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セサミストリート

 「辻利」なんてお茶は、その存在すら知らなかった。JTの商品らしいが、タバコ屋がどうしてお茶を?と思わないでもない。タバコの葉とお茶の葉、どちらも葉っぱつながりで・・などというオチでもなさそうだが、妙な取り合わせではある。だが、そんなことは私にはどうでもいい。ペットボトルにくっついたキャンペーンの景品を見つけた瞬間から「利辻」は身近なお茶になった。おまけは「セサミストリート」の仲間たち。どうして宇治茶にアメリカのキャラクターを・・という謗りを避けるためか、一人一人に浴衣が着せてある。これで「和」の趣を醸し出そうとしているのだろうが、アメリカンキャラクターではお世辞にも似合っているとは言い難い。全6種すべて集めたので、どれだけ妙ちくりんな姿をしているか写真に撮ってみた。

 「エルモ」
 とくちょう : 真っ赤な毛でおおわれているモンスター
 好きなもの : 歌とダンス。ダリオさんに英語を教わること
 性格 : 好奇心旺盛。元気いっぱいで、ポジティブ思考



 「クッキーモンスター」
 とくちょう : 大きな目と口を持ち、青い毛で覆われているモンスター
 好きなもの : 三食食べること。おやつの時間や、クッキーとそれにまつわる全てのものが好き
 性格 : 愛らしく、愛情豊か。鋭い直感力と想像力を持つ


 「ティーナ」
 とくちょう : ピンク色の身体と青い髪を持つモンスター
 好きなもの : 歌。花飾りを作ること、身につけること
 性格 : 明るく好奇心旺盛。自然を愛する優しい性格



 「ビッグバード」
 とくちょう : 身長2.5mもある黄色いカナリア
 好きなもの : 絵を描くこと。なぞなぞ。クレヨン集め
 性格 : クリエイティブで芸術家肌。敬意の心を常に忘れない



 「アーニー」
 口ぐせ : ねぇ、ちょっとバート、眠ってるの?!
 好きなもの : バートにいたずらすること
 ラバーダッキー(ゴムのアヒル)とお風呂に入ること
 きらいなもの : バートが相手にしてくれないこと、自分が掃除当番になった時


 「バート」
 口ぐせ : アーニー!
 好きなもの : たいくつな話、テレビの天気予報、オートミール
 きらいなもの : アーニーのくだらない質問


 実は私、「セサミストリート」の仲間たちについてはよく知らない。ずいぶん昔によく見た覚えはあるから、何となく名前くらいは知っているが、姿かたちと名前を結びつけることは難しい。 クッキーモンスターがどれなのか言い当てることができなかった・・。
 思わず「辻利」を6本買って全種類集めてみたが、さほど可愛くないので持っていたくない。塾生の何人かに「いらない?」と聞いてみても誰も受け取ってくれない。仕方なく机の上に放置してある。でもちょっと気色が悪い・・。
 「セサミスリート」ってまだNHKで放送されているのだろうか?

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蓋然性

 今、宮台真司の「日本の難点」(幻冬社新書)を読んでいるのだが、読むたびにムカムカしてきてなかなか先に進めない。人は誰しも受け入れられない他者がいるように思うが、私には宮台の存在がそうなのかもしれない。宮台の著作など初めから無理に決まっているのに、「文句をつけるにも読まなくちゃできない」などと一介の塾長が妙なこだわりを見せて、何とか最後まで読み通そうと奮闘しているが、生理的に受け付けないものは苦しいだけだ。遅々として進まず、やっと半分を読み終えたところだ。常套的なことを述べているだけなのに、様々な学者の説を援用して、いかにも重厚な説を唱えているように粉飾しようとしているようにしか思えない・・、それは私の理解力不足の故かもしれないが、何が言いたいのか途中で読み取ろうとする気力が萎えてしまうから仕方がない。「難解」と評されもするが、ことさら居丈高な物言いに、そうそう付き合えるほど私も暇ではないので、読み終えるのはいつになるか分からない。それでも、いつか読み終えたら、改めて感想は記すつもりではいる。(もうこれで十分かもしれないけど・・)
 専門的な用語は晦渋なものであり、素人相手の新書でそれをやたらひけらかすのは嫌味にしか思えない。けっ!と思いながらページをめくっていると、それでも気になる用語が時には出てくる。「蓋然性」。この言葉は宮台のお気に入りなのか、やたらお目にかかる。村上春樹の「1Q84」でも何度か見た覚えがあるから、現今では知的なテイストを付けたい場合にはうってつけの用語かもしれない。何となくは分かるが、それじゃあどんな意味か説明してよ、と問われると狼狽してしまう言葉はよくある。「蓋然性」もそんな言葉の一つだ。「どういう意味なの?」と改めて語義を尋ねられたら、ちょっと言葉に詰まってしまう・・。そこで、この際きちんと把握しておこうと広辞苑で調べてみた。

