中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

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第1,204話 「君付け」で後輩や部下を呼ぶ人の意識とは

2024年02月21日 | コミュニケーション

「社員がイキイキ働くようになる」仕組みと研修を提供する人材育成社です。

「先輩社員から『〇〇君』と、「さん」付けではなく呼ばれることに抵抗があります。これはビジネスマナーのルール違反にはならないのでしょうか?」

これは、先日弊社が若手社員の研修を担当させていただいた際に、ビジネスマナーの振り返りをした中で、一人の受講者から尋ねられた質問です。ちなみにこの「君付け」、最近の学校では男女を問わず「さん」と呼ぶことが多くなっているようですが、一方で国会中継などを見ていると議員のことを呼ぶ際に「〇〇君」と言っています。そこでここではあくまで職場での呼び方について考えてみたいと思います。

さて、職場内では以前から他者のことを「〇〇さん」ではなく、「〇〇君」と君付けで呼ぶ人がいます。実際、私が会社員をしていたときにも、後輩社員を「〇〇君」と呼ぶ同僚がいましたし、現在も研修を担当させていただいている会社の担当者が、後輩社員を「〇〇君」と呼んでいるのを頻繁に耳にしています。

それでは「〇〇さん」でなく、敢えて「〇〇君」と呼ぶのには何か理由があるのでしょうか。以前から気になっていたことから、実際に職場で君付けをしている人に尋ねてみたことがあるのですが、一様に「親しみを込めて使っている」との返答でした。本人はあくまでポジティブな気持ちから使用しているようなのですが、一方では冒頭の質問をした受講者のように、君付けで呼ばれることに抵抗感を持っている人も少なからずいるのではないかと感じています。

いくら「親しみを込めて言っている」としても、目上の人に対してはさすがに君付けでは呼ばないはずです。そのように考えると、君付けをしている人は後輩社員に対して、無意識であったにしても「自分より目下の存在である」というような、何らかの意識が働いているのではないでしょうか。そのため、職場などで何かのきっかけで相手に対する言動が「上から目線」になったり、上から下への命令口調になったりしやすいということがあるのではないかと考えています。

これに関連して、先日(2024年2月17日)の朝日新聞の天声人語に、刑務所や拘置所などに収容されているすべての人について、今年4月から「名字+さん」でよばれることになるという記事が載っていました。かつては番号で呼ばれたという受刑者について、戦後は番号ではなく苗字を呼び捨てで呼ばれることが多くなったとのことでしたが、以前に起こった刑務官による受刑者への暴行事件等を受けた改革の一環として、呼び方を「さん」付けに変えるとのことでした。

ちなみに、「さん」は江戸時代に「様」から転じて使われるようになったということで、年齢や性別に左右されずに誰にでも使用できる呼び方とのことです。確かに「君」より「さん」のほうが語感も柔らかいように感じられ、使いやすいように思えます。

「たかが呼び方、されど呼び方」かもしれませんが、同時に朝日新聞の記事にもあったように、「呼び方」によっては様々な(上下の)関係のあり方が固定されてしまうというような面も持っているのではないでしょうか。これまでは、小さなこととしてあまり真剣に取り上げられることが少なかったテーマかもしれませんが、私は人の気持ちに大きく影響する大切な事柄なのではないかと考えています。

さて、あなたは職場でどのような呼び方を使っていますか?また、あなたの職場全体ではどうでしょうか?もし、呼び方が職場の人間関係などに何らかの影響を及ぼしている可能性が考えられるのなら、一度皆で話し合って別の呼び方を試してみてはいかがでしょうか。

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第1,199話 「くまモン」が大人に人気があるわけ

2024年01月17日 | コミュニケーション

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皆さんは、熊本県のPRマスコットキャラクターのくまモンをお好きでしょうか?」

