伊藤忠のトルコ駐在員であった森永堯氏が執筆した「トルコ 世界一の親日国」を読ませて頂きました。
「海難1890」の映画でも触れられていましたが、1985年にイランイラク戦争でサダムフセインより、「あと24時間したら無条件に民間機であっても撃墜する」という指令があり、世界中の人々が国外脱出を試みました。日本人については飛行機を出してくれるところがなかなか見つからず、途方に暮れていましたが、森永氏はトルコのオザル元首相(後の大統領)に救援機を出してほしいと懇願し、日本人のために救援機を出すことに決定しました。そして、無事、イランを離れ、空爆から逃れることができました。
このことが実現できたのはオザル首相と森永氏の信頼関係があったからだと思います。以前から強い友情で結ばれていたそうです。
今回、トルコが日本に救援機を出しましたが、救援機を出したのは森永氏との信頼関係の他にいくつかの理由があるようです。トルコはエルトゥールル号遭難事件や日露戦争等の出来事があり、日本に尊敬、敬愛の念を抱いていました。そのことがきっかけで日本人を助けたいと、救援機を出したと思われます。
1890年(明治23年)、オスマン帝国最初の使節団が、明治天皇との謁見を終えて、帰国する途中、乗船エルトゥールル号が、和歌山県串本町大島沖で、台風のため沈没してしまいました。団員656名のうち、587名が犠牲になるという大変な海難事件となりました。この時、現場周辺の串本町大島町民が、こぞって献身的に救助活動を行ったお蔭で、69名の生存者を得ました。生存者には精一杯の衣食を与え、温かい励ましを行いました。エルトゥールル号遭難事件そのものは、不幸なできごとではありましたが、トルコは、この事件に対する、日本の官民挙げた一連の対応の素晴らしさと温かさに感銘し、日本人に、敬愛と親愛の念を抱きました。
また、1905年に日露戦争で大国ロシアに日本が勝利しました。ロシア=トルコ百年戦争(露土戦争)に代表されるように、トルコにとり、ロシアは長年宿敵でした。百年もの間、激しい戦いを強いられていました。ロシアの南下政策ですっかり疲弊させられていたトルコにとって、そんな憎き強大国ロシアと、小国日本が戦うことは、殊の外関心が高かったようです。日本に対する応援の気持ちを持ちながら、固唾を呑んで戦況を見守っていました。そしてついに日本が勝利したことは、全トルコ人にとっても誠に痛快であり、我が事のように熱狂する事件でした。トルコも日本と同じようにサムライ魂の国です。日本人に対する尊敬の気持ちが、自然と湧き上がりました。トルコ人の男の赤ん坊や店の屋号に、ノギ、トーゴーを命名する例が多かったそうです。トルコは更に親日国になりました。
エルトゥールル号遭難事件や日露戦争等で日本とトルコの絆は深まりましたが、イランイラク戦争の件で日本とトルコの絆をさらに強くように思います。その意味で森永氏は大きな役割を果たしたように思います。
日本人もトルコ人も国籍を超えて無私の心で尽くしていきたいというところが似ている印象を持ちました。
日本を愛するトルコ人が多いとのことですので、私もトルコへの関心をもっと深めていきたいと「トルコ 世界一の親日国」の本や「海難1890」の映画を観て、思わせて頂きました。(横)
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「海難1890」の映画でも触れられていましたが、1985年にイランイラク戦争でサダムフセインより、「あと24時間したら無条件に民間機であっても撃墜する」という指令があり、世界中の人々が国外脱出を試みました。日本人については飛行機を出してくれるところがなかなか見つからず、途方に暮れていましたが、森永氏はトルコのオザル元首相(後の大統領)に救援機を出してほしいと懇願し、日本人のために救援機を出すことに決定しました。そして、無事、イランを離れ、空爆から逃れることができました。
このことが実現できたのはオザル首相と森永氏の信頼関係があったからだと思います。以前から強い友情で結ばれていたそうです。
今回、トルコが日本に救援機を出しましたが、救援機を出したのは森永氏との信頼関係の他にいくつかの理由があるようです。トルコはエルトゥールル号遭難事件や日露戦争等の出来事があり、日本に尊敬、敬愛の念を抱いていました。そのことがきっかけで日本人を助けたいと、救援機を出したと思われます。
1890年(明治23年)、オスマン帝国最初の使節団が、明治天皇との謁見を終えて、帰国する途中、乗船エルトゥールル号が、和歌山県串本町大島沖で、台風のため沈没してしまいました。団員656名のうち、587名が犠牲になるという大変な海難事件となりました。この時、現場周辺の串本町大島町民が、こぞって献身的に救助活動を行ったお蔭で、69名の生存者を得ました。生存者には精一杯の衣食を与え、温かい励ましを行いました。エルトゥールル号遭難事件そのものは、不幸なできごとではありましたが、トルコは、この事件に対する、日本の官民挙げた一連の対応の素晴らしさと温かさに感銘し、日本人に、敬愛と親愛の念を抱きました。
また、1905年に日露戦争で大国ロシアに日本が勝利しました。ロシア=トルコ百年戦争(露土戦争)に代表されるように、トルコにとり、ロシアは長年宿敵でした。百年もの間、激しい戦いを強いられていました。ロシアの南下政策ですっかり疲弊させられていたトルコにとって、そんな憎き強大国ロシアと、小国日本が戦うことは、殊の外関心が高かったようです。日本に対する応援の気持ちを持ちながら、固唾を呑んで戦況を見守っていました。そしてついに日本が勝利したことは、全トルコ人にとっても誠に痛快であり、我が事のように熱狂する事件でした。トルコも日本と同じようにサムライ魂の国です。日本人に対する尊敬の気持ちが、自然と湧き上がりました。トルコ人の男の赤ん坊や店の屋号に、ノギ、トーゴーを命名する例が多かったそうです。トルコは更に親日国になりました。
エルトゥールル号遭難事件や日露戦争等で日本とトルコの絆は深まりましたが、イランイラク戦争の件で日本とトルコの絆をさらに強くように思います。その意味で森永氏は大きな役割を果たしたように思います。
日本人もトルコ人も国籍を超えて無私の心で尽くしていきたいというところが似ている印象を持ちました。
日本を愛するトルコ人が多いとのことですので、私もトルコへの関心をもっと深めていきたいと「トルコ 世界一の親日国」の本や「海難1890」の映画を観て、思わせて頂きました。(横)
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