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「ドーン」

 平野啓一郎「ドーン」を読んだ。前作「決壊」を読んで、なかなかの力量を持った作家だと知って、新作も是非読んでみようと思って買い求めたのが昨年暮れのことだった。すぐに読めばよかったものを、普段なら私の買った本など見向きもしない妻が、「先に読ませて」と取り上げてしまったので、順番待ちをするのにずいぶん時間がかかった。妻が読み終えて私の手に戻って来たのは冬の終わりごろであり、それから私が少しずつ読み進めていったものだから、読了したのが買って半年も過ぎた今頃になってしまった。

 この小説の内容を簡単にまとめれば、2033年に火星に到着した宇宙船「ドーン」の日本人乗組員・佐野明日人の周りで起こった出来事を縦糸として、地球帰還後のアメリカ大統領選挙の動静が複雑に絡んで紡ぎ出す物語を理知的な筆致で描き出した作品だと言えるだろう。しかし、決して近未来を描いたSF的な作品ではなく、あくまでも人間一人一人を視点の中心に据え、真正面から人間存在のもつ不確かさを捉えようとした作品である。SF的な舞台を基にした小説というものは、大江健三郎の「治療塔」くらいしか読んだことがなく、しかもあまりいい印象を受けなかった私としては、近未来を舞台にした小説などあまり読みたくはなかったのだが、「決壊」で最後まで破綻することなく、上下二巻の長編小説をまとめあげた平野が、さらにどれだけ進化したのか知りたくて、極限状況を演出するにはあまりもお手軽な2年半もの宇宙旅行という設定も我慢して読み進めていった。
 途中、これだけ話を広げてしまって果たして収拾がつくのか、と心配になって、妻に「まとまりがつかなくなってしまうじゃないの?」と尋ねてしまったが、「そんなことはないよ」と教えてくれたのに安心して、最後まで落ち着いて読むことができた。小説の読み方としては邪道な気もするが、折角の優れた才能が挫折してしまったら残念だ、という思いの方が強く、ついつい先走ってしまったが、そんな心配が杞憂に終わったのはよかった。
 
 どれくらいからだろう、この小説の主人公・佐野明日人が「決壊」の主人公・沢野崇の分身ではないかと思い始めたのは。ともにスーパーエリートでありながらも、大きなうねりの中に巻き込まれていって、精神的・肉体的に疲労困憊してしまう。常人ならとうに屈服してしまっていたであろう激流の中でも何とか持ちこたえられたのは、ともに人としての矜持を持っていたからであろうが、最後までそれを貫き通すことができずに、沢野崇は電車に飛び込んでしまう。だが、佐野明日人はその最後の一線を辛うじて踏みとどまることができた。「決壊」することなく、「ドーン(DAWN=夜明け)」を待つことができた。その違いはどこにあっただろう。ヒントは次の文の中にあるように思う。

「明日人は、ゆっくりと目を開いて、地平線に黄金を染みわたらせ、色々な建造物のシルエットを色濃く浮きたたせ始めた東の空に目を遣った。日の出までここにいるつもりだった。彼は太陽を見たかったが、本当は太陽が出るまで生きたいと言うべきだった。束の間であっても、澄みきったこの朝の空気に浸され、大地に背中を抱き支えられながら、それまでただ穏やかに、何も起こらずに命が続いてほしかった。こう考えている最中に、唐突に自分という存在が途絶えてほしくなかった。そんなふうに、ふと感じた今のこの時まで死ななかったということに深いよろこびを感じた。そういう一瞬が、もう永遠に来ることのない、死んだ人たちを愛おしみ、生きている人たちに親しみを込めて微笑みかけたかった」(P.466)

 この小説の中で最も美しい文章の一つだと思う。己自身が永遠の時の流れに繋がっていることに明日人が目覚めた瞬間である。この感覚を味わってしまうと、時の連環を己の所で断ち切ってしまうことなどできなくなってしまうのかもしれない。長い長い時の流れを繋ぐ一つのパーツとして己の存在、それを夜明け(ドーン)の瞬間に感じ取るというのは、まさに長い物語のすべてがここに収斂してきて、見事な大団円となっている。確かに妻が言った通りだ・・。

 「決壊」で主人公を死なせるしかなかった平野が、この「ドーン」では死なせるどころか再生さえさせている。これが平野自身の人間としての深みが増したせいなのかどうかは私には分かるはずもないが、少なくとも、明るさを感じさせる結末を迎えることができたのは、少なからずホッとしている・・。
 
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