【蓋然性】(probability)①あることが実際に起こるか否かの確実さの度合い。
 ②確率。

とあった。ふむ・・。「蓋」という漢字には「ふた」の意味と、漢文でよく使う「けだし」という意味もある。そこで、また調べてみた。

【けだし】①まさしく。ほんとうに。たしかに。「この言葉はけだし名言である」
②ひょっとしたら。もしや。「けだし然らん」

なるほど②の意味で使っているんだな、「蓋然」=「けだししからん」=「ひょっとしたらそうだろう」・・。何となく分かった気がする。だが、それなら「可能性」とはどう違うだろう、という疑問も自然に湧いてくる。またまた調べたみた。

【可能性】(possibility)①できる見込み。
②〔哲〕(ァ)論理的に矛盾が含まれていないという意味で、考えうること、ありうること。(ィ)あることが実現される条件がそれを妨げる条件よりも優勢であると確認されていること。

なんだか訳が分からないが、要するに「理屈として起こり得ることを指す」くらいに捉えておけば間違いなさそうだ。だが、こうやって「蓋然性」と「可能性」を二つ並べると反ってこの二語の使い分けが不鮮明になってしまう。もちろん「蓋然性」などという言葉は日常会話で使うことなどまずはないだろうから、その違いなど誰も気にしないかもしれないが・・。でも、やっぱり言葉の持つ正確な意味はしっかり覚えておいた方がいいだろう。そう思ってネットで検索してみたら、この二語の使い分け方を端的に言い放った夏目漱石の言葉が紹介されていたので載せておく。

夏目漱石は教員時代、学生にこの二つの概念の区別を問われこう答えたという。
『私がこの教壇の上で逆立ちをする可能性はあるが、蓋然性はない』

さすが漱石先生。言い得て妙だ、分かりやすい。これに倣って言えば、
『私が百歳まで生きる可能性はあるが、蓋然性はなさそうだ・・』
『私が宮台のファンになる可能性はないとは言えないが、蓋然性はまったくない』

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久しぶりに・・

 買い物に名古屋まで出かけた。春になってからずっと世話になっている歯科医の従兄弟にお中元を買うのが主な目的だった。正午少し前にデパートに着き、何にするかいくつかの店を回って、感謝の気持ちを伝えるのに相応しい品を選んだ(つもり・・)。もうこれだけでかなりの時間を使ってしまったので、昼食を食べたらすぐに出なければならない。何を食べようか、と考える間もなく、意外に空いていた・・で味噌煮込みうどんを食べることにした。


暑い時に何もこんなに熱いものを、と思わないでもなかったが、暑い時に汗を流しながら食べる味噌煮込みもまた格別だ。ふーふー言いながら久しぶりの味噌煮込みを堪能した。やっぱりおいしい。
 その後姪っ子のバースデイプレゼントを買うためにおもちゃを見に行った。甥っ子たちには先日我が家を訪れた際に、NINTENDOのDS-iをアマゾンで買ってやったが、姪っ子にはまだ買っていない。毎年服を贈ってきたが、今年は皆おもちゃに統一しようと思って、先日TVで話題になっていた、ホットケーキやすしなどを作ることができるおもちゃも面白いだろうと妻の発案に賛成してみた。

 

色んな種類があってどれがいいのか、弟の自宅に電話してみた。だが、不通。義妹の携帯に電話してもみてもつながらない・・。適当に買っちゃおうかとも思ったが、気に入らなきゃ贈る意味がない。後で電話をかけ直して意見を聞き、ネットで注文すればいいや、と思い直して帰ることにした。(帰宅中に義妹から電話があり、アイスクリームを作るものに決定!!)
 
