こちらでは、11月も暖かい日が続き、
そのためか、晩秋の庭にスミレの花が咲いています。
スミレの花は3月~4月ですので、我が家の庭でも
この時期に咲いたことは、あまり記憶にありません。
今日は晩秋に咲いたスミレとクリーム色のバラを紹介致します。
晩秋に咲いている庭の「スミレ」
庭に咲いている「バラ」
こちらでは、11月も暖かい日が続き、
そのためか、晩秋の庭にスミレの花が咲いています。
スミレの花は3月~4月ですので、我が家の庭でも
この時期に咲いたことは、あまり記憶にありません。
今日は晩秋に咲いたスミレとクリーム色のバラを紹介致します。
晩秋に咲いている庭の「スミレ」
庭に咲いている「バラ」
イエス・キリストは重要な真理を、一度聞くと忘れることができない適切な「例え話」を用い、群衆や弟子たちに教えられました。その重要な「例え話」の一つに種まき人の例え話があります。このイエスの話された種まき人の例え話の内容とその意味は、現在までと、現在の状況と、これから生じる事柄まで含まれ、全ての人に関係しています。このイエスの例え話を熟考し、「思慮深い人」として歩まれる方は沢井です(マタイ7:24,25)。
イエスは、弟子たちがイエスに近づき「例えを使って彼ら(群衆)にお話になるのはどうしてですか」と尋ねた時、イエスは「・・・わたしが例えを使って彼ら(群衆)に話すのはこのためです。すなわち、彼らは見ていてもむだに見、聞いていてもむだに聞き、その意味を悟ることもないからです」と教えられました(マタイ13:10~13)。さらに、イエスはイザヤの預言が群衆に成就していることを、イザヤ書を引用し教えられました(マタイ13:14,15)。つまり、イエスは群衆に哀れみを感じ、彼らがむだに見たり、聞いたりすることがないように、真理をだれが聞いても悟るように伝えるために「例え話」をしていることを教えられました。一方、イエスは弟子たちに「あなた方の目は見るゆえに、またあなた方の耳は聞くゆえに幸いです」と言われました(マタイ13:16)。
イエスは群衆に次の種まき人の例え話をされました。イエスは種まき人の種が、それぞれ異なった四つの場所にまかれた事例を簡潔に話されました。一つ目の例は、「幾つかの種は、道路わきに落ち、鳥が来てそれを食べてしまいました」(マタイ13:4)。二つ目の例は、「ほかの種は土のあまりない岩地におち、・・・太陽が昇ると、・・・根がないので枯れ」ました(マタイ13:5,6)。三つ目の例は、「ほかの種はいばらの間に落ち、いばらが伸びて来てそれをふさぎました」(マタイ13:7)。四つ目の例は、「ほかの種はりっぱな土のうえに落ちて実を生じるようになり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実をならせました」(マタイ13:8)。
全ての人が関係するこの種まき人の例え話の意味を、イエスは次のように教えられました。一つ目の例の道路わきにまかれた種について、イエスは「人が王国の言葉を聞きながらその意味を悟らない場合、邪悪な者がやって来て、その心にまかれたもの(真理)をさらって行」かれた人と説明されました(マタイ13:19)。二つ目の例の岩地にまかれた種について、イエスは「これはみ言葉を聞き、喜んですぐに受け入れる人のことです。けれども、自分に根が無く、一時は続きますが、み言葉のために患難や迫害が生じるとすぐにつまずく」人と、説明されました(マタイ13:20,21)。三つ目の例のいばらの間にまかれた種について、イエスは「これはみ言葉を聞きますが、この事物の体制の思い煩いや富の欺きの力がみ言葉をふさぐ人であり、その人は実らない」と説明されました(マタイ13:22)。四つ目の例のりっぱな土の上にまかれた種について、イエスは「これはみ言葉を聞いて、その意味を悟る人のことです。その人は本当に実を結び、ある者は百倍、ある者は六十倍、ある者は三十倍を生み出す」と説明されました(マタイ13:23)。イエスの時代も、現在も、神の王国の良いたよりの真理に反応する人々は、イエスの教えられた四つの事例に対応しています。皆様方もイエスの語られた四つ目の例の、「りっぱな土の上にまかれた種」の方々であれば、幸いです。イエス・キリストは例え話を用いた優れた教え手であることが分かります。
