な住吉大社です。

住吉大社とは住吉三神が祀られています。

住吉三神とは

底筒男命(そこつつおのみこと)
中筒男命(なかつつおのみこと)
表筒男命(うわつつおのみこと)

この三神です。

黄泉の国から帰った伊邪那岐命が穢れを祓う為に禊をしましたね。
その時、三貴子が生まれましたね。
天照大御神に須佐之男命に月読命の三神。
これは有名ですが、住吉三神も生まれたのです。

住吉(すみよし)は、元はすみのえと呼ばれていました。

『吉』は古来『え』と読みました。
その為に『住』と『吉』の間に助動詞の『ノ』が入りスミノエと読みました。
しかし平安時代頃から『スミヨシ』と読むようになったようです。

スミノエとは澄んだ入江という意味です。

ちなみに現在、大阪には『住之江』という地名があります。
これは大阪市内の区で住之江も住吉もお隣です。

以前は住吉大社は、住之江区だったのです。
現在は住吉区になります。



住吉三神は、瀬の深いところで底筒男命が生まれ、瀬の流れの中ほどで中筒男命が生まれ、瀬の表層で表筒男命が生まれました。


また、住吉三神と共に祀られているのが神功皇后です。

仲哀天皇亡き後を継ぎ、身重で三韓征伐を成した皇后陛下ですね。
自ら兵を率いて三韓征伐を成した。
その時、住吉三神が神功皇后を守り荒魂は突風となり、神功皇后の船団を後押しし、更に三韓を大いに苦しめた!とされています。

この住吉大社も新嘗祭をやります。

また、この住吉大社には「そこから拝礼すれば伊勢神宮に通ずる」場所があり、住吉大社と共に伊勢神宮に参拝することも出来るのです。

住吉三神は唯一姿を現わす神としても知られています。
また、一寸法師誕生にも住吉三神は貢献しています。
一寸法師の両親が住吉三神に参ったところ一寸法師が生まれたとされます。

古来盛んに貿易をしていたのが、この辺りの地域で、その為にこの地域の津守氏は大和朝廷に取り立てられています。
日本書紀では、朝鮮の百済・高句麗、唐などにも派遣されています。

住之江区のちょっと北側には『津守』という地名があります。

天岩戸で天宇受売命がお隠れになった天照大御神を誘い出す為に踊りを披露しましたね。

これは何を表すのかと考えれば祭祀を表すのだと思われます。
踊りを披露する前の準備として鏡や勾玉が飾られていました。
この道具を見れば祭祀的な意味合いだろうな、と考えられます。

この儀式が鎮魂祭大嘗祭に繋がっていると考えられます。

この天宇受売命の儀式が神楽や祭祀を表すルーツだと考えられます。

つまり新嘗祭とは、そこまで遡り考えなければならない日本人の哲学なのです。

新嘗祭、住吉三神、神功皇后、天宇受売命そして岩戸のお隠れ。
全て日本人の哲学、根っこに繋がるのですよ!

謙虚さを…

2016-11-03 12:00:25 | 草莽崛起
本日は今までこのブログで取り上げなかった話しをしてみようと思います。

先日、その経緯をご覧になった方もおられると思います。

その上で、改めて自戒も込めて話してみようと思います。

人間はこの世の森羅万象を全て把握出来るものではありません。
私自身、日々其れを感じています。

前回の記事も、その意味を込めて話すものです。

つまり今回の話しも前回の話しも根っこは同じだと言う事です。

今回話す事は、今現在私自身が調べて感じた事です。ですから、まだまだ勉強は足りません。

他の事に関しても、それはまだまだ勉強不足です。

その中でも今回は特に自分自身あまり考えて来なかった事についてまだまだ足りない知識で話してみたいと思います。

謙虚さをもって知る

自分の知識や見識の足りなさを常々考えております。

しかし、私も人間。
言い訳ではないのですが、今まで触れる機会もなかった事もあり深く考えることなどした事がなかった。

それを気づかせてくれたキッカケがあり、そのキッカケをくれた人物に深く感謝する次第です。

やはり、人は謙虚にならねばならないなぁ…と猛省する次第です。

それは前回の記事にも込めた思いで、自らを改めて振り返り足元を見なければならない。

これこそが『自身の弱さ』であり、この弱さの克服こそが『自らの強さ』にもなる。
その様に考えながら生きてはいても、人は忙しい毎日の中で忘れてしまいがちでもあります。

様々な事柄や意見を謙虚に考えながら、私自身足りない事を知って更に高い志を持ちたいと考える日々ではあるのですが…
なかなか難しいです。

全ての出来事に意味があり、根っこで繋がっている、だからこそ謙虚に考えなければ、その繋がりと意味を掴み損ねてしまい、ぶつ切りの情報に振り回されて観念論に陥るのではないか?
そう感じる次第です。

統合失調症

今回話すのは統合失調症についてです。
まだまだ私の知識は足りない。
つまりは勉強中という事です。

先ずは知ることから始めたいと思います。


統合失調症は脳をはじめとした神経系に障害が生じる疾患です。
しかし、未だ詳細は不明な部分も多く、ドーパミンやセロトニンといった、緊張〜リラックスを司る神経系や意欲やその持続に関連する部分にトラブルが起きているというものです。