 地下に車を駐車してあるため、お中元を買った食品売り場をまた通らなければならない。色々おいしいものが並んでいる中、久しぶりに目に留まったのが、プリン!モロゾフのプリン、しかも大きい方のプリンが実においしそうに見えた。思わず買ってしまった。

 かつて私はプッチンプリンの早食いにチャレンジしてギネス級の記録を出したことがある(おバカな企画だったが、面白かった・・)。それ以来じゃないかな、プリンを食べたいと思ったのは・・。
 車に戻ってすぐに駐車場で食べてしまおうかな、とも思ったが、それはさすがにお行儀が悪いので、家まで我慢した。


 皿に移しかえるのももどかしい、そのままスプーンですくって食べてしまった。カラメルとグチャグチャに混ぜて一気に食べた。おいしい!!やっぱりプリンは最高だ!!
 などと一人興奮してしまった。が、あまりに急ぎすぎたせいで完食するのにかかった時間を計るのを忘れてしまった。かなりの好記録が出たはずなのに・・・、残念なことをした。
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 先週お稲荷さんに参拝に行った時、参道の店で杏が売られているのを見つけた。パックにいくつか入って400円だった。杏というものを食べたことがなかった私は妙に食べてみたくなった。妻に「食べたことある?」と聞いても「ない」と言うし、伯母も「食べたことはない」と言う。85年生きてきた人が食べたことがない物を食べるのも面白いかな、とますます買いたくなったが、いったいどこの産なのか明示されてていなかったので少しばかり逡巡してしまった。以前参道で買った落花生が、どうにも食べられるものではなかった覚えがあるので、どうしても警戒してしまう。暫時迷ったが、結局思い切ることができず、断念してしまった。
 「でも、どんな味がするのだろう?おいしいのかなあ・・」
そんな思いがずっと残っていた。すると今週になってウーロン茶を買いに行ったスーパーで杏が売られているのを見つけた!さすがにスーパー、しっかりと「長野産」と明記してある。これなら大丈夫、と1パック買ってみた。


 少し日をおいて熟れたほうがおいしいかな、そう思って少し待った。だが、もう限界だ、昨日パックから出して食べてみた。実は掌にちょうど収まるくらいの大きさだ。指で押すとちょうどいい加減に熟れている。おいしそうだ。皮を剥いてみたがするりと剥けたりしなかった。だが、いい香りがしてきたので皮についた実を食べてみた。おいしい・・。でも、何だかもどかしい。やっぱり実を二つに割った方が食べやすいだろう、と思ってナイフで切ってみた。

 

 もう皮など剥かずにかぶりついてみた。う~~ん、枇杷のような味だ。自分で別の実を切って食べ出した妻も、「うん、枇杷のようだね」と同意した。枇杷よりは一回りか二回りくらいほど大振りだが、味はよく似ている。後味が残らずさっぱりした味わいだ。なかなかおいしい。
 妻によれば李もよく似た形をしているが、ちょっと酸っぱいらしい。私は李も食べた記憶がないから、一度食べてみたくなった。(杏はアプリコット、李はプラムなのだそうだ・・)
 
 後に残った大きな種を見て、土に植えてみようと思った。万に一つも芽が出るなんてことはないだろうが、埋めても損にはならないだろう。みかんの木の横に穴を掘って植えてみた。


 少し前は道傍に枇杷がなっているのをよく見かけた。取って食べてみたいな、とチラッと思ったりしたが、さすがにそんなことはできなかった。何かの奇跡で、もしこの種から芽が出て何年か先に杏がなったりしたら、むちゃくちゃ嬉しいだろうな、そんなことを思いながら砂をかけた。

 PS.みかんの木はたくましく育っている。




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エコポイント

 2週間ほど前に家電屋の人が、「TVの特売をするから」と案内を持ってきた。一応私が受け取って妻に渡したが、翌日になって「これいいんじゃない?」と、チラシに載っている、22型と26型のTVがセットになって、かなり安い値段がつ付けられている商品を指した。
「お父さんの部屋と私の部屋に1台ずつするにはちょうどいいかな・・」
なんにせよ、地デジに移行するのはもうすぐだし、いくら裸になった地デジ大使が解任されようとその流れは止められない。遅かれ早かれTVを買い換えなくちゃ見られなくなってしまうのだから、スマヲタの妻にとってはまさに死活問題である。それに今なら「エコポイント」が付いている。広告にもこのTVを買ったらエコポイントが○○ポイント付いてくる!!と必ず明記されているから、買い換えるなら今はチャンスなのかもしれない。あれこれ比べればまだ安い店もあるかもしれないが、ちょっとばかり付き合いが長くなってきたこの家電屋で買った方が、後々何かと便利だ。とりあえず、どんなものか実際に見てみようと、父も連れて店まで出かけてみた。

