フェニキア人
古代海洋民族の謎
ゲルハルト・ヘルム 著
関楠生 訳
河出書房新社 発行
1976年4月15日 初版発行
1992年11月10日 新装初版発行
レバノンに海上都市国家を築き、商業民族として地中海を支配したフェニキア人
彼らはアルファベットを創造し、ヴァスコ・ダ・ガマよりはるか昔にアフリカを周航し、ひょっとするとヴァイキングよりも前にアメリカに到達していたかもしれない。
こういうフェニキア人の姿を、聖書、ホメロス、ヘロドトス、あるいはフロベールなどの文献などを踏まえて叙述していくとともに、間に著者自身の旅の話も挟んでいます。
1 海に生きたベドウィン人
フェニキア人の権力は目の細やかな網のように張り巡らされた商業路線にあり、こわれやすい船の描く航跡として目に見えるだけだった。
たいていは風の来ない入り江に造られ、市壁を巡らせた見栄えのしない集落に過ぎなかった。
彼らの集落は海に向き、海に向かって方向づけられてきた。
フェニキア人はもともと砂漠からやってきた。
砂漠は海と同様、何一つ不変のものの無い世界である。
駄獣に代わって船が、遊牧地に代わって、人目につかない入り江に商館が、登場した。
2 レバノン杉の森に接する都市
ルナンの選んだ町ビュブロス
強大なフェニキアの共同体というだけではなく、パピルス、すなわち紙の原料を表すギリシャ語でもあった。
レバノン杉は、単に有用というだけでなく、とりわけまた、印象的な木でもある。
レバノン共和国は、シルエットと共にそれを国の紋章に取り入れている。
3 インドゲルマン語族の登場
インドゲルマン語族の原故郷はキルギスの草原だったと推測されているが、彼らがのちに移動を開始した時の出発点が西ヨーロッパと南ロシアの中間地域だった。
4 オデュッセウスとアキレウス フェニキア人の祖先
フェニキア人の歴史は紀元前2300年頃のアモリ=カナン人の移動とともにはじまる。
カナンの原フェニキア人は紀元前11世紀に外洋の支配者となる。
「カナン人+海の民=フェニキア人」という式
5 彼らは人工の島に住んでいた
テュロスは岩礁の上の町、海の中に人工的に造られた避難所だった。
6 バール子息商会の設立と興隆
フェニキア人のガラスの発明とテュロス=シドンの紫の染料の製造
7 ソロモン王の商売
フェニキア人の姿は、全て他の民族の記録によるもので、自分では記録を残さなかった。
8 バールと息子たちとイスラエル
9 テュロスの娼婦
10 レバノンから世界の果てへ
フェニキア人がいつ、地中海域を商業的に開発しようとして進出し始めたか?
レバノンの商人がヘラス人よりもずっと前に遠い遠い国の海岸まで出かけて行って地中海世界を開化した、という説が有力
フェニキア人がジブラルタル海峡の背後に新しい無限の海、地中海より荒れ、潮の干満によって動く海が広がっているのを確認した。
潮の干満は、数世紀後にアレクサンドロス大王もインドで見てひどく不思議がった現象である。地中海にはない現象なのだ。
地中海と紅海をつなぐ運河
紀元前600年以後のいつかに、その運河の建設が開始された。しかしネコ二世が工事を中止。
プトレマイオス二世(紀元前3世紀)がのちに運河を改修して、水門を取り付けた。
紀元後640年、エジプトを征服したイスラムの将軍、アムル・ブン・エル・アースが最後に運河を掘り開いた。
八世紀には運河は決定的に崩壊
フェニキアの拡張の頂点は、カルタゴすなわち新都市と名付けられた植民市の建設したときだった。
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