今更言うまでもありませんが、ゆるキャラグランプリ2011王者であり、現在は熊本県の営業部長兼しあわせ部長を務めています。

先日熊本県を訪れた際に、くまモンの活動拠点である「くまモンスクエア」に行く機会がありました。当日くまモンは午前に続き午後2時にも出勤予定だったため、それに合わせて少々早めに1時間前に現地に到着したのですが、既に会場には大勢の人が集まっていました。

開演1時間前にも関わらずそうした状況だったため、一体どこに立って待っていればよいのか、どこにいればくまモンの舞台を見ることができるのか側にいた人に聞いたところ、「舞台を囲んで並んでいる20席には子どもしか座ることができない。」とのことで、見やすい場所を教えていただきました。話を聞いた人は常連で、定期的にくまモンスクエアを訪れているそうですが、立って待ちその後舞台を観るのは長時間で大変なので、毎回折りたたみ椅子を持参しているとのことでした。

待つこと1時間、開演前には舞台を取り囲む何重もの人の列ができていました。そしていよいよ開演、くまモン隊のスタッフの女性が観客に「どこから来たか」、「午前中も観たか」などと質問しましたが、日本各地以外からも台湾やアメリカから来ている人や、午前中に続いて2回目だという人もかなりの人数いました。くまモンスクエアには、子どもとその保護者が集まっているのだろうとイメージしていた私からすると、このように大勢の大人が何度もくまモンに会いに訪れていることは少々驚きであり、同時に新鮮にも感じました。

では、これほど多くの大人がこのようにくまモンに惹かれるのは、一体なぜなのでしょうか。理由は様々あるかと思いますが、私はくまモンがステージの上を自由に動き回って、観客にハグをしたりするなどの「非言語」に加え、大人に対しても子どもにと同じように愛嬌を振りまいている、ある意味では公平に接しているというところにもあるのではないかと思っています。

弊社が管理職研修や管理職登用試験の面接官の担当をさせていただく際、「上司から公平に接してもらえなかったり、気分屋だったりする上司の指導を受けて苦労をした」という話を聞くことが頻繁にあります。そのためか、上司に声をかける前に「今日の機嫌はどうだろうか?」、「今声をかけて怒られたりしないだろうか?」などと、恐る恐る声をかけたという経験を持つ人は少なくないようです。

私たちは、日々周囲の人と様々なコミュニケーションをとっています。このブログでも、これまでたびたびコミュニケーションについてふれていますが、永遠の課題と言ってもいいのではないかと思えるほどに難しいテーマでもあります。

職場においては、くまモンのようにいつもニコニコして愛嬌を振りまいているだけでは、コミュニケーションはなかなか成立しません。しかし、それでも今回くまモンの笑顔を見ていて、職場での対人関係・コミュニケーションの中では、相手によって態度を変えたり自身のマイナスの感情をストレートにぶつけてしまうことは控えなければならない態度だということです。特に管理監督職は部下に対しては公平に接することを心がけること、そのことが回りまわってくまモンのように周囲からの好感につながり、信頼を築くなどのよい結果につながっていくのかもしれないなと改めて感じました。

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第1,198話 コミュニケーションは部下指導の万能薬ではない

2024年01月10日 | コミュニケーション

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「コミュニケーションに力を入れます」、「毎日、全員に必ず1回は声をかけるようにしています」

これは、弊社が管理職研修や昇格試験の面接官を担当させていただく際に、管理職である受講者や管理職を目指す受験者から繰り返し聞く言葉の一つです。

具体的には「管理職として心がけたいことは何か」、「部下指導で力を入れたいことは何か」などの質問への回答なのですが、近年ではその傾向がますます強まっているように感じています。

公私を問わず、私たちは日々コミュニケーションを通して生きているわけで、コミュニケーションが重要であることは言うまでもありません。一方でコミュケーションがまるで「生きる術」のように使われることには、少々違和感を覚えることがあります。

