愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

あなたは、イエスが教えた「目が純一」な人についてご存知ですか(マタイ6:22,23)

2015-11-28 18:23:50 | 神の言葉・聖書

 私たちの生活の中でも、目と心の状態を結び付け、「あなたの目は純粋」という表現を用いることがあります。また、目がキラキラ輝いている人には、「あなたの目は輝いているので、心が純粋で汚れのない人なのでしょうね」などと言う言葉を用いることもあります。ある人は、「目は口ほどにものを言う」という言葉を用いる場合もあります。ですから、人と話をする場合は、目や顔をよく見て話しをするように、と促されています。あなたは、目に関するどのような教えを生活に適用しておられるでしょうか。日常生活において霊的な視力に注意を払っていらっしゃる方々は幸いです。

 イエス・キリストは有名な山上の垂訓の中で、「自分のために地上に宝を蓄えるのをやめ」、「自分のために天に宝を蓄えなさい」、「あなたの宝のある所、そこにあなたの心もあるのです」と教えられました(マタイ6:19~21)。「天に宝を蓄える」とは、神エホバのご意志を学び、神エホバが喜ばれるご意志を行い続けることです。「宝」は神エホバの教えであり、生活の中で神の王国と義をいつも第一に求めることです(マタイ6:33)。イエスはこの教えを語られた後に、次のに関する例えで重要な教えを話されました。

 「「ともしびはです。それで、もし目が純一であれば、あなたの体全体は明るいでしょう。しかし、目がよこしまであれば、あなたの体全体は暗いでしょう。あなたのうちにある光が実際のところ闇であれば、その闇はどんなにかひどいことでしょう」」(マタイ6:22,23)。

 ここで、「目が純一」とは、心が愛を動機とし誠実、一筋、神エホバの教えに焦点が合っている、寛大で憐れみ深い、温和などを、表わしています。イエスの上の聖句の言葉は、霊的な視力の重要性を教えています。霊的な目も身体的な目(文字通りの視力)も神エホバからの賜物です(箴言20:12)。神エホバは間もなく、身体的な目・視力と共に霊的な目をいやし、悲しみの涙のすべての原因・戦争やテロや病気やあらゆる不公正や諸悪を取り除き、真の平和・義の宿る社会、つまり地上の楽園をもたらすと約束されています(イザヤ35:5.ペテロ第二3:11~13.啓示21:4)。もしも、私たちに霊的な視力という賜物がなければ、神エホバの地上と人間に対する目的を理解することができません。神エホバの目的理解できない人は、絶えず人間の考えに基づき朽ちる「肉の業」を行い続け、神の王国受け継ぐことができません(ガラテア5:19~21)。一方、霊的視力の賜物を活用する方、つまり神エホバから出る教えの実の必要を自覚する方は、霊の実の九つ・愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰、温和、自制の特質を培い、生活に適用ます(ガラテア5:22,23)。

 神エホバの教えに強情で反抗的であったりする者たちの目に、事物の体制の神の悪魔サタンは、神エホバからのキリストについての栄光ある良いたよりの光明が行き渡らないように、目を覆うつまり心を閉ざすようにします(コリント第二4:4)。ですから、目が純一でない、つまり心がよこしまな人には良いたよりの光明が入らず、霊的に見ることができなくなります。

 ですから、イエスは有名な山上の垂訓の中で、人間の霊的な視野が鮮明で焦点のあった状態に保たなければならないことを指摘し、上に紹介したマタイ6章22,23節の言葉通り教えられました。私たちが霊的な視力を保つなら、正しい判断を下す能力も保つことができるでしょう。霊的な視力は、イエスが教えられた「目の中にある垂木を取り除くこともできるのです(マタイ7:3~5)。さらに、「目が純一」な霊的視力を保つなら、偽りの宗教の「盲目の案内人」から逃れ、真理の光の通り道を歩むことができるでしょう(マタイ23:16.詩編119:105.ヨハネ8:32)。

 イエスは有名な山上の垂訓の始まりに心の純粋な人たちは幸いです。その人たちは神(エホバ)を見るからです」と保証の言葉を述べられたことも、覚えていてくだされば幸いです(マタイ5:8)。

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       焚火あり 瓦職人 お茶囲む 今日の一句

                          庭の「初冬のバラ」

 

  

 

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サルスベリと柿の葉の紅葉と初冬のスミレの花

2015-11-28 00:22:40 | 四季折々の花々

 庭のサルスベリの残り葉が紅葉しています。

 サルスベリの木の枝は勢いよく伸びるので

 花の終わる秋に枝を切り落とします。

 残り葉が紅葉していました。

 柿の葉も枝の先で紅葉していました。

 紅葉というより柿色に変化していると言った方が良いかも知れません。

 今日はサルスベリと柿の葉の紅葉と初冬のスミレを紹介致します。

                      サルスベリの「残り葉の紅葉」

                          富有柿の葉の「紅葉」

                     初冬の庭に咲いている「スミレ」

 