「これだとちょっと小さいなあ・・」
父が26型を見てそう言った。AQUOSの亀山モデルだからいいかな、と思っていたが、父の部屋に入れたら少し物足りないかもしれない。「それじゃあ」と、店の人が進めてくれたのが32型と26型がセットになった商品。こちらはTOSHIBAのREGZAだが、最近のTOSHIBAはSHARPに引けをとらないくらい性能がいいらしい(会社名が横文字ばかりだ・・)。こちらのセットだと、SHARPのセットよりも1万円高くなるが、1万円で大きなTVになるのならこちらがいいに決まっている。
「私の部屋に26型は大きいけどなあ・・」
と妻は言うが、大は小をかねる。それに、
「液晶TVは大きく見えても、部屋に入れると案外小さく感じますよ」
と店員さんの助言もあったので、32型と26型のセットを買うことに決まった。

 そのTVが昨日我が家にやってきた。妻の部屋にはやはり26型は大きい気もしなくはないが、父の部屋には32型がちょうどよかった。父も満足そうだ。画面の大きいTVは迫力があっていい。私の部屋のTVはデジタルチューナーがあるから、アンテナさえ引けば地デジも見ることができるそうだが、なんと言っても小さな画面だけに、父と妻のTVが羨ましくて仕方がない。エコポイントを使って・・、などと良からぬことを考えてしまうが、地デジのアンテナ代にエコポイントは利用する予定らしいので、私の願いなど聞き入れられるはずもない・・。
 
 瀕死の麻生政権が景気浮揚策として打ち出した、「定額給付金」「エコカー購入補助金」「エコポイント」をこれで遺漏なく利用したことになる。税金のばら撒きだ、と冷ややかな目で見られがちな政策だが、いざ利用してみるとサンキュー!と言いたい気にはなる。問題はこのツケを私たち自身が追々支払っていかねばならないことだろうが、喫緊の景気対策としては一定の効果はあったのではないだろうか。折りしも新車販売台数でハイブリッドカーの「プリウス」が首位になったとの報道があったばかりなので余計にそう感じるのかもしれないが・・。
 ブレまくって支持率を下げてきた麻生太郎も自分の政策にもう少し自信を持ち、それを前面に打ち出して選挙戦を戦うだけの勇気をもっていたならば、東などというバカな輩にこうまでナメられずにすんだものを・・、と連日TVに出てくるあの欲の皮が突っ張った顔を見るたびに思ってしまう。まったく!!
 
 自分としてはばら撒かれたお金に目がくらんではいないつもりだけれど・・。
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ユニクロ

 衣替えなどとうに過ぎた先日、エアコンをかけた教室内が妙に暑かった。毎年梅雨のあとさきの暑い日にはクーラーの効きが悪い日があるので、それかなと思っていた。だが、それにしては生徒たちが涼しい顔をしている。暑がっているのは私だけだ。なんだか変だ・・。それでもその日は暑いままに授業を終えたのだが、もしクーラーの効きが悪いのなら、何らかの処置を講じなけらばならない、そんなつもりでいたが、ふっと思い当たることがあった・・。ユニクロのヒートテックのせいかな?
 今年の冬、ユニクロの温かい下着「ヒートテック」が評判になったが、私も何枚かシャツを買った。だが、寒い間その保温効果を体感することはあまりなかったように思うが、夏間近の今の時期にその効果の素晴らしさを味わうことになるとは思わなかった。とにかく暑い。汗をかいても吸収してくれるから、さほど気にもならないが、カッターシャツの下がポカポカして汗がじわじわ出てくる。ヒートテックじゃない普通の下着を着た場合は何も感じないから、やはりヒートテックの効果は相当なものなんだろう。なんだか感動してしまった。
 だが、これから夏本番を迎えるにあたって、いつまでもヒートテックのシャツを着ているわけにはいかないだろう。そんなものを着ていたら、間違いなくゆであがってしまう。そこで暑い毎日を少しでも爽やかに過ごせるよう、新しい商品を求めてユニクロまで出かけてみた。

