★ 昭和6年に発行された小西重直著「労作教育」を読んだ。
★ 小西重直は京都大学を教鞭をとった人物だ。本書はまず、外国の思想家の「労作教育」に対する考え方を紹介し、そのあとで著者自身の「労作教育」に対する考えを述べている。小西は玉川学園をつくった小原国芳の解釈を引用し「労とは骨折り」であり、「作は作業の作にあらずして創作の作である。即ち骨折って自らの力を加えて創造する創作する、構成する」ということを「労作」と言うとしている。戦後は勤労体験学習とか単に体験学習などといった表現を使うが、今日の学校でもっとも軽視されてきたのがこの労作教育ではないだろうか。
★ 進学熱の上昇と共に、受験に役立たないものは軽視されてきた。今日でも国語・数学(算数)・社会・理科それに英語は主要教科として重視されるが、音楽、美術など芸術科目や技術・家庭、体育は軽視されがちである。受験が迫るにつれて、こうした実技教科は消化試合さながらの有様だ。
★ 社会の中でも第一次産業や第二次産業が軽視され、ホワイトカラーが優越感をもつ時代になった。農業や工業や芸術、もっと簡単に言えば、作物を作ったり、モノを加工したり、美しいものを創作したり鑑賞したりすることがこのように軽視されていて良いのだろうか。
★ 世界の人口が増加し食糧の供給が難しくなってきている。自分の食べるものは自分でつくらなければならない時代が来るかもしれない。安全保障の意味からも食糧自給率も高めなければならないだろう。国民すべてが一定の作物を義務としてつくる時代が来るかもしれない。
★ 日々利用しているテレビや冷蔵庫の原理を我々はどれほど理解しているであろう。素人がテレビや冷蔵庫を修理するのはやめておいた方がよいが、ものの原理を知り、簡単なものなら加工、修理できることもこれから求められるだろう。農業にせよ、工業にせよ、芸術にせよ、私達は「モノづくり」をもっと大切にしなければならないと思った。学校教育でももっと重視すべきだと思う。
★ 小西重直は京都大学を教鞭をとった人物だ。本書はまず、外国の思想家の「労作教育」に対する考え方を紹介し、そのあとで著者自身の「労作教育」に対する考えを述べている。小西は玉川学園をつくった小原国芳の解釈を引用し「労とは骨折り」であり、「作は作業の作にあらずして創作の作である。即ち骨折って自らの力を加えて創造する創作する、構成する」ということを「労作」と言うとしている。戦後は勤労体験学習とか単に体験学習などといった表現を使うが、今日の学校でもっとも軽視されてきたのがこの労作教育ではないだろうか。
★ 進学熱の上昇と共に、受験に役立たないものは軽視されてきた。今日でも国語・数学(算数)・社会・理科それに英語は主要教科として重視されるが、音楽、美術など芸術科目や技術・家庭、体育は軽視されがちである。受験が迫るにつれて、こうした実技教科は消化試合さながらの有様だ。
★ 社会の中でも第一次産業や第二次産業が軽視され、ホワイトカラーが優越感をもつ時代になった。農業や工業や芸術、もっと簡単に言えば、作物を作ったり、モノを加工したり、美しいものを創作したり鑑賞したりすることがこのように軽視されていて良いのだろうか。
★ 世界の人口が増加し食糧の供給が難しくなってきている。自分の食べるものは自分でつくらなければならない時代が来るかもしれない。安全保障の意味からも食糧自給率も高めなければならないだろう。国民すべてが一定の作物を義務としてつくる時代が来るかもしれない。
★ 日々利用しているテレビや冷蔵庫の原理を我々はどれほど理解しているであろう。素人がテレビや冷蔵庫を修理するのはやめておいた方がよいが、ものの原理を知り、簡単なものなら加工、修理できることもこれから求められるだろう。農業にせよ、工業にせよ、芸術にせよ、私達は「モノづくり」をもっと大切にしなければならないと思った。学校教育でももっと重視すべきだと思う。