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犬神スケキヨ~さざれ石

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何を見るのか…4

2017-01-11 23:02:36 | 連続
白人は世界を自分達の利益の為に植民地化していました。

アフリカの黒人を奴隷にしていました。

白人は自らは働かず、奴隷に労役をさせて利益を得ていたのです。

これが、戦前の世界です。

ハルノート


先に述べた様に、我が国は要請により支那へ軍を出したのです。
国際連盟や支那そのものからの要請です。

支那はソ連からの侵攻も受けていた。

東アジアの大陸、半島には日本人もいた、

日本は資源がないのですから、自らの権益の為に外に目を向けのは当然です。

しかし、白人の様な植民地支配などせずに委任統治としたのです。
唯一、朝鮮だけは朝鮮の皇帝の二回もの要請に応じて併合した。
併合したけれど、それは日本の延長としての扱いであって植民地支配でもなければ、半島の人間を奴隷にもしていません。

しかし、白人達との権益の衝突があったのです。
それは支那事変等の衝突で、支那との衝突に見えてその後ろには白人の後ろ盾と白人の思惑があったのは明白です。

何故ならば、支那は白人の味方についたのですからね。

我が国は無用な衝突を避けるためにも、アメリカと八ヶ月もの期間日本の支那からの撤退について交渉していた。

その最中に突きつけられたのが
ハルノート
です。

ハルノートの中身は、それまでの日米の交渉を根底から覆すものでした。

その中身は以下のものです。


一、 日米両国はイギリス、支那、日本、オランダ、ソ連、タイとともに多辺的不可侵条約の締結する。

二、 日米両国はアメリカ、イギリス、支那、日本、オランダ、タイ政府間に仏領インドシナ(仏印)の領土主権尊重に関する協定を締結する。

三、 日本は支那及び仏印より一切の陸海空兵力及び警察力を撤収させる。

四、 日米両国は重慶政府以外のいかなる政権をも軍事的、政治的、経済的に支持しない。

五、 日米両国は支那における治外法権(租界及び義和団事変議定書に基づく権利を含む)を放棄する。

六、 日米両国は新通商条約締結の交渉に入る。

七、 日米両国は相互に資産凍結令を廃止する。

八、 円ドル為替安定につき協議する。

九、 両国政府が第三国と結んだいかなる協定も、本協定の目的即ち太平洋地域全般の平和と矛盾するが如く解釈されてはならない。

十、 以上の諸原則を他国に勧めてそうするように仕向ける。


この様なものです。

どれも八ヶ月の交渉には一切出て来なかったものばかりで、これは日本に対する期限なき最後通牒です。

四に至っては満州放棄を迫るもので、重慶以外認めないとは支那満州の政府を事実上蒋介石政権を支持しろと言うものです。
アメリカは八ヶ月の交渉の中で満州に対しては暗黙の内に承認するとしていたのですが、これを完全に覆えした形です。

九に関しては日独伊三国同盟を破棄せよ!と迫って来たのです。

これは明らかな我が国への挑発であり、国務長官ハルノートのコーデル・ハルも大統領フランクリン・ルーズベルトも日本がこれを受け入れないとわかっていました。

つまり、戦争に引きずり込むことが目的であるのは明白です。

そして白人至上主義で、夕食人種差別者であったルーズベルトもコーデル・ハルも
日本人を皆殺しにして民族を根絶やしにしようとした

それは、歴史の本質を見ればわかります。

5へ続く

何を見るのか…3

2017-01-11 23:01:36 | 連続
先の大戦以前の世界は白人が支配する世界でした。

地球上のほぼ全域が、白人の植民地支配の下にあったわけです。

しかし例外があった。

それは支那と我が国です。

我が国は抵抗した


支那と我が国だけは、白人からの植民地支配を受けてはおらず独立していました。

しかし、支那はアヘン戦争に敗れ白人からの介入を受けていた。
支那そのものも、自力で統治出来ずに白人を受け入れる事で、なんとか治めているのが実態で。
日本と対立したのも、白人の傀儡、白人の力を背景にしていました。

それは、支那から日本の権益を奪う為です。

しかし、日本は国際連盟からの要請で支那に駐留していた訳で、いまで言うならPKFやPKOによる派遣です。

それは義和団事件などで支那地域が内紛状態であった為です。

そしてアジア地域は完全に白人の植民地支配地域であって、それぞれ独立した国などなかったのです。

では支那は何故、我が国同様に白人の植民地支配を免れたのか?

