毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
煙突
とは言え、私が「煙突」に興味を持つのは、ただのノスタルジーかもしれない。遥か昔の子供の頃の記憶につながる「煙突」・・。子供の頃、林立して絶えず黒煙を吹き上げていた「煙突」、白濁した川とともにわが町の繁栄の象徴でもあった「煙突」。だが、今はもう市内にほとんど見当たらない。昔は当たり前すぎて何の感興も催さなかったのに、姿が見えなくなると懐かしくて仕方がなくなる。まだ何処かに残っていないか、少しばかり必死になって探したところ、かろうじて妻の実家近くに2本立っているのを見つけた。

まだ薪や石炭で陶器を焼いていた頃にはずいぶん活躍したであろう「煙突」も今ではもうほとんど使われていないのだろう。右の煙突など上の方で折れている。

燃料が重油やガスに代わるにつれ、煙突が不要になったと事情通の妻は教えてくれたが、私が子供の頃には、まだ黒煙に混じった煤が庭に干してある洗濯物に絡み付いて母が困っていたのを覚えている。あれほど汚かった川が今ではメダカが住めるほど浄化されたのと軌を一にしているのだろうが、町がきれいになった嬉しさと、昔を懐かしむ縁が無くなったのを寂しがる気持ちとが交錯してしまうのは、私がもう旧世代に属している何よりの証左かもしれない。

たとえ中折れしていても、下から見上げるとなかなかの威容だ。他の陶器の産地の煙突はレンガでしっかり作られているそうだが、わが町の煙突の多くは筒を重ねて作り、外側を金属のフレームで囲んで支えるようなタイプであるため、残しておくのが難しいようだ。文化財として呑気に残しておけるほどの余裕のある陶器屋などないというのが実情だろうが、それも世の流れなら仕方のないことであろう・・。
だが、もう一本見つけた。

車を運転しているときに見つけたものだから、慌てて車内から写真を撮った。小さな煙突だが、町中にあるのは珍しい。
これからも煙突を見つけたら写真に撮ってここ貼り付けていこう。
さあ!!
少し離れたうどん屋に出かけてみた。


この地方のうどんと言えば、「きしめん」。子供の頃から食べ続けている平べったい麺に何の違和感もないので、これを珍しがる人がいるのには驚いてしまう。妻が頼んだ「どて煮」とともに地方の名産品を食べたらやはりブログで紹介したくなる・・。
名産品と言えば、「うなぎ」は愛知県が一番の出荷量を誇る。さすがに土用の丑ともなると、スーパーではうなぎ一色だ。(愛知県のうなぎの産地は「一色(いっしき)」・・)