 「汗をかいてもすぐに乾く」、そんな触れ込みの下着があった。「メッシュ素材で涼しい」という下着もあった。メッシュはちょっとなあ・・などと拘りを見せた私には速乾性の下着を選ぶしかなかった。果たしてどれだけの効果があるものか、ちょっと楽しみだ。

「じゃあ、これを誕生日のプレゼントにするね」
と妻が言った。
「?」
私の誕生日はもうずいぶん前の話だが・・。
「他にも何かいらない?」
特にユニクロの物が欲しいわけではないが・・。
「Tシャツは?」
まあ、買ってくれるならそれでいいけど・・。
「ヤンキースのTシャツがあるよ」
ヤンキースなどもうどうでもいいんだけど・・。
でも、松井がハラデーからHRを打ったばかりだから、記念にそれもいいかもしれない・・。


XLの大きさのTシャツはこれしかなかった。どうせパジャマ代わりになるだけだから、これくらいがちょうどいい・・。
 おまけに特価品の短パンを1つ追加した。それもパジャマ代わりにするつもりだが・・。

 日曜日のユニクロは恐ろしく混んでいた。昔と比べれば「安物」というイメージはずいぶんしなくなった。聞くところによるとユニクロの廉価版の店も市内に新しくできたという。バーバリーのブルーレーベルなど、高級ブランドの廉価版なら理解できなくもないが、安さが自慢のユニクロのさらなる廉価版・・、ちょっと想像できない。無茶苦茶安いのか、それともユニクロがちょっとしたブランドになったせいなのか、行ってみたい気もしなくはないが、今のところはユニクロで十分な気がする。
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頑張れ、弁慶!!

 かなり遅れてしまったが、弁慶の予防接種に行ってきた。行かなくちゃ、とずっと思っていたのに、ついつい遅くなってしまった・・。
 このところあまり弁慶と遊んでいない。はっと気づくと、もう塾の準備をしなくちゃいけない時間になっていて、弁慶と散歩する機会をなかなか作れなかった。もちろん餌や水をやるために毎日何度かは接触しているが、改めて細かい観察をしたことはなかったため、獣医に連れて行こうと久しぶりに弁慶を外に出したら、思ってもみなかった弁慶の変わり具合に少しばかり愕然としてしまった。
 まず驚いたのは、紐に繋いで出すとすぐにオシッコをしたのだが、まったく切れがなく、ダラダラといつまでも出している。自分でもそれに気付かないのか、とぼとぼ歩きながら垂れ流しているのだから、思わず「大丈夫か?」と声をかけてしまったほどだ。それどころか、ふっと気付くとウンチまでもらしている。今までの弁慶なら、さあするぞ、と身構えてからしていたのに、知らないうちにコロコロとお尻から出てきた、という感じだ・・。これじゃあ、車に乗せて獣医まで行く間に、車の中でもらしたりしないだろうか、とちょっと心配になった。だが、車に乗せるのにも一苦労だった・・。マイクロバスに乗せて連れて行こうとしたら、ステップを上れない。去年までなら何の苦もなくスルリと乗っていたのに、前あしをステップに乗せても踏ん張れないようだ。先に乗っていた妻が紐を引っ張り、私が腰を押して何とか乗せたが、どうしてこんなにガクッと弱ってしまったのだろう・・。
 獣医に着いても弁慶の異変は続いた。先客がいたので外で待っていたが、その時も後ろ足が微妙に震えて、まともに歩けないようなのだ。少し試してみようと、私が紐を引っ張って周囲を歩いてみたが、その間にもウンチをもらすは、足腰はがくがくするは、まったく勢いがない。いつの間にこんなにも老いさらばえてしまったのか、自分の不注意を反省するとともに、あんなに力強かった弁慶がこんなに弱ってしまうとは・・、悲しみがこみ上げてきた。