研修や面接の場面で、あまりにも頻繁にコミュニケーションという言葉が繰り返されるため、私から「コミュニケーションをどのように捉えているのですか」と質問することもあるのですが、「言葉を交わすこと」以上の答えがないことも少なくないのです。こうしたこともあり、多くの人はコミュニケーションの「量」を増やすことのみに関心があり、「質」を高めることを重視している人は少ないように感じています。

ところで、組織の中で管理職に必要とされる能力について述べているものに、アメリカの心理学者のロバート・カッツ(Katz, Robert L.)の「カッツ理論」があります。カッツはマネージャーに求められる能力を、業務遂行能力(テクニカルスキル)、対人関係能力(ヒューマンスキル)、概念化能力(コンセプチュアルスキ)の3つに分類しています。3つのスキルについては、組織の上層部に行くほど概念能力の重要性が増し、反対に組織の現場に近いほど業務遂行能力が求められるとされています。

この理論からも、管理職に求められるスキルはコミュニケーションスキルや対人関係能力ばかりではなく、論理思考や批判的思考などの概念化能力も必要となると考えられるわけですが、コミュニケーションのスキルにばかり関心を示す人が圧倒的に多いのはなぜなのでしょうか。

理由はいろいろあるかと思いますが、コミュニケーション以外のスキルは何となくイメージにしにくく、具体的に何をどのように達成すればよいのかを明確にしにくいのかもしれません。一方で、コミュニケーションのスキルは誰でも簡単に高めることができるようにイメージされてしまいやすく、多くの人が「量を増やすこと」=「スキルアップ」と簡単に考えてしまい、結果としてコミュニケーションをまるで万能薬のようにイメージしてしまっている人が多いのではないでしょうか。

コミュニケーションは量だけでなく質そのものを高めることも必要ですし、そもそもそれだけをスキルアップすれば済むというものでもありません。管理職には、前述のような概念化能力を始めとする能力、DXなどをはじめとするテクニカルスキルも求められるものですので、現管理職・管理職を目指す皆さんにはスキルアップに向け頑張っていただきたいと考えています。

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第1,191話 「文殊の知恵」を発揮するためには

2023年11月15日 | コミュニケーション

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「虫殺して滅んだ蘇我一族」

これは「大化の改新」があった645年の年号の覚え方の一つです。中学や高校時代の歴史の授業で語呂合わせで年号を覚えた人は少なくないのではと思いますが、私もその一人です。大化の改新の語呂合わせには様々な覚え方があるようですが、私は冒頭のように「虫殺して滅んだ・・・」というように覚えました。

先日、奈良県明日香村にある牽牛子塚古墳(ケンゴシヅカコフン)を訪れる機会がありました。牽牛子塚古墳は、7世紀の飛鳥時代の天皇のために造られた平面八角形の古墳で、昨年から復元された古墳の見学が可能となったものです。

この古墳の被葬者として有力なのは斉明天皇だそうですが、斉明天皇は大化の改新を起こしたあの中大兄皇子の母です。大化の改新は中大兄皇子が、聖徳太子亡き後に急速に力を持った曽我氏に危機感を持ち、天皇中心の政治を目指して中臣鎌足らとともに蘇我入鹿を倒したものだと、その昔に授業で習った記憶はありました。そして今回新たに牽牛子塚古墳の墳墓内で現代的にアレンジされた説明動画を観ることができ、645年という遠い昔に思いを馳せることがかなったのです。案内をしてくれたガイドの話も聞きながら、改めて大化の改新とは中大兄皇子の蘇我入鹿に対しての、まさにクーデターだったのかもしれないなどと思ったのでした。

いつの時代でも諍いが起こってしまうのが世の常で、世界を見渡せば今現在もロシアのウクライナ侵攻から始まった戦い、さらにはイスラエルとハマスの軍事衝突が起きています。「人間2人集まれば対立が起こる、3人集まれば派閥ができる」と言われるように、どんなに少人数であっても残念ながら諍いは起きてしまうわけで、これはある意味で人間の性といったものなのかもしれません。