我が家は例年の如く「魚六」で焼いてもらったうなぎを買ってきて、どんぶりにたっぷりのせて食べた。

肉厚ながら柔らかく、たれが絶妙に絡んで実においしかった。やっぱり「魚六」はおいしいなあ・・。
今年は土用の丑がもう一回あるそうだ。と言うことは、近々もう一度「魚六」のうなぎが食べられるわけで、それはかなり得した気分になる。どうしてそうなるのかはよく知らないが、妻によれば時々そういうことがあるらしい。でも、なんだかいつもの年より余計精がついて暑い夏を無事乗り切れそうな気がする。
さあ、これで夏期講習を迎える気構えは十分にできた。6週間はずいぶん長い気もするが、受験生にとっては一瞬たりとも無駄にできない毎日が続く。私もしっかり体調管理をして、子供たちの「やる気」を少しでも引き出せるよう、奮闘努力しなければならない。
さあ、頑張るぞ!!!
(PS.)琴欧洲が8連勝で勝ち越し。ひょっとするとひょっとするかも、って気はしないでもないが、騒ぎ立てるとダメになりそうなので、今はこっそりと・・。
はいしゃさん
きんようびにはいしゃさんからもうこなくていいよ、といわれました。
まいしゅうかよっていっぱいいっぱいはをなおしてもらいました。
ぼくひとりではいしゃさんにかようのはこわいのでいつもツマさんについていってもらいました。
ツマさんは「あなたはもうおおきいんだからひとりでいけるでしょ」といいましたが、ぼくにはとてもそんなゆうきがありません。
せまいまちあいしつでじっとぼくのばんをひとりでまっているなんてとてもできません。
いまかな、いまかなとおもっているうちにだんだんドキドキしてきて、あたまがくらくらしちゃいます。
なので、いつもツマさんにおねがいしてついていってもらいました。
でも、このあいだのきんようびはツマさんがきょうとのぎおんまつりにいってしまったので、ぼくひとりではいしゃさんにいかなくちゃいけませんでした。
はいしゃさんにひとりでいかなくちゃ、とあさおきてからずっとおもっていたら、おひるごろになったらもうつかれちゃいました。
だいじょうぶかな?とますますしんぱいになりましたが、ぐっとおなかにちからをいれてがまんしました。
はいしゃさんについたら、うけつけのおねえさんに「よろしくおねがいします」としんさつけんをわたしました。
「きょうはひとりですか?」とおねえさんがきいてくれましたが、ぼくはきんちょうしていて「うん」としかこたえられませんでした。
おばあさんがひとりまちあいしつでまっていましたが、すぐにしんさつしつのなかにはいっていきました。
こんどはぼくのばんだ、とおもったら、ちょっとしんぞうがドキドキしてきました。
「だいじょうぶ、がんばれ」とじぶんにむかっていってみました。
するとすこしげんきがでました。
「じゅくちょうさん」
おねえさんがぼくのなまえをよびました。
「はい」とおへんじしてしんさつしつにはいっていきました。
しんさつしつはいつもぼくひとりではいっていくので、ここまでくればいつもといっしょです。
「おねがいします」とせんせいにいっていすにすわったら、せんせいがすぐにみてくれました。
かたをとってあったはをかぶせたらおわりました。
「はい、これでもうおわりですよ。またなにかあったらきてくださいね」
せんせいはそういってくれました。
ぼくは「ながいあいだどうもありがとうございました」とツマさんにいわれていたとおりにおれいをいいました。
むしばだらけのぼくのはをせんせいはきちんとなおしてくれました。
あんなにいたかったははもうなんともありません。
はいしゃさんてすごいな、とおもいます。
でも、はじめてひとりではいしゃさんにいけたから、じぶんもすごいとおもいました。
コンチキチン(2)
でも、やはり祭りの片鱗くらいは味わいたい。そこで妻にSDカードを渡して祭りの様子を写真に撮ってくれるよう頼んでみた。しばらくブツブツ言っていたが、意外にも戻ってきたらかなりの枚数を撮ってきてくれていたので、その中から選んだ写真をデジブックにまとめてみた。
山鉾巡行を見るなら「辻回し」が見たいと言っていた妻だが、河原町では見物客が多すぎて、とても見られないだろうと思って、御池の方に行ったら案外楽に見えたのだそうだ。山鉾を直角に回すにはかなりの時間がかかるが、「見ていて楽しかった」と、祇園祭りの醍醐味を心行くまで楽しんだようだ。
実は私が渡したSDカードは容量の小さなものであったらしく、10枚も撮れずに満タンになってしまったので、通りにあったカメラ屋で新しくカードを買って撮影してくれたらしい。妙にサービスがいいからちょっと面食らってしまったが、コンチキチンと街中を流れるお囃子を聞いていると、気分が高揚してくるのかもしれない。
天気はよくなかったそうだが、それが反って幸いし、あちこち歩いていても暑さが苦にならなかったらしい。京都の人たちは京都の暑さを自慢するが、そんな暑さを味合わなかっただけ運がよかったのだろう。(私は名古屋地方の暑さのほうが厳しいと思っているが・・)
留守番していた私に、昨年と同じように白楽天山の粽を買ってきてくれた。「学業成就招福除災御守」として、一年間塾舎の玄関に貼っておいたものを、新しい粽と交換できた。

祇園祭りが終わると、私の塾は夏期講習が始まる。また今年の夏も暑くなりそうだが、何とか最後まで頑張ろうと粽を見ながら心を奮い立たせている。
ガンダム(2)
記念行事は全国規模で広がっているようで、お台場には等身大の高さ18mのガンダムが造られた。写真を見る限りでは精巧でまさに本物のガンダムといった趣がある。