さらにイエスは、「天(神)の王国は、自分の畑にりっぱな種(小麦の種)をまいた人のようになりました」と説明を続けられました。そのりっぱな小麦の種の間に敵がやって来て雑草をまきます。畑の持ち主は、雑草が小さいうちに取り除くのではなく、小麦と雑草が十分に育ち、収穫の時期になって刈り取るように指示されました。その主人は収穫の時に、雑草を刈り取って集め、火で焼くように、そして小麦は主人の倉に集めるように指示されました(マタイ13:24~30)。この小麦と雑草の例え話もとても重要なイエスの教えです。次のイエスの説明によって、現在世界中でりっぱな種・小麦と雑草の実態を見分けることができます。
イエスの弟子たちは、「畑の雑草の例えをわたしたちに説明してください」と言い、弟子たちにイエスがその意味を次のように説明しました。「りっぱな種(小麦の種)をまく者は人の子(イエス)です。畑は世界です。りっぱな種は(神の)王国の子たちです。それに対し、雑草は邪悪な者の子たちです。それをまいた敵は悪魔です。収穫は事物の体制の終結であり、刈り取る者たちみ使いたちです。それゆえ、雑草が集められて火で焼かれるのと同じように、事物の体制の終結のときにもそのようになります。人の子(イエス)が自分の使いたちを遣わし、彼らは、すべてつまづきのもとなるものや不法を行なっている者を自分の王国から集め出し、それを火の燃える炉の中に投げ込みます。そこで彼らは泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう。その時、義人たち(神エホバのご意志を行う人たち)はその父(エホバ)の王国で太陽のように明るく輝くのです。耳のある人は聞きなさい」と、今から生じる事柄も含む世界中の人々の関係する事柄を説明されました(マタイ13:36~44)。雑草は「大いなるバビロン」大娼婦」の偽りの宗教の世界帝国であり、間もなく神エホバによって処断されます(啓示17:1~6;18章)。イエスの種まき人の例え話の意味を悟られた方々は幸いです。
道の駅 みかん大量 売れ残る 今日の一句
新潟の写真家の提供の見事な「管菊」
先に庭に咲いている晩秋のミニトマトの花を紹介し、
この時期にはミニトマトも実を結ばないでいることをお伝えしました。
北海道でミニトマトが実を結び、熟すのを待っていることが伝えられ、
もしかしたら、ミニトマトが実を結んでいるかも知れないと思い、
ミニトマトの背丈の中ほどの茂った葉の裏を調べました。
すると、小さなミニトマトの実を結んでいる房が二つ見つかりました。
ミニトマトはこの時期にも、きちんと実を結んでいました。
熟すまで暖かい日が続いて欲しいと思いました。
今日は晩秋のミニトマトの花とミニトマトとクリーム色のバラを紹介致します。
庭の晩秋の「ミニトマトの花とミニトマト」
昨夜の雨露の残る庭の「バラ」
皆様方も、時々ある人に不幸な出来事が生じたり物事が順調に進まないことがあると、「それはあなたの運命」と、説明される方がいらっしゃるのをご存知のことと思います。またある災害が生じるとそれは「天罰だ!」と唱える方もいらっしゃいます。有名な元東京都知事もそのように言われましたが、後にその発言は誤りであったことを認められ、取り消されたこともありました。わたし達の身の回りには、様々な「時と予見し得ない出来事」が生じますが、それは運命であったり、天罰だったりするのでしょうか(伝道の書9:11)。真の知恵の源の神エホバのお考えと運命予定説は調和するでしょうか。聖書からその答えをお伝え致します。
先にもお伝えしましたが、広大な宇宙とその中に存在するこの美しい惑星・地球には私たちの命の存在を可能にしている各種物理的法則や地上の多種多様な植物や食物や動物が備えられていることや、私たちのくすしい人体を科学的に調べるなら、そのれらの証拠からすると、聖書は神エホバの知恵を最高のものとしていることの納得が得られます。一例を挙げると、聖書は偉大な創造者エホバ神は、「ただひとり知恵のある方」と教えています(ローマ16:27)。神エホバは、絶対的な意味での知恵をお持ちの方であり、真の知恵の源です(箴言2:6,7)。ですから、地上に遣わされたみ子イエスは、謙遜にも自分自身の知恵に頼らず、どのような場合もみ父エホバに教えられる通りの教えと業を行なわれました(ヨハネ7:16~18;12:48~50)。
偉大な創造者エホバ神の知恵の特異性について、使徒パウロは次のように表現しました。「ああ、神(エホバ)の富と知恵と知識の深さよ、その裁きは何と探りがたく、その道は何とたどりがたいものなのでしょう」(ローマ11:30)。パウロは「ああ」と述べ、神エホバの知恵と知識の深さについて、内奥からの畏敬の強い感情を表しています。神エホバの知識や知恵は、少し物理的な諸法則を調べるだけでも、あまりに深く広大な領域なので、その深さをすべて把握することができません。ですから、私たちは謙遜になってみ子イエスの残された手本に見倣う必要があります(ペテロ第一2:21)。
