毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
新学期に思う
木曜日から塾の新学期が始まっている。毎年3月の終りは2日間休んで、新学期の準備をしているのだが、今年は久しぶりに旅行に出かけたので、準備が十分にできていなかった。3月末から少しずつ用意していたものの、最終的な仕上げまではできていなかったので、1日・2日とてんてこ舞いした。そんな私の姿を横目で見ながら、「もっと計画的にやればいいのに」、と妻は冷やかしたが、「これが俺の計画だ」と嘯かれては呆れるよりほかほかないだろう・・。
このところ塾を取り巻く環境は大きく変わっている。先日も来年度からの新指導要領の実施に伴い、小学生の教科書が分厚くなったと報道された。「ゆとり教育」からの脱却などと言われているが、「ゆとり教育」の名の下に教育格差が拡大してしまった惨憺たる現状を具に見てきた者としては遅きに失する感のある改革だが、それでも取りあえず方針変更をしただけでも評価したいと思っている。
今の子供はとにかく勉強しない。学習意欲があるとかないとかそんな次元の話ではなく、学校で勉強させられないのだからどうしようもない。ペラペラな教科書が象徴するように学ぶべき内容が少ないせいもあるだろうが、私が塾を始めた頃と比べれば、学校で出される宿題の量が全く違う。しかもやらないならやらないでもいいということさえ言われる場合もあって、子供たちの家庭学習時間がかなり減った。学校全体がそういう方針であるため、少しばかり勉強して上っ面だけ分かっていれば、そこそこの成績がとれてしまうので、それに満足してしまい、さらに勉強しようという子供の数が激減してしまった。もちろんそれが塾の生徒数減にも繋がり、ここ数年は塾経営はかなり苦しい・・。
だが、そんな私怨で現状を憂えているばかりではない。こんなことを繰り返していたら、やる気のない、向上心を持たない人間ばかりになってしまうぞ、とかなりの危機感をずっと持っていた。憂うるだけでは何もならないと、私にできることをやり遂げようと頑張ってきたつもりだ。努力を厭わない習慣、嫌なことでも我慢する心、そうしたものが身につかなければ、ますます厳しくなる社会の中で生き抜くことはできない、そんな思いをずっと持って毎日子供と接してきたから、この改定によって子供たちに、「一生懸命勉強しなければ!」と思う気持ちが少しでも芽生えてくれたらいいが、と期待している。と同時に、「子供の意思を尊重して・・」などという、私には親の責任逃れとしか映らない子育てから脱却するきっかけになってくれれば、とも願っている。
さらには「子供手当て」。TVでは、それを当て込んだ塾が6月から特別コースの開設を準備している、などと報道していたが、まるで塾にとっては「特需」であるかのように捉えられてしまうと、塾経営者の端くれとして苦笑するしかない。確かに生徒が集まらなければ、いくら高邁な教育理論を持っていたところで(私が持っているわけではないが・・)、それを子供たちに伝えることはできない。かと言って、家庭の台所を見透かしたような戦略を、いやしくも教育機関の一翼を担う塾がするべきではない、とカッコつけたことも思ってしまう。バラマキとの批判も根強い政策であり、このお金がすべて子供たちのために使われるかどうかもあやしいと、現下の経済状況を見ればどうしても思ってしまう。
学校の勉強が難しくなり、しかも子供手当が出てお金を子供たちに回すことができるから、塾に入れて勉強させようか、と多くの親が考えれば、当然塾の生徒数も増え、私の生活も楽になるはずだが、私の塾に限って言えば、この4月の段階ではそうした心理作用は親の間で広がっていないように思われる。「新学年になったからそろそろ塾へ」というシナリオは以前ほど流行りではなくなってきた昨今だが、それでもやはり4月には新入塾生がわっと押し寄せる、などという夢を見てしまいがちな私だから、募集してもなかなか生徒が集まらない3月は本当に憂鬱な1か月だ。今年もまた辛い1カ月を過ごして新学期に突入したわけで、さすがにここまで来るとふっ切れて「さあ、やるぞ!」という気合で満腔が満ち満ちている。
コツコツ真面目にやっていれば、何とかなる、そんな思いでまた1年がんばろう!!