情報処理、認知などに障害が生じる疾患です。

これは実は特殊な病気ではなく100人に一人ぐらいの割合でかかっているのです。

世界各国で様々な調査も行われており、統合失調症の出現頻度には地域、文化に差はないようです。

つまり統合失調症は稀な病ではなく奇病の類いでもないと言えます。

症状として、眠れないなどがあり、音や気配に敏感になるなど、リラックス出来なかったりします。

その為、次第に大きな疲労感を覚える様になります。

幻聴があり現実に『声』として悪口、命令が聞こえることがあります。

他者から見れば合理性に欠ける事も、本人にとっては確信的な為に、行動を左右される事態を招く『妄想』といった症状もあります。

これらは陽性症状と呼ばれ、安心感や安全に対する感情を著しく損なうものです。
症状が現れると回復には時間を必要とします。

一方で、根気や集中力が続かなかったり、意欲を無くしたり、喜怒哀楽がはっきりしなかったりします。

込み入った話しが出来なかったり、会話が続かなかったり、考えがまとまらない、話しが飛びやすいと、自分で決める事が出来ず生活を展開していく事が難しく感じられたりします。
この様な症状は陰性症状と呼びます。

陰性症状はなかなか認知され難く、怠けているとか努力不足と見られたりします。

治療には抗精神病薬などの治療法があります。

この病気は充分対処が可能で、病気への対処を学ぶ事で病気を抱えながらも生活する訓練が出来ます。

病気について本人が理解することのメリットは大きく、再発に対する対処、再発の防止が可能です。

緊張〜リラックスを司る神経の障害ですから、対人関係、不意の出来事が再発を招く要因になる事がありますから、事前に苦手な事を知る事で、ある程度のストレスの対処が可能です。

症状の特長として、1を知って10を知るという様にはなかなかいきません。
ですから、生活の中で工夫をしなければなりません。

つまりは長々と入院生活をするよりも、生活の中で生まれる事柄について工夫しながら過ごす事が重要です。

周りの人などがサポートしながら、生活の場において工夫を考える機会を作ることが必要です。

この様に、実は統合失調症とは誰もが抱え得る病気であり、また珍しい病気ではない。
むしろ私も、そしてあなたにも身近な病気なのです。

また、生活の中で工夫していく事で「普通の人」として生活していける訳です。

投薬による治療と、本人や周りの人がこの病気を充分に理解し事前に『苦手な事』を知り、更に良い部分を伸ばす事で社会生活を送っていけるのです。

マルチタスク、つまり同時に複数の事をこなしたりする事は苦手だったりするけれど、しかし一点集中は得意だったりします。

人や社会と関わりながら、生活を送っていく事がこの病気には有効であると言えるようです。

100人にひとりは発症する統合失調症は、この症状を持たないものにも身近な病気であり、社会の理解さえあれば、何も難しく考える必要はないのかも知れません。

向き合う事も今は必要

2016-11-01 08:00:06 | 草莽崛起
毎度、申し上げていますが…

私の発信はあくまで私の意見です。

そして、私の発信の意味は問題提起の一つに過ぎません。

それが故に誤解をされる方も多々おられます。
しかし誤解されようと私は誤解を解く気はありません。
私に対して直接議論をすれば良いからです。

但し議論をするならば、それなりの根拠や事実や論理性は踏まえて頂かねばなりません。

私は神成らざる者であって、私自身が誤った理解をする事だってあります。

つい先日も『これが事実なら問題だな…』と思っていたらフォロワーさんから「これは問題ありませんよ、国際社会では当たり前で、日本国民が知らないだけ」と指摘を受けました。
確かに調べてみると、何ら問題がなかったのです。
世の中は広い!知らない事だらけです。

学んでも、学んでも次々と学ばねば成らない事柄がドンドン増えていきます。

少し立ち止まります

毎週日曜日はツイッターにて拉致被害者奪還デモが行われています。

最近は連動したツイキャスにても生配信で、毎週違う方々が拉致被害者奪還の為に話されてもいます。

みなさん、本当に熱心でその熱意を感じる次第です。

その中で私自身は、抱えた違和感を克服する作業と言うのか…
とにかく、何やらわからない違和感を確認しようという、自身の内側を探ることをしていました。

実はこの一年、いや二年ぐらい違和感を感じていました。

その違和感とは「これは今、正しい方向に向かっているのか?」という疑問です。

私は啓蒙する事に何らの疑問はありません。
むしろ必要な事だと思っています。

しかし、その上でやはり違和感は大きくなります。

今、いや今までも含め
自分のやって来た事は正しい方向か?

更に、今色んな方々がされている啓蒙の効果は?

