息子から「短い話なら読んでくれるかもよ」の進言で始めた法話も既に700程に。当然賛否両論。人それぞれ人生は別にて「これ正解」というものはない。但し人は例外なく皆、まだ見ぬ未来を過去の経験、教訓を基に予想して歩むは事実。よって「何かのヒントに」と経験豊富な檀家爺様婆様の話を中心に。
今春早々大学決定の若者達に「35年前拙僧の時代でも何のバイトもせず、同好会に合コン、下宿に帰ればゲーム三昧、親からの仕送りを唯待つだけの学生が数多に。当時でも4年間の怠け習慣は社会に出てからの挫折の原因に。大学生の社会的位置付けは失業者。その失業者が怠けてどうする。必ず働け」と。
中学生息子との確執に悩む親に「わが意のままに、と思うから反感を。自心でさえ思い通りには。不摂生から体調不良、虚偽行為から孤立、等。痛い目を見て初めて人は一歩前進。事ある毎に嘘を付いて逃げようとする子は、押し付けられて苦しいから嘘を。親は子が嘘を付く必要のない家庭環境の構築を」と。
知人社長が「大手に100万円の見積りを出しても『半額の8掛け(40万円)で受けろ』と。当然赤字となるが断ったら次が貰えん」と溜息を。昔聞いた話だが、会社が請け負った数億円の仕事料から数百万円抜いて自家車庫を造らせた重役がいたと。手抜き工事を責める前に途中マージンにメスを入れんと。
定期的に再確認を。私の立場では何を優先して動くべきか。医者、看護師は患者さん。先生は生徒。親はわが子。住職は檀徒、信徒。社長は社員とその家族の守護。社員は会社繁栄への貢献。これを間違えたら利益の損失に直結。人は地位や名誉、お金や身勝手な主観など、それと慣れによって勘違いの方向へ。