塾生の女子高生で、父親がガンダムの大ファンだという子がいる。家にはガンダム部屋なるものがあって、様々なガンダムグッズが所狭しと並んでいるのだそうだ。その子が「夏休みにお父さんとお台場まで1分の1ガンダムを見に行く」と言っていたが、私はそこまでしたくなるほどガンダムに入れ込んでいるわけではない。ただ30年前最初に放送された「ガンダム」を何回か見たことがあり、それまでのTVアニメとは一風変わった切り口で戦闘ロボットを描いていた記憶があったから、懐かしさも手伝って、この際全編見てみようと思って録画したのだった。
しかし、縁とは不思議なものだ。録画した最終話を見終わった14日の火曜の毎日新聞夕刊に、名古屋テレビでガンダムのプロデューサーを務めた関谷渉さん(77)のインタビューが載っていた。それによると、79年4月7日に放送開始したものの、視聴率は低迷を続けた。6月に姿を消したシャアを復活させてテコ入れを図ったものの、視聴率はさしたる好転はしなかったため、結局翌年の1月いっぱいでの番組打ち切りが決まってしまった。全52話の予定が43話で終了してしまったのだそうだ。こうした事情をまったく知らなかった私は驚いたが、放送終了後もファンの熱い支持が続き、何度も再放送され、82年の再放送の平均視聴率は25.7%を記録し、最初の放送の2.8倍にもなったという。これにも驚きだが、ガンダムの魅力を関岡さんは次のようにまとめている。
「単なる戦争のアニメじゃない。敵方に魅力のある人物が大勢登場した。敵方が死んだ時、アムロたちは喜ばず、悲しんだ。敵と味方を超える深い愛情があった。疑問を持ちながら戦い、戦争には常に悲しみがあるという考えを貫いた」
戦争を知る世代の言葉として、重い響きを持っている。
小説であれ、映画であれ、アニメであれ、名作と呼ばれるものには「正しい読み方や見方」があるように言われ、それを外れると邪道のように言われてしまうことも多い。だが、そうしたガイドラインこそが名作を歪めてしまう元凶となるのではないか。実際に読みもせず、見もせずに、世間の風評を鵜呑みにして、満足してしまうのは最も避けるべきことであろう。私もいつしかその陥穽にはまっていたが、私の目をくらましていた先入観を排除するため、従来はとても見向きもしなかったものにも近年は積極的に接しようとしている。そこから自分が感じ取ったもののみが己の糧になるものと信じ、今更ながらと思わぬでもないが、自分の知らなかった世界に足を踏み入れ、自分の幅を少しずつでも広げていきたいと思っている。
でも、宮台はやっぱり無理。全く読む気が起らない・・。
柿の種

越後長岡の「浪花屋製菓」の「元祖柿の種」。元祖と言われると「ほんとか?」とついつい疑いたくなってしまうが、柿の種を初めて作ったのは事実「浪花屋」なのだそうである。
「1923年(大正12年)、新潟県長岡市摂田屋町の浪花屋製菓の創業者今井與三郎が、うっかり踏み潰してしまった小判型煎餅の金型を元に直せずそのまま使用したところ、歪んだ小判型のあられになってしまった事が誕生のきっかけである。商品名は得意先の「柿の種に似ている」との一言から付けられた」(Wikipediaより)
そんなに由緒正しい柿の種ならきっとおいしいだろうと、早速食べてみた。


かなりの大粒で、食べた!という気がする。適度な辛味もあって、なかなかの味だ。さすが「元祖」を名乗るだけのことはある。
だが、何か物足りない。日曜の夜はご飯代わりに柿の種を何袋も食べている私にはどうもイマイチだ・・。なぜ?
そこで、いつも食べなれている亀田製菓の製品を出して並べてみた。