 弁慶の番になり、診察室に入っていったが、体重を量ろうとしても秤の上に乗れない。いくら弱ったとは言え、まだまだ体重は楽に30kg以上あるだろうから、弁慶が上る気にならなくちゃ、そう簡単にはいかない。だが、弁慶はイヤだと言いたげに床にへばりついているので、それを見た獣医が「体重はいいでしょう。注射だけ打っておきますね」と妥協してくれた。「12歳ですものね。秋田犬は10歳も生きれば長寿の方ですから、珍しいですよ、こんなに生きるのは」「特に何もしていないんですけど・・」と、予防接種にも遅れてしまうようないい加減な飼い主であるから、どうして弁慶がここまで元気に生きてこられたのか、まるで分からない。ただ、塾舎の横の空き地を囲って、鎖もつけずに自由に遊ばせておいたからストレスを感じずに生きてこられたのがよかったのかもしれない。
 来年も予防注射を打ちに来られるだろうか、獣医の話を聞いていたら、何だかそれも覚束ないような気がしてきた。身体が大きいだけに弱るとガクッと来るみたいだ。かなり心配にもなるが、私たちにできることは、できるだけ弁慶が余生を楽しめるようにすることだけだ。幸い今のところは食欲も旺盛だ。体重が負担にならない程度に、好きなだけ好きなものを食べさせてやるのも一つの思いやりかもしれない。
 それと元気な姿を一枚でも多く写真に残しておくのもいいんじゃないだろうか、そんな思いを込めて何枚か撮ってみた。これが今の弁慶の姿・・。

 
 
 ジイさんぽい顔になっちまったが、まだまだ愛くるしい・・。
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道すがら

 夏期講習がうまく行くよう祈願するため、お稲荷さんに参拝してきた。毎月参詣しているが、新学期や夏休みなどを控えた月には、参拝に一段と心がこもる。長い夏休み、体調を調え、大過なく過ごせるよう、自らの気持ちを奮い立たせるためにも大切なことだ。本殿に向かい、心を込めて祈願してきた。

 昨日は家を出てからお稲荷さんに着くまでの間に携帯のメールがいくつも届いた。週末の午前中に届くメールと言えば、メール会員となっているガソリンスタンドからの特売の知らせか、今の時期なら「ウエザーニュース」からの「雨雲アラーム」くらいしかない。コンビニに寄ったついでにメールを開いてみたら、やはりスタンドからのメールが2箇所から来ていた。そのうちの一つ・・。
■■緊急告知■■
今回は、燃料油の値上げのお知らせです。
実施となりますのは7月6日(月)より値上げとなります。
度重なる値上げとなり申し訳ありません。
度々ではございますが、値上げ前の満タン給油をお勧めいたします。
是非この土日にご来店下さい。

なんだか仰々しいが、2週間に一度くらいのペースで値上げの告知が届く。5円から10円近くの値上げとなるので、メールが届くと給油しなければならない車は急いで給油に行く。だが、また徐々に値下がりしていき、1週間も経てば元の価格に戻る。「なんだ」と思っているとまた値上げの告知が届く・・、最近それの繰り返しだ。原油先物市場では、このところずっと1バレル70ドル前後での取引が続いているから、何も値上げする要因はないように思うのだが、どういうわけだかこんな状況が続いている。
「1年前はひどかったよなあ・・」
と、運転しながらひとしきり昨年の今頃の原油価格暴騰の恨みを吐いた。
「もうあんなことはイヤだなあ・・」

そんなときまた別のメールが届いた。お稲荷さんの駐車場に着いてから確認してみた。おお!GOGOメールだ!
松井秀喜、今季11号2ラン!<ヤンキース4-6マリナーズ>
ヤンキース松井秀喜外野手は2日、マリナーズ戦に「7番・指名打者」で先発出場すると、4回2死一塁の第2打席に今季11号2点本塁打を右翼スタンドに突き刺した

 雨で開始の遅れた試合を3回の裏までTVで見ていた。1アウト3塁で迎えた松井の第一打席、ライトに浅いライナーを放つと、どうしたのか名手イチローが落球、記録は犠打とエラーとなり、久しぶりの打点を記録した。なかなか難しい投球をうまく打ったように見えたから、ひょっとしたら次は・・、と期待しないでもなかったが、出かける時間となってやむなく家を出た。(今は自室のレコーダーがBSを録画できなくなっているので、家に帰ってもTV画面で見ることはできない。ちょっと残念だが、PCで確認すればいい)
 このところ出場機会が満足に与えられなくなっている松井だが、腐らずに自分の役割を十分に果たそうとする姿勢は健気で、可哀相にさえ思ってしまう。中日スポーツで読んだ与田剛の記事には、新ヤンキースタジアムで会った松井にヒザを見せてもらったら腫れていた、と書かれていた。そんな不十分な状態でもベストを尽くそうと懸命に頑張っている松井に私ができることは、ただただ声援を送ることだけだ。
「頑張れ、松井!!」

