「わかりやすいこと」はビジネスにおけるコミュニケーションの基本です。私たちが講師を務めるビジネス文書やプレゼンテーション技法といった研修でも、「わかりやすいことは良いこと」であるという考え方がその土台にあります。
しかし、「わかりやすい」ことのマイナス面もあるのではないでしょうか。
先日あるセミナーに参加しとたきに、ベテランの研修講師が「説明が上手な人は、抽象的な言葉は使わない。具体的な言葉を使って説明する。身近な例えもうまく使う」と言っていました。
その言葉を聞いたとき、まさにその通りだと思う反面、強い違和感を覚えました。
説明が「わかりやすい」とは、聞き手の能力(理解力)を超えないメッセージを話し手が発することです。そして「例え」を使うということは、聞き手が理解できる具体的な事象に置き換えることですから、そのメッセージの持つ抽象度は一気に低下します。
もちろん、話し手としては聞き手に誤った解釈をして欲しくないわけですから、「わかりやすい」ことを否定するつもりはありません。
ですが、あるメッセージが本来は様々な意味や、状況によっては異なる感情や思考を生むものだとしたら、「わかりやすい」とは、話し手が聞き手に対してたった1つの解釈だけを押し付けることにならないでしょうか。
つまり、「わかりやすい」ことにはそのメッセージが本来含んでいる知識の適用の幅を狭めてしまうという欠点があると考えます。
最近、新聞や雑誌、テレビで見聞するメッセージは「わかりやすさ」を(極端に)前面に出しているように思います。「AとはBは正反対である。だから絶対にBを認めるべきではない」「Cという考え方は100%間違っている」「Dという行動は絶対に正しい」等など。研修では「あいまいさを排除しなさい」などと言っているにもかかわらず、こんなことを考えるのは矛盾しているかもしれません。
しかし、言葉の持つ意味とは、本来はちょっとした雑味を含んだ微妙なものなのではないでしょうか。また、そうした雑味を含んだ味わいこそが日本語の特徴であったような気がします。
言い過ぎかもしれませんが、「わかりやすい」だけのセミナーや研修は、かえって受講者の成長の芽をむしりとっているように思います。
私たちは、「説明が難しくても重要な言葉は、それが抽象的であっても排除はしない。そして、具体的な言葉に置き換えたり、身近な例えを使うことで考えの幅を狭めてしまう可能性があれば、そうした手段はとらない」ことを実践して行きたいと思っています。
(人材育成社)