2つ並べたらすぐに分かった。ピーナッツが入ってなかったんだ!!私の大好物は亀田の「柿の種」ではなく、「柿ピー」だったんだ。
柿の種だけではどうしても飽きてしまう。かといってピーナツだけもちょっと寂しい。そんな隙間を絶妙に埋めてくれるのが「柿ピー」なのだ。柿ピーは一度食べ始めたら止まらない。いくらでも食べられる。当然ながらそれは柿の種とピーナッツの相乗効果によるものだ。しかし、どちらか一方が多くてもこれだけのおいしさはきっと生まれないだろう。亀田製菓はおいしい「柿ピー」作り出す、その配分比率を「黄金バランス」と呼んでいる。最近CMでもこのキャッチコピーをよく見聞きするが、HPなどを調べてもその比率が何対何なのかは教えてもらえない・・。(今現在キャンペーンも行われているようだが、賞品が心をくすぐるものではないため、パスしようっと・・)
「黄金バランス」と言われれば、なるほどと頷くしかない。柿の種はさほど辛くないし、ピーナッツも甘くはなく、固くもない。これほど完璧においしいと「浪花屋製菓」の大粒の柿の種に、どんなピーナッツを合わせてもきっと「亀田の柿ピー」には叶わないだろう。そんなことは十分承知しているから、自分で様々な組み合わせを試してみて、マイベスト・柿ピーを探し出そうかな、などという企画はチラッと頭に浮かんだ瞬間に消え去った。無駄な抵抗はしないほうがいいものね・・。
日食観測器
《主な材料》
・紙製の大小の筒(長さが50cmあれば1本でもよい。小さい筒は食品用ラップの芯など。大きい方は洋酒の箱などの大きさで底のあるものがいい。四角いダンボール箱でも)
・アルミホイル
・白い紙

今回私が用意したものは、長さ30cmのラップの芯と、同じく約30cmほどのリソグラフのマスターが巻いてある芯。ちょうどぴったりな物を見つけられて首尾よくいけそうな予感がした。
《作り方》
①小さい筒の一方の先をアルミホイルで覆い、真ん中に針で約1ミリの穴を開ける。⇒アルミホイルできっちり覆った後はセロテープでホイルが落ちないように止めた。

②大きい筒の底に白い紙を張る。⇒紙を大きな筒の底の形に合わせて切り、糊付けした。


③大きな筒の上部を、小さな筒の大きさに合わせてくりぬく。小さな筒との間のすき間はガムテープなどでふさぐ。⇒大きい筒に上蓋はないので、小さい筒にガムテープを巻いていき、大きい筒に差し込むのにちょうどいい太さにした。差し込んで全体を50cmの長さにしておいて、動かないよう周りをガムテープで固定した。


④側面に切手大ののぞき穴を開ける。⇒大きい筒は厚いダンボールでできているので穴を開けるのは大変だったが、なんとか完成!!


さっそく太陽を覗いて見た。「きれいな像をつくるには、筒を正しく太陽に向けること。筒の影を見て、一番小さいときが正しい向きだ」と書いてあったが、「筒を正しく太陽に向ける」ことがなかなか難しい。しかも太い筒はきっともっと太い物の方がスクリーンが大きくなって、太陽の像を見つけやすいのだろう。ちょっと失敗した気もしたが、あれこれ試行錯誤するうちに一瞬きれいな像が見えた。すごい!と叫びながらも、ちょっとコツがつかめたようで、その後はずっと光の像を捉えることができた。しかも運良く写真にも撮れた!!