拉致事件の解決が長引く程に、その気持ちは大きくなっていくのです。

小泉訪朝以来、自分なりに調べて考えて来た、周りの人間にも拉致について話しても来た。

30歳を過ぎた頃から、我が国の真実を知り独学で勉強をして来た。
けれど、私の主張は右翼と言われるだけ。

はっきり言うと、当時の交際していた女性などには全く話せませんでした。

それは『右翼』と言う変人扱いをされるからです。
事実を述べようとも、右翼の話しに耳を傾けるものなど皆無であったのです。

そして何故拉致事件が我が国にとって問題なのかを話しても来た。
けれど人は「よくある誘拐事件」と言う認識しか持たない。
今日、自分が死なないのだから平和なんだと思って生きている。

それが、ここ五年の間全く変わってしまいました。
右翼だ!右翼だと言っていた連中が、やたら話しを聞きたがる。

一番変わったと感じたのは民主党政権下で起きた支那漁船による海保巡視艇への体当たり事件でした。

尖閣がこんな状態とは…

何故、船長を釈放したのか…

映像を出した保安官が何故退職せねばならんのか…

そんなことを皆が言い出したのです。

私の答えはこれが拉致事件に繋がる我が国の実態なんや!と言うものです。

東西冷戦の中で、見て見ぬフリをして来た現実が2002年の小泉訪朝で一気に噴出して来た。
それが現実で、日本国民は真実を知ったはずなのに、未だ拉致事件は解決しない。

そして解決しない方が良いと考える連中すらいるのが現実です。

更に、拉致被害者を救う為の家族会や、その他の拉致被害者奪還組織にすら、その様な連中が入り込み内側から明らかな妨害工作をしている。
これらあらゆることが現実で、事実なのです。

ストックホルム合意で、見えなかった光が少しは見えかけたかと思われたけれど、閉じてしまった。

掴んだと思っても、また指の隙間からスルスルと落ちてしまう現実。

私がブルーリボンを付けて歩いていると、胸ぐらを掴まれる事すらあったのです。

その中で、私自身行って来た事は果たして正しいのか?
この自問自答は一年近くになります。

拉致を知ってくれ!
拉致に関心を持って欲しい!

そうやって来て、少なくとも周りの人間で拉致を知らぬ者はいません。

小泉訪朝以来、拉致を知らぬ日本人はおらんでしょう。
小泉訪朝時、まだ幼かった若者の中には知らない、或いはよくわからないと言う人もいるでしょう。

しかし、それは我々とて同じで例えば竹島を韓国に奪われた時や、いや竹島そのものが韓国に奪われた事すら知らずに生きて来たのです。

ですが、大概の日本人は拉致を知っている。

なのに拉致事件を広く知らしめることが、一体拉致被害者奪還の為に、どれほどの効果があるのかよくわからない現実があります。

すると「俺の目的は一体何だ」と考えざるを得ません。

俺はただ、拉致事件を知らしめる事に満足してしまってはいないのか…いやむしろ、そうなってしまっているのではないか?

つまり自分の目的は何なのか?

更に拉致事件が解決しない事を憲法や法律、政府の対応や国民の意思に転換しては、それが理由だと勝手に納得してはいまいか?

そして突き詰めれば我々は拉致被害者を奪還する手段を取れていないのではないかと…

これは自己満足に過ぎず、取り返す手段を取っていないのではないかと…

憲法が変わるまでで

法律が変わるまで…

教育が変わるまで…

国民の意識が変わるまで…

拉致被害者やその家族に待って下さいと言うのか、まだ待てと言うのか。

東西冷戦期、大規模な世界大戦もなく日本は確かに平和で経済活動に邁進し今や世界で三番目の経済大国となりました。
戦争に巻き込まれる事もなく、確かに平和だった。
だから、我々が持つ憲法が正しくて、だから平和だと思って来たけれど、それこそが正に嘘であって、憲法のお陰で平和なる曖昧な言葉を享受したのではなく、東西冷戦構造の中でアメリカを親方にしておけば良かった。

親方の言う通りにしておけば日本は戦争に巻き込まれずにいれた。

けれど、それは全くの嘘!

その平和と言う言葉の裏で13歳の少女は、気絶するまで腹わ殴られ、海を渡って連れていかれていたのです。

こんな腐った憲法を有難がっている間にかけがえのない日本国民我々の同胞(はらから)が100人を超え拐われていたのです。

この拉致事件こそが、我が国の問題を如実に表す問題で、この解決こそが竹島や北方領土、或いは尖閣に触手を伸ばす支那人の野心を砕くのです。

我々は敗戦後、この腐った憲法を有難がり、生きて来た。

その結果は

同胞を拉致され、それどころか拉致されたまま取り返すことも出来ない

先の大戦で我々の先輩は血を流し、命をかけて日本を守り抜いた。
だから我々は日本国民として生きているのではありませんか?

なのに我々は同胞を取り返す為に血を流す覚悟は出来ているのでしょうか?

声高に拉致を知ってくれ!と言うだけで取り返すことができるのか?

我が国は我が国を守る為には、血を流す覚悟をしなければならないのではないか?

自己満足に陥り、必要な手段を取れていないのならば、今すぐ行動する事を考えるべきです。