それは
支那が白人側に付いたからです

白人の味方をしたのが支那です。
だからABCD包囲網なのです。
アジアで唯一白人の味方をした。

つまり、支那は実はアジアではなく白人側なのです。

そして白人の狙いは
日本の権益を奪い、力を削いで植民地支配する事

これにあります。

とにかく、日露にしても第一次世界大戦にしても、そして大東亜戦争にしても我が国は一貫して白人支配への抵抗であったのは明白です。

これらを無視して、先の大戦ばかりを摘み上げて『悪かった』と言うスタンスでやっているのが現在の歴史教育です。

我が国は長らく続いた白人の目に余る横暴に抵抗したのが先の大戦という事です。

支那はというと、世界は白人が支配するのだと思っていた。
だから白人の味方をしたのです。
支那・朝鮮地域を見れば、常に強い者につく、支配する側と支配される側という歴史です。
だから、白人側に入り、白人の味方をする事で生き延びようとしたのです。

我が国には、誰かに媚びて命を永らえる文化はありません。
天皇陛下を中心に民は平等だという文化です。
誰かを蹴落とし、自分だけが食えれば良い!なんて考えは全くない。

ですから、白人に支配され生きる選択などあり得ません。

我が国の見たもの


先の大戦で我が国は多大な犠牲を払いました。

凡そ300万人の日本人が死んだ

内、民間人は80万人です。
後は軍人や軍属です。

80万人の民間人が犠牲になったのは、誠に痛ましい限りです。

やはり、一番には戦争を長引かせた事や種々の作戦失敗などがあります。
しかし、歴史は種々の細かい事にはとらわれず広い視野でその流れを見なければなりません。
それが歴史の本質です。

当時、白人は世界各地を植民地支配し、権益を貪っていたのです。

支配した地域の男を殺し、女を陵辱し、動ける元気な者は奴隷にした

オランダなどは『支配地域の現地人女性は陵辱して構わない』という法律まであったのです。

自分達にとって将来邪魔になるであろう現地人の優秀な若者は手首を切り落とされ。
一切の教育も受けられず、白人を主人として支えなければならない。
抵抗する者は皆殺し。
これが当時の世界の常識です。

その様子を我が国はつぶさに見ていた。
そして世界で初めて人種差別撤廃を主張したのです。
しかし、見事に一蹴されました。

白人は人種差別撤も植民地支配も手放す気など一切なかった訳ですね。


4へ続く

何を見るのか…2

2017-01-11 23:01:23 | 連続
さて我が国は先の大戦に突入しました。

なぜ先の大戦に突入しなければならなかったのか?

もし、戦端を開かなかったなら一体我が国はどうなったのか?

我が国が戦争を回避したなら、その後戦争にはならなかったのか?

これらの疑問が湧いてきます。

しかし、これらの疑問点を考えるには当時の世界の情勢をよく見なければなりません。

部分、部分を切り取って見るのではなく、連続した時間を見なければなりません。


歴史の本質


話を進める前に、一つ話しておきたい事があります。
まず、我々は戦争と言うと先の大戦大東亜戦争世界的には『太平洋戦争』を思い浮かべます。

しかし、我が国は明治維新後、日清戦争、日露戦争更に第一次世界大戦を経験しています。

そして支那事変があり(支那は国ではなく地域ですから私は日中戦争とは考えません)、大東亜戦争となります。

その後、我が国は西側諸国の一員として東西冷戦を経験しました。

そして、物理的な敗北をしのは
大東亜戦争のみです!

そして今、我が国が戦わねばならないのが反日日本人、反日外国、反日外国人らに長年仕掛けられている歴史戦・情報戦・神経戦です。

これは、始まりは敗戦後直ぐのGHQの政策に遡るのは、皆さんには釈迦に説法でしょうが…

これら現在の問題も遡ると、実は明治維新後の我が国、それ以前からの世界の事情にまで繋がっています。
それは当然で、同じ時間軸の直線上にある出来事なのです。
まさか72年前の敗戦を機にブチッと切れて、新しい時間軸の上に存在していないのですからね。

