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「後朝の文」

 高3になる女子高生が古典の勉強をしていて、「これは何て読むんですか?」と訊いてきた。
「どれ?」と言って見たところ、「後朝の文」と書いてある。「おお、これか。これはなあ・・」と言って言葉が詰まってしまった。何て読むんだったっけ・・。意味は分かる、でも、読み方が出てこない。こんなことが最近よくある、困ったものだ・・。仕方なく携帯を取り出して、Google につないで「後朝の文」と入れてみた。すると、「きぬぎぬのふみ」という読み方とともに、意味の書かれてあるサイトがずらっと出てきた。そのうちの一つを引用してみる。

『後朝の文とは、平安時代の貴族の男女が一夜を共にしたあと、男性から女性に宛てて送っていたとされる恋文。女側に男が通う形態をとっていた平安時代の貴族の恋愛では、夜に男が女の元に通い、情事の後、早朝に男は帰っていた。後朝の文を送るのが早ければ早いほど男の女への愛情が深いとされていた』

 さすがにこの語彙を女子高生にそのまま教えるのは気が引けたので、「きぬぎぬのふみ」という読み方だけを教えておいた。幸いなことに、「どういう意味?」と訊かれたりしなかったので、ホッとした・・。
 この「後朝の文」、古典の中では頻出するが、中でも「和泉式部日記」の次の一説はよく知られているように思う。

 『いとわりなきことどもをのたまひ契りて、明けぬれば、帰り給ひぬ。すなはち、「今のほどもいかが。あやしうこそ」とて、
  恋と言へば世のつねのとや思ふらむけさの心はたぐひだになし
御返り、
  世のつねのことともさらに思ほえずはじめてものを思ふあしたは
と聞えても、あやしかりける身のありさまかな、故宮の、さばかりのたまはせしものを、と悲しくて思ひ乱るるほどに、例の童来たり』

 『どうにもならないようなことを様々にお約束になって、夜明けに敦道様はお帰りになった。すぐに後朝の文が届けられ、「今私がこうしている間もあなたはどうしているのでしょうか?不思議なほどあなたのことばかり考えています」  
   (あなたへの思いを『恋』と言えば、あなたは世の常のありふれたものだと思うのでしょう。けれど、今朝の私の心は何に例えようもないほどです)
と、ある。
   (世の常のありふれた恋などとは、私のほうこそ思えません。生まれて初めて、切ないほどに思い乱れる朝を迎えました)
と御返事するにつけても、私の心に浮かぶのは、昨晩の敦道様のお姿ばかり。それにしてもなんと不思議な我が身の成り行きだろう、亡き為尊様もあれほど末永い契りを深く約束してくださっていたものを・・・。悲しさと恋しさと、様々に思い乱れていると、いつもの文使いの童がやって来たと知らされた。

 塾が終わって家に戻り、妻に「後朝の文」が読めるかどうか尋ねた。すると、さすが国文科卒、「きぬぎぬのふみ」と即座に答えた。なかなかなものだと、感心しながら、「なんだかエロいよね、この言葉」と能天気なことを言ったら、「ロマンチックな言葉でしょう」とまたまた洒落たことを言った。だが、天邪鬼な私が大人しく納得するわけにもいかなかったので、「エロマンチックだな」と言葉を継いだら、「バカ!」と一蹴されてしまった・・。自分としては結構上手い表現だと思ったのだが・・。
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