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あなたは、イエスの教えた目の中のわらと垂木の例え話の意味をご存知ですか(マタイ7:1~5)

2015-11-27 23:25:57 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストは群衆や弟子たちが、イエスの教える真理の意味を悟ることができるように、身の回りにある事柄を例えに用いて分かり易く教えられました。イエスの例え話を聞いた人は、その意味が心に残り、心が動かされるようになり、教えを生活に適用することができるようになりました。

 私の子供の頃、小学高学年生頃から中学生になると、両親や先生から、「自分に大きな欠点があるのは、なかなか分からないが、他の人の欠点はすぐ目につくものです。まず自分に注意するように」とか、「他の人の欠点よりもまず自分を正すように」と、教えられて来ました。皆様方は如何でしょうか。イエス・キリストの有名な山上の垂訓の中で、両親や先生に教えられていた教えの源が、分かり易い例え話を用い教えられていました。次のように記されています。イエスの教えを学び適用される方々は幸いです。

 「「自分が裁かれないために、人を裁くのをやめなさい。あなた方が裁いているその裁きであなた方が裁かれることになるからです。そして、あなた方が量り出しているその量りで人はあなた方を量り出すでしょう。では、なぜ兄弟の目の中にあるわらを見ながら、自分の目の中にある垂木のことを考えないのですか。また、どうして兄弟に、「あなたの目からわらを抜き取らせてください」と言えるのですか。しかも、ご覧なさい、自分の目の中には垂木があるのです。偽善者よ!まず自分の目から垂木を抜き取りなさい。そうすれば、兄弟の目からわらを抜き取る方法がはっきり分かるでしょう」」(マタイ7:1~5)。

 イエスは、上の聖句に示すように「自分が裁かれないために、人を裁くのをやめなさい」と教えられた時に、わらと垂木の例えを用いて諭されたのです。当時の人々も、現在の人たちもわらと垂木の違いは容易に分かります。上にも書きましたが、私たちは他の人の欠点や間違いは容易に気付きますが、自分の誤っている点や欠点は気付きにくいものです。しかも、他の人より自分の方がより大きな欠点や誤りを犯しているかも知れません。イエスはだれにもありがちな小さな間違いや欠点を「わら」に例え、より大きな間違いや欠点を「垂木」に例え、前者を「目の中にあるわら」、後者を「目の中にある垂木と表現し教えられました。ご承知の通り、目はとても敏感に反応する視覚の重要な部分です。ですから、実際に小さな異物が目に入っても、人は直ぐに洗い流す必要がある事を知っています。しかし、イエスは率直に、自分の間違いや欠点は大小を問わず自分自信では気付かないことを教えています。でも、イエスの教えられた通り、自分自身のことには気付きにくくても、他の人の欠点や間違いには気づき、僭越にもそれを正そうとする傾向があります。しかし、イエスは、私たちが僭越にも他の人の誤りや欠点を正そうとする前に、まず自分にあるより大きな欠点や誤りを正すように教えています。そのようにして「人を裁くのをやめなさい」と、諭されました。そればかりではなく、イエスの例えの「目の中にある垂木は、正しい判断を下す自分の能力が阻害されている状態をも教えています。

 では、どうすれば、自分自身の目の中にある垂木を取り除くことができるのでしょうか。聖書は「互いを愛するように」と教えています。互いの間に愛があれば、決して僭越な行為をすることはないでしょう(ヨハネ13:34)。さらに神エホバから出る教えの実の霊の実は、愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰(信仰とは証拠に基づき、抱く期待・希望が保証されていること)、温和、自制です(ガラテア5:22,23)。聖書はこの霊の実の九を培うように教えています。この霊の実を培うなら、自分の目の中の垂木に気付き、それを取り除く努力をし、他の人に僭越な行動を取らないように行動を制御することができるでしょう。加えて、自分が正しい判断を下す能力を備えるためには、み言葉聖書から知恵と識別力を学び適用しなければなりません(箴言2:6,7)。

 イエスの教えはすべてエホバの教えであり単なる例え話ではないのですヨハネ7:16;12:49,50)。イエスを通したエホバから出る教えは、私たちを益し、平安と義が溢れる道となります(イザヤ48:17,18)。

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        取り残し 富有柿の実 熟しおり 今日の一句

                       近くの「取り残しの富有柿」

 

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初冬の黄色のカタバミとピンクのバラ

2015-11-26 20:41:57 | 四季折々の花々

 こちらの11月は暖かい日が続き、庭のカタバミが今も咲きます。

 カタバミの花は、陽が上り1時間位過ぎると、

 しぼんでいた花弁を開き始めます。

 カタバミの花期は通常は5月~9月と紹介されていますが、

 こちらでは今も咲いています。

 今日は初冬の黄色のカタバミとピンクのバラを紹介致します。

                    庭に咲いている初冬の「カタバミ」

                      庭に咲いている初冬の「バラ」

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あなたは、イエスの教えた「思慮深い人」と「愚かな人」の内容をご存知ですか?(マタイ7:24~27)

