讃岐うどんやラーメン食べ歩きと、旅のブログ

讃岐うどんの食べ歩きが好きです。また国内・海外問わず旅が好きなので、ぼちぼち書いていこうと思います。

【業務連絡】てんぽくの会のK藤さんへ

2020-04-13 22:12:06 | 日記
 天北線(北海道のローカル線で廃線ずみ)の会の、管理人K藤さんへ。

 いつもMLの運用・保守有難うございます。しんちゃんの件で、MLにメールが流れてきましたが、返信してもMLに配信されません。他の方のメールは、配信されてきます。なんで?

 「らくらく連絡網」のHPからも、K藤さんあてに不達についてメールを送りましたが、届いていませんか? 当方のメールがおかしいのかと思い、自分あてにテストメールを出したら配信されました。

 K藤さんの管理するサーバーで、状況が分かったら教えてもらえますでしょうか? ちょっと、連絡が難しそうなので「業務連絡」してみます。

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対応、有難うございます。無事に、MLから配信されるようになりました。

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てんぽくの会とは・・

 今から3〇年ほど前、東京のとある大学の卒業を間近に控えていた若者3人がいた。北海道にはまだまだ広範囲に国鉄が走っており、ワイド周遊券を使ってユースホステル(YH)を渡り歩く人も多かった時代である。

 その3人組は、暇はあるが金はあまりないので、北海道ワイド周遊券とYH会員証、それに少ない資金にスキー板を担いで急行「八甲田」に乗って青森を目指したのである。

 青森⇒函館は青函連絡船を利用する。函館に着いてから凍り付いたホームを全力で走って、札幌方面の特急(自由席)に乗るというのが普通であった。当然「走らないでくださーい」というアナウンスがあるのだが、自由席に座るためには無慈悲な競争に勝たなければならない。

 我々には、重いスキー板があるので、走るのには不利である。その時、ばあちゃんが声をかけてきた。

「あんたらの荷物を1つ持ってやるから、自分の席も確保してくれんかな」
「がってんだ」思惑は一致した。

 我々は無事に自由席に座れ、ばあちゃんも座れた。札幌に一泊してから富良野に向かい、富良野ホワイトYHに連泊し、一週間スキー三昧であった。その後、スキー板を自宅に送り返し、我々は極寒の北海道をさまようことにした。

 中略 あーたら、こーたら、いろいろありまして・・

 浜頓別YHを笑顔で見送られ、我々は天北線に乗ったのだが、あろうことか大雪のため列車は立ち往生してしまった。ちょうど高校の通学時間帯の列車だったので、地元の学生も沢山乗っていた。1時間ほどたったころだろうか、「〇〇高校の皆さん、今日は大雪のため休校になりました」と車内アナウンスがあり、「やったー」と学生たちは喜びに満ちていた。

 一方、我々YH組(10数人いた)は、本日中に次の目的地(皆、ばらばら)に着かないと、YHを予約している関係上まずいことになる。 ラッセルはまだか・・

 2時間ほどたっただろうか、やっとラッセル車が到着し、我々は雪の中から脱出できた。なんか、妙な連帯感ができて、「天北線の会」が発足したのである。つまり、天北線で遭難しかけた会なのである。

 我々は、なんとか旭川まで出て、数人が旭川YHに転がり込んだ。そこで、天北線の遭難組と、旭川YHの投宿組(北海道を周回している人が多いので、再会もいた)でこれまた意気投合して、天北の会は大きくなった。

 当初、年に1回は「日本のどこかで集まろう」ということで、「集会」と呼ぶ集まりを行っていた。当初から参加できない人もおり、次第に規模が小さくなって最終的には10人以下になったのだが、なんか今でも続いているのである。誰かが「集会やるぞ」というと、全国から集まるというのが常ではあるのだが、さすがに数年に一度になってしまった。渡米した人もいるしね。基本的に廃線になった天北線に由来するので、会員は増えません。なので、てんぽくの会は絶滅危惧種なのであります。

 いろいろ面白い話はあるのだが、昔話になるのでやめておきましょう。
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2 コメント

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Unknown (かいちょうだべさ)
2020-04-14 20:35:09
私はこの会には無関係ですが、旭川ユースで思い出したことがあるので。

このユースは数回泊まっていて伊の沢スキー場という場所にありました。

昨年の11月頃に実は旭川ユースがあった場所の前を通ったのです。

和寒に行く日に旭川近郊の温泉に寄ってから行こうという話しになったのですが、目を付けた温泉が、「あれ?ここって旭川ユースがあった場所に近いかな?」と思い、事前に場所を調べて旭川ユースがあった場所の前をわざわざ通ったのです。

かすかな記憶がよみがえり、旭川ユースがあった場所は老人ホームかその手の社会福祉施設になっていました。

しかしその施設も比較的新しい建物なので旭川ユースの跡に直ぐに建ったわけではなくて、その前も別の建物があったと思われます。

この場所の裏側は昔のようにスキー場でした。
そして「あれ?」っとおもったのは、旭川ユースがあった時はユースの前はそこそこ住宅がある、程度の郊外の住宅街だったと思いますが、昨年見た時の旧旭川ユースのあった周辺はスキー場側を除けば住宅がびっしりで、隙間も無いほどの住宅街でした。

変わったなと、時の流れを感じました。
近年の旭川市街地は中心部から離れてもかなり先まで住宅が広がっています。

さすが東北以北3番目の都市です。
(札幌、仙台に次いで。でも人口は30数万人ですが。)
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在りし日の旭川YH (ブログ主)
2020-04-14 21:24:33
 富良野ホワイト、浜頓別、旭川YH・・みんな無くなってしまいましたね。そうそう、旭川YHの裏山でスキーしました。板を送り返した後だったので、レンタルまでして滑ったものです。

 そうですか、あのあたりも様変わりしてしまったのですね。時代の流れなのでしかたありませんが、機会があったら訪れてみたいものです。

 浜頓別駅なんかも、バスターミナルみたいになっちゃって、当時の面影さえなくなってました。
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