じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

サイボーグ技術

2006-07-31 10:20:39 | Weblog
★ 最近老眼がひどくなってきた。近くを見るとき、遠くを見るときと眼鏡をかけかえるのはめんどうだ。今さらながら自動的に調節できていた人間の能力は素晴らしいと思う。その頃は当たり前のこととして気にもかけていなかったけれど。オートフォーカスの眼鏡があったらなぁと思う。

★ 立花隆さんの番組などを見ていると近年のサイボーグ技術の進歩には驚かされる。義手、義足をはじめ、人工臓器、人工鼓膜、人工水晶体など。眼の不自由な人でも直接脳に電気信号を送ることによって「見える」ようになるという。

★ 私も数年前に目を病んだとき、「網膜の手術をし、ついでに水晶体を人工レンズにする」方法もあると提案された。「ただ年齢的にまだ自動調節機能があるので、様子を見ましょう」とのことだった。お蔭様で病は癒え、事なきを得たが、水晶体を人工的なものに代えるということの恐ろしさと技術の進歩のすごさを感じた。

★ ただこのサイボーグ技術、人々の暮らしを豊かにするために活用されれば良いのだが、必ずしもそうではないらしい。それは軍事目的のための使用であり、むしろその面で技術の開発が進んでいるようだ。

★ 「ユニバーサル・ソルジャー」や「ターミネーター」など映画では既に登場しているが、近い将来の戦争はロボットやサイボーグの戦場となるのだろうか。だが、これにはいくつかの問題がある。一つは、人は愚かながらも人を傷つけ物を破壊し、その悲惨さを目の当たりにして戦争を避けようとする。しかし戦争が「我がもの」でなくなってしまえば、あたかもゲーム感覚で戦争が繰り広げられるのではなかろうか。二つ目は、サイボーグやロボットの反乱である。かつてアイザック・アシモフは「ロボット三原則」なるものを提案していたが、知的に発達したサイボーグやロボットが肉体的に、あるいは精神的に劣る人間に服従するとは限らない。

★ 貴族に仕えていた侍がやがて実権を握ったように、人間がサイボーグやロボットの奴隷とならないように祈りたいものだ。サイボーグ技術よりも「倫理・道徳回路」開発の方が難しいかもしれないね。
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