つまり、我々が現在克服して行かねばならない事柄は全て同じ時間軸上の話しであって、これを克服する為には歴史の本質を知らねば絶対に克服出来るものではないのです。

敗戦後生まれは、皆同じ教育を受けてきました。
それはGHQの政策の中で作られた教育です。

この教育は私より先輩でも、来年小学校に上がる子供も同じ教育ですね。

我々が教えられた歴史教育は、白人の歴史観、反日日本人が作った歴史です。
これを徹底的に刷り込まれました。

受けた教育は、自らの生活に役立てなければなりません。
現在、我々は普段生活していて、例えば学校で習った勉強が役立っている実感はありません。

学校で習った事とはつまりは学問です。

微分積分とか、因数分解とか、そんなものをそうそう普段の生活で実感する事はありません。

ところが、この歴史教育だけは根強いていて普段の生活で実感しています。
しかも、嘘の教育です。

この嘘の教育が生活に根ざしているからこそ、南京大虐殺嘘の強制連行、或いは慰安婦の様な問題が起き、それを信じてなかった事に謝ろうとするのです。

『なんだか知らないが、昔の日本人は悪い事をしたから、事を荒だてずに謝っておこう』

そんな風になるのです。

歴史の本質を真っ直ぐに見る事は我々の生活を豊かなものするのです。

3へ続く

何を見るのか…1

2017-01-11 23:00:47 | 連続
先の大戦を少し振り返ってみようと思います。

とか言っても、そんな事は数多の方がやっていて今更か?

そう考える方々もおられるのかと思います。

しかし、少し角度を変える事で、また違った面を見る事も出来ます。

それをどう評価すか?

どう考えるのか?

それは、皆さん次第です。

しかし、本質をしっかり見て『何が正しいのか?』を見極めて行かねばなりません。

これは私が見た日本の戦争です。
そして問題提起でもあります。

皆さんも是非上辺の論に捉われずに、素直に今ひとつ考えて頂きたいと思います。

真面な議論


何かにつけ我が国は議論が深まりません。

私は常に申しております事に、我が国の民主主義は一致点を見出す事にある!だと。

その真意はこうです。

例えば、意見の違いがあろうと必ず一致する部分があるはずです。

それは、拉致被害者を例に挙げれば、日本人で『拉致被害者を取り返さなくて良い』と考える人はいないでしょう。

ならば、これは広く国民の一致点です。

では一致点を見いだせた。

一致点を見いだせたなら後は

どうやって取り返すか?

その議論になります。

そこでまた、激しい議論の中から一致点を見出す、という事を行います。
これを繰り返し、煮詰めて行く。

これが日本の民主主義で十七条憲法にある
和を以て尊しとなす
そういう事です。

そこまでいって、初めて一致点を見出す事が出来なかった事柄を多数決に委ねることが出来ます。

そこまで議論を尽くしたなら、多数決に委ねる為の判断材料は充分にあるはずです。
むしろ、そこまで議論しなければ判断は出来ないはずですね。

ところが、そんな議論をしているのか?

そんな議論があるのか?

私はそう感じます。

私の知る中でも、そこまで議論を深めることが出来る人間は、僅か数人です。
この一致点を見出す為の議論をしようとすれば、自分自身が議論の為に様々な角度から考えておかなければなりません。

あらゆる方々の意見や、データを真っ直ぐに見て議論をする。
その議論から、更に新たな考え方を学ぶ。
或いは閃きに似た発見もあるのです。

ネットを見ても意見の違いに罵詈雑言、罵倒の泥試合ばかり。

例えば「天皇陛下の大御心は…」とか、言って古事記を否定する。
全く意味がわかりませんね。
天皇陛下が天皇陛下である根拠は古事記にあるのです。
その古事記を神話だ何だと否定する。

これは自らの主張を通す為の事実の歪曲、事実の偏向、そういう事です。
これに政治を絡めれば完全な天皇の政治利用でしかありません。

まず、事実や真実を考えるならば真っ直ぐに物事を見る事です。

戦争の事実を見る


戦争の事実を見る為には歴史の本質を見る必要があります。

つまり、我が国の歴史、世界の歴史、世界と我が国の関係を事実から見なければなりませんね。

そして先の大戦は、何も76年前の開戦だけが問題ではありません。
明治維新後、世界を相手にして来た結果が大東亜戦争に至る訳です。
そこを、すっ飛ばして『あの戦争は…』などと言って、先達を貶めては事実に蓋をしているだけ。

ナチスに全ての罪を、おっ被せて知らぬ顔をするドイツと同じです。
『ドイツは謝罪した』とか言ってる人がよくいますが、ドイツは謝罪などしてませんよ。
『ナチスは悪かった、ヒトラーは酷かった、だからごめんなさいね」と言ってるだけです。

あの戦争で多数死んだ!あの戦争は間違いだ!

そういう声もありますね。

私とて決して戦争を賛美もしなければ、戦争は反対ですよ。
では、聞きますが
戦争を回避した場合の後の日本はどうなったのか?
それに明確に答えた人を私は知りません。

例えば、『空襲もなく、原爆も落とされず、誰も日本人は死ななかった』とか言う人もいますが、果てさて、そうでしょうか?