別の意味でも、神エホバは真の知恵の源であり、「ただひとり知恵のある方」です(箴言2:6,7.ローマ16:27)。そのことは、神エホバだけが将来を見通せるのです。神エホバが実際に将来を見ることができることを示す証拠が聖書中にはたくさん記されています。聖書には、幾百もの預言、つまり事前に書かれた歴史が記されています。戦争の結末、世界強国の興亡、さらには軍司令官の具体的な戦術までが、物事が生じる前にご自分の預言者たちを通して聖書の中に予告されています。実際に生じる幾百年も前に予告されていたものもあり、その預言はすべて成就しています(イザヤ44:25~45:4;55:10,11.ダニエル8:2~8、20~22)。
この神エホバの将来を見通せる知恵は、あなたの生活上で行う選択を、神エホバがすでに予見しておられるということでしょうか。「運命予定説」を説く人たちの中には、、そうであると主張する人もいます。ですから、あちこちでこの考え方が生活の中に浸透し、冒頭で紹介した事柄が生じています。しかし、そのような「運命予定説」の考え方は、実際には神エホバの知恵を辱めています。それは、将来を見通す知恵・能力を神エホバは制御できない、と言っていることになるからです。神エホバは将来を予知する知恵・能力をお持ちですが、それをだれの生活に対しても絶えずお用いになるわけではありません。そうすることは、わたし達の自由意思・自由な選択を損ねるとにもなりません。神エホバは、わたし達の自由意思という貴重な贈り物を決して無効にされることはありません(申命記30:19、20)。さらに悪魔サタンは蛇を用い、自分の指示に従えば、人間が善悪を知り神のようになる、と唆したことを忘れないで下さい(創世記3:1~5)。もしも、神エホバが、人間の目の前に生じるすべての諸問題を前もって取り除くなら、悪魔サタンの巧妙な騙しを立証することができなくなります。
さらに悪いことに、「運命予定」という考え方に立てば、人間の前に生じる様々な病気や、様々な要素の悲しみや苦しみや困難や災害は、神エホバの将来を見通す知恵・能力は冷たくて、心や温かい感情や優しい思いやりが伴わないということになります。しかし、それは真実とは180度異なります。神エホバは「心が賢い」と、聖書は教えています(ヨブ9:4)。聖書は「心」という語を、愛のような動機や感情を含む内面の自己と関連して用いています。ですから、神エホバの知恵は、他の特質の公正や力と同様に、愛という特質に支配されています(ヨハネ第一4:8)。ですから、愛に反する病気や様々な要素の悲しみや苦しみや困難や災害が生じるのは神エホバが生じることを定めたのではない事柄です。神エホバの霊の実は、愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰、温和、自制であり、人を益するものです(ガラテア5:22,23.イザヤ47:17,18)。人を益さない事柄はエホバから生じることはありません。「運命予定説」は人間の考えに基づき、神エホバの教えを辱めるものなのです。
当然のことながら、神エホバの知恵は全く信頼できます。それゆえ、神エホバの言葉・聖書は愛をこめてこう勧めています。「心をつくしてエホバに依り頼め。自分の理解に頼ってはならない。あなたのすべての道において神(エホバ)を認めよ。そうすれば、神ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる」(箴言3:5,6)。この神エホバの勧めの言葉に従う人たちは幸いです。
見上げ見る 皇帝ダリア 風に揺れ 今日の一句
庭に咲いている「カタバミ」
庭の残り葉の「サルスベリの紅葉」
いつも車で通る道端に今年もツワブキの花が咲いています。
ツワブキの葉には光沢があり、大形の葉をしていますので、
一度見ると忘れることない花です。
葉の艶を楽しまれる方もいらっしゃるようです。
花期は11月~12月です。
用途は鉢植え、庭植へです。
花言葉は「内に秘めた想い」と紹介されています。
今日はツワブキの花と晩秋のオレンジ色のバラの蕾を紹介致します。
道端に咲いている「ツワブキの花」
近くの庭植の「バラの蕾」