さて、私たちは会社や学校など何らかの組織に属していたり関係を持っていたりすることが多いのではないかと思いますが、組織とはその形にかかわらず様々な考えを持った人間の集まりであることが一般的です。様々な考えのある集団だからこそ、組織全体としての力が発揮できることになるのだとも考えるのですが、同時にそれを一つの方向にまとめていくことはなかなか簡単ではありません。しかし、様々な考えを集めて「文殊の知恵」を存分に発揮できるようになれれば組織力を上げることができることも、また確かなはずです。

では、そのためにはどうすればよいのでしょうか。妙案は簡単には浮かびませんが、やはり言葉を持つ人間同士、「話し合い」を続けていくことが基本であり、そして結局のところそれに尽きるのではないかと私は考えています。怒鳴ったり陰口を言ったり、あるいは第三者を通して伝えるのではなく、正々堂々と繰り返し話し合いを続けること、これしかないのではないのでしょうか。それにしても、異なる考えを受け入れるということは人間が生き続ける限り、永遠の課題と言えるのかもしれません。

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第1,188話 「お疲れ様」に代わる言葉とは?

2023年10月25日 | コミュニケーション

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「仕事が終わったので、まだ仕事をしている人に対して『お疲れさまでした』と言って帰りかけたのですが、その表現は良くないと上司に言われました。お疲れさまでしたと言うのは失礼なのでしょうか?」

先日、弊社が新入社員フォロー研修を担当させていただいた際に、一人の受講者からこのような質問を受けました。

多くの組織では入社早々に新入社員研修が行われますが、その際のメインテーマとして取り上げられるのが、ビジネスマナーです。ビジネスマナーには様々あるのですが、中でも最も重要視されるのが挨拶であり、研修では日常の挨拶やお客様への挨拶の練習をしていただくことが多いです。

ところで、日常的な挨拶の一つに「お疲れ様でした」があります。ビジネス上では、自身が退社するときに周囲に仕事をしている人がいれば「お先に失礼します」と言い、他者が退社するときは「お疲れ様でした」と言うのが一般的だと思います。

そのように考えると、前述のように先に退社する人がまだ残って仕事をしている先輩や上司に対して「お疲れさまでした」と言うのは、いささか配慮が足りないと言えるのかもしれません。

この「お疲れ様」という言葉は使い勝手が良いと感じる人が多いのか、退社時のみならずオン・オフの様々なシーンで使われているようです。たとえば、朝一番で他者に声をかけたり、社内電話をするような際にも、「お疲れ様です」で始まる人は少なくないように感じます。「朝一番なんだからまだ疲れていない。だからお疲れ様とは言わないでほしい」。古今このような話も聞くことがありますが、挨拶以外でも頑張った同僚や部下を労う際にかける言葉としても使われることが多いと感じます。

実際、私自身も研修の中で休憩時間の前や研修の終了時、さらには個々の受講者が会場をあとにする際に挨拶をしてくれる時にもその都度使っていますので、非常に使い勝手が良い言葉であると思っています。しかし、前述のとおり場面によっては違和感をもつ人も少なくないと思いますので、何か「お疲れ様」に代わるような言葉があればと考えているのですが、どのようなものがあるのでしょうか。

改めて考えてみると、同じような意味合いで一番に思い浮かぶのが「ご苦労様」です。しかし、これはビジネスマナーでは下の人から目上の人に使用することは失礼な表現とされていますので、お勧めはできません。他に「お世話様」という言葉もありますが、これも労いの言葉としては使えても、朝一の挨拶の言葉としては少々不向きのように感じます。このように「お疲れ様」に代わる言葉がなかなか見つからないというのが、実際のところではないのかなと思うのです。

こうした事情からか、結果として「お疲れ様」が多用されることになったのではないか思うのですが、冒頭の例のように仕事をしている人を残して先に退社する際に「お疲れさまでした」と言うのは、残業をしている人に対して配慮が足りないと考えられます。ここはやはり「お先に失礼します」を使う方が良いようです。

なかなかに深い「お疲れ様」という言葉ですが、皆さんはいつもどのように使われていますか?