いい感じ!!
一週間後が楽しみだ!!
14本を振り返って・・。
第1号【4月7日】
さあ、開幕!!
さすがに4番だけあって、第1~4まですべて走者を置いてのバッターボックス。
だけど、第1~3まで凡退・・。
第4打席にHRを打って1点差に詰め寄るもその裏に4点取られて万事休す・・。
もっと早くに打てよ!!と文句も言いたいけど、まあ、開幕だけにご祝儀で大目に見よう。
第2号【4月23日】
豪快な第2号!!
膝の水を抜いて消炎剤をうって、ひざの状態は良くなったっていうから、バッティングも良くなってきたんだろうな。
延長14回のこの試合、松井の一打で決めて欲しかったけど、贅沢言っちゃいけないよなあ・・。
まずは、めでたしめでたし。
第3号【5月8日】
HRは打ったけど、第2打席の凡退は見ていて悲しかったなあ・・。
明日からAロッドが復帰するらしいから、松井の打順は下位かな・・。
先発出場も危ないけど、まあコツコツやってってくれるしかないなあ。
爆発はいつするんだろう・・。
第4号【5月15日】
決勝HR!!
今朝は試合に出ているのを知ってびっくり!!
決勝HRを打ったのを見てまたびっくり!!
久しぶりに意表を突いてくれたじゃない。
うれしいよ!
第5号【5月22日】
大きなHRだった。
豪快に2階席まで飛んでいった。
だけどなあ、あんな甘い球2球続けられりゃ打って当然だよなあ・・。
あんな球2球続けられるなんて舐められてる証拠だよ。
もっともっと打たなくちゃ!!
第6号・7号【5月28日】
2年ぶりの2打席連発!!
これを待っていたんだよ、松井くん!!
これで吹っ切れたかな。
明日からもガンガンいくぜ!!!
第8号【6月3日】
いいHRだった!!
ここのところ力強いHRが多くなってきたから楽しみ。
頑張れ、松井!!
もっともっと打とうぜ!!
第9号【6月13日】(アメリカでは松井の誕生日の12日)
バースデーHR!おめでとう!!
この調子でガンガン打ちまくれ!!
第10号【6月15日】(私の誕生日)
サンキュー松井、何よりのバースデープレゼントを!!
GOGOメールでお祝いもくれたしね。
やはり君は最高だ!!
第11号【7月3日】
松井が右左関係なしに打てるってことぐらいどうして分からないのかな、ジラルディー君・・。
まあ、君は9回裏に松井が何もできなかったことしか頭に残さないかもしれないけどね。
確かにそうだよ、情けないよ、でも健気に頑張ってるじゃないか!!
頑張れ、松井!!
第12号【7月5日】
ハラデーからのHRはまた格別だなあ。
これで2本目かな・・。
ベケットからはまだだよね。
頑張れ、松井!!
第13号【7月6日】
やっぱり5番はいい。
1HR、4打点、結果を残したのもいい。
やっとやっと、本当にやっと松井の季節が来たんだなあ!!
頑張れ、松井!!
第14号【7月12日】
ヤンキースはBOSとLAAが苦手・・。
野球の質が違うとしか思えない。
いや、監督の差かな、やっぱり・・。
松井の14号はそれなりに嬉しいけど、ウィーバー弟ごときに3三振は情けない!!
今シーズン私は「松井愛」を最後まで貫くことを念頭において応援している。不退転の決意で臨んでいるであろう松井にこの先何が起ころうと、私は力の限り応援する覚悟だ。オールスターブレイクを心身の休養に充て、リフレッシュして後半戦での大活躍につなげて欲しい。
頑張れ、松井!!
ハイウェイオアシス
子供たちが小さかった頃は、舘山寺温泉あたりへ泊りがけでよく出かけた。ある程度の土地勘もあり、行けばそれなりに楽しめるだろうと思っていたが、残念なことに高速道路で道を誤った・・。昔のようにはじめから東名高速に乗ればよかったものを、近年できた自動車道から東名へ乗り換えようとして、そのジャンクションで左折するのを忘れて「伊勢湾岸道路」なるものへ乗り入れてしまったのだ。何に気を取られていたのかよく覚えていないが、妻が「あっ!」と叫ぶ間もなく通り過ぎてしまった。さすがに高速道路では戻ることはできない。仕方なくそのまま走って行ったが、こうなると何処へ行ったらいいのか見当もつかない。しばらくはそのまま走っていくしかないな、と思っていたところに観覧車が見えてきた。
「あれって前に伯母さんが言ってた観覧車じゃない?」
と妻が言う。
「ほら、サービスエリアに遊園地や何かがあって結構遊べるって場所・・」
そう言えば、伯母が私の従妹に連れられて行った話を思い出した。
「行ってみるか」
今度は見過ごさず、道を折れてめでたくサービスエリアに車を停めることができた。

「刈谷ハイウェイオアシス」という場所だとパンフレットを見て知った。「グルメ・ショッピング・遊び・癒しなど魅力がいっぱい」とも書かれている。確かにメリーゴーランドやゴーカートで遊ぶこともできるし、「天然温泉かきつばた」という温泉施設もある。一般道からも乗り入れることができるようで、駐車場は満車状態だった。
「浜名湖に行くよりよかったかもね」
と負け惜しみを言ったが、実際かなり楽しめた。観覧車は一人600円するので「もったいない」と妻の一声でやめになった(私は乗りたくなかったのでほっとした・・)が、「セントラルプラザ」という場所はフードコートと産直市場が階を隔てて設置されていて、まさに「グルメとショッピング」を楽しめた。




思わずあれこれ買ってしまった・・。こうした場所に来るとついつい財布のひもが緩んでしまう。
買い物の後で、昼食はラーメンで済ませたが、あまりおいしくなかったのは残念だった。だが、まさかここで虎屋のういろうにお目にかかれるとは思っていなかったので、かなり感激した。


