讃岐うどんやラーメン食べ歩きと、旅のブログ

讃岐うどんの食べ歩きが好きです。また国内・海外問わず旅が好きなので、ぼちぼち書いていこうと思います。

博物館網走監獄_北海道網走市

2016-12-15 20:00:00 | 旅行
 次は、網走刑務所に向かう。あ、網走刑務所の案内板があった。で、走っていったら、どうも様子がおかしいのである。山を下りたし・・・

 これは、本物の網走刑務所に向かっているがな。Uターンと。

 気を取り直して、博物館網走刑務所に向かった。

 つきました。


 入獄料1,080円だが、インターネット割引があるので、HPより割引券を印刷して持っていこう。10%引きになります。


 売店では、バイトリーダーの丸池五玖朗君が接客してます。あまり動きませんね、それに無口です。


 懲罰房です。かつての獄舎を再現してます。


 おぉ、くりからもんもんが・・風呂は順番に入るのですが、収容人員が多いので、一週間に1度ということも。


 舎房は、この見張所を軸のようにして、放射状に作られています。つまり、ここからすべての舎房を見渡せることになります。


 昔の舎房です。あ、脱獄名人の「五寸釘寅吉」が屋根から逃げようとしてます。味噌汁を鉄の格子に吹き付けて、塩分で腐食させる。さらに自分で肩を外し、せまい窓から脱出。目立つ囚人服を脱ぎ捨てて、屋根伝いに脱出・・見事です。後の世まで語り継がれます。観光にも一役買ってます。


 舎房のトイレ。一日に1回しか回収しません。ということは、自分や、他人のう○ちと、同居するわけです。「臭い飯」とは、ここからきているそうです。別に飯が臭いわけではありません。臭い所で食べるので、臭い飯なのです。


 広い舎房に暖房は2つのみ。冬は、いたたまれない寒さだったそうです。


 当時、囚人は道路建設等に従事させられ、沢山の人が亡くなってます。これは移動式の建物で、監獄から離れた場所の道路を建設するときに使われました。囚人は逃げられないように、鉄の玉が付いた足枷をつけられました。


 冬は、相当厳しかったであろうと思われます。当時の政府は、囚人が死んでも管理費用の削減になるから良いという考え方だったようです。時代として、ロシアの脅威が迫っており、早急に軍を北海道で移動させるための道路建設が急務だったという背景もあります。あまりの過酷な労働のため、管理する側の死者も出たとか。


 網走~北見間の道路建設に囚人が使われ、多くの死者を出しています。そのため、今も道路わきには、慰霊碑がありますが、普通に走っていると気が付きません。

 うって変わって、今の網走刑務所の再現です。内側からの取っ手はありません。つまり入ったら、自分の意志ではドアは開けられません。←当然ですね。


 個室にはTVもあり、こぎれいです。


 大部屋もきれいですね。快適に過ごせそうです。


 臭い飯を食わなくていいようです。次回は、監獄食を体験できる食堂があるので、行ってみましょう。


  網走市字呼人1-1 無料Pあり