檀家が「イケイケ信仰の方が『檀家にしてくれ』と最近多くないか、住職」「多くないかって、あなた達が連れて来たんじゃん」と。他の檀家が「イケイケ信仰って、何」と。「霊が、見えた、聞こえた、すっぱった。悪霊、祟った、取り憑いた、の信仰かな」「そんな人達が何故、来るの」「疲れたんじゃないのかな」と。
【追伸】
檀家が「疲れたって、どういう事よ、住職」と。「若いうちは、そういう信仰に対し、興味も湧き、楽しかったのかもしれんが、歳を取ってきて、普通の信仰がしたくなってきたんじゃないの」「普通の信仰って、何さ」「何の見返り(ご利益)も求めず、ただ淡々と先祖を敬ったり、ただ淡々とお墓参りや、お寺参りに行ったり、する事かな。実生活においても、高額の祈願料を払って、自分の努力はそこそこに、ご利益だけを求めてきた、これまでの他力頼りはやめて、自分の生き方を見つめ直そうと、心を切り替える気になってきたんじゃないの。歳を取ってくるとね、人生は自分がしてきた事が、今の結果、今の答え、と悟れる様になってくるのよ。信仰は特別な物じゃない。特別な物にしている者がいるだけ。が、先祖の供養は信仰じゃないよ。命を流してきてくれた人達に、感謝の心を向けるは当たり前の事」と。