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名古屋場所

 隣町まで昼食を食べに行った帰り道、歩道を大きな体の二人連れが自転車に乗ってやってくるのが見えた。
「あっ、お相撲さん!」
妻がいち早く叫んだ。
「本当だ。もう来てるんだなあ・・」
車のスピードを少し緩めてみると、自転車の前かごに包みが入っている。
「番付を配ってるのかなあ・・」
浴衣姿の二人は笑顔で話しながら横を通り過ぎて行ったが、どこの部屋の力士か分からないが、今は笑っていられる状況でもないだろう。きちんと髷が結えないくらいの駆け出しのようであり、このところ相撲界を揺るがせている賭博問題とは全く関係がないかもしれないが、どうしたって好奇の目で見てしまう。
「名古屋場所はどうなるのかなあ」
妻が気にするように、御当地であるこの地方では、名古屋場所が果たして開催されるか、気を揉んでいる人も多いのではないだろうか。
 
 ちょうど昨日は、日本相撲協会が臨時理事会を開き、名古屋場所が開かれるかどうかを決めると言われていた。私はどういう発表があるのか、注目していたが、報道によれば、
「力士や親方ら65人が自己申告した賭博行為の実態を解明するため、有識者のみからなる諮問機関・特別調査委員会を設置した。相撲協会は同委員会の中間報告を踏まえ、7月4日に臨時理事会を招集、名古屋場所(7月11日初日・愛知県体育館)の開催の是非を決める。また、野球賭博に関与したとされる29人のうち力士について、出場させるかどうかも決定する」
としただけに終わったようだ。
 これを知って、「往生際が悪いな」と思ってしまった。確かに、実態を把握する前に結論を出すのは早計過ぎるのかもしれないし、開催を望む相撲ファンも多いだろうからできる限り場所を開きたい意向も分からないではないが、ことが賭博だけにそうは簡単に行かないように思う。勝負に命をかけている力士が、同じように真剣に勝ち負けを競っている野球の試合を賭け事の対象とすることはスポーツの精神を冒涜する行為に他ならない。スポーツファンとしてはとても看過できない。たとえ場所が開かれたとしても、今までのような純な気持ちで彼らの相撲を見ることはできないだろう。しかも、スポーツジャーナリストの二宮清純があるTV番組で指摘していたように、この野球賭博の根が相撲賭博にまで達しているのではないかという疑念をどうしても持ってしまう。こんな状況で、たとえ名古屋場所が開かれたとしても、様々な邪念が土俵を覆い尽くしてしまいそうで、とても相撲どころではないように思う。
 もちろん、相撲取り全員が賭博行為に手を染めているとは思わないが、「李下の冠」、今回は相撲界全体が謹慎すべきだと私は思う。ここ数年、相撲界は世間を騒がし続けた。とても世間の常識が通用する世界ではないことも分かってきた。しかし、それでも、白鵬の盤石の強さには舌を巻くし、把瑠都の成長には心が躍る。幕内1000勝した魁皇の相撲に賭けるひたむきさには目頭が熱くなったのも偽らざるところだ。
「相撲が好きなんだ」
と場所が始まるたびに思う私であるからこそ、あえて「名古屋場所は開かず、相撲界全体で謹慎するべきだ」と言いたい。
 
 15日間欠かさずTV桟敷で観戦している私の父のような人たちは日本中に多いだろう。もうすぐ名古屋場所だと楽しみにしている人たちも大勢いるだろう。(私だって時間が合えば、愛知県体育館に行きたいと思っていた・・)。その人たちの期待を裏切ったのが自分たち自身であることを相撲界は身に沁みなければならない。自分たちの愚かな行為がどれだけの人を失望させたかを、直に知らねばならない。そのためには名古屋場所を自粛し、真摯に世の中の声に耳を傾けることが第一歩ではないだろうか。それくらいのことでは相撲界が生まれ変わることはできないかもしれないが、それができないようでは体質を改善することなどとてもできないと思う。

 しっかりしろよ!!

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