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ゲバラ

 10月2日の毎日新聞朝刊の2面に、「天国の味」と題する論説室の玉木研二記者のコラムが載っていた。すばらしい文章だったので、全文を以下に載せてみる。

 チェ・ゲバラは1928年アルゼンチンに生まれ、ブエノスアイレスで医学を修めた。キューバのカストロに共鳴し武力革命に参加、成功させるが、政権の地位になじめず、中南米革命の理想に従いボリビアに潜る。山岳ゲリラを指導中の67年10月8日、政府軍の襲撃に負傷して捕まり、翌日処刑された。ちょうど40年になる。
 革命を決意したのは医学生だった51年、モーターサイクルで大陸を旅し、貧困、搾取、差別、虐待を目の当たりにしてからだ。特にインディオの境遇は悲惨だった。
 ボリビアの山中を移動しながら付けた日記がある。死の1週間前の2日付。「コーヒーを作った。水は苦く、湯をわかすのに使ったやかんには油が浮いていたにもかかわらず、天国のような味であった」(「ゲバラ日記」仲晃・丹羽光男訳、みすず書房)
 17人のゲリラ部隊は孤立無援に追い込まれていた。「天国の味」のくつろぎもつかの間、日記は7日付で絶える。苦難をつづりながら最後の行までまったく絶望の色がない。
 それがゲバラの真骨頂であり、不屈の理想主義と直接行動主義は世界中に共鳴者を生み、デモやバリケードには肖像が掲げられた。
 時代は移った。遠くを見やるベレー帽の肖像はアートとして定着し、ポスターや看板、Tシャツ、スタジアムの応援席などあらゆる場所にある。彼のはるかなる革命を思うまなざしはファッション街の空に向いている。
 多くの若者はゲバラの何者たるかを知らない。そんなことは関係なく、時を超えて若い世代を鼓舞する何かを彼は発しているのだろう。

 恥ずかしながら、私もゲバラの何者たるかを知らない一人である。名前や肖像くらいなら知っているし、キューバ革命に尽力した一人であることも知っている。しかし、彼の思想などまるで何も知らない。それが、学生運動というものが時代遅れの過去の遺物になりかけた時代に青春を過ごした私たち世代の多くが持つ、ゲバラに対する共通の認識なのかもしれない。
 それでも中南米では、彼の存在は今でも色褪せていないようで、没後40年を記念する行事が各国で開かれた模様をTVで見た。すると、10月8日の毎日新聞の朝刊に太田昌国という民族問題研究者が書いた、ゲバラ没後40年についての記事が載せられた。
 「ゲリラ兵士という、かつてなら未来への夢や理想主義にも通じる響きを持っていた呼称は消え去った。武装する者の多くは、その思想と行動形態に理想主義のかけらも見出されないことから『テロリスト』と冷たく名づけられる時代がきた」
と述べながらも、「ゲバラの敗北から目を逸らさない現代の社会運動や、時代を超えて生き続けている挿話を通して、『ゲバラとその時代』は、なお豊かさを増していくだろう」と締めくくる分析は、ゲバラの「自らを囲む現実と相渉り、喜び、悩み、苦しみ、傷ついてい」た生き方に共感する者たちが後を絶たないことを示唆している。
 現代の日本とはかなり遠く離れた存在となってしまったゲバラだが、日本との関わりについて記された次の一節は、私たちの記憶に留めておくべき挿話であろう。
 
 キューバ革命勝利の年の59年、ゲバラは経済代表団団長として来日した。受け入れ側の日本外務省は、千鳥ケ淵墓苑への献花を予定に組み入れたが、「日本の兵士はアジアで多くの人びとを殺戮したから、献花はできない」と断り、広島こそが私の行きたい街だと主張して、それを実現した。原爆資料館を見た彼は「米国にこんなことをされてなお、言いなりになるのか」という言葉を案内者に語った。

 今の政権を担う人々がこの言葉を聞いたら何と言うだろう。
 
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