2014年3月7日京都仙洞御所・Kouto.SenntouGosyoⅡ

2014-08-19 16:36:43 | 写真
京都仙洞御所のVer.2です。
洲浜(すはま)と呼ばれる石でできた南池の浜です。
楕円形の丸くやや平たい粒のそろった石(一升石という)を11万1千個ほど
岸辺から池水の中まで敷き詰めた浜で、面積は約一千平方メートル。
光格上皇(19世紀初頭・明治天皇の三代前)の時に小田原城主大久保忠真の献上と伝える。
この時、石一個を米一升と取り換えに集めたので、一升石の名があるといわれている。
仙洞御所案内人の説明の要約です(当日録音)
参観路は写真の右端の小道です。

醒花亭(せいかてい)

内部が見えるよう室内露出に合わせて撮影


醒花亭の庭。

2014年3月7日京都仙洞御所・Kouto.SenntouGosyo

2014-08-18 09:20:46 | 写真
いよいよ最後の宮内庁参観許可証の必要な宮殿・仙洞御所(大宮御所)です。
他には、苔寺、京都御所があります。

車は京都御所の東側、寺町通りの駐車場にいれました。
久しぶり(45年ぶり)の京都御所でした。
どこがどう変わったのか、全く変わっていないのか、皆目わかりませんが、御所の道にはいりました。
駐車場から真っ直ぐ入ってきたみ道です。
この広大なこと、我が家はこの道に何十軒たつのだろうなどと下衆なことを考えていまいます。
この道の突き当りというか、左の塀を左に曲がって100mほど行くと仙洞御所入口になります。
この広大な道を人が歩く場所は決まっているようで歩いた跡が細く
繋がっていました。塀のすぐ脇の細い白い線がその歩き跡です。
そこを歩かないと、砂利のため歩きにくいのです。

仙洞御所の玄関

クローズアップというより近寄ってみました。ここも広い広い。

玄関の右横の木立


京都大宮御所御常御殿南庭


北池の中島への土橋

石橋

藤棚のある八つ橋

中島の反り橋

草子洗いの石、雄滝。紫式部日記の情景 八つ橋から撮影

南池・洲浜の一部


2014年3月6日京都修学院離宮最終

2014-08-17 13:05:51 | 写真
修学院離宮の上離宮にはいります。
ここには、隣雲亭(りんうんてい)、窮邃亭(きゅうすいてい)
千歳橋、浴龍池、楓橋、土橋などがあります。
今回の参観ではその一つ浴龍池が改修中で水が抜かれていました。
隣雲亭とその土間です。
土間は一二三石(ひふみいし)と呼ばれているそうです。
よく見ると一二三石の意味がわかります。
障子の間の左側の板の間を「洗詩台」といいます


隣雲亭の土間のアップです。黒い石の数を数えると……。

窮邃亭(きゅうすいてい)への階段




窮邃亭

浴龍池から松並木(御馬車道)を望んでいます。これが「大刈込」と呼ばれる堤防です。
松並木から隣雲亭までずっと上るのですが、周りは全く見えません。ひたすら登るばかりで
登りきると突然視界が開け、その展開の妙は体験しなければわからないと思います。
文章では表しえない展開です。


千歳橋です。
このブログの中での修学院離宮の写真では、この写真の違和感はうまく表現できていないと思います。
修学院離宮の案内書、パンフレットにも載せられていて修学院離宮の看板の一つとして紹介されているとおもいます。
実際に修学院離宮に行ってみると、なぜここに(修学院離宮)と感じます。
感じるのは私だけかもしれません。

帰り道の風景です。


ここから入りました、そしてここで参観終了です。お疲れ様でした。

2014年3月6日京都修学院離宮 肆 中離宮から上離宮

2014-08-16 06:58:05 | 写真
中離宮を出て、松並木を引返し、上離宮への松並木を登って行きます。
左右は田圃、畑です。普通に生産しているようです。
説明によりますと、昭和になってから(昭和何年と言っていましたが聞き洩らしました)
宮内庁が買い上げて付属野農地にしたそうです。景観保護が目的と言っていたと思います。
田畑の管理は農家委託としているといっていました。

三つの離宮(桂離宮、仙洞御所)を見学しましたが、離宮内に田畑を含み尚且つ田畑が活用されていることに驚きました。
1600年頃の洛北に近い京都の状態(戦国時代が終わり徳川家康の時代、武士の時代を迎えた当時の京都)
小説で読む限りではありますが、後水尾上皇離宮の周辺が田圃、畑であったのは事実に即した状況なのではと思います。
田畑を田畑のままのこしてくれた昭和39年(ガイドでしらべました)当時の宮内庁の判断に感謝したく思います。

参観当日2014年3月6日は、曇り時々雪という天候でした。

現在真夏ですので、季節外れになってしまいましたが、雪の修学院離宮です。一枚目を除き1472mm×983mmでアップしてあります。
撮影はNIKON D800 NIKKOR24-85mm、焦点距離85mmで写しました。
ブログの写真では小さくて雪が斑にしか判別できませんが
大きくすると雪の粒が折り重なり沢山写っているのがわかると思います。

参観時間内の雪降りはこの一度、ほんの一瞬のみでした。

上離宮への松並木の左側です。

右側はこんな風景でした。

その時の松並木(御馬車道 明治天皇の離宮行幸に際し拡張整備された)



2014年3月6日京都修学院離宮 参 下離宮から中離宮へ

2014-08-15 13:18:35 | 写真
修学院離宮
京都市の北東にあります。
比叡の山々を借景にお庭が作られています。

下離宮、中離宮、上離宮と分けられています。
面積は545.000㎡。田圃や背後の山、京都の山々、京都市街を借景に展開しています。
1659年頃に造られました。

上離宮にある浴龍池は人口池です。せき止めた堤(石造り)を覆っているのが「おおかりこみ」といわれる
灌木です。

実際にこの「おおかりこみ」を登っている間はなにも見えず、登りきると大きな池と美しい建物と周りの景色が
忽然とあらわれます。

私が行ったときは、残念なことに池の水はなく。
工事中でした。

離宮の中に田圃があるしかも普通に農夫が働いている。
なんとも不思議な光景でした。

千歳橋はなんとも不可思議な建造物だなとかんじました。
修学院離宮の持つ雰囲気から外れているような気がしました。

その異質を写真を撮ってきました。
感じ方はひと其々ですので、なんともいいがたいですが、
私は違和感がありました。


Shugakuin Rikyuu

To the northeast of Kyoto City.
Hiei mountains views designed the garden.
Is divided into three districts, divided under the shugakuin imperial villa and during their Palace, on the Palace.

The area is 545. 000 square meters. Operates the mountains of rice paddies and behind the mountains, Kyoto, Kyoto city views.
Around 1659, was built.

Yongji bath located on the shugakuin imperial villa is a pond. Covering his stoppage of the crest made of stone that is 「Ohokarikomi」
It is a shrub.

While in fact [Ohokarikomi] nothing invisible, climb to the top and views of the large pond with beautiful buildings
Suddenly appears.
下離宮を出てまっすぐ上ると上離宮、右に行くと中離宮

下離宮の出口の門と思われます。

上離宮への道、左右は田圃です。先にも書きましたが普通に米を作っています。離宮用というわけではなさそうでした。

この写真が松並木左側の状況です。右側は後程アップします。

中離宮手前の様子です。

中離宮への門であると思います




中離宮の門への階段



楽只軒(らくしけん)


霞棚  柱を抜いて撮ることはできなかった。(場所の問題)

客殿裏