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第1,175話 褒められることを、求めすぎていないか

2023年07月19日 | コミュニケーション

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「他者から褒められたときです」

これは、弊社が研修を担当させていただいた際に、演習等で「仕事において、やる気が出るのはどういうときか」を考えてもらう際に、多くの受講者が口にする答えです。

確かに、他者からほめられたり認められたりすると嬉しい気持ちになったり、前向きな気持ちになったりするのは年代に関係なく、共通するところだと思います。私の祖母は104歳まで元気に手芸を嗜みながら暮らしていましたが、手先の器用さや手作りした品を周囲にプレゼントしていることを周囲が褒めると、とても嬉しそうな表情をしていたことを覚えています。また、私が子どもの頃に飼っていた犬は17年生存しましたが、老犬になってから長老であることを市から表彰されたときは、誇らしげな表情になっていたように感じました。

このように考えると、褒められると嬉しいと感じるのは、私たち人間を含む生き物の本質なのかもしれません。

学術的には、動機付け理論の大家のエドワード・L. デシ(Edward L. Deci)が「外発的動機付け」と「内発的動機付け」の関係性を理論化しています。内発的動機付けには3点の方法を示していますが、その一つが「他者受容感」です。他者受容感とは、周囲の人から「受け入れられている」と感じる気持ちであり、「自分自身がどれだけ他者や社会の役に立つことができるか」という感覚とされています。褒められることによって、他者や社会の役に立てていると感じることができるため、やる気やモチベーションが上がることにつながっているのだと思います。このように、「役に立っている」ということを周囲から告げられたり、褒められたりすることで前向きな気持ちになれるのは、とても素敵なことだと思います。

しかし一方で、最近私は他者から褒める言葉をかけてもらうことだけでなく、自分自身を客観視して「以前よりもできるようになった」、「私なりに頑張った」というようなことを自らが評価して、それ肯定的にとらえ、やる気を上げられるようになるということも、同じように大切なことなのではないかとあらためて考えています。

振り返れば、1996年アトランタ五輪女子マラソンで銅メダル手にした有森裕子さんが、ゴール後のインタビューで「自分で自分を褒めたいと思います」と話していました。当時流行語にもなるほど多くの人の共感を呼んだ言葉でした。最近では「頑張った自分へのご褒美」として、好きなものを買ったり、おいしいものを食べたりといったコマーシャルなどを目にする機会が増えてきているように思いますが、今の社会の「空気」のあらわれではないかと感じているのです。

他者から褒められることはとても嬉しいことであり、ありがたいことでもあります。しかし、それがないと不安になってしまったり、いつでも他者からのほめ言葉を待っているようになってしまっては、ある意味での他者依存の状態になってしまうのではないかと、少々心配になってします。

このブログでもこれまで何度も人材育成の観点から、たとえば上司や先輩社員の役割について触れる中で、「褒める」ことの大切さをお伝えしてきています。それはこれからもますます重要になっていくと思っています。しかし、同時に他者からの誉め言葉は「もらえたらラッキー」というくらいに考え、過度に気にしすぎない、あわせて、自分で積極的に自己を評価し、がんばったときにはきちんと肯定し褒めていくということが、自身を成長させるうえでも、大切なのではないかと考えています。

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第1,167話 親しい間柄ではない相手が、友達言葉を使用する心理とは

2023年05月24日 | コミュニケーション

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「馴れ馴れしい言葉遣いが気になりました」

これは、私の知り合いが自身が勤めている会社の階層別研修に出席した際に、外部講師の言葉遣いが非常に「フレンドリー」であったことに違和感を覚えたと話をしてくれたときの言葉です。

