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困難は分割せよ

 井上ひさしさんが亡くなった。彼の膨大な作品の一読者として何か書き留めておかなくちゃ、と思いはするが、いかんせん読んだ著作の内容をほとんどを忘れてしまっていて、何をどう書いたらいいのか正直分からない。ただ享年が75才だと知って、「最近それくらいの年齢の人が多く亡くなるなあ、そう思えば同じ年頃の私の父はずいぶんと元気で有難いことだな」としみじみ思った。

 いったい何冊、井上ひさしの本があるのだろう、と思って書棚から出してみた。
「吉里吉里人」
「不忠臣蔵」
「馬喰八十八伝」
「腹鼓記」
「日本博物誌」
「日本語相談 一」
「ことばを読む」
「喜劇役者たち」
「シャンハイムーン」
「人間合格」
「きらめく星座」
「頭痛 肩こり 樋口一葉」
「吾輩は漱石である」
「もとの黙阿弥」
「本の枕草紙」
「うふふ」
以上、16冊もあった。こんなにあるとは思っていなかったので少しばかり驚いた。だが、全冊かなり埃をかぶっていて、もうかなり長い間頁を開いていなかったのが分かる。ならば、とこのブログで井上ひさしについてどれだけ書いたことがあるのか、「井上ひさし」で検索してみた。すると、彼の著作について取り上げたのは2006年3月「2006年3月25日の「うふふ」という記事だけで、あとはすべて藤原竜也がらみの舞台にまつわるものばかりであった。これだけで、近年は彼の真面目な読者ではなかったことがよく分かり、慙愧の思いでいっぱいになった・・。
 なので、ここで追悼文めいたものを書くのも何やらおこがましいので、11日の毎日新聞夕刊に掲載されていた丸谷才一の追悼文から最後の一節を引用しておくことにする。

「この劇作家は、歴史という怪物によって翻弄され続けた昭和の日本人全体の、あまり賢いとは言いにくい生き方をもちろん裁こうとしている。しかしあれだけ達者な芝居づくりの芸を持ちながら、わかりやすい対立の図式を持ち込もうとせず、むしろそれを排して、昭和史という愚行をなつかしむことにより人間を憐れむのが、ひさしさんの方法だった。この心の広さは、世阿弥や竹田出雲とは一味違う彼独特のもので、それがあるからこそ、この二人と並ぶほど偉大な劇作家なのだとわたしは思っている」

 丸谷才一をしてかく言わしめる才を持ち合わせていた人がもうこの世にはいない。彼がこの世からいなくなったということは、彼の新作をもう見たり読んだりできないということだ。これが今の日本にとってどれだけの損失であるのか、浅学な私でさえ身につまされる。彼の遺志を継ぐ者は必ず現れるだろうから心配はいらないが、井上ひさしというかけがえのない存在は永遠に失われてしまった。死とはそういったものだろうが、彼のいなくなったこの世界で私たちがよりよく生きていくためには、中学の教科書にも取り上げられている短編「握手」の中でルロイ修道士が語った「困難は分割せよ」という言葉の持つ意味を深く考えて行くことがますます大切になるように思う。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。
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