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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

叔母と祖母

2011-02-18 08:59:10 | 日記
 映像は思い出すが音声は思い出せない、ということがよくある。寝ているときに見た夢の記憶などは、何をしゃべっているのかわからない口パクの映像を思い出すことが多い。ただしセリフはわからないが意味はわかる。こういうことを言っていたのだな、という概要は思い出す。古い記憶になると概要すら思い出せない。なぜ自分がそんな所にいるのか、何をしゃべったり、何を聞いたりしているのか、さっぱり思い出せない。

 同じ記憶を持っている人と話をすると、記憶の映像が変化することもある。記憶などかなりあやふやなものだ。
 一番昔の記憶は何か、一生懸命思い出すのだが、頑張っても三歳の頃のことは思い出せない。何とか四歳の頃のことが思い出せる程度だ。

 叔母は最期まで独身を通した人だったが、理髪店で生計を立てていたこともあり、明るく元気が良く、街の人気者だった。美しい人でもあったので独身で通した理由がわからない。早く父(私の祖父)を亡くし、一人になった母(私の祖母)を置いて嫁に行ってしまうのを良しとしなかったのかもしれない。それで叔母は理髪店をしながら祖母と一緒に暮らしていた。父はこの姉さんが大好きで、私を連れて、たびたび叔母の家を訪れていた。

 叔母の家の台所は当時まだ土間で、薪で煮炊きをする古い住居だった。父と私が訪れると叔母と祖母は急に忙しく土間の中を動き回り、少しでも何か美味しいものをご馳走しようと張り切った。話は居間にいる父と土間で立ち働いている祖母と叔母の間で行われた。
 私が思い出せる最も古い部類の思い出は、この土間に向かって走っている私を土間にしゃがみこんで仕事している叔母が振り替えって笑って迎えてくれようとしている所だ。私は叱られて逃げてきたのかもしれない。案外泣いているのかも知れない。とにかく叔母の顔を見てほっとしている。叔母は私を見て何か言っているのだが、何を言っているのかわからない。その場面だけを思い出す。

 その時父がどこにいたのか、母はどこにいたのか、さっぱりわからない。だだその場面だけを思い出す。
 叔母はそれからほどなくして病気で亡くなり、理髪店もその台所の土間も売り払われて、祖母一人、父の兄弟の間を転々とすることになった。私の家には都合2年ほどいたろうか。その頃はもう私も小学校に上がっており、嫁と姑の確執を子供ながらにたっぷり味わうこととなった。祖母も父も母も、何かと言えば叔母が早く亡くなってしまったことを悔やむ言葉で話を終えた。その叔母が私を笑顔で迎えてくれている、その思い出を私はずっと大事にしてきた。
 祖母は病気勝ちになって入退院を繰り返し、私が小学校6年生の時に病院で亡くなった。目前で亡くなった人の死の最初の記憶だ。元々小さかったおばあちゃんがもっと小さくなってしまった。動かない祖母に看護婦さんが口紅を塗ってあげていた。口紅は母がとっさに差し出したものだった。


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