その研修を担当した講師は50代後半くらいの男性で、30代が中心の受講者に対して成長してもらいたいということを繰り返し熱く語っていたとのことです。そうした気持ちが強く働いたためかどうかはわかりませんが、受講者への語り口は「ここがポイントだよ」「これの目的はここにあるんだ」など終始「フレンドリー」だったそうです。そのため、知り合いは講師のその言葉遣いの方が気になってしまい、研修内容はあまり頭に入ってこなかったとのことでした。

研修に限ったことではありませんが、様々な接客の場面、たとえば病院での医師や看護師、老齢の親に付き添って訪れた美容院や介護施設などでも、「友だち言葉」で話をする人が少なからずいるように感じています。もちろん、相手は親しみを込めてそのような言葉遣いをしていることは想像がつくのですが、面識の程度にかかわらずさほど親しい間柄ではない相手からそのように話しかけられることについては、私自身は正直あまり居心地がよくありません。皆さんはこの点はいかがでしょうか。

それでは、前述のように顧客や患者、利用者に対して友達言葉で話をする人がいるのはなぜなのでしょうか?職種や個人により様々な考え方があるかと思いますが、多くの人は意識するしないにかかわらず相手との心理的距離を縮めたい、親しみやすさを表現したいという気持ちから、フレンドリーな友だち言葉を使用しているのではないでしょうか。

フレンドリーな対応を違和感なく受け入れられる人ももちろんいるかと思いますが、必ずしもそのような人ばかりではありませんので、受け取り方は様々なのではないでしょうか。

 それでは、話しかけた相手がどのように受け取っているのかを確認するためには、どうすればよいのでしょうか。相手に直接聞くことができれば話は簡単ですが、冒頭の例のように外部から来た研修講師の言葉遣いを受講者が指摘することは簡単にできることではなさそうです。また、そもそも相手に「どう受け取っています?」と確認すること自体が簡単なことではありません。

そこで、相手の受け取り方によって対応を変えるのではなく、親しみやすいことと馴れ馴れしい言葉遣いは別のこととして、一線を引いて考えてみてはいかがでしょうか。もし相手に対して親しみやすさを表わしたいと考えるのならば、言葉遣いをフレンドリーにするのではなく、親しみを込めた小さな対応を少しずつ、時間がかかってでも積み重ねていくのが一番確実ではないかと思います。

親しい関係は「焦らずじっくり」構築していくことがお勧めです。そして、信頼関係が構築できた結果、気が付いたらお互いが親しみやすい言葉遣いで話ができるようになっていたというのが理想なのではないでしょうか。

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第1,156話 リスペクトされる人は、まず相手を尊重している

2023年03月01日 | コミュニケーション

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「リスペクトしています」

これは、FIFAワールドカップ2022でサッカー日本代表チームを率いた森保一監督に対して、多くの選手が異口同音に発する言葉です。ワールドカップ終了後、はやくも2か月が経ちましたが、現在も様々なメディアが森保監督を取り上げており、今も変わらず注目されていることがわかります。

私自身も森保監督のリーダーシップには注目をしていたのですが、先日、生配信のオンライン講座である「NHKアカデミア」を聴講する機会を得ました。「NHKアカデミア」は各界のトップランナーが「今こそ共有したい」を語り尽くす講座なのです。当日は森保監督の人気を象徴するかのように、スペインやイングランドなど海外から参加した人も含め、1、000名を超える参加者が聴講したとのことでした。

番組は、参加者が申し込み時に予め質問した内容を基に、「チームをまとめる」から「決断力を鍛えるために」などの4つのプログラムで構成され、森保監督が指名した人の質問に答える形で進行していきました。

森保監督が指名したのは10代から20代の若い人が中心で、質問はサッカーに関することだけでなく多岐に及びましたが、そのときの森保監督の対応に人間性がとても出ていたと感じられ、なぜこれほど多くの人を魅了し尊敬されるのかがわかったような気がしました。

番組で監督は、1. 質問者からの話に傾聴する、2. 質問へのお礼を言う、3. 質問者が置かれた立場や役割に対して「すごい、すばらしい」と賛辞を送る、4. 質問に懇切丁寧に応える、5. コメント後に質問に対する答えになっていたかを確かめる、6. 最後に「頑張って」などのエールを送るという流れで進めていました。