 このGOGOメールのおかげで、今にも雨が降ってきそうな怪しい天気の下でも、気分よくその後の道行ができたのは言うまでもないだろう・・。
 
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「1Q84(2)」

 「1Q84(2)」を読み終えた。なんて恐ろしい勢いで読んでしまったのだろう。別に暇だったわけでもない、それなのにわずか2日足らずで500ページを読んでしまうなんて、ここ数年なかったことだ。やはり日本語に長けた日本人作家が書く日本語の小説は読みやすい・・。
 もちろん物語が面白くて、途中で止まることができなかったのが一番の理由だ。心配していた結末も、「海辺のカフカ」を読み終わって「ナメてるのか!」と毒づいてしまったのと比べれば、ある程度は収まりがついていて、居心地の悪さはあまり感じなかった。(1)を読んだときに、チェーホフの言葉をアリバイとするのか、と心配した私だが、いつの間にかその言葉がボディーブロウのようじわじわ効いてきて、「作者が提示する物語の結末をどう理解するかは読者に任せられているのかな」などと生半可な読後感を持ったのも、見事村上春樹の術中にはまりこんでしまったせいなのかもしれない。
 小説世界の現実の中に、もう一つの小説世界を織り込み、その二つの世界が次第に境界を失くしていく、「1Q84」の全体像はそんな風にまとめられるかもしれない。フィクション(小説内小説の世界)が現実(小説の世界)に影響を与え、いつの間にか自分が作り出したはずのフィクションの中に入り込んでいく・・、などと言えば複雑な気がしなくもないが、フィクションを「夢」と置き換えれば、さほど難しいことでもないはずだ。小説中でも言及されているように、「不思議の国」に迷い込んだアリスを思い浮かべればいいだろう。アリスというお話の主人公が、夢の中で様々な出会いをする・・。だが、そこでは夢は夢として、アリスが生きている小説世界とはまったく別の「不思議な国」として峻別されている。アリスが目覚めた後、チェシャ猫がアリスの家にやって来ることはないはずだ。
 しかし、小説「1Q84」では、ふかえりという17歳の少女が描いた「空気さなぎ」という小説の世界が、天吾と青豆の二人の住む現実世界を侵食してくる。そこはもう1984年ではなく1Q84年と名づけられた世界なのだが、そのあたりの絡み合いを頭を整理しながら読んでいかないと、物語がしっちゃかめっちゃかになってくる。しかも、宗教という次元を超えた超常現象としか思えないような出来事が次々に起こり出すのだから、気を抜くと訳が分からなくなってしまう。長いプロローグだった(1)を読み終え(2)へと読み進めていくと、どこまでがどの世界の出来事なのか、しばし立ち止まったり振り返ったりしなければ頭が混乱してしまう。だが、そこで止まったりしてはいけないのかもしれない。
 「説明されないとわからないのであれば、説明されてもわからないのだ」
と小説中何度も繰り返されるように、細かなことは分からないまま、ひたすら物語を追っていくべきなのかもしれない。
 そう考えると、天吾と青豆の周りに登場する多くの人物たちは、何も説明してくれない。一見説明しているように見えても、核心部分は謎のままだ。二人の周りで起きることも説明することを拒否しているようなことばかりだ。必ずしも原因と結果が明らかではないのが現実の姿なのかもしれないが、それでも天吾と青豆は説明されないこと一つ一つを自らの頭で考え、その意味を探ろうとする。そうした作業を繰り返したからこそ、天吾と青豆はたとえ短時間であれ、一方的なものであっても、同じ空間にいることができたのかもしれない。何と暗示的なのだろう・・。
 だが、読む者には疲れる小説だ。いくら分からないままでいい、と思っても、分かりたいのが読者の心理だ。もちろん少数の優秀な読み手は、(1)と(2)で書かれた事象だけで、その背後の意味を瞬時に読み取り「1Q84」を堪能できるのかもしれない。だが、私には読解力が不足しているのか、物足りない箇所がいくつもあるように感じてしまう。この小説を読み終えた人の中には、続編を期待する声も上がっているようだが、それは彼らの心に、解決されずに淀んでいる物が多く残っていることを間接的に表明しているように思われる。私にしても、「青豆は死んじゃったの?」「天吾にはどんな災厄がふりかかるの?」「ふかえりはどうなる?」などと、いくらでもクエスチョンマークを思い浮かべることができる。
 それでも、やっぱり続編など要らない。いくらBOOK1・2とあるからといってBOOK3をサプライズとして出版するなんてことはやめて欲しい。この小説はこのまま完結したものとして、少しずつ味わいなおすのがいいように思う。なんと言っても、「小説家とは問題を提起する人間」であって、その問題を咀嚼し、納得できる解決を見つけ出すことこそが、読者に課せられた責務だと作者自身が考えているようだから・・。