自分の失敗が招いたことながら、かえって楽しいひと時を過ごせたのはよかった。「こんなこともあるんだな」と、時には失敗するのもいいかな、と思った利した・・。
PS.このサービスエリアには「デラックストイレ」というTVなどでも紹介された有名な女子トイレがある。妻に頼んでその内部を写真に撮ってもらった。


何これ?
タモリ
というニュースを土曜の朝ネットで見つけたが、私は金曜の「笑っていいとも」の中でタモリが自ら発表したのを聞いていた。「人間ドックで徹底的に調べたら、どこか悪いところが見つかるだろうな・・」とちょっと心配になった。病気を見つけるためではなく、病気がないことを確かめるための検査となるように、とタモリのファンである私は祈るばかりである。
「笑っていいとも」はギネスに載るほどの長寿番組であり、いささか金属疲労を起こしているのは否めないが、それでもやっぱり毎日欠かさず見てしまう。それは、月・火・金にSMAPのメンバーが出演するから我が家にとっては必須プログラムであるからなのは言うまでもないが、なんやかんや言いながらもやっぱりタモリが面白いからごく自然にチャンネルを合わせてしまうのが一番大きな理由だと思う。ちなみに月曜から金曜まで主な出演者を思いつくままに挙げてみると、
月曜:慎吾・劇団ひとり・ガレッジセール・あっきーな
火曜:中居くん・さまーず・タカ&トシ・柳原可奈子・里田まい
水曜:爆笑問題・DAIGO・千原ジュニア・おすぎとピーコ
木曜:鶴瓶・ぐっさん・南野陽子・青木さやか・チュートリアル
金曜:つよぽん・関根勤・久本雅美・オリラジ・大島
これだけ大勢のメンバー一人一人をそれなりに生かしながら、しかもテレフォンショッキングで多種多様なゲストを迎えて面白そうな話題を引き出しているのだから、たとえ一週間であっても、タモリの不在は番組としては相当な痛手であろう。昔はタモリが夏休みをまとめてとることもあり、その間の司会をレギュラーメンバーで持ち回りにしていたが、その物足りなさだけは今でも覚えている。まったく肩肘張らずにやりたいようにやっているだけに見えるタモリのスタイルは、他人では真似できない彼独自の才能があってこそなのだろう。なんて稀有な存在なんだ・・。
そのタモリの魅力が一番発揮されているのは、流浪の番組「タモリ倶楽部」であろう。流浪とタモリ自身が言っているように放送時間がコロコロ変わってしまうため、たまたまTVを点けたらやっていた、という感覚でしかお目にかかれない。先週も何曜日だったか忘れてしまったが、偶然久しぶりに終わり10分ほど見てしまった。「空耳アワー」も続いていたし、「ソラミミスト」の安斎肇もかなり老けて見えたが健在だった。その日の番組は「曳家」と言う大きな建物(神社)を動かす仕事の様子を映していたが、最後のダイジェストしか見えなかったのでその内容はよく把握できなかった。しかし、「タモリ倶楽部」恒例のコアなものであったことだけは間違いない(名古屋地区は放送が遅れているかもしれないが・・)。いくら深夜番組とは言え、どんな視聴者を相手にしているのかよく分からない不思議な番組をもう何年も続けているタモリとTV朝日には感服せざるを得ない・・。
だが、やっぱりタモリのすごさを私が一番感じたのは、亡くなった赤塚不二夫の葬儀で読み上げた白紙の弔辞だろう。この弔辞は報道番組などで大きな話題になったが、私は後に「文藝春秋」に採録されたものを読んで、その場で心にこみ上げてきた言葉をそのままタモリが声に出したものだとはとても信じられなかった。切々とした心情を決して感情に流されることなく、万感迫り来る思いのたけを理路整然と語りきったタモリのすごさに、私は思わず身震いしてしまった。これほどの弔辞は今まで聞いたことも呼んだこともなかった・・。
金曜日のタモリはゲストに山下洋輔がやってきたせいか、いつもよりもハイテンションな気がした。今思えば妙なタイミングだと言えなくもないが、とにかく一週間経ったらまた元気な姿を見せて欲しいものだ。
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