こうした対応は、まさに森保監督自身が質問者である他者を尊重していることの現れだと思います。どの質問に対しても、決しておざなりに応えるようなことはなく、真摯に丁寧に対応し、一人一人に対してかなりの時間をかけていました。事前に時間は1時間30分間と聞いていたのですが、森保監督はその1時間30分が経過した後も「アディショナルタイム」と称して引き続きたくさんの質問に答えており、結局番組が終了したのは30分延長した開始2時間後でした。これには参加者は皆、大満足だったと思います。

番組の中で私が特に印象的だったのは、質問内容にかかわらず監督が質問者へ対し「楽しんで」、「楽しむことを忘れずに」、「難しいことを含めて楽しむこと」などと、「楽しむ」ということを繰り返し強調していたことで、森保監督の姿勢として「楽しむ」ことをとても大切にされていることが伝わってきました。そして時間を気にせず真摯に対応する姿勢に、相手に対するリスペクトを感じました。

今回この2時間の講座を聴講して、森保監督がなぜ選手をはじめ多くの人からリスペクトされているのか、その理由がよく分かったような気がしました。それは、監督自身が何よりもまず相手をリスペクト(尊重)し、それが相手に伝わるからなのだと感じました。

誰しもが、時として周囲との信頼関係について思い悩んだ経験があるのではないかと思いますが、信頼されるためには、まず森保監督のように相手を尊重することから始めることが大切であることをあらためて認識しました。私自身、まずは相対する人を大切にすることから始めてみたいと思います。

(「NHKアカデミア」によると、本講座は4月5日と12日にEテレで放送予定とのことです。)

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第1,144話 口癖は直した方がよいのか

2022年11月30日 | コミュニケーション

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「ご提案をするかたちで」、「個人情報に則ったかたちで」、「エリアマーケティングというかたちで」

これは、先日ある企業の営業担当者のプレゼンテーションの際に聞いた言葉です。同じ会社から2名が出席し説明をしたのですが、どちらの人も「・・・・かたちで」という言葉を次々と連発したため、私は途中からこの言葉が気になってしまい、肝心の話の内容があまり耳に入ってこなくなってしまったのです。

この「・・・かたち」は口癖の一つだと思いますが、口癖には様々なバリエーションがあります。一般的に多いのは、話の冒頭に「えー」、「あのー」などの音を入れてしまうものですが、いずれであっても、使用頻度が多くなると耳障りに感じてしまう人が多いのではないでしょうか。

口癖が全くない人もいますが、では口癖がある人はどうしてそれを発してしまうのでしょうか?私のこれまでの経験から考えてみると、口癖を連発してしまう人も飲み会の席など比較的リラックスしているような場面では、口癖を発することは少ないように感じています。

そう考えると、やはり緊張感が原因の一つなのかもしれません。確かに、プレゼンテーションやスピーチなど、大勢の人を前にした際に、口癖を連発してしまう人が多いように思いますので、緊張感は大いに影響がありそうです。

ちなみに、私自身は聞き手の人数に関係なく、頭の中で整理できていないことを説明するときに「あの」と発してしまうことがあることを自覚しています。

では、これらの口癖をなくしたいと考えている人はどうすれば良いのでしょうか?