このところ塾を取り巻く環境は大きく変わっている。先日も来年度からの新指導要領の実施に伴い、小学生の教科書が分厚くなったと報道された。「ゆとり教育」からの脱却などと言われているが、「ゆとり教育」の名の下に教育格差が拡大してしまった惨憺たる現状を具に見てきた者としては遅きに失する感のある改革だが、それでも取りあえず方針変更をしただけでも評価したいと思っている。
今の子供はとにかく勉強しない。学習意欲があるとかないとかそんな次元の話ではなく、学校で勉強させられないのだからどうしようもない。ペラペラな教科書が象徴するように学ぶべき内容が少ないせいもあるだろうが、私が塾を始めた頃と比べれば、学校で出される宿題の量が全く違う。しかもやらないならやらないでもいいということさえ言われる場合もあって、子供たちの家庭学習時間がかなり減った。学校全体がそういう方針であるため、少しばかり勉強して上っ面だけ分かっていれば、そこそこの成績がとれてしまうので、それに満足してしまい、さらに勉強しようという子供の数が激減してしまった。もちろんそれが塾の生徒数減にも繋がり、ここ数年は塾経営はかなり苦しい・・。
だが、そんな私怨で現状を憂えているばかりではない。こんなことを繰り返していたら、やる気のない、向上心を持たない人間ばかりになってしまうぞ、とかなりの危機感をずっと持っていた。憂うるだけでは何もならないと、私にできることをやり遂げようと頑張ってきたつもりだ。努力を厭わない習慣、嫌なことでも我慢する心、そうしたものが身につかなければ、ますます厳しくなる社会の中で生き抜くことはできない、そんな思いをずっと持って毎日子供と接してきたから、この改定によって子供たちに、「一生懸命勉強しなければ!」と思う気持ちが少しでも芽生えてくれたらいいが、と期待している。と同時に、「子供の意思を尊重して・・」などという、私には親の責任逃れとしか映らない子育てから脱却するきっかけになってくれれば、とも願っている。
さらには「子供手当て」。TVでは、それを当て込んだ塾が6月から特別コースの開設を準備している、などと報道していたが、まるで塾にとっては「特需」であるかのように捉えられてしまうと、塾経営者の端くれとして苦笑するしかない。確かに生徒が集まらなければ、いくら高邁な教育理論を持っていたところで(私が持っているわけではないが・・)、それを子供たちに伝えることはできない。かと言って、家庭の台所を見透かしたような戦略を、いやしくも教育機関の一翼を担う塾がするべきではない、とカッコつけたことも思ってしまう。バラマキとの批判も根強い政策であり、このお金がすべて子供たちのために使われるかどうかもあやしいと、現下の経済状況を見ればどうしても思ってしまう。
学校の勉強が難しくなり、しかも子供手当が出てお金を子供たちに回すことができるから、塾に入れて勉強させようか、と多くの親が考えれば、当然塾の生徒数も増え、私の生活も楽になるはずだが、私の塾に限って言えば、この4月の段階ではそうした心理作用は親の間で広がっていないように思われる。「新学年になったからそろそろ塾へ」というシナリオは以前ほど流行りではなくなってきた昨今だが、それでもやはり4月には新入塾生がわっと押し寄せる、などという夢を見てしまいがちな私だから、募集してもなかなか生徒が集まらない3月は本当に憂鬱な1か月だ。今年もまた辛い1カ月を過ごして新学期に突入したわけで、さすがにここまで来るとふっ切れて「さあ、やるぞ!」という気合で満腔が満ち満ちている。
コツコツ真面目にやっていれば、何とかなる、そんな思いでまた1年がんばろう!!
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