2015-11-26 20:26:57 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストはみ父エホバの教えを群衆や弟子たちに教える時に、真理を悟ることができるように、だれでも分かる例え話を用いられました(ヨハネ7:16.マタイ13:10~15)。イエスの教えられた「例え話」は一度聞くと心に残り、心を動かされ、神エホバのご意志のみ言葉を行う者に成長します(マタイ7:21.ヤコブ1:32)。み言葉・聖書は、神エホバの教えを黙想し、勇気を出して守り行うように教え、み言葉を適用する人は、物事が順調に進み、必ず成功することを保証しています(ヨシュア1:5~9.詩編1:2、3)。イエスは有名な山上の垂訓の締めくくりの言葉を述べる前に、神エホバのご意志を行なわない者たちに対し、この事物の体制の裁きの時に、ご自分に助けを求めても不法を働く者たちよ、わたしから離れ去れ、と」言うことを教えられました(マタイ7:21~23)。イエスの教えの通り、神エホバのご意志を学び守り行うことはとても重要なのです。そのため、山上の垂訓の締めくくりの教えは次のような例え話を用いた教えです。このイエスの教えはすべての人に関係する教えです。

 「「それゆえ、わたし(イエス)のこれらのことば(山上の垂訓で教えたことば)を聞いてそれを行う者は、思慮深い人に例えられるでしょう。それは岩塊の上に家を建てた人です。そして、雨がどしゃぶりに降って洪水が来、風が吹いて打ちつけても、その家は崩れ落ちませんでした。岩塊の上に土台が据えられていたからです。そしてまた、わたしのこれらの言葉を聞いてもそれを行なわない者はみな、愚かな人に例えられるでしょう。それは砂の上に家を建てた人です。そして、雨がどしゃぶりに降って洪水が来、風が吹いて打ち当たると、その家は崩れ落ちその崩壊はひどいものでした」」(マタイ7:24~27)。

 上のイエスの教えの言葉を読めば、イエスの教える「思慮深い人」「愚かな人」の違いと要点はすぐに理解ができます。しかも深遠な真理が含まれ、現在のすべての人々にも関係する教えであることが分かります。イエスは「思慮深い人」はみ言葉を聞いて学びそれを行うひとであり、そのような思慮深い人を「岩塊の上に家を建てた人」に例えられています。だれでも分かりますように岩塊の上の土台・基礎に家を建てれば、風雨にさらされても家が崩れ落ちることはありません。イエスの例えに用いられた岩塊の上の土台は何を示唆しているのでしょうか。イエスは、上の話をする少し前に参上の垂訓の中で「(神の)王国と神の義いつも第一に求めなさい」と、教えておられます(マタイ6:33)。 また、イエスの伝道の主題は「神の王国の良いたより」でした(ルカ4:43;8:1.マタイ24:14)。ですから、岩塊の上の土台「神の王国」を示唆していることがわかります。神の王国どのような風雨、つまり試練にも被害を被ることはなく、神の王国は永遠に存続するからです(ダニエル2:44,45.啓示21:1~5;22:1~5)。イエスの教え、つまり神エホバの教えを守り行う「思慮深い人」たちは、神の王国の真理に堅く立っていますので、永遠の祝福に預かります(箴言2:21.ペテロ第二3:13.啓示21:3,4)。

 一方、イエスの教える「愚かな人」は、「砂の上に家を建てた人」に例えて教えられました。砂の上に家を建てれば、風雨に耐えることは出来ず、容易に家は崩れ落ちます。そのような砂の上に家を建てる人がいれば、愚かな人ということが容易に誰にも分かります。この「愚かな人」み言葉を聞いても、学び守り行わなかった人たちですから、神の王国の真理に堅く立たない人を指しています。このようにみ言葉を聞き学び、そのご意志を守り行わない者は、最終的に崩壊、つまり処断されます(箴言2:22.ペテロ第二3:10~12.啓示18章~19:21)。イエスの教えは現在までにも及ぶ教えです。

 現在エホバの証人のクリスチャンたちは、イエスの教えられた通り、世界中の239の国や地域で神の王国の良いたよりを伝道しています(マタイ24:14;28:19,20)。神エホバは一人でも多くの人が神の王国の良いたよりにこたえ応じ、「思慮深い人」として命にいたることを望んでおられます(ペテロ第二3:9)。あなたも「思慮深い人」として歩まれていれば幸いです。

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    孫娘 みかん歓び 電話あり 今日の一句

                庭で三度強風で倒れても咲いた「皇帝ダリア」

 

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