それには、まず自身の声を録音し、どのくらいの頻度で口癖を発しているのかをきちんと自覚することから始めてみることがお勧めです。弊社が行ったプレゼンテーション研修の中で実際に録音をしたことがありますが、自分がこれほど口癖を連発しているのかと驚く人が何人もいるなど、本人が自覚するにはとても有効な方法です。

次にすることは、プレゼンテーションの準備をしっかりと整えることです。緊張を強いられる場面で口癖が出てきてしまう人が多いのですから、逆に言えばそうならないようにあらかじめ丁寧に準備をしておくことには大きな効果があります。あわせて話す際に句読点で間を入れる、一語一語ゆっくり話すことを意識するのも有効です。

また、冒頭の例のように同じ部署で仕事をしていると、いつの間にか口癖が伝染しまうということもあるようです。そういうときには、思い切って部署全体の課題事項として改善に取り組む事項に位置付けるというのも一つの手かもしれません。

もちろん、「口癖は問題ない、愛嬌だ、話す中身が大事だから直す必要はない」という考え方もありますので、絶対に直さなければならないとまでは言えないとは思いますが、あまりに連発されると気になる人も多いと思います。

口癖があるのか、ないのかを含めて、まずは定期的に自身の話し方を振り返ることから始めてみることが良さそうです。自戒の念をこめて。

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第1,141話 面接か!集団討議か!

2022年11月09日 | コミュニケーション

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「採用時に最初に面接をしたのは私なんです。コミュニケーションスキルが高いように見えたので採用したのですが、違いました。私に見る目がなかったのか・・・」

これは、先日ある企業で長年採用担当をされている方から聞いた言葉です。その社員は採用時にはとても感じがよく、コミュニケーションもきちんととれる人だと思い採用したそうですが、採用数か月後に行っている面談ではコミュニケーションがうまく取れず、全く話がかみ合わなかったとのことです。

日本経団連が2018年まで毎年実施していた調査に、「経営者が大卒(高卒)新人を採用する際に重要視すること」があるのですが、16年連続して回答のトップになるのがコミュニケーションでした。以前は就職活動中の学生の中にはこの調査を踏まえて、自らのコミュニケーションスキルの高さをアピールする人が相当程度いたということを幾度となく聞いていました。この調査は中止されて久しいのですが、現在もコミュニケーション力をアピールする学生は少なくないようです。

それでは、この応募者のコミュニケーション力について、採用する側はどのように見極めると良いのでしょうか?実際のところ、コミュニケーションスキルの有無を見極めるのは決して簡単なことではありません。それには様々な方法があると考えますが、私のこれまでの経験からは面談のみならず集団討議が有用だと考えています。

集団討議では、基本的には事前準備ができない中、本番では限られた時間で最大限の成果を出すために初対面のメンバー同士が役割を分担して協力し合い、テーマについて結論を出すことになるわけです。そのため様々な制約条件が多い中で相当なプレッシャーになっているはずです。

その中で、どうやってチームとしての結論・成果を出していくのかはなかなか難しい課題です。伝えるべきことは発言し、他者の話もしっかり聞く。自分とは異なる意見の人に対しては、質問したり、状況に応じて共感したり、発言が少ない人には発言を促ししたりすることが必要です。複数の面接官を前に成果を出すわけですから、それは大変なことだと思います。

しかし、私はこのような制約やプレッシャーの中で行う集団討議には、とても意味があると思っています。それは、当日知らされるテーマに対してインターネットで調べることもできず、周りにいるメンバーの属性もほとんどわからない中で議論を行うことになるため、成果を出すためには取り繕ろっていないありのままの自分を出さざるを得ないからです。まさに「その人らしさ」がはっきり出るわけです。

私は、これまでたくさんの集団討議の場に立ち会ってきました。教科書的な対応をする人、指示していないことをやり始める人、板書係に立候補したもののホワイトボードの前で立ち尽くしてしまう人、そして予定外の行動をとり始めた人を前に呆気に取られている人がいたり、感じよくフォローする人もいたりする人もいます。また、流ちょうではあるけれども聞き手には全然伝わらないような話をする人もいれば、逆にしどろもどろで汗をかきながら話している人が説得力をもってその場に影響力を発揮したりする例もあります。

もちろん、集団討議のみで全てを確認できるわけではありませんが、それでも集団討議は人間の本質を確認することができる一つの有効な手段だと私は考えています。今後も採用選考時に集団討議の面接官の機会をいただいた際には、精一杯務めさせていただこうと考えています。

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