ヨーロッパの都市はなぜ美しいのか
佐野敬彦 著
平凡社 発行
2008年3月10日 初版第1刷
Ⅰ イタリアの丘の町
南イタリアのギリシャ植民都市の特徴は、整然とした規則的な格子状の道路の構成だった。それは彼らの国家体制、つまり民主的で平等の観念に基づくものだった。
丘上都市の美の第一にあげる特徴は、上下に延びる垂直感
第二に丘上都市がおもしろいのは錯綜した平面、つまり道路や広場といった公共の場が直線で区切られた単調なものではなく、複雑な形を見せて迷路の楽しさを味あわせてくれる。
(自分の乏しい体験では、シエナがそのような街だった)
丘の上の町では、秩序の美、比例の美が基底にあって、それを打ち破って自由な形に崩している。この無意識的というか、自然な感性のほとばしりをイタリア語でスポンタネイタという。スポンターネオはその形容詞。スポンターネオ感覚が地中海地域の造形をつくっている。
木造の建物では柱や梁を直角に結合するので、建物は直角の角度の規則的なものになる。鉄骨コンクリートの場合も同様である。しかし石やレンガを手で積む壁構造では道や地形に合わせてどんな角度にもつくることが容易である。こうしてキュービックな建物が変化に富んだ表情を見せてくれる。p54
Ⅱ 広場という快楽
Ⅲ 彫刻と水の詩 ローマの噴水
Ⅳ ルネサンスのある修道士の環境美術
15世紀末から16世紀初めの絵画で、寄木細工の手法でつくられる寄木画で絵画のような平面的な表現
その寄木画を専門としたイタリアの修道僧、フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ(1457か58~1525)
人間を取り巻く環境としての風景は二つのものに区別される。一つは人間がつくった環境である都市の風景。もう一つは自然の風景
フラ・ジョヴァンニこそ都市風景画も田園風景画も数多く制作し、近世の風景画の先駆者だった。しかし通常の絵画ではなく、寄木画という特殊な工芸的なものであったために美術史家は認めず、17世紀のフェルメールらオランダ人たちに風景画の始祖の名を与えているが、対象への意識の点からいえば、フラ・ジョヴァンニが先行した。p150
楽器という不可解なテーマ
小さな非宗教的楽器で、多くのものは壊れている。
考えられるのはフラ・ジョヴァンニの音楽好きと、この官能的な音楽を生み出す楽器を遠ざけるといった意味を表すことであり、つまり愛好とその否定の二重のコードをもった存在であったのかもしれない。p156
(ゲーテが激賞したラファエロの「聖チェチリア」を思い出した。下側に壊れた楽器があり、聖チェチリアは上部に描かれた天使の歌声を聴いている)
Ⅴ 人間の道、パリのパッサージュとヴェネツィアの小路
Ⅵ バロックからアール・ヌーヴォーに至る曲線感覚
Ⅶ アール・ヌーヴォー時代のパリの環境
アール・ヌーヴォーの闘いは常に官学派の古典的な形の感覚に対するものだった。それは石の建築だった。鉄は引っ張る力に強いため、石に比べれば、はるかに細い柱で空間をつくることができた。こうして建築は軽快さとリズムを持つことができるようになる。これこそ二十世紀の感覚であったわけで、近世と近代の違いである。p194
Ⅷ アール・ヌーヴォー都市ナンシーの建築的環境
1871年の対プロシャとの戦争(普仏戦争)の敗戦の講和条約で、ロレーヌの大半はドイツ領となった。ナンシーはフランス領に残り、ドイツとの国境は町から25キロほどのところに置かれた。アルザスはすべてドイツ領となった。この時、住民たちは国籍を自ら選ぶこととなり、フランスを選んだ人たちは故郷を捨てて、フランス領内に移住した。ナンシーにはこうしてロレーヌ人、アルザス人の多くの人が集中し、にわかに人口が増加した。
1877年のナンシーの成人(二十歳以上)の約45%が独身だったことで、これから見てもナンシーは若者の町だったわけで、今日の落ちついた町よりも、はるかに活気があったに違いない。p209-212
Ⅸ アール・デコの装飾する建築
Ⅹ イタリアの近代建築の夜明け
ⅩⅠ 環境デザイナー、エットレ・ソットサス
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