2へ続く

古事記を摘んで日本を知る45

2017-01-08 14:30:06 | 古事記
はてさて古事記でございます。

ちょっと久しぶりですね。

違うシリーズも構想中でごさいまして。
さらに、日々我が国に問題山積。

なかなか古事記アップに至らずの状況ですが、古事記は続けます。

毎度申してますが、古事記の物語にある真実を示して行こう!
などと、考えて書いてますので、とにかく長い!
長くなってしまって、たかが3巻の古事記を今だに天孫降臨までしかアップ出来ない状態ですが…

まぁとにかく前回、天孫降臨を果たしました。
おさらいはここでお願い致します。

なぜ天孫降臨は高千穂だったのか?


邇邇芸命(ににぎのみこと)の降臨、つまりは天照大御神の孫が降臨しました。

これが天孫降臨ですが、これによって日向三代(ひうがさんだい)が始まります。

日向三代始まります神の世から人の世へと移行する過渡期であったと考えられます。

天上界である高天原は、現実世界との重なりは不明です。

しかし葦原中国(あしはらのなかつくに)は地上であって、現実世界そのものです。

ですので、高千穂を始め『古事記』が記す地名や神社や遺跡の数々が今も残っています。

では何故に高千穂に降臨したのでしょうか?

出雲の国譲りの直後ですから、出雲に降臨しても良いはずです。

そして、クソの反日左翼学者が主張する様に、この古事記が朝廷の権威を高め、天皇崇拝を強制する為に嘘を書き並べたのならば、大和朝廷の本拠地である三輪山に降臨したと書くはずです。
そう書けば三輪山の地は神聖化されるでしょう。

しかし降りたのは南九州の高千穂です。

今でこそ、新幹線だ飛行機だと交通インフラが整備されて容易に行く事は出来るでしょうが、古事記編纂当時を考えても、それより古い時代を考えても高千穂なんて辺境の地ですよ。

いや、交通インフラだって最近の話しであって、古墳時代以前の話しですから、街道なんてなかったでしょう。

それが大和の地から辺境の地高千穂に天孫が降臨した!
なんて、話は実に不自然な話しです。

なんで、わざわざそんな話しを書いたのか?

そんな疑問が湧いてきますね!

これには様々な解釈が世にあります。
が、しかし終始一貫、申してます様に『古事記』を解釈するのに別の物を持ち込んではいけません。

古事記は古事記の中でのみ解釈せねばなりません。
古事記を解釈する為に、例えば日本書記なんか持ち込んだら、それは既に古事記ではなくなってしまいます。

ウルトラマンを理解するのに仮面ライダーの解釈を持ち込むのと同じです。

つまり世にある古事記の解釈がいかに間違いか!という事でもあるわけです。

そこでこの天孫降臨が何故、高千穂なのか?
これは勿論、古事記内で解釈します。

ひとつには天照大御神が生まれた場所であるということです。

伊邪那岐命が黄泉の国に伊邪那美命に会いにいきましたね。
しかし、ゾンビ化した伊邪那美命に殺されかけました。

そこで『私は見るも汚らわしいものを見てしまった…これは清らかにしなければ』
そう言って禊をしましたね。
心身ともに清らかになって、左目から天照大御神、右目から月読命、鼻から須佐之男命が生まれました。

その地は竺紫の日向(つくしのひむか)であったのです。

天照大御神の孫である邇邇芸命が降臨するには、どこが相応しいのか?
これはやはり、お祖母様のお生まれになった地がよかろう!
高天原の統治者である天照大御神がお生まれになった場所にまず降りてみよう!そこから全てが始まるのだ!と考えれは自然にすんなり腑に落ちるというもんです。

それに考古学的見地から見ても正しい。

本来の目的からすれば考古学的見地から見るのは間違いではありますが、学問的事実は事実ですから見てみましょう。

考古学的見地から見れば、文化は西から東へ移って行ったというのは間違いないようです。
これは考古学の出土結果からも明らかです。

鉄器は最初は九州北部から出て、徐々に東の方に行く

神武天皇の東征伝説にしても、わざわざ嘘を書き並べて九州から畿内に来た!とか書く必要がありませんね。
北から来たなら『北から…云々』と書けば良い。

元々土地の人なら、そう書けば良いわけです。

考古学の出土結果から見ても、やはり西から東へ王権の『兆し』が移動したのだなと、古事記の記述と一致するわけです。

これは出雲の国譲りでも述べたように、史実として何かあったのだと理解できます。
事実起こった出来事だから、書かざるを得ない!
そういうことなんじゃないかと思います。