イエス・キリストは今までに地上に存在した人の中で最も偉大な人として知られています(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書)。しかも最も偉大な教え手でした。聖書に記されているマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書を調べると、イエスは最も偉大な人、最も偉大な教え手として呼ばれるにふさわしい方であることが分ります。そのイエスについて、ヨハネの福音書に、ユダヤ人たちがイエスの教え方に不思議に思ったことが次のように記され、かつ、なぜユダヤ人が不思議に思ったのかの答えが記されています。
「(幕屋の)祭りがすでに半ばを過ぎた時、イエスは神殿に上って行って、(神の王国の真理を)教え始められた。そのため、ユダヤ人たちは不思議に思うようになって、こう言った。「どうしてこの人(イエス)は、学校で学んでもいないのに学識があるのだろうか」。それに対し、イエスは彼らに答えて言われた、「わたし(イエス)の教えはわたしのものではなく、わたし(イエス)を遣わした方(エホバ)に属するものです。だれでもこの方(エホバ)のご意志を行いたいと願うなら、この教えについてそれが神(エホバ)からのものか、それともわたし(イエス)が独自の考えで話しているのかが分るでしょう。独自の考えで話す者は自分の栄光を求めているのです。しかし、自分(イエス)を遣わした方(エホバ)の栄光を求める者、これは真実な者であり、そのうちに不義はありません」(ヨハネ7:14~18)。
上の聖句に記されている通り、イエスが神殿で神の王国の良いたよりの真理を教えているその教えの内容を聞き、その姿を見たユダヤ人たちは、「不思議に思った」のです(マタイ4:23.ルカ4:43;8:1)。なぜ不思議に思ったのでしょうか。それは、イエスが大工の息子として育てられ、「学校で学んでもいないのに学識のある人」に見えたからです。さらに、イエスの教え方にユダヤ人が驚き、不思議に思ったのは、「権威のある人のように教えておられ」、「書士たちようではなかったから」です(マタイ7:28,29)。イエスが「学識のある人」のように、また「権威のある人」のように教えることができたのは、イエスの独自の考えではなく、神エホバからの教えを、その通り教えていたからでした。従ってイエスは「真実な者」として教えることができたのです。イエスはみ父エホバ神が「イエスにお告げになったとおり話された」ので、「学識のある人」、「経緯のある人」に見えたのです(ヨハネ12:50)。
ですから、イエスの教えの「キリスト教」とは神エホバの教えなのです。あなたもそのことをご理解されている方々のお一人であれば幸いです。
台風の 進路変化に 注視せり 今日の一句
大型スーパーに展示されていた「パンフラワーの作品」