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「劔岳 点の記」

 「劔岳 点の記」を見た。明治時代に日本地図を完成させるため、誰も登頂していない劔岳に三角点を立てようとした測量技師たちの物語であるのは知っていた。出演者も浅野忠信、香川照之、松田龍平らだというのも知っていた。だが、それ以上の知識はないまま、例えば「劔岳」がどこにあり、高さがどれくらいあるのかという、技師たちの直面した困難さを知るためには最低不可欠な知識は持たないまま、見てしまった。確かに映画を見ていれば、どれだけのことを成し遂げた人々の記録かは、十分分かった。出演者が実際に自らの足で何度も登頂し、CGなどを使わずに撮影したという話も聞いていたから、迫力あるシーンの連続であるのも納得できた。よくもまあ、こんな危険な映画に出演したものだ、と生来臆病な私には彼らの映画作りに賭ける熱い思いも並大抵ではないのが痛感できた。
 でも、何だか今ひとつ心にこみ上げるものがなかった。主役の浅野忠信が重要な任務を任された責任者にしては軽すぎる印象を持ったのも事実だが、最後まで映画の中にすっぽりと感情移入ができなかったように思う。何故だろう。
 それは私に想像力が欠けているからだろうか。人間の接近を厳しく拒む峨峨たる劔岳の映像は迫力に満ちていた。米粒のようにちっぽけな人間が山裾を歩く姿は、遥か高みから俯瞰した図柄のようで、まるで神の視点のようにさえ思えた。だが、スクリーンを見ていて、足がすくむような感覚を一度も味合わなかった。私は高いところが苦手だ。屋根ほどの高さでも足がすくんでうまく歩けない。それなのに、劔岳の岩場を行く者たちの姿を見て足元が覚束なくなるような感覚がこみ上げてきて震えるようなことはなかった。思えば、不思議だ・・。
 

 この写真を見ながら、ふっと気づいたことがあった。それは、出演者の誰もが劔岳に登ることを恐れているようには見えなかったことだ。前人未到の劔岳、しかも聖地として土地の者は誰も登ろうとしない劔岳に登ろうとするのに、一点の迷いもないように見えた。もちろん地図を作らねばならない、という使命に燃えている者たちだというのは分かる。だが、登山の専門家たちでもない測量技師たちが人を寄せ付けない2999mの断崖絶壁の頂に立とうとするのになんらの恐怖を感じなかったはずはなかっただろう。死に対する恐怖に苛まれながらも、それでも一歩一歩進んでいく、そんな心の葛藤は常にきっとあっただろうが、それがこの映画からは伝わってこなかったように、私には思える。もし人間の本能が生きることにあるのなら、死に対する恐怖も本能だろう。生と死の狭間を進んでいくような劔岳登頂を描くにしては、そうした死への恐怖の描き方が薄かったのではないか、そんな気がしてならない。
 もちろんこれは私の勝手な印象であり、まったく映画の価値を損ねるものではない。隣で見ていた妻は泣いていたし、朝一番の上映にもかかわらず満員の館内からは、エンドロールを見ながら惜しみない賞賛を送っていた人もいた。出演者たちは役者の域を超えたまさに超人的な演技をしていたように思う。結局は、監督の演出が私の望むものとは違っていたということなのだろう・・。

 でも、松田龍平って時々松田優作に似すぎていて、ドキッとしてしまう。彼が出演する「蟹工船」の予告編も流されていたが、見